第二の選択
メアリーがいなくなってから、無言のまま小島といっしょに歩いていた。そういえば、信頼できた長宮さんが集団の中にいないことに気がついた。橋を渡れなかったか、悪魔の餌食にされたかだ。
今はただ、荒れ果てた荒野を歩いている。地面はどす黒く、下から悪魔が出てくるのではないだろうかと不安になりながら、進むのであったのだ。
「メアリーさんのこと。気にしちゃ駄目ですよ。先輩」
長い沈黙を小島が破った。
「先輩は正しいです。でも、メアリーも間違ってはいないと思うんです。僕」
俺とメアリーを肯定するという矛盾を小島はしてくれたのだ。
「この世界っておかしいじゃないですか。僕たちの概念なんか無視した世界。だから、何が起きてもしょうがないと思うんですよ」
「お前にそう言ってもらえると、助かるよ」
小島のおかげで少し心が楽になった。しかし、それでも心の隅に罪悪感を抱きながら、前に進むのであった。
退屈な荒野は続き、話す会話が減ってきた俺たちは無言のまま歩き続けていた。それは他の人々も皆同じで、人それぞれつり橋での出来事を頭の中で整理をしているのだろう。
すると、ある変化を見つけた。
「空が地球に存在した青空になっている」
俺は小島に話しかけ、空を指差した。
「え・・・・あ、本当だ」
虹色だった空は、俺たちの心を投影しているかのように青かった。水色を少し濃くした感じだ。やはり、地球の青空ではないのだと改めて実感させられるのであった。
「地球が懐かしくなりますね」
小島のその言葉に俺も同感であった。
「そうだな。あの澄み切った空はもう見られないと思うと少しさびしいな」
学校生活で窓際になったとき、よく空を眺めていたのを思い出す。勉強が退屈だったり、ぼーっとしているときに快晴の空を良く見ていた。あの壮大で可能性に満ちたような世界を堪能していたのだ。
学校で見た空は今もあるだろうか?
と、馬鹿な疑問を抱いてしまった。
しかし、あの時見た空と漂う濃い雲を見ていると、将来を明るく照らす希望の光に見えていたのだ。空のように、俺にも未知なる可能性があるのではないかと。
けれど、そんな漠然とした夢も今は存在しない。
この汚らしい荒野をただ歩いているだけだ。
仲良くなった女子たちは俺から離れていくし、旅の仲間たちの数は最初の四分の一にも満たない。
そして、何より天使たちから聴いたこの世界の残酷な仕組みだ。悪魔たちの嘆きがエネルギーとなり、世界を維持していることだ。
あの空も、歩いている荒野もすべて、悪魔と化した人々の犠牲から成り立っている。
そのことを小島に話すべきかどうか分からない。
悪魔に同情しながらも、それでも嫌悪感はぬぐえない。悪魔になりたくない。それが俺の本心だ。
「メアリーは大丈夫かな?」
小島が不意に話しかけてきた。
「分からないけど、できればもう一度会いたいな」
「悪魔になって現れないでほしいですね」
小島はギャグでいったのだろうが、今の俺には笑えなかった。
「ありえそうで笑えないな」
「すいません」
小島はしょんぼりしてしまった。
「あ、ごめん、ごめん。別に怒っているわけじゃないんだ」
悪魔の必要性を小島に言おうか迷っている。少なくとも今はいえない。そんな勇気は俺にはないからだ。そういう所がメアリーを怒らせたのかもしれない。『逃げている』といわれる要因なのだろう。
「しかし、この先が不安で仕方がない。悪魔はもうごめんだ」
しばらく、歩いていると荒野には場違いなものが建っていた。
「先輩、あそこに展望台があります!」
小島が指差す方向に目をやると、確かに白い筒状の建物が高々と存在した。しかし、それだけではなかった。どこか見覚えのある『扉が』が不自然なように展望台の隣にあったのだ。
「あの扉は・・・まさか、また地球へ追放する扉か?」
どんなにおかしな世界でも一定のパターンが存在することにどこか安心感を抱いている。
「皆さん。あの展望台に到着次第、一旦旅を中断するので」
天使の一人が大声で言った。
「何でだよ?」
マイケル・コスナーがまた怒鳴っている。
本当に進歩のないやつだ。
「この旅を続けるかどうかの選択を再び行うためです」
そう言うと、天使たちは再び歩き出し、俺たちを誘導していった。
「また選択ですか?」
小島はうんざりするような言い方であった。
つまり、小島はもう選択が決まっているのだろうか?
