幕間⑥ 彼を知る者達
感染性胃腸炎というやつにかかり、ダウンしてしまいました。
治療した後もしばらくお腹の具合が良くないんですよね……。
抗菌薬が善玉菌まで殺してしまうんだとか。
眩い閃光が弾けると、そこには黒き巨神だけが立っていた。
黒雲に閉ざされていた空は晴れ渡り、巨神の勝利を祝福するように陽光が降り注ぐ。
黒き巨神も無傷ではない。
見た目は損傷しているようには見えないが、所々薄くなっている部分があり、反対側が薄っすら透けて見えるところもある。
しかし、その存在感は揺らぐ事は無い。
空を見上げ、周囲をゆっくりと見渡した巨神は満足そうに頷く。
そして、その身体は光の粒子となって崩れ去り、消えていった。
その姿を最後に、脳裏に映し出されていた映像は消え去った。
「ハッ!?」
「あっ!?」
中央大陸、新生帝国の帝都。
そこでは不測の事態に備え、国軍が動員されていた。
指揮官はもちろん新たな英雄アレックス・ヴァンデル。
副官はその妹アリサーシャ・ヴァンデルだ。
しかし、天を覆う邪悪な神気、そして脳裏に直接映し出される光景。
これらによって、2人は事態が世界全体にかかわる一大事であると認識した。
自分たちが、いや、帝国がどうこうできる問題ではない。
対抗できる者がいるとすれば――
「あの人はやっぱり神様だったんだ……」
「ああ……」
神話の戦いが決着し、映像が消え去ったが軍の兵士たちは呆然としていて誰も動かない。
彼らだけではない。
帝国、いや、世界中がいまだに状況を飲み込めず呆然としている事だろう。
だが、2人は少し違った。
2人はあの黒き巨神が誰であるのか理解できた。
そして、自分たちの祈りが彼に届いたと確かに実感できたのだ。
「「!!」」
その時、空を見上げていた2人がビクリと体を振るわせた。
そして慌てたように周囲を見渡す。
しかし、見えるのは呆けたように空を見上げる兵士たち。
だが
「今……」
「ああ、確かに聞こえた……」
* * *
「やはり、あの御方だったのでしょうか?」
「槍を振るって戦う神など、他に誰がいるというのだ?」
白き神の神像を前に祈りを捧げていたミレニア司教が、思わず口にする。
それを師でもあるゲオルグ枢機卿が即座に肯定した。
神話に登場する神々は動物の姿であり、人型の神はいない。
人型の神は元人間の眷属神であるのだが、あのような力ある眷属神など知られていない。
「新たなる神の誕生ですか……」
「もう、すでに信者がいるようだがな」
祈りを捧げる信者たちをまとめていた『マザー』アニタ枢機卿がベイガー枢機卿に話しかけた。
あの力はもはや悪魔という神の下僕の域を超えている、という意味を込めて。
ベイガー枢機卿はそれに答えず、聖堂の一角に目を向けた。
そこにはベイガー枢機卿の部下、審問会のメンバーが集まっていた。
もちろん仮面はしていないし、見た目はただの一般人に変装している。
だが、彼らは少々目立っていた。
3つの武器を壁に飾り、涙を流して祈りを捧げているのだ。
「何があったのです?」
「先ほどウェインが言っていたのだが声が聞こえたのだそうだ」
「声ですか?」
「ああ。かの者のな」
「それは……」
ウェインは騎士であって神官ではない。
ベイガーの部下たちは腐敗した神官たちを嫌というほど見てきた。
そして彼に救われた。
信仰の対象がそちらに移っても不思議ではない。
「民も落ち着いてきた。私はヨハンに報告に向かおう」
「ええ、私はケガ人の治療をしているヘレン達の様子を見てきます」
それが良い事なのか悪い事なのか、2人には判断できなかった。
* * *
「終わったのか?」
「見て、空が晴れてる!」
「本当だ……」
共和国の山間部に建てられた建物。
そこはとある議員の別荘であり、彼の息子の療養地であった。
家の主は自分では立ち上がることもできず、3人の従者が彼を献身的に介護していた。
従者の1人の猫獣人のアモロが恐る恐る周囲を見渡した。
狐獣人のオチバが空を指さすと、犬獣人のトマも釣られて空を見上げた。
禍々しい力で曇っていた空は晴れ、太陽の光が降り注いでいる。
3人はほっと息をつく。
彼らは主人、シゼムの部下として裏社会で生きてきた。
