その頃の黒幕
世界と世界の狭間。
虚無に満たされた空間。
そこに泡のように浮かぶモノがあった。
その内部には濁った不定形のナニカが蠢いている。
それはこの世界にとっての異物。
邪神と呼ばれる存在だった。
力の塊、あるいは法則の体現である神には、本来決まった形は無い。
だが、創造主の趣向、あるいは知的生命体のイメージ、そういった様々な要因で形が決まる。
では、あるべき義務や司るべき法則から逸脱した神はどうなるのか?
その答えがコレであった。
彼にはもはや定まった姿は無く、取る形は全て擬態に過ぎない。
そして今、彼はその擬態すら維持できていないのだ。
原因はもちろん黒き神の追撃だ。
最高位の真正の神の一撃は、その余波だけで彼を消滅寸前まで追い詰めてしまったのだ。
苦痛の中で彼は自覚する。
自分が傲慢に囚われ、油断していた事を。
若く経験が浅いというだけで、かの蛇神を甘く見ていたことを。
邪神に堕ちて以降、彼はその狡猾さを武器に立ち回ってきた。
単純な強さでは自分より遥かに格上の神々を、翻弄し手玉に取ってきた。
そして上手く逃げきることに成功してきた。
だから忘れていたのだ。
自分は弱者、相手が強者であることの意味を。
そう自覚すれば取るべき行動は一つだった。
あらゆる世界で最後に必ず取った行動。
すなわち逃げの一手である。
あれだけの力を持つ神が、自分の役割を放棄して追い回してくるのだ。
なぜ、さっさと別世界に逃げなかったのか不思議なくらいだった。
ならばあとは決断するのみだった。
だというのに
その決断が
できない
彼自身、自分の不合理な心情に驚いていた。
何故なら、それは本来自分が持たないはずの『執着心』と呼ばれる感情だったからだ。
愉快犯である彼にとっては全てが玩具であり、何がどうなっても気にしないはずなのだ。
では、何になぜ執着しているというのか?
答えはすぐに見つかった。
異世界より訪れた黒き神の代行者。
自分がせっかく仕込んだ種を刈り取ってくれた悪魔。
そして自分がここまで傷つく遠因でもある男。
彼にとってそれは借りと言えるものだった。
最下級とはいえ、生まれながらの神である自分が成り上がりの神に後れを取る。
それは到底許せるものではないからだ。
狡猾なだけの小物に見えるが、彼はプライドが高いのだ。
西大陸に蒔いたはずの種も不完全な形で刈り取られてしまった。
しかも、傷のせいで事の経緯を見る事すらできなかったのだ。
せめて見て楽しめればまだ意味はあったのに、完全に無駄になってしまった。
自分の楽しみをぶち壊すなど、彼には到底許せることではなかった。
自覚は無かったが、彼は明らかに自身の創造主の性格を受けついでいるようだった。
そして彼は本来ならばあり得ない決断をしてしまう。
即座に撤退するのではなく、最後に派手に干渉し、それから逃げることにしたのだ。
自分ならそれができると考えてしまった。
それがどんな結果を彼にもたらすのか。
それは今の時点では解らなかった。
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諜報員は小鳥に化けたベルクに任せ、もう少し町中を見て回ることにした。
ベルクはすでに町から出てしまった。
どうやら諜報部隊の本部に向かっているみたいだな。
そんなに危機感を覚えたんだろうか?
目が合って、ちょっと鑑定しただけなんだが。
「これは便利なアイテムです。解析して機能を取り込みたいです」
隣を歩くアリエルは眼鏡っ娘に変身していた。
まあ、マッド印の鑑定眼鏡を貸しただけなんだが。
ちなみにモノクルタイプを貸そうとしたら『胡散臭そうなので、普通のが良いです』と、言われてしまった。
俺って胡散臭そうに見えてたんだろうか?