今の俺はこの世界から早く出たいと考えている。もし、また地球への追放ならそれもいいかもしれない。もううんざりだ。
そして、展望台の前に到着した。展望台の隣には見事に大きな黒色の扉が建っていた。
「皆さんに説明します。この黒い扉は死神になるための扉です」
「死神?」
その言葉で、俺や小島、その他大勢の人々は混乱してしまった。
「死神とは地球にいる悪霊を狩るのが仕事です。先ほど、地球の追放者たちがいましたね。彼らの中には恨みや憎しみで悪霊化する人々がいます。そうした魂を狩るのが死神の役目です。もちろん、生きた人間に危害を加えたりはしません。しかし、魂の存在と同じなのでいずれは存在が消滅してしまいます」
天使は淡々と説明している。それがどこか憎らしかった。
「それじゃあ、さっきのと同じじゃんか!」
マイケル・コスナーが叫んでいる。
「少し違います。死神は悪霊を狩る。つまり、地球世界で言う捕食です。悪霊を捕食して魂を維持するのです。そうやって、魂でありながら地球で行き続けることができます」
本当に理解不明だ。地球にいた頃の死後の世界や幽霊、悪霊、死神、天使のイメージがすべて破壊されていく。
「もちろん、この選択も自由です。旅を放棄したければ、この扉に入り、死神になる。それ以外の人々はその後も我々天使たちと共に旅を続ける。時間はあります。ゆっくり考えてください」
数の減った多国籍人たちの間で再びざわめきが起こった。
「僕は旅を続けますよ!」
小島の自信は一体どこから出てくるのだろうか?
「俺は考え中だ」
この先、旅を続ける自身が俺にはない。この世界も、最初はファンタジックでユニークな場所だと考えていたが、悪魔たちのおかげで維持されていると聞いてから、嫌悪感がぬぐいきれないのだ。
「先輩、何を言っているんですか? いっしょに旅を続けるんですよ!」
小島に説得されているが、俺はどこか上の空であった。
「この世界から早く出たいんだよ。もううんざりだ」
俺はため息をついた。
「嫌ですよ。それじゃあ、僕一人になっちゃいますよ。それに先輩の思い出話をもっと聞きたいですし!」
「そんなこと言われてもな・・・・たいした人生送ってないぞ。俺」
これは謙そんではない。事実だ。
「先輩はずるいですよ。いい人生を送ってきたんですから。僕にも少しは分けてください。それが先輩が旅を続ける理由です」
「なんちゅう理由だ!」
実に勝手なやつだ。しかし、そんな馬鹿げた会話は不安や嫌悪感を浄化してくれる。今まで悩んでいたことが馬鹿みたいに思えてくる。
そうだ。俺は天国が見てみたいのだ。確かにこの世界は悪魔たちによって維持されている。しかし、この世界と天国は別物に違いない。天使たちは天国については何も知らないのだから。
「分かったよ。小島。俺の負けだ。旅を続けるよ」
「良かったです」
小島は笑みを浮かべている。
「そうと決まれば、先輩。この展望台の上に上ってみませんか?」
俺と小島は高々と建っている白き展望台を視界に入れた。
「そうだな。行ってみるか?」
特にやることもない俺は即答した。しかし、この展望台も悪魔たちのおかげで存在すると考えると、少し悲壮感を強いられる。
俺と小島は展望台の側面にある階段に向かって歩き始めた。
階段はらせん状に作られている。そのため、見つけるのに時間はかからなかった。すると、階段前に天使が立っていた。
「この展望台に登るのか?」
黒人系の天使が威圧的に聴いていた。
「はい、そうです」
小島は明るい声で言った。
「屋上には地球が見える望遠鏡がある。それについて少し説明させなさい」
「あ、はい」
