裁きの顎
ようやく決着。
トリを飾るのはあの御方です。
〈極楽浄土? 死すべき定めの者達が、今世の絶望から目を逸らすために想像した死後の楽園。天国というやつだろう?〉
〈さすが、詳しいじゃないか〉
自身の問いにスラスラと答える邪神にフィオは苦笑する。
何だかんだで邪神は『人間』という存在に詳しいのだ。
この世界の神に天国だの地獄だのと聞いても、よく理解できないだろう。
なぜなら、この世界にはそんなものは存在しないからだ。
全ての魂は死後、神々により浄化され転生の輪に還る。
そして、現世の善行悪行によって来世が決まるのだ。
逆に言えば、『どうせ記憶が消えるのだから、来世など気にしない』と平然と悪行を行う者が現れるのも事実であった。
そういった意味では、地球における天国や地獄の概念は法と並ぶ犯罪抑止になっているのだろう。
〈死後の境遇など、我ら神には関係のない概念だ。死ねば自我が消え去り世界に還元されるか、殺した相手に権能を奪われるだけよ〉
〈そう言えば、この世界ではどうなんだろうな……〉
会話を続けながらもフィオと邪神は攻防を繰り返す。
邪神はフィオを侵食して神力を吸い上げ、フィオはそれを妨害し、神域を破ろうと試みる。
一見すると圧倒的に不利なのはフィオの方であった。
なにしろ、邪神の神域というアウェイ中のアウェイでの戦いなのだ。
〈手間取らせてくれたが、お前の負けだ。極楽浄土とやらに行けるように祈るんだな!〉
〈それはどうかな?〉
〈何? ぐっ!? これは……〉
フィオの、黒き巨神の身体は神気の密度が低下し、所々が薄くなってきている。
一気に止めを刺そうとした邪神は突然の不調に困惑した。
何故か神気のコントロールができなくなってきたのだ。
その疑問にフィオが答える。
〈『トロイの木馬』って知っているか? 俺の元の世界のコンピュータウイルスの一種なんだが〉
コンピュータに侵入し、内側からセキュリティに穴を空け情報を流出させるプログラム。
その語源は古代の戦争において兵を潜ませた巨大な木馬を造り、それを敵に戦利品として持ち込ませることで城壁を内側から破った作戦にある。
そして、この場合は――
〈俺の身体を構成する神気の大半は、この世界の人々の祈りから生み出されたものだ。じゃあ、彼らは俺に何を願い、何を祈った?〉
〈ぐ……、それは……〉
〈お前への断罪、お前の討滅だ。お前を滅ぼすために生み出された力を取り込むなんて大した度胸だよ〉
ようやく邪神は気付いた。
これは一種の拒絶反応、違う型の血液を輸血されたような状態なのだ。
対策はいくらでもあっただろうに、邪神は吸収の効率だけを考えてしまっていた。
フィオも呆れたように種明かしをする。
もう、どうにもならないという事を両者が理解していた。
邪神が冷静さを失っていた時点で勝負は着いていたのかもしれない。
〈さて、終わりだ〉
〈ま、待て!?〉
フィオが胸の前で手を合わせると、その間に虹色の光球が現れた。
それに応じるように、周囲の闇が赤黒い邪神の身体のあちこちが輝きだす。
その光は徐々に広がり、やがて邪神の身体全てが輝きに包まれた。
〈お前に来世があるなら、今度こそまっとうに生きるんだな〉
〈~!?〉
もはや声も出せない邪神。
そしてフィオは無造作に掌の光球を押しつぶした。
〈【ニルヴァーナ】〉
瞬間、全てが光に包まれた。
* * *
全世界の人々は、邪神によって戦いを強制的に見せられていた。
黒き巨神が優勢に戦っていたが、一瞬の隙を突かれ彼は邪神に飲み込まれてしまう。
その光景は人々に絶望を与えたが、しかしそれだけではなかった。
邪神討滅を願う祈りは一層強くなったのだ。
そして、その祈りは届く。
巨神を飲み込み、勝ち誇るように蠢いていた邪神。
その全身から光が漏れだしたのだ。
邪神は悶える事も出来ず、光に包まれていく。
そして、ひときわ大きな閃光が弾けると、そこに邪神の姿は無くなっていた。
閃光は夜の国を覆っていた結界まで吹き飛ばしてしまったらしく、雲が切れ光が天から差し込む。
その光の中、屹立しているのは黒き巨神だけだった。
巨神の身体もあちこちが薄くなり、反対側が透けて見える場所まであるほどだった。
しかし、弱々しさなど全く感じさせず、その姿はまさに現世に降臨した神であった。
巨神はしばらく周囲を見渡していたが、やがて虹色の光の粒子となって消えていった。
直後、邪神の魔法の効果が切れ、人々の脳裏に映っていた映像は消え去った。
邪神が倒され、世界が救われた。
しばらくして、その事実を認識した世界中の人々の歓声が天と地を震わせた。
* * *
「あった。これか」
魔神化を解除したフィオは、目当ての物を見つけ出していた。
右手には半身ともいえる神槍杖が握られている。
外見こそ無傷だが、内側はボロボロで使い魔を呼び出す余裕も無い。
本当ならひっくり返りたいほど消耗していたが、『コレ』だけは回収しなくてはならなかったのだ。
邪神はもちろん誰が手に入れてもトラブルの元にしかならないであろう物。
「世界樹の種。これだけは放置しては置けないからな……」
邪神の依り代であり、使い方次第では地脈への干渉も可能な危険物。
それを左手で拾い上げ、フィオは安堵の息をつく。
……決して油断はしていなかった。
だが、やはり集中力が落ち、警戒が緩んでいたのかもしれない。
――ブジュ
「何っ!? ぐっ!!」
――ザン!
