ミッションクリア
禍々しき邪神は滅び去り、黒き巨神も消え去った。
世界を覆っていた邪悪な神気は晴れた。
その日、世界は救われ、生きとし生ける全ての者が神話の当事者となった。
そして――
銀河のように渦巻く光。
その一つ一つが生命の根源たる魂。
神域にてその輝きを見守っているのは純白の巨鳥。
白き神ヴェンヌ・フォルス・ヴィゾフニールだった。
〈どうやら終わったようですね……〉
白き神が視線を向ける先は虚空。
しかし、万里どころか世界の全てを見通す監視者の目には、1つの終焉が見えていた。
半身たる黒き神ファラク・フォビア・ウロボロス。
その滅びの牙が異界の邪神を消滅させたのだ。
〈さて、彼の処遇について考えなければなりませんね〉
黒き神の眷属は邪神を打ち破り、眷属神へと進化した。
基本的に神は世界への直接干渉を禁じられている。
しかし、特殊な経緯もあり、現在の彼はその辺りが曖昧な状況だった。
〈まあ、まずはファラクに任せましょうか……〉
* * *
「ここは?」
ふと気が付くとフィオは虚空に佇んでいた。
足元が明るい事に気付き下を見ると、そこには銀河のような渦巻く光が見えた。
それは転生を待つ魂の渦。
フィオにとって、この世界における始まりの光景だった。
〈よくやってくれた〉
「黒き神……」
自身の雇い主とも言える大神の声。
周囲を見渡す必要すらない。
自分を取り巻く虚空全てを埋め尽くすように、漆黒の蛇体が顕現していた。
いや、おそらくは彼は初めからここに存在していたのだ。
見えなかったのは自分がその存在を認識できていなかっただけなのだろう。
あらゆる意味で、あまりにも大きすぎて。
「すまない……。最後の最後で取り逃がしてしまった」
〈問題は無い。すでに邪神は我が牙によって滅ぼした〉
「そうなのか?」
〈元々奴の存在など害虫のようなものだ。この世界の外で居場所さえ特定できれば潰すことなど造作も無い。奴にマーカーを着けて、この世界から追い出した時点でお前の任務は完了していたのだ〉
「ミッション・コンプリートか……」
役目を果たしたフィオ。
だが、その胸には達成感と共に虚無感も溢れていた。
燃え尽き症候群とでも言えばよいのだろうか?
目的が無くなって途方に暮れてしまったのだ。
〈さて、お前の今後なのだが……〉
「ああ……」
フィオの内心を見透かしたように語り掛ける黒き神。
次の任務かと期待するフィオだったが――
〈実は決まっていない〉
「は?」
予想外の展開に唖然としてしまう。
それに構わず黒き神は話し続ける。
〈お前は我が眷属だが、初めからそう生まれたわけではない。むしろ、かつてのフラムのように人の世で生きる方が自然だと考えている〉
「救世主様をやれと?」
〈お前の力はすでに神の領域。行動を縛るつもりはないが、勝手気ままに振るわれても困る〉
「そんなことをするつもりはないが……」
〈それは理解している。ゆえに猶予を与えたいと思う〉
思いもよらない方向に話が進んでいく。
フィオとしては今後のことは黒き神に決めてもらったほうが楽なのだ。
だが、同時にそれは『自分』を放棄する事になるとも思っている。
黒き神の提案はそんなフィオの内心を汲み取ったものでもあった。
〈しばらくの間、人間界で自由に生きてみよ。そして、今後の在り方を決めると良い〉
「そんな悠長なことで良いのか?」
〈お前に寿命は無い。考える時間はいくらでもあるだろう。それは我らも同じこと。お前が答えを出すまで気長に待とう〉
「そう、だな……。」
〈ただし、1つ心せよ。お前の肉体はすでに神の領域にある。今はまだそれほどではないだろうが、将来的にはお前の精神は肉体に引きずられて変質する〉
それはフィオ自身も自覚していたことだ。
しかし、他でもない神にはっきりと伝えられると響くものがある。
「俺が俺じゃなくなると?」
〈それは解釈による。人の心とは移ろうものだ。いつまでもまったく変わらぬ方が不自然と言えるだろう? その変化をどうとらえるかはお前次第だ〉
「……確かに」
〈その心、人であるか、神にいたるか、魔に堕ちるか。それはお前が選択せよ〉
「最後のだけはやめとくよ」
〈ならばよい。我も自分の眷属を滅ぼしたくはないからな〉
黒き神の声が徐々に遠ざかっていく。
そして気が付いた時、フィオは夜の国の王城のすぐ傍に佇んでいた。
* * *
グラーダ、そして邪神の脅威が排除された夜の国。
しかし、それは終わりではなく始まり。
長い長い復興という、新たな戦いの幕開けであった。