また、望遠鏡か・・・・今更説明などいらないはずだが・・・
「今までで何度か望遠鏡を使用してきたと思うから、仕組みは分かっているはずだ。しかし、この展望台にある望遠鏡には若干の制限解除がなされている」
「限定解除?」
「今までの望遠鏡は自身に関する光景しか見えなかったが、他者に関することも見ることができる」
他者に関することが見える・・・・
「すごい、先輩のプライベートが丸見えですね」
「そうだな・・・・・って何を考えているんだ、小島!」
俺は大声で怒鳴ってしまった。
「先輩はまだ話していないことがあるじゃないですか」
「何?」
一体なんだろうか? 俺が話していないこととは・・・・・
「恋愛について話してないじゃないですか?」
「・・・・・ああ、そういうことか」
俺は少し拍子抜けした。
「先輩の話を聴いていて何か足りないと思ったんですよ。で、よく考えてみたら恋とかそういう話がなかったことに気がついたんですよ」
「よく気がついたな。そんなこと」
「だから、先輩の人間関係をのぞきに行きまーす!」
そういうと、小島は螺旋階段を急に登り始めた。一瞬、驚いてしまい、意識が飛んでしまったが、すぐに戻り、急いで階段を登り始めた。小島は早足で登るのでなかなか捕まらない。
「待て、小島。人のプライベートをのぞくのはマナー違反だぞ!」
俺は大声で怒鳴った。
「地球での常識はここでは通用しませんよ」
小島は調子に乗っている。
しかし、この旅でまだ一度も走ったことがなかったので、どこか懐かしさを感じていた。地球にいた頃はよく外を走り回った。学校の体育や友人たちと外でたわいもないゲームをしたものだ。そういうものは永遠に続くと俺は考えていた。子供だからなのかそれともただの世間知らずだったからなのかは分からない。ただ、永遠に続くものはあの地球には存在しない。この世界にきて学んだことだ。
「小島、待てよ!」
俺は必死に小島を追いかけた。しかし、螺旋階段を登るのは実は生まれてはじめてであったためになれない遠心力に振り回された。それが少しおもしろくもあった。
しばらく、白い階段を登ると、屋上に到着した。その場所は円形のフィールドで構成されており、円状に数多くの銀色の望遠鏡が設置してあった。その一つに小島の姿を見つけた俺は急いでやつの元へ向かった。
小島はすでに銀色の望遠鏡を使って、地球を眺めていた。
「おい、小島!」
「先輩の学校って意外ときれいですね」
しまった。俺の高校がすでに見られている。
「この望遠鏡すごいですね。自分が思ったものをそのまま写してくれますよ」
それは非常によろしくないことだ。プライベートもあったものじゃない。この世界は悪魔とその望遠鏡こそが下劣なのかもしれない。
「何を見ているんだ!」
「先輩の高校が見たいと思ったら、自然と見たいものが映し出される。そういう望遠鏡らしいですよ」
「破廉恥な!」
「だって、ぼく一応年頃ですから」
小島はニヤつきながら言った。
「何を考えているんだ?」
「だから、先輩のプライベートをのぞくんですよ。大丈夫です。女性の裸とかをのぞいたりはしませんから」
「ああ、良かった・・・・ってよくないよ。俺の話で満足しろよ!」
「あ、教室で授業をしていますね。あれは・・・・算数かな?」
「数学だ!」
病院生活が長かった小島にとって、算数と数学の区別がつかないのは当然か。
「ぜんぜん、意味の分からない式がたくさんありますね」
「そりゃ、高校生だからな。数学にもいろいろある。数一、数二、数三、数A、数B、数Cってね」
「算数で統一されてないんですか?」
