水辺の惨劇
王都近郊での戦いから離脱したグラーダ軍。
彼らは当初の半数以下にまで数は減っていたが、それでも2000以上の数を維持していた。
また、敗残の身でありながら、軍と呼べるだけの規律を維持できているのも見事なものだった。
それを成す指揮官の力量もさることながら、兵1人1人の質の高さの賜物である。
心配された怪物の追撃は無く、町から正規軍が出てくることも無かった。
もっとも、指揮官であるドゥモーアは、各町の駐留部隊は治安維持で精一杯と読んでいた。
故に気にかけていたのは怪物=フィオの追撃だったが、それも想定外のアクシデントによって行われなかった。
ある意味ドゥモーアたちはグラーダに救われたとも言えるだろう。
だが、順風満帆とはとても言えなかった。
「将軍、もう馬が限界です!」
「どうせ国境で乗り捨てる事になる。潰れても構わん」
「歩兵たちが次々脱落していきます! 夜が明ければ、さらに脱落者は増加するかと思われます」
「むぅ……」
いかに生命力の強い吸血鬼と言えども体力は無限ではない。
特に全力疾走の馬について行かなければならない歩兵は、もう限界であった。
いくら結界があるとはいえ、日が出れば消耗は大きくなるだろう。
軍の指揮官としては休息を挟むべきだ。
しかし、もし怪物が追撃してきたら全滅だ。
「将軍、休息を挟みましょう。追撃があるのならとっくに捕捉されているはずです」
「む、確かに……」
思考の迷路に迷い込んでいたドゥモーアは、副官の言葉で冷静さを取り戻した。
分体を通じて見た怪物は、冷静沈着な彼を動揺させ、混乱させてしまっていたのだ。
落ち着きを取り戻すと自分のやるべきことも見えてくる。
「全軍停止! これより休憩に入る!」
「ハッ!」
「全軍停止!」
「全軍停止だ!」
「これより休憩に入る!」
さすがに限界だったのだろう。
停止した途端、兵たちは座り込み、仰向けに倒れる。
魔法を使える者達は水を作り、周囲に配り始める。
輜重は十分ではないが、最低でも塩分を取らないと動けなくなってしまう。
命じられるまでもなく、黙々と兵たちはやるべき事をやる。
「私もやるべきことをやろう」
兵たちを満足げに見ていたドゥモーアは、徐に異能を解放する。
無数の蝙蝠が軍を中心に全方位に飛び立ち、偵察を行う。
また、脱落した兵を見つけるとそこへ向かい軍に案内する。
1時間ほどで脱落者の大半が追いつき、休養をとれた。
「よし、そろそろ良いだろう」
「はい。日が昇る前に行軍を開始しましょう」
「国境付近に着いたらそこで野営にしよう。出発だ!」
追手は来ない。
妨害も無い。
グラーダ軍の行軍は順調だった。
あまりにも順調すぎた。
------------------------
魔人連合国との国境地帯。
そこは山岳地帯となっており、安全に通行できるルートは限られている。
しかし、逆に言えば監視所や砦、関所があるのはそのルート上のみ。
リスクに目をつぶれば密入国は可能であった。
「どうですか? 将軍」
「以前より厳重になっているな。まあ、当たり前か」
「潜入させていた工作員たちが全滅した件ですか……」
「ああ。彼らのバックアップがあれば楽だったんだが、な」
かつて非正規ルートで魔人連合国に潜入させていた工作員たち。
彼らが捕まったことで、不法入国に使用していたルートが潰されてしまった。
こうなるとリスクの高さから却下されたルートを使うしかない。
ドゥモーアは分体を操り、その中でも比較的安全なルートを探す。
しかし、自分1人ならともかく兵たちが越えるのは厳しいルートばかりだ。
中には攻撃魔法で意図的に破壊された道もある。
「無理だな。これなら監視所に正面突破を仕掛けた方がまだ……」
「将軍?」
「そうか、確かにこの手なら……だが」
ドゥモーアの内に冷徹な策が浮かび上がる。
2000の部下たち全員を魔人連合国に向かわせるのは不可能だ。
だが、自分を含めた少数精鋭100人ほどなら確実に警備の眼を潜り抜けられる。
残りの全員を陽動に使う事で。
「……各部隊の隊長を呼んでくれ」
