審判
解放された怨念は『死者の汚泥』という疑似アンデッドとなって帝国軍に襲いかかった。
それは黒いタールの沼から苦悶に満ちた顔や腕が生えてくるという、ホラー映画を現実にした様な存在だ。
ファンの結界よりも広範囲に広がり、後方の補給部隊や治療部隊まで汚泥は呑み込んでいく。
汚泥の行動は単純だ。
接触した相手をスキャンし、これまでの行動を調べる。
そして『無罪』、『警告』、『有罪』の3段階で対象への行動を決める。
『無罪』の者には手出しをしないが、『警告』『有罪』の者には強烈な精神攻撃を仕掛ける。
『有罪』の者に対しては、足をからめ取って動きを封じ、逃亡を阻止するおまけ付きだ。
精神攻撃の内容は死者達の『死の記憶』を追体験させるというモノだ。
何万パターンもの死を延々と体験させられる。
常人ならあっという間に発狂し、廃人となってしまうだろう。
まず汚泥に襲われたのは徴兵された兵が中心の前衛部隊だった。
しかし、大半の者達は『無罪』となり、スルーされた。
元々は只の一般人なのだから当然の事だった。
襲い来る黒い沼に恐れ慄いていた彼らは拍子抜けしてしまった。
だが、隊長や騎士、素行の悪い事で有名だった者達が汚泥にまとわりつかれて絶叫し始めた。
騎士に至っては膝まで汚泥に呑み込まれ、一歩も歩く事ができなくなっている。
許された者たちは呆然と裁かれた者たちを見ている事しかできなかった。
正規部隊、騎士、貴族の私兵達に汚泥が届くと、そこは一瞬にして阿鼻叫喚に包まれた。
自分の意思だったのか、命令されて仕方なくだったのかなど犠牲者にとっては関係ない。
ただ淡々と己の味わった苦痛を見せ続ける。
騎士の中には剣を振り回して必死に抵抗する者もいたが、残念ながらゴーストに近い汚泥を普通の武器で切る事は出来ない。
ならばと魔法使い達が汚泥を排除しようとするが、圧倒的な物量に押される一方だった。
やがて抵抗は止んでいった。
貴族達はさらに悲惨だった。
彼らのほとんどが『有罪』であったが、騎士たちの様に精神攻撃に耐えるほどの心の強さも無かったのだ。
人を傷つけることには慣れていても、その逆には耐性の無い貴族達。
彼らは次々に精神を破壊され、生きた骸に変わって行った。
「うーん、圧巻」
万の敵を僅か一発の魔法でほぼ壊滅させたフィオだが、その感想は軽い。
彼にしてみれば『集めたモノをばら撒いた』程度の認識なのだ。
実際、前衛部隊の様に後ろ暗い所の無い者達にとっては脅しにしかならない。
まあ、貴族連中や皇帝はとっくに廃人状態なのだが。
「さて、それじゃ……お?」
「死ね!」
ゴォ
突然巨大な火球がフィオを襲った。
目をやると、そこには銃型の杖を構えたファンがいた。
生憎この程度の炎ではフィオの完全に近い炎耐性を破る事は出来ないのだが。
「な?! 無傷だと……」
「へえ、某サイボーグみたいだな……」
ファンは汚泥に見逃されたわけではない。
足の裏から炎を噴出し、ロケットの様に推進力を得て飛んでいるのだ。
地面を這う汚泥は、盛り上がってファンを捕えようとするがその動きは遅い。
小回りはともかくスピードは中々のものだった。
接近戦は苦手なのか、空中から距離を取って攻撃してくるファン。
頭が冷えたのか意外と正確に攻撃してくる。
散弾、熱線、連射、と様々なバリエーションの火球を撃ってくる。
「くそ、くそ、くそ、何で効かない……」
すでにファンの底は見えていた。
彼は『火球を撃つ』という攻撃方法しか持たないようだ。
属性を火に絞ったのも、攻撃方法をイメージしやすい火球に限定したのも、短い期間で即戦力に成長させるという意味では正しい判断だったのだろう。
加えて『銃型の杖から発射される火球』は現代人にとっては非常にイメージしやすい。