「数学だ。まあ、俺も習う前に死んじまったから、内容に関しては詳しくはないけど、大学や専門学校の受験で試験を受けるんだよ。数学からは数一A、数二Bまでがテスト範囲とか、偏差値の高い理系の大学なら全部の範囲が出題されるとか」
「そうなんですか・・・」
中学もろくに通えなかったのだろう小島は。日本は先進国で豊かな国だ。国は借金をしているが、国民はお金を持っている。それゆえに豊かで内戦とはほど遠い国になった。だからこそ、小島のような存在はいないと同じ扱いを受ける。
テレビでよく難病に苦しむ子供たちを放送するが、正直実感がわかなかった。それは近くにそういう子供たちが存在しなかったからだ。ごく普通の中流家庭の育った俺だからこそ、そうした社会の黒い部分を知らずに育ったのだろう。
無知は罪だとよく言われるが、その言葉を今理解した気がする。
「あれが高校の勉強なんですね」
小島は学校にあこがれを抱いている。今、その感情が最高潮を迎えているのだろう。
俺にとっては実に当たり前のことが、小島には新鮮で輝きに満ちた光景なのだろう。
「勉強って大変だぞ。難しくて退屈で、ストレスばかりが溜まる」
「その発言は贅沢ですよ」
「そうだな・・・・」
俺は少ししょんぼりとしてしまった。
しばらく、望遠鏡を眺めている小島を俺は見続けた。すると、小島から不意に質問を食らった。
「ねえ、先輩。ポニーテールの髪型で勉強をしているかわいい女の子は誰ですか?」
小島はにやにやしている。とても嫌な予感がした。
「ちょっと、どけ!」
俺は小島を強引に押しのけ、望遠鏡に目をやった。
望遠鏡に映っている女子生徒は・・・・・
「堤ひろ子か!」
堤ひろ子は中学時代からの親友である。あいかわらず、勉強熱心でまじめなやつだ。
「その堤って女性は誰ですか?」
小島は何かを疑っているような目である。
「友達だよ。中学時代からの」
俺は冷静に答えた。
「おかしいですね。僕はこう願ったんですよ。先輩の好きな女性が見たいと!」
「何!」
俺は完全に取り乱してしまった。
「先輩、顔が赤いですよ」
俺が小島に踊らされている。
「もう、先輩は。はずかしがらずに好きといえばいいでしょうに」
「いや・・・・その・・・なんだ・・・・」
俺はしどろもどろになっている。
「恋人だったんですか?」
小島は質問をどんどん押してくる。
「いいや、友達止まりだった」
俺は諦めて認めてしまった。
「告白して失敗したとか?」
「告白はしていない」
小島は俺のプライベートを土足で踏みつけていく。しかし、今更でもある。
「どうしてしないんですか?」
「できなかったんだよ」
「振られたら怖いからですか。だから、逃げたんだ!」
メアリーみたいなことを言う。
「確かにそれもある。けどな、堤とは中学からの友達だったんだよ。親友と言ってもいい。だから、その関係が壊れるのが怖かったんだ」
「ああ、そうなんですか。恋愛っていろいろ大変なんですね」
他人事だと思って平然としている。
すると、小島は別の望遠鏡を使い、俺のプライベートを再びのぞいている。
「あの天然パーマの人が先輩の親友ですか?」
「お前、今度は石間裕也のことを見ているな!」
石間裕也。あいつも小学時代からの親友である。天然パーマでとてもいいやつだ。小川事件の唯一の関係者でもある。
「でも、先輩の親友が見たいと思ったら、その石間さんと堤さんの二人しか写りませんね
?」
「ああ、俺たち三人は仲が良くてな。よくつるんでたんだよ。中学時代からずっとね」
そうだったな。俺には大の親友が二人いた。今まで完全に忘れていた。