種を拾い上げた瞬間、種から赤黒い粘液のようなものが噴き出しフィオの左腕に絡みついた。
フィオの判断ははやかった。
とっさに右手の神槍杖を振るい、左腕を肘から切り落として距離を取る。
一方、赤黒い粘液、邪神の残滓は用済みとばかりに世界樹の種から離れ、左腕を喰らう。
「しぶとい!!」
〈くははは! それが取り柄なんでね!!〉
フィオは神槍杖を一閃するが、その前に邪神は溶けるように消えてしまった。
そして、あたりに声が響く。
〈残念だけど今回のゲームはこちらの負けだ。けど、やられっぱなしってのは我慢できないからこの左腕は貰っていくよ〉
「懲りない奴だな。また同じミスを繰り返すのか?」
〈ははっ! 今度は慎重に時間をかけていただくことにするよ。この世界はもういい。もう会う事は無いだろう〉
「逃げるのか!」
〈そうさせてもらうよ。くはははは……〉
声が聞こえなくなってからしばらくして、フィオはキュアポーションを取り出して飲み干す。
すると、失われた左腕に光が集まり欠損部分が復元した。
「馬鹿め、そう簡単にいくと思うな……」
虚空を睨み一言呟くと、フィオは改めて世界樹の種を拾い上げ、夜の国の王城に向かって歩き出した。
* * *
〈まあ、たまには負けるのも仕方ないさ。全戦全勝などありえないしな〉
世界の狭間で、自身の神域にこもりながら邪神は呟いた。
もっともらしい事はを言っているが、その内心は穏やかではなかった。
真正の神ならまだしも、成り上がりの眷属神ごときに敗れたのだ。
邪神のプライドはズタズタだった。
だが、辛うじて脱出には成功した。
自分は生きている。
なら完全な敗北ではない。
〈さて、どうするか。さっさとこの世界を離れるか、それとも――〉
――ミシィ
〈!?〉
――ほとぼりを冷ますか、と考えたところで突然衝撃が邪神を襲った。
自身の展開する神域がミシミシと音を立てて軋んでいる。
ワケが分からず混乱する邪神。
〈何だ!? いったい何が……〉
周囲を確認した邪神は絶句した。
自分の神域が丸ごと、巨大な顎に咥えられているのだ。
巨大な牙はたやすく境界を突き破り、神域全体が今にも押しつぶされそうになっている。
邪神は何が起きているのかようやく理解した。
〈黒き……神だと?〉
〈ようやく捕らえたぞ。羽虫ごときが手間取らせてくれたな〉
ハノーバスの最高神の1柱、黒き蛇の姿をした破壊と再生の神。
ファラク・フォビア・ウロボロスが邪神を滅ぼさんと襲い掛かってきたのだ。
〈なぜ、居場所がわかったんだ!?〉
絶体絶命の邪神が悲痛な声で叫ぶ。
心底理解できなかった。
自分の隠形能力は黒き神を欺いてきた。
だが今、黒き神は逃げられないように完全な奇襲を仕掛けてきた。
これは邪神の位置を特定していなければ不可能だ。
なぜ、突然自分の居場所が割れたのか?
邪神には理解できなかった。
〈愚かだな小物よ。自身の居場所を知らせる存在を、自ら持ち歩くとは〉
〈居場所を知らせる? まさかっ!?〉
視線の先にあったのは1本の腕。
ハノーバスを脱出する際に、行きがけの駄賃とばかりに奪い取ったフィオの腕だ。
そこで思い出す。
そういえば、あの時奴は――
〈あの者は我が眷属。その一部は我が一部も同然だ。その存在を感知するなど容易い事よ〉
そう、あの時フィオは言っていた。
『懲りない奴だな。また同じミスを繰り返すのか?』と。
アレはこういう意味だったのだ。
〈あ、あ、あ……〉
死ぬ? この自分が?
故郷では主神を含む数多の神を手玉に取り、幾多の世界を滅ぼした自分がこんなところで?
成り上がりの半端者に敗れ、強いだけの若輩の神に滅ぼされる?
〈滅べ〉
〈い、嫌だ! 誰か、助けてくれ!!〉
――バクン
その日、とある世界の狭間で1柱の邪神が滅ぼされた。
臆病だが慎重で狡猾で抜け目が無く、数多の世界で多大な被害を出した札付きの邪神であった。
しかし、その最後は非常に呆気ないものだった。
その討滅は被害に遭った世界だけでなく、数多の世界で歓迎されたという。
後日談を挟んで最終章です。
最終章はエピローグのようなものなので、それほど長くはならない予定です。