「ふう……。やってもやっても仕事が減らない……。議長もこんな苦労をしていたんだろうか……」
夜の国の新しい王であるジェイスは、執務室で書類の山に囲まれていた。
先程まで一緒に仕事をしていた文官たちは、完成した書類の束を抱えて出ていった。
しばらくは戻らないだろうし、戻った時には新たな書類の束を抱えている事だろう。
文官たちの補助無しでは、なかなか仕事がはかどらない。
優秀ではあっても現場の指揮官であった彼は、事務仕事に慣れていないからだ。
しかし、今はそんな事を言っていられる状況ではなかった。
なにしろ最終決定権を持つ王族は彼とルーナ王妃のみ。
そしてルーナが貴族たちの指揮を執っている間は、ジェイスが孤軍奮闘するしかないのだ。
ジェイスは貴族たちの事を良く知らないので、交代という選択肢は無い。
「玉座はゴールじゃなくて新たなスタート地点か。先はまだ長いな……」
貴族や王族に憧れる者は多い。
だが、そういった者達は権利にばかり目が行って、義務が頭に無い事が多い。
私腹を肥やし、好き勝手にやっていれば国も領地もあっと言う間に傾いてしまう。
権力を持つ者は権利を振りかざす支配者ではなく、義務を果たす統治者でなければならないのだ。
そして王はその筆頭である。
「3ヵ国会議の日程も決めないと。いや、その前に鬼王国の先王の葬儀への出席があったか」
今回の邪神騒動では各国が傷を負っている。
連合国では多くの国民が攫われ奴隷とされてしまった。
獣魔国は出稼ぎ労働者たちが犠牲となった。
鬼王国にいたっては先王が暗殺されている。
ついでに言えば巨人族もかなりの被害を出している。
これらの国が夜の国に謝罪や賠償を求めないのは、夜の国も同じ被害者だからであろう。
加害者は当然グラーダ、そして黒幕の邪神である。
被害という点で言えば王族の大半と多数の貴族を失い、国家の運営すらギリギリの夜の国が一番大きなダメージを受けているのだから。
今、夜の国が潰れてしまえば北大陸の混乱はさらに長引くことになる。
他国はそれを承知しているのだ。
「苦労しているな」
「! その声は……」
ジェイスが部屋を見渡すと、窓の1つが開いていた。
そして、そこには1人の青年が腰かけていた。
「フィオさん、無事だったんですね」
「当たり前だ。しかし、口調といい服装といいたった数日で王様らしくなったじゃないか」
あの戦いの後、姿を眩ませていた悪魔。
その彼がようやく姿を見せてくれた。
無事を確認できたことにジェイスは安堵する。
何しろ彼はこの戦いにおける救世主であり、ジェイス個人にとっても恩人である。
死んだとまでは思わなかったが、負傷しているのではと心配していたのだ。
歩み寄ってきたフィオに、少なくとも外見上の負傷は見当たらない。
「派手にやったからな。あんまり人前に出ないほうがいいと思って、お前が1人になるのを待っていたんだ」
「確かにそうかもしれないですね……」
少数ではあるが、黒き巨神の正体がフィオであることに気付いたものはいる。
確信は無くても関連を疑う者はかなり多い。
彼が出歩けば騒ぎになるのは間違いないだろう。
「ま、そんなわけで俺はしばらく身を隠すことにしたんだよ。冒険者ディノも活動休止だ。それを伝えに来たんだよ」
「そうですか……。裏からでも協力してもらえると助かるんですが……」
〈甘えるな〉
「!!」
ジェイスの弱音にフィオの雰囲気が変わる。
発した声にも威厳とはまた違う強さがこめられていた。
ジェイスの背筋が意識せずに伸びる。
「俺の仕事はここまでだよ。これ以上の干渉はいずれ悪い方向に転ぶ」
「そう、ですか……」
超然とした気配はすぐに霧散した。
そしてジェイスは別れの時が近い事を察した。
フィオがどれだけ長い間姿を隠しているかは分からない。
下手をすればこれが今生の別れとなるかもしれないのだ。
だが、ジェイスはどんな言葉で別れれば良いのか分からなかった。
そんなジェイスを尻目に、フィオは再び窓に向かって歩き出す。
そして窓の前で立ち止まると、振り返って言った。
〈ここから先、世界がどんな方向に進むかはお前たち次第だ〉
「!!?」
「じゃあな。奥さんと仲良くしろよ」
「……」
それは言霊のようにジェイスの心に突き刺さった。
ジェイス自身は知らぬことだが、この言葉は『神託』はフィオとかかわった次代を担う者達全員の心に届いた。
「あ……」
しばらくして、神威に打たれ呆然としていたジェイスが我に返った時、神の代行者の姿は消え去っていた。
次話が第4章のエピローグとなります。
簡単な後日談ですね。