使節団
鬼王国からの回答があったのは、議長の親書が届いてからすぐの事だった。
あの国の現状を考えると意外なほどの速さだった。
予想されていた鬼王国側の対応は3つ。
会談に応じる、会談に応じるふりをして議長を害する、会談に応じない、だ。
しかし、いずれにしても意見がまとまらず、もっと時間がかかると思われていた。
ゆえに回答が早いというのは魔人連合国側からすれば好都合ではあった。
「『……貴殿の来訪を心待ちにしている』か……」
「鬼王殿は乗り気のようですな」
「あの御仁も本音では王女殿下をお救いしたいのでしょうな」
鬼王国の、いや、鬼王の回答は会談に応じるというものだった。
しかし、問題はそれを受け入れないであろう勢力が、間違いなく妨害してくるという事だ。
鬼王国に潜入している諜報部隊からもキナ臭い報告が上がってきている。
「考えようによってはチャンスかもしれんぞ?」
「議長、それは……」
「ご自身を囮に、ですか……」
そう、内情はどうあれ王が決断し国の方針が決まったのだ。
勝手に妨害すればそれは国家への反逆だ。
権力があろうと金があろうと、間違いなく排除される。
おそらく鬼王もそれを期待しているだろう。
「なに、心配するな。彼らがいるのだぞ? 万が一もあり得まい」
「……そうですな」
今回の訪問には天使自らが同行を約束している。
彼女以外にも凄まじい手練れを用意すると言っていた。
彼女の言葉を信じるなら、国を落とせる戦力らしいのだが。
「しかし……」
「議長?」
「いや、何でもない」
タラスにはある疑念があった。
それは長年議長を務めたことによる洞察力によるものだった。
あるいは一流の武人の直感だったのかもしれない。
「(あの2人の立場はおそらく逆だ)」
天使と使徒。
本来ならば天使の方が立場は上だ。
しかし、タラスが見た限り、敬意を払っているのは天使のように見えるのだ。
もし、そうだとするとあの青年は何者なのか。
単純に考えるなら彼は天使の上位者という事になる。
だが、神の御使いである天使以上の存在など……。
そこまで考えた時、タラスの背筋がゾクリと震えた。
有り得ない、だが、否定しきれない。
「(まさか、神の現身だとでもいうのか?)」
確認するのは簡単だ。
本人たちに聞けばいい。
何でもないようにあっさり答えてくれるような気さえする。
だが、もし、肯定されてしまったら自分はどうすればいいのか?
結局、その事について聞く事はできないまま、タラスは使節団を引き連れて鬼王国を目指すことになった。
----------------------
議長の使節団が出発した。
その報告を受けて動いた者たちがいた。
鬼王国内のグラーダ派と呼ばれる者達である。
彼らは足がつかないように慎重に刺客を集めた。
議長には当然護衛がいるだろうし、議長自身も手練れである。
刺客にも相応の質が要求された。
鬼族は戦闘に優れた種族だが、正面からの戦いを好む。
そういった気質から裏の組織というものがあまり多くないのだ。
だが、それもゼロではない。
数少ない鬼族の手練れで構成された裏の組織。
それらが魔人連合国との国境に近い森に集合していた。
彼らは普段なら憎むべき商売敵どうしだ。
しかし、今回この場においては全員が協力者だった。
グラーダ派の豪族たちは金に物を言わせて、裏の組織の有名どころを全て雇ったのだ。
その人数は100人以上にも達し、小規模な街ならば墜とせるほどの戦力となった。
初めは過剰戦力だと思っていた刺客たちだが、ターゲットを知ると納得した。
絶対に1人も生かしてはならないのだ。
もし、事の次第が漏れれば彼らも雇い主も破滅するしかないのだから。
しかし、成功すれば彼らと雇い主は一蓮托生だ。
こういった汚れ仕事は麻薬のようなものだ。
一度成功すると心理的なハードルが下がり、何度でも頼りたくなる。
そして、最後には無しではいられなくなってしまう。
この仕事に成功すれば、彼らには栄光の未来が待っているのだ。
もしかすると、国家に属する裏の部隊として登用されるかもしれない。
そうなれば国家権力を後ろ盾に好き放題できる。
さらに、雇い主たちは現鬼王のゴウエンも排除するつもりのようだ。
王太子のゴウライはまだ若い、いや、幼い。
そうなれば雇い主たちは鬼王国を好きにできるだろう。
その子飼いとなれば……。
「俺たちも運が向いてきたな」
「ああ。ゴウセツの爺め、見ていやがれ……」
勢いのある若い組織の頭目の言葉に、老境の頭目が静かに答える。
老頭目の組織は1度、先代国王ゴウセツによって潰されているのだ。
もっとも、ゴウセツ自身はすでに隠居している。
だが、彼は王家への復讐の念を糧に数十年かけて組織を再生した。
そんな彼にとって今回の依頼は渡りに船。
魔人連合国の議長などさっさと片付けて本命を狙いたいのだ。
「こっちから仕掛けるわけにはいかないのか?」