「はっ……」
ドゥモーアは隊長たちに自分の策を打ち明けた。
自分たちを捨て駒にする作戦に誰も反対しなかった。
それどころか、警備隊を打ち破り後を追うと豪語する者もいたほどだ。
そして部隊は麓の湖に陣を敷き、敵の目を引き付ける部隊。
監視所に攻撃を仕掛け、敵を混乱させる部隊。
ドゥモーアと共に国境を越える部隊の3つに分かれた。
「これより作戦を開始する。不服だとは思うが、玉砕は認めない。生きてこそ次の機会を得る事ができるのだ。それに降伏すれば、魔人連合国に連行される可能性もある。そうすれば……解るな?」
ドゥモーアの言葉に全員が頷く。
保身のための降伏は恥だが、雌伏のためなら受け入れる。
負けた後も敵を縛る鎖であろうとする。
彼らは死兵よりも厄介な存在であった。
「作戦開始! 各自健闘を祈る!」
ドゥモーアの合図で3つの部隊は動き始めた。
第1部隊100名は踏破など不可能と思われる難所に挑むべく、深い山に侵入していく。
第2部隊約1000名は陽動のため、正規のルートを進軍し関所に向かう。
第3部隊は野営地をさらに拡張し、砦や監視所からの襲撃に備える。
彼らの練度を考えれば、それは成功する見込みが高い作戦だった。
そのはずだった。
「土を掘って土塁を築け! 木材は山から切り出せ!」
「ハッ!」
第3部隊は早速、湖の傍に陣を敷き始めた。
湖を背にする背水の陣だが、この場合は自軍を死地に置くのとは逆の意味がある。
山に駐留する敵は船など持っていないので、後方からの攻撃を気にしないで済むのだ。
さらに船を作っておけば、湖を渡って対岸へ脱出する事も容易。
そして飲み水に困る事もない。
「隊長、食料の調達はあまり期待できないようですね……」
「何か問題でもあったのか?」
「ええ、どういうわけか山に獣が少ないのです。まるでこの山地から逃げ出してしまったように」
「むぅ、警備の兵が増員されたせいかもしれんな……。湖の魚はどうだ?」
「まだ、戻ってきませ……がはっ!?」
「どうし……ぐっ!?」
突然、血を吐いて倒れた部下に驚愕する部隊長。
しかし、その直後、自身も全身が痺れて動かなくなる。
唯一動かせる眼球で周囲を見渡すと兵たちがバタバタと倒れていく。
「(な、何が起きている!? この症状……毒か?)」
そして気付く。
陣地に薄っすらと霧のようなものが漂いだしている事に。
その霧は自分の後方、風上となる湖から流れてきている。
「(まさか、風上から毒をまかれた? だが……)」
シュー シュー
「!?」
部隊長の思考は、後ろから聞こえてきた異音によって断ち切られた。
筒から空気が漏れるような、ヤカンから蒸気が漏れるような奇妙な音。
そして気付く。
周囲の部下たちが絶望的な目で自分を、いや、自分の後ろを見つめている事に。
目を下に向けると、自分は大きな影に入っていた。
唯一動く眼球を上に向ける。
「!?!?」
信じられない程の大きさの大蛇が自分を見下ろしていた。
縦に並んだ眼は、魂を縛るような異様な輝きを宿している。
直視できずに視線を右に向ける。
「(ヒィ!?)」
全く同じ蛇頭と目が合った。
反射的に左に目を向ける。
すると。
「(あ、ああ……)」
そちら側からも同じ蛇頭が部隊長の顔をのぞき込んでいた。
耐えられず視線を正面に戻す。
すると、そこには無数の石像が並んでいた。
見覚えがある石像ばかりだ。
当然だろう。
石像は全て部下たちの姿をしているのだから。
「?」
ふと、違和感を感じ視線を下に向ける。
すると自分の下半身は膝まで石に変わっていた。
そういえば聞いたことがある。
高位の蛇の魔物には、呪縛の魔眼や石化の魔眼を持つ者がいる事を。
「~~!?~~~!!」
気付いたところでどうにもならない。
声無き声を上げながら、部隊長は石像へと変わっていく。
そして、作戦開始からわずか3時間。
第3部隊は壊滅した。
まずは水辺の蛇さん。
一対多数を得意とするバイトにとって1000の兵など暇つぶしにもなりませんでした。
何もしなくてもカウンターの状態異常でバタバタですし。