「でも、先輩。初めて会ってから、二人の話が一つもなかったんですが? どういうことですか?」
「ああ、いや・・・・忘れてた」
「忘れてたって、先輩。酷いですよ」
確かに。この世界に来て頭の中が混乱していたのだろう。そう考えるしかない。家族と同じくらいに大切な二人を忘れるなどありえない話だ。
「でもさ、石間は小学時代からずっといっしょで小川事件の関係者の一人でもあるんだぜ。まあ、あいつとは腐れ縁ってやつだけど」
「腐れ縁ですか? うらやましいですね。先輩。青春してたんじゃありませんか? 本当にうらやましいです」
俺はふと、あることに気がついた。
この望遠鏡は単に地球を見るためのものではなく、自分の人生を振り返るために存在するのかもしれないと。
まあ、誰が作ったのかもわからないものに問いを投げかけたところでどうしようもないが。天使たちが答えるとも思えないし。
「先輩、小学校からの友達って天然パーマの石間さんだけなんですか? 小川事件に関わっていた友達はどうしたんですか? 友達じゃないんですか?」
「時が経つとな。人間関係が変わるもんなんだよ。小学校時代によく遊んだ友達も中学に進学したら、クラスは離れて自然と疎遠になったり、性格や価値観が変わって自然と友人関係が壊れたりするんだよ」
「どういうことかよく分かりません」
「まあ、変わるんだよ。けんかしたわけじゃないけど、仲良くなくなったり、他の生徒とつるむようになったりするんだよ」
小島には分からないことだよな。それはよくもあり、悲しくもある。
「けど、その石間って人とはずっと仲良しだったんですね」
「そうだよ。小川事件の時は共に辛酸をなめた仲だったからな」
また、地球への未練が俺の心に染み付いている。この望遠鏡にはそういう力があり、俺たちを弄んでいる。
俺は望遠鏡で二人の勉強している様子を伺っていた。
高校の勉強をする前に死んでしまったのだから、今彼らが学んでいることが俺には理解できない。元々、勉強は嫌いだから別に構わないが、心のどこかで悔しさを感じている自分がいる。
知らない数学教師が質問を石間に投げかけている。しかし、石間は緊張し、答えられない。
実にあいつらしい。あいつは、あの高校に入学する学力がぎりぎりで私立行き覚悟で試験を受けたんだっけ。そしたら、見事に合格し、俺たち三人で喜び合ったのを思い出す。
もうあいつらを会うことはない。これが現実だ。それは悲しみ以上に悔しさを生み出す。
「親友に囲まれて過ごす学校生活。まさに青春ですね。うらやましい」
「でも、死んじまったら意味ないけどな」
「何もなかった僕より良いですよ。先輩」
「それはそうかもしれないが・・・・・」
小島は分かっていない。大切な人々との思い出が多ければ多いほど死んでから辛いことに。病院生活しか知らない小島にはそういう考えはない。
「そういえば、噂の小川って人はどうなったか知っていますか?」
眼中になかった存在の小川の転校後の人生を俺は知らない。
「知らないよ。何せ、仲たがいして別れちまったからな。あの時は携帯電話も買わせてもらえなかったしな。連絡先すら知らない」
「でも、この望遠鏡なら見つけることができるんじゃないですか?」
「そんなに便利なものなのか?」
しかし、望遠鏡が悪魔の橋の前より高性能なのは確かだ。まるで難関ゲームをクリアして、その特典が高価になっていくようであった。
もし、俺の仮説が当たっているとしたら、この後に立ちはだかる試練を乗り越えれば、また望遠鏡の機能や数が増えるかもしれない。
小島は望遠鏡で小川を探している。しかし、顔を知らない男を見つけることができるのだろうか?