ちょっとヘコんだ。
さて、現在の大陸の情勢だが、大体シリルスのレポートの通りだった。
魔人連合国は評判の良かった夜王が殺された事、王女を保護している事などから完全に王女派だ。
もちろん完全に一枚岩ではないが、血統主義、差別主義を掲げる簒奪者とはソリが合わないらしい。
獣魔族に聞いた獣魔国の状況は少し複雑だった。
心情的には魔人連合国と同じく簒奪者に対しては否定的だ。
しかし、夜の国で働いていた同胞たちの安否が不明なため動くに動けないらしい。
彼らが人質作戦に弱いというのは本当のようだ。
せめて現在の夜の国の状況が解れば動きようがあるのだろうが、偵察も上手くいっていないらしい。
鬼王国はもっと複雑、というより大混乱状態らしい。
繋がりが深かった分影響も大きかったようで、王女派と簒奪者派で真っ二つになっているそうだ。
内部分裂工作が魔人連合国ではなく鬼王国で行われるとはね。
狙ってやったわけではないのだろうが、国同士の距離が近すぎるとこうなるんだろう。
とにかく鬼王国も動くに動けない状況だ。
こうなると、夜の国が動き出すと魔人連合国だけで王女を守らなければならない。
ならばどちらが有利か、という話になるのだが、意外なことに単純な兵力なら魔人連合国のほうが上だったりする。
大きな理由は2つある。
1つは純粋な数の差だ。
吸血鬼族は寿命が長い代わりに繁殖力が低い。
よって種族としての数はそれほど多くないのだ。
もちろん儀式によって眷属を増やすことはできるが、そうなるともう1つの問題がネックになる。
もう1つの理由は吸血鬼族の特性だ。
彼らはアンデッドではないが光属性に弱い。
灰になることは無いが、太陽光の元では大きく力を落としてしまう。
それを防ぐために夜の国は上空に魔法のフィルターを展開し、光の魔力を軽減しているのだ。
逆に言うと、吸血鬼族は夜の国の外では弱体化してしまうという事になる。
まれに耐性を持つデイウォーカーと呼ばれる個体も生まれるが、総人口の1%にも満たない。
ちなみに例の王女様はデイウォーカーらしい。
ついでに言うと、そのフィルターを維持していたのは王族だったようだ。
本当に簒奪者はバカなことをやったものだ。
現在も結界が消えていないことから、簒奪者か大勢の貴族が必死に維持しているのだろう。
聞き及んだ簒奪者の人柄から考えると、後者の可能性が高い。
つまり、貴重な戦力を別の事に消費していることになる。
話を戻すと、フィルターの効果範囲内に住める人口は決まっているので、あまり眷属を増やすとフィルターの範囲から溢れてしまうのだ。
……しかし、だ。
俺はこれをやりかねないと考えている。
何故なら。簒奪者やそのシンパにとっては眷属など奴隷に過ぎない。
増やすだけ増やして鉄砲玉として魔人連合国に攻め込ませ、その裏で少数精鋭が王女を確保する。
そのくらいの事はやりかねないと思っている。
少数なら耐光属性のマジックアイテムを用意できるだろうしな。
「そう考えると、夜の国にいた獣魔たちは手遅れかもな……」
「何故です?」
「とっくに眷属にされてる可能性が高いって事さ」
「そうですか」
反応薄いな。
まあ、見ず知らずの他人の安否を心配しろって方が無理か。
しかし、憶測ばっかりだと不安になるな。
やっぱり夜の国に侵入するべきか?
それとも外堀から埋めていくべきか?
難しいところだな。
ドン!
「おっと」
「うおっ!?」
考え事をしていたら肩がぶつかってしまった。
結構ガタイの良いおっさんだが、尻もちをついて驚愕の視線で俺を見上げている。
〈キュキュイ!〉
おっと、リーフからの密告によると、このおっさん自分からぶつかって来たらしい。
意味違うけどこれも一種の当たり屋って奴か? めっちゃ当たり負けてるけど。
いるんだな、こんな奴も。
目が合っただけで逃げられた後だと、なんだか新鮮だ。
「て、てめえ! 何しやが『ゴキュ』る? へ?」
「は?」
いつの間にかアリエルが、立ち上がったおっさんの右肘を掴んでいる。
そしてその肘から先は左よりも長くなっていてプラプラ揺れている。
え? 外したの? 関節を? いきなり!?
「うぎゃああああああああ!?」
「ちょ、いきなり何してんの!?」
「マスターの敵を排除しました」
「やりすぎだって!」
「? 殺してませんよ?」
いやいや、決断早いし行動過激すぎでしょ!
事情の把握すら必要無しですか。
まあ、碌な理由じゃないだろうけど。
リーフも『良くやった』って顔しない!
え? この子たちこんなに過激だったの?
周囲の人々も何事かと注目し始めた。
「イテェ、イテェよおおおおおおお!!」
「うるさいです」
ゴス!
転げまわっていたおっさんは、脳天に止めのキックを食らい沈黙した。
白目を剥いて気絶してしまったおっさん、哀れである。
せめてもの情けで肘をはめてやり、さっさとその場を立ち去る。
周囲の視線が痛かった。
完全にこっちが加害者と思われてるよな……。
アリエルも敵と味方の差が激しいです。