だが、特化型の魔法使いはその長所を潰されると手も足も出なくなる。
ファンの場合、火属性耐性を持つ相手、もしくは圧倒的に魔力で上回る相手が天敵となる。
その両方を備えたフィオに彼が勝てる道理は無い。
しかし、ファンが弱いわけではない。
むしろ、たった数カ月しか訓練していない事を考えると、火球の威力やバリエーション、結界や飛行など実に多彩と言える。
仮に双子と戦えば、上空からの爆撃でファンが圧勝するだろう。
1つ問題があったとすれば、彼は自分より強い相手と戦った事が無かった事だろうか。
単純な力任せで勝てないからこそ技が必要となる。
彼は技を必要とする状況に陥った事が無かったのだ。
魔法とは己の意思で世界を書き換える技術。
高位の術者が望めば水の中であろうと燃え盛り、サラマンダーを焼き尽くす炎を生み出す事が出来る。
ファンも修練を積めばその領域まで上り詰めたかもしれない。
だが、今の彼の炎は自然現象の範囲を抜け出せていない。
当初の双子の身体能力強化同様、魔法の構成が甘いのだ。
それではフィオを傷つける事は出来ないのだ。
「~、~」
ファンの顔は焦燥に駆られているのが良く解る。
避けられるのなら『当たりさえすれば』と希望が持てるだろう。
だが当たっても平然とされていては、ましてや相手は防御さえしていないのだ。
どうすればいいか解らなくなっているはずだ。
「ほれほれ、そんなもんか?」
「ああああああ!! 黙れー!!」
簡単な挑発ですぐに我を忘れるファン。
この辺りが自分の才能を生かしきれない原因なのだろう。
精神面が未熟なのだ。
敵わないなら逃げればいいのだが(逃げられるかどうかは別だが)、プライドが邪魔して選択できない。
代わりに渾身の一撃を放つ。
ズドオオォ
グレネードをイメージした一撃が大爆発を起こす。
結界による回復が追い付かなくなるほどの消耗だ。
「は、ははは、どうだ、これで……」
ザン
「へ?」
突然、両腕の感覚が無くなった。
代わりに感じたのは灼熱の痛み。
いつの間にか自分の横に翼蛇に乗った死神がいた。
その鎌は振り下ろされている。
そして
「あ? うあああああああああ!!」
ファンの両腕は肘から切り落とされていた。
「何だこれ? 何だこれ? 何だこれ? ありえない ありえない ありえない……」
「しばらく大人しくしていろ」
ザン
ブツブツと気がふれたように呟くファンに冷酷な声がかけられる。
次の瞬間両足が膝から切り落とされた。
足を失い飛行魔法が解除される。
落下していくファンを、背中にコウモリの様な翼を生やしたフィオが冷たく見降ろしていた。
ファンは地面に落ちる前に黒い汚泥に呑み込まれた。
新たな絶叫が響き渡る。
メンタル面が打たれ弱いファンが果たしてどれだけ耐えられるか。
下手するとショック死するかもしれない。
全てが終わっても生きていたら送還してやろうかな。
「聞け! 許された者、過ちを繰り返さぬと誓う者は去れ! 残った者には容赦はしない!」
魔法で戦場全体に声を届けると、逃げられる者は逃げだした。
動かない者は汚泥に囚われているか正気を失った者だろう。
全体の3分の1ってところかな。
割と多い。
無駄な殺しは控えるつもりだが、本当に生きてるだけって連中はどうなんだろう。
延々精神攻撃を受けてるより殺した方が救いになるのかな?
……まあいいか。
後にしよう。
まずは
「さあ、皇帝。お前は念入りにやってやるぜ」
悪魔と死神は王族貴族の元へと飛び立った。
一蹴。
ある一定以上の強さの個体にとっては数は無意味です。
1が1万集まれば1万ですが、0がどれだけ集まっても0なのです。
広域攻撃の前では1も100も大差ないのです。