すると、小島からのリアクションがあった。
「あの人ですかね?」
「・・・ん?」
「いや、たぶん。今映っている人が小川さんだと思うんですけど・・・・」
正直、小学校時代の小川しか知らないので、成長した姿が想像できない。しかも、小学時代の記憶なのでかなりあいまいである。
「その人・・・授業中に机の引き出しで何かを見ているんですよね?」
「引き出し・・・・」
俺は望遠鏡を使って小島が見ているものが見たいと願望し、小川らしき人物を確認した。
身長が低く、色黒でやせこけている姿は小学時代から変わらない。まさに小川だ。
しかし、小島が言うように机の引き出しで何かを見ている。
漫画や雑誌ではない。携帯電話でもない。あれは・・・・カードだ。
そうだ、思い出した。あいつはトレーディングカードゲームが好きだったな。
「あれはカードだよ。カードゲームが好きだったんだよ。あいつは」
あそこまで変わらないやつはそうはいない。
「何のカードか分かりますか?」
「いや、俺はトランプやウノくらいしか知らないからな」
あいつはトレーディングカードゲームの話をよくしていたので、会話が合わないことが多々あった。しかし、小川が持っているカードは昔はまっていたものとは違う気がする。
「先輩、あの人女の子のキャラクターが写っているカードを見て、にやついてますよ」
「何?」
俺は小川の表情とカードと確認すると、すべて小島の言うとおりであった。
見たこともないアニメキャラらしき絵が写っている。
「ここまで来たら、あいつはオタクだな」
「そうなりますか?」
俺たちは小川に対して呆れていた。非常に痛い人間になっていたことを。
「授業中にあういうことするもんなんですか?」
「まあ、授業を聞かずに友達と話してたり、携帯電話でメールのやり取りをしてたりする生徒はいるよ」
「国のお金で勉強しているはずの人たちが遊んでいるんですか?」
小島が怒るもの無理はない。
「まあ、高校は生徒たちがそれなりに学費は負担してるけどな」
「まさか、先輩もあの小川さんみたいに授業中遊んでたんじゃないでしょうね?」
「・・・・え?」
俺の心にナイフが刺さったような痛みを覚えた。
「どうだったんですか? もしかして、授業も聞かずにしゃべってたんじゃないでしょうね? どうなんですか? 先輩」
「いや、授業はちゃんと受けていたよ。ただ・・・・」
「ただ、何ですか?」
「・・・・よく眠ってた。ははは」
俺は冷や汗をかいた・・・・ような気がした。
「最低だ。国民の税金を返せ!」
小島から非難される俺。先輩としての立場など当に無くなっている。
「しょうがないだろう。退屈で死ぬほど眠い授業だったんだから。悪いのは俺じゃない。授業が下手な教師たちだ!」
完全な言い逃れである。
「また、そうやって逃げる。だから、駄目なんですよ。先輩」
「けどな、本当に授業は退屈だったぞ。特に社会と英語は」
メアリーがいなくて良かったと一瞬思ってしまった。
「贅沢の極みですね」
「先生によって違うんだけどな。がんばっても眠気に襲われてしまうんだよ。別に夜更かししていたわけでもないのにさ」
「じゃあ、先輩は勉強が嫌いなんですね?」
「ああ、大嫌いだ!」
俺ははっきりと答えた。
「でも、高校は普通科ですよね」
小島め、余計なことまで望遠鏡で調べたな。
「なんとなく高校に行ったんだよ。悪いかよ」
「何か夢とかなかったんですか? 先輩からそういう話一切聞いてないので」
「夢か・・・・・別に」
俺の人生など所詮こんなもんだ。
「悲しいですね。夢がないというのは」
確かに、俺にはつきたい職業が存在しなかった。大人になって働いて社会に貢献することが嫌で仕方がなかった。大人になるくらいなら、一生子供のままでいたいと何ど願ったことか。しかし、その夢というべきものなのかは分からないが、かなってしまった。死んでしまい、一生ではないが大人になることはかなわなくなった。
「目的もなく、ただ流れで高校に進学する。それが今の学生たちの実態だよ」
「変じゃないですか?」
「まあ、高校卒業しないと就職が難しいってことくらいかな。理由としては」