だが当時のどんな修羅場も、今回に比べればお遊びだと思えてくる。
主人も自分たちも無事だった。
その安堵から出たため息だった。
「う……」
「「「!!?」」」
その時聞こえてきた呻き声に、3人は弾かれた様に振り返った。
視線の先、ベッドの上には廃人同然となった主人が横たわっている。
だが、声は確かにそちらから聞こえてきた。
「シゼム様!」
「大丈夫ですか!?」
「ご主人様!!」
3人が駆け寄ると、シゼムの目が薄っすらと開かれていた。
これまで人形のように何の反応も無かったシゼム。
しかし今、彼は確かに目を開き、声を出していた。
「……が、きこ……」
「え?」
「シゼム様」
再びシゼムが声を出す。
しかし、かすれた様な声は内容までは聞き取れない。
シゼムの目が3人の方を向き確かに焦点を合わせる。
「声が、聞こえた……」
今度は聞こえた。
確かな意思のこもる言葉。
3人の目から涙が溢る。
邪神が滅びたことで、喰われた彼の魂が僅かなりとも還元されたのかもしれない。
3人の献身が、実を結んだのかもしれない。
あるいは、まったく異なる奇跡によるものなのかもしれない。
「声が……」
シゼムの小さな声は、3人の大きな泣き声にかき消されていった。
* * *
「フッ! ハッ!!」
「うぐっ! くっ!」
「父上~、旦那様~、かんばってくださーい!!」
南大陸中央部に新たに建設されている巨大な建造物。
そこで銀狼族の青年と金狼族の男性が激しい組手を行っていた。
青年は銀狼族の次期族長アジェ、男性は金狼族の長であった。
そんな2人に声援を送る金狼族の娘。
彼女は金狼族の長の娘であり、アジェの婚約者である。
父によって過保護に育てられた彼女だが、アジェとの婚約の話が持ち上がると獲物を狙う肉食獣の勢いで彼を押し切った経緯がある。
「ギャップが凄いわね……」
「見た目は清楚なんだけどな……」
「女は怖いですよ?」
「アロザ……君はまだ成人前だろう……」
親友を見事にハントしてしまった少女に戦慄の眼差しを向けるのは、虎族の次期女族長であるロサと獅子族の次期族長であるグラだった。
アジェと違い頭脳労働が苦手な2人は、アジェの父にして銀狼族の長であるアルゲンによる勉強会への参加を義務付けられていた。
ちなみに一緒に参加している最年少の竜人族の少年アロザは頭脳派なので、2人より成績が良かったりする。
だが、その口から当たり前のように飛び出た言葉に、教師役のアルゲンが口元をひきつらせる。
現在、竜人族は男性の大半が戦死したため男女比が著しく偏っている。
族長の一族とはいえ、まだ子供のアロザの口から当たり前のようにこんな言葉が出るのだ。
男女のパワーバランスは凄まじい事になっているのだろう。
――ドガァ!!
「ぐぅ……」
「もう限界か?」
「まだ、まだ、です……」
金狼の長の猛攻に押されるまくるアジェだが、その闘志は一向に衰えない。
ボロボロになりながらも立ち上がり、挑み続ける。
勉強が大嫌いなロサも、眠ることなく真剣にアルゲンの言葉を聞き続ける。
邪神が倒されたあの日に聞こえた声。
その声に応えるように。
* * *
妖精族たちが住まう西大陸。
大陸の大半を覆う樹海には、未だに未発見の遺跡が隠されている。
そして、それらの調査発掘を行う調査団が毎日のように樹海の奥地へと挑戦していた。
そんな調査団に参加している男女2人の腕利き冒険者。
グラスワーカーの斥候スイフと弓使いのアミン。
冒険者ギルドからのペナルティを終えた2人は、元の実力もあり順調に地位と名声を取り戻していった。
そしてついに、有名な大都市ロスト・イリジアム主導の調査チームに、名指しで参加を打診されたのだ。
「ネットワークが消えたね……」
「ああ。切れたんじゃなくて消えた……」
夜の野営地で焚火を見つめながら2人は語り合う。
あの日、邪神は滅んだ。
その時の感情は複雑なものだった。
確かに邪神は自分たちを玩具としてしか見ていなかったのだろう。
一歩間違えればゴードンのように破滅していたはずだ。
だが、本来なら自分たちは元の世界で死んでいたのだ。
今、ここで生きているのは間違いなく邪神のおかげなのだ。
「ホッとしたのは確かだけど、大喜びできるかって言われると、ね……」