「下策だな」
「これだけの人数が揃っているのよ? 待ち伏せからの奇襲が最も有効なのは間違いないわね」
少人数で国境を越え、小隊規模で襲撃をかける。
確かに裏の組織の刺客からすればスタンダードな作戦だろう。
だが、人数で大きく上回り、相手の殲滅が絶対条件。
さらに向こうからこちらに来てくれるのだ。
待ち伏せが最も有効なのは間違いない。
「チッ、そうかよ」
「焦るな焦るな」
「そうだな。重要な仕事ほど手堅く慎重に、だ」
「まあ、2日ほどの辛抱だ。今のうちに準備を……む?」
頭目の1人が何かに気付いて周囲を見渡す。
そして、野営地の明かりに照らされるその目が険しくなっていく。
「どうしたの?」
「人数が減っている……」
「何?」
他の頭目たちも慌てて周囲を見渡す。
確かに100人はいたはずのメンバーが80人ほどに減っている。
だが、誰もその事に気付いていないようなのだ。
トイレや水汲みで離れることはあるだろうが、いくらなんでも少なすぎる。
「マジか? あのバカどこに行ったんだ? なあ、爺さん……」
若い頭目が振り返ると、そこには誰もいなかった。
ついさっきまで自分と話していた老頭目の姿が消えていた。
「へ……? 爺さん?」
「どうした」
「おい、ジジイはどこだ?」
頭目が1人突然消え去ったことで、ようやく危機感を抱いた刺客たち。
野営地に目を移せばその人数は50人ほどにまで減っていた。
さすがに異常に気付き、騒ぎになっている。
「全員、焚火を中心に集まれ!」
「円陣を組んで周囲を警戒しろ!」
刺客たちは指示通りに円陣を組み、周囲を警戒する。
暗い闇の森の向こうに意識を集中する。
頭目たちも円陣の内側から、わずかな異常も見逃さないよう集中する。
ポタリ
そんな時、1人の頭目の顔に滴が垂れた。
雨など降ってはいない。
不思議に思って上を見上げようとするが
「(身体が、動かない……声も出ない!?)」
恐慌状態に陥る頭目。
だが、周囲からそれは分からない。
ただ集中して立っているようにしか見えない。
そして、何も起きないことで皆の集中力が切れていく。
注意が散漫になっていく。
それを狙ったかのように、一瞬で頭目の体は上へと引っ張り上げられた。
「(何だよ、これ……これじゃ、まるで……)」
そう、それはまるで釣りの様だった。
襲撃者は自分たちで遊んでいるとしか思えなかった。
そして彼の目に、その襲撃者の姿が映し出される。
それは
「何もいねえな」
「ああ」
何が起きるか分からない状況での集中は負担が大きい。
頭目たちのような手練れならともかく、未熟なメンバーは早々に集中力を切らしてしまった。
やがて、ずっと同じ姿勢で疲れた1人が首をグルグルと回しはじめた。
「へっ?」
そして止まった。
空を見上げて硬直し、その体が次第に震え始める。
そして遂には尻餅をついてしまう。
「おい、どうした?」
「何が……」
失禁してガクガク震える男の様子に周囲も気づく。
そして同じように空を見上げ硬直する。
それを見た全員が空を見上げた。
「は……」
「え?」
空には、野営地の上には巨大な網がかかっていた。
いや、それは網ではなかった。
野営地の上を包み込むように巨大なクモの巣だった。
「あ……」
そして、その蜘蛛の巣には何人もの人間が絡め捕られていた。
全員に見覚えがある。
当然だ、消えてしまった仲間たちなのだから。
「あああ……」
だが、刺客たちの目にはそれすらも入っていなかった。
彼らの目を奪うもの。
彼らの命を奪うであろう者。
絶対の捕食者。
「ひあぁぁぁぁ!!」
巨大なクモの巣の上から彼らを睥睨していた者。
それは巨大な虫だった。
シルエットはクモではなくカマキリに近い。
だが、尻にはサソリのような尾があり、頭部にはカブト虫のような角が生えている。
全身は黄金の甲冑のような甲殻で覆われており、2本の足で立っていた。
「うわぁぁぁぁ!?」
「逃げろぉぉぉ!!」
皆が裏の組織としてのプライドなどかなぐり捨てた。
バラ色の未来など吹き飛んだ。
ただ、今を生き残るために彼らは逃げ出す。
他の誰かを犠牲に、自分が助かるようにバラバラに。
だが
ベチャ
「な、なんだよ、これ!!」
「糸か? クソ、斬れない!」
野営地はすでに虫かごと化していた。
そして、彼らは虫に食われるエサでしかない。
絶望と共に振り返ると、金色の巨大昆虫が舞い降りていた。
「い、嫌だ……」
巨体に見合わぬ身軽さで、音も無くフワリと着地する。
伝説の名刀のように鋭く輝く4本の攻撃肢が、甲高い振動音を上げ始める。
刺客たちには、表情など無いはずの昆虫の顔が嗜虐的な笑みを浮かべているように見えた。
恐怖が、絶望が、臨界点を超える。
「嫌だあぁぁぁぁ!!」
その日、鬼王国の闇を担ってきた裏の組織は壊滅した。
鬼王3代の名前は豪雪、豪炎、轟雷となってます。
まあ、本編ではカタカナですが。