「中学卒業じゃ駄目なんですか?」
小島が不安そうに口を開いた。
「俺の住んでる町にデパートがあるんだけど、そこで求人票が何十枚もおいてあるんだ。何度か見たことあるけど、ほとんどが、高卒以上が募集条件に入ってたな。あと自動車免許。オートマ限定不可とか」
「オートマ?」
「ああ、車のことはよく知らないか? 車にはな。マニュアル車とオートマティック車の二種類があるんだけどな。まあ、簡単に言ってしまえば、車のギアチェンジにクラッチがあるかないかの違いだよ。オートマにはクラッチがないから運転しやすいんだが、マニュアル車の方が総合的に利点があるらしい。詳しくは俺も分からないけど」
「いろいろ複雑なんですね」
「そう、あの地球は複雑なんだよ」
複雑で面倒で厄介な世界。それが地球だ。
望遠鏡を小島は手放さなかった。俺の人生を見て楽しむ。それは非常に悲しいことだ。自分の人生を歩めなかった小島は人の人生で自分の心の隙間を埋めているのだろう。地球はどうして、小島というすばらしい少年に病気という試練を与えたのだろうか? 理不尽で許せなくなる。
小島は望遠鏡を動かし、どこかを見ている。すると、そのまま凝視し続けている。俺はそんな小島の様子を見ながら、展望台下を眺めた。すると、黒い扉はまだ開かれてはおらず、数の減った人々はこのまま旅を続けるか、死神になるかの選択を迫られ続けている。
マイケル・コスナーや彼を憎む黒人少年がいることを確認した。しかし、皆のまとめ役立った長宮さんはいない。あの橋を渡れなかったのだ。
メアリーは大丈夫だろうか?
俺はメアリーを見捨てた。この判断は決して間違ってはいない。しかし、心にしこりだ出来たような不愉快さを感じる。
では、俺は間違っていたのだろうか? 正しいこととは一体何なのだろうか?
このしっちゃかめっちゃかな世界にそんな概念は存在しないのかもしれない。
正しいか間違いという考えだけで地球は成り立っている。その価値観しか俺たちは知らない。
そんな途方もないことを考えていると、小島から思いがけない言葉を言われた。
「先輩、僕メアリーを待ちます」
「何!?」
俺は大声を出してしまった。この展開をまったく予想していなかったからだ。
「どうしてだよ! 小島」
「メアリーは無事だからです」
「え?」
俺は驚きを隠せるはずがなかった。
「この望遠鏡。すごいですね。地球しか見えないと思ったら、この世界のことも見えるんですよ」
「そんなことが・・・・」
俺は望遠鏡に頭をつけ、メアリーの様子が見たと願望すると、望遠鏡の円形部にメアリーが映っている。
「まだ、あのつり橋にいる・・・・・」
「だから、僕は待ちます。先輩は先へ進んでください!」
そんなこと・・・・・
「何で待つ必要があるんだ。無事ならそれでいいじゃないか。さっきまで俺を説得していたお前はどこへ行った?」
「メアリーはきっと、多くの人を連れてきます。その時、中継で導く人が必要です。天使たちは先へ進むでしょう。だから、僕が待ってメアリーたちといっしょに先輩たちの後を追います」
「なら、俺も残る!」
そんなことを言ったが、本当にできるのだろうか? 怖がりで逃げ癖のある俺に・・・
「先輩は先へ進んでください。もし、先輩の目に何かあったら、先輩の思い出話が聞けなくなります」
「そんな理由かよ!」
俺は呆れてしまった。たかが凡人の俺の思い出話のために小島が危険を冒すなど間違っている。
「それに先輩は合理的な人です。ここで待つなんてことはできないはずですよ」
「そ・・・・それを言われると・・・・・」
小島に俺の心が見透かされている。
「メアリーは先輩を逃げる男と言っていました。でも、僕はそうは考えてはいません。本当に逃げる人は、人を見捨てたりはしません。上野さんを助けた先輩は逃げたりはしません。ただ、合理的なだけなんですよ。気にしちゃ駄目ですよ」
「しかしな・・・・・」
「先輩は先へ進んでください。もし、僕たちが道に迷っても、この望遠鏡で探します。このまま、メアリーを放ってはおけません。皆で助け合うんです」
小島はいつからそんな正義の男になったのだろうか?