「複雑だよな……。でも、あいつの言う通り……」
2人は揃って空を見上げる。
異世界の月は、ただ静かに2人を見下ろしていた。
* * *
「ふぅ……。何とかなったみたいですね」
魔神が邪神を打ち破り、消え去った。
それを最後に脳裏に映し出されていた映像は消えた。
友人の勝利にシリルスは安堵の息を吐いた。
自らの魂の衝動に従った結果、軟禁されてしまったシリルスだ。
邪神は道を外れた自分のようで、見ていると結構なストレスだったのだ。
〈うむ。これで世界の外側からの脅威は一先ず無くなったわけだな〉
シリルスの言葉に応えたのは窓際の植木鉢。
正確には植木鉢に意識を宿したエントの王ヴァルオークだった。
だが、聡明なシリルスは彼の言葉の裏にあるものを理解した。
「今後は世界の内側に脅威が生まれるかもしれない、と?」
〈その通りだ。お前ならその兆しに気付いているのではないか?〉
「……」
図星だった。
シリルスは冒険者ギルドの長ラーマスから、南大陸に戦乱の兆しがある事を知らされていた。
空、大地、海、生活圏の異なる種族間の軋轢が大きくなっているのだ。
空の種族と大地の種族は上手くまとまる可能性があるが、海の種族に関しては絶望的だ。
「……ヴァルオーク。あまりに人が愚かなら、彼は人を滅ぼそうとするのでしょうか?」
〈通常の神ならありうる話だ。だが、あ奴はどうであろうな……〉
邪神が滅んだからと言って、世界から争いが無くなるわけではない。
もうすでに次の火種はくすぶっている。
目に見えないだけで、おそらくはこの西大陸にも。
2人の話が暗い方向に進んでいった時
〈ここから先、世界がどんな方向に進むかはお前たち次第だ〉
声が聞こえた。
「今の、声は……」
〈あ奴の声だな。だが、意図したものではあるまい〉
それは偶然だったのか必然だったのか。
フィオ自身にそのつもりは無かった。
だが、この世界で絆を結んだ者達の心へ彼の期待が、期待する声が流れ込んだのだ。
「そうですね。ネガティブな事を考えるくらいなら、より良い方向に進めるよう行動しましょう」
〈……〉
吹っ切れたのか明るい声で植木鉢に話しかけるシリルス。
だが――
「あれ? どうしました?」
〈……〉
だが、返答は無い。
その代わりに
「あ、ああ……」
「シリルス、さま?」
「!?」
背後からかけられた震える様な声に、弾かれた様に振り向いたシリルス。
そこには顔を真っ青にした婚約者ニムエと、目を見開いたメイドのメリアが立っていた。
2人は、自分の手から資料や書類がバサバサと落ちていくことも認識できていないようだった。
「え~と……」
「シ、シリルス様が、植木鉢に話しかけて、らっしゃる……」
「は……!?」
ニムエが震えながら口にした言葉に、ようやく現状を理解するシリルス。
「そ、そこまで心労を溜め込んでいらしたなんて……。ああ、どうして気付いて差し上げられなかったのでしょう……」
メリアも目に涙をためて呟く。
ニムエはシリルスがヴァルオークと知り合いであることなど知らない。
メリアは知っているが、ヴァルオークが植木鉢に意識を飛ばし、シリルスを監視していることなど知らない。
つまり……。
「あの、これには深いわけが……」
「お父様~!!」
「当主様~!!」
「「シリルス様が心を病んでしまいました~!!!」」
半ばパニック状態で走り去るニムエとメリア。
2人にはシリルスが軟禁生活によって心を病み、植木鉢に話しかけているように見えてしまったのだ。
誤解を解こうにもヴァルオークのことを素直に話す訳にもいかない。
廊下にはギョッとした表情の見張りの騎士。
そして、2人の叫びを聞いて集まってくる文官たち。
急いでドアを閉めるが時すでに遅し。
大騒ぎ確定、万事休すである。
「ど、どうすれば……」
〈お前次第だ〉
「わかってるよチクショウ!!」
その後、シリルスの軟禁&仕事漬けは解除された。
しかし、精神療養という名の別荘での軟禁が開始されることになる。
後に解放された彼は語った。
「仕事漬けも、行き過ぎた暇も、どっちも地獄だ……」
久々の幕間、主なサブキャラ総出演でした。
しかし、シリルスはいつもオチがロクでもない……。
リア充だから呪いでもかけられているのでしょうか?