「俺だけ先に進むのは・・・・罪悪感を抱くな」
「いいんんですよ。先輩。あなたは先へおい来なさい」
「何だ? その台詞口調は?」
すると、屋上に口の悪い天使がやってきた。
「一度、扉の前に集合しろ。決断の時だ」
「僕たちはこの世界に残るので先に行っててください」
小島が答えた。
「それは駄目だ。これは決まりだ。早く来い!」
「分かりました」
天使たちは強引に俺たちを連れ出した。
階段を下り、地上に達すると、すでに黒い扉の前に人々が集合していた。
「皆さん。選択の時です。死神になり、地球へ向かう人は扉の前に集まってください」
すると、数人の多国籍の男女が列に並びだした。
「臆病者の集まりだな。こりゃ」
マイケルは腕を組みながら、上から目線で列に並んでいる人をののしった。
臆病者はお前だ! と言いたかったが言うだけ無駄なので黙っていた。
しかし、強がっているマイケルの周りには誰もいない。あのつり橋の一軒で多くのアメリカ人支持者たちが悪魔の犠牲になってしまったのだ。
これが正義をアイデンティティにしているアメリカ人のすることか・・・・・
地球行き希望者がそろったところで、黒い扉は開かれた。その中をのぞくと、真っ黒で渦を巻いている。まるでブラックホールに吸い込まれるような恐怖感を漂わせている。
「では、志願者の方は一人ずつ、お入りください」
白人の高齢女性が足を震わせながら、中へと入っていく。
死神になるための入り口であるが、正直想像できない。何か訓練でもして、黒いフードと大きな鎌を持って、地球へ向かうのだろうか? あの無愛想な天使たちが教えてくれるとは思えないし、きっと知らないだろう。
その女性は恐る恐るブラックホールのような空間に足を入れると、まるで吸い込まれるかのように消えていった。
「次の人、どうぞ!」
欧米系の人々が次々と消えていく。そして、後方に並んでいるアジア系の人々も扉をくぐっていく。
このゲームと言える天国への旅のリタイヤ者は増えていく一方である。しかし、その気持ちは理解できる。一生の苦しみを味わう悪魔になるくらいなら、地球で期間限定の幽霊になった方がマシだ。
「どんどん旅の仲間が減っていきますね」
小島はとても残念そうに言った。
「そうだな・・・・・」
今の俺にはこんなことしか言えない。それが非常に悔しい。
「皆さん。天国に行きたくないんですかね?」
小島は会話を続ける。
「天国がどのような場所かも分からない上にリスクのある旅なら、逃げ出す人は出てくるさ。それを否定することは誰にもできないよ」
俺は少し偉そうなことを言った。
「まあ、そうなんでしょうけど。冒険が終わってしまうじゃないですか」
「お前は冒険がしたかったんだもんな」
「こんな自由は生まれて初めてですよ。もしかしたら、今が一番幸せかもしれません」
今が一番幸せか。小島なわではの発言だな。
「でも、俺もある意味幸せなのかもしれないな」
「どうしてですか? 地球に未練たらたらじゃないですか?」
「俺もこんな壮大な旅は生まれて初めてだからな」
「家族旅行とかはしなかったんですか?」
「俺の家庭はそういうのに縁がなくてね。でも、俺は旅がしたかったんだよ。ビルのない壮大な場所で歩き続ける。俺の夢だったんだ」
「先輩にも夢があったんですね」
「夢というほどのものじゃないさ」
そう、夢じゃないんだよ。なぜなら、その夢はこの世界に叶ってしまったことと、地球にいる石間と堤の三人で旅に行く夢は叶わなかったのだから。
二度と叶わない夢はもう夢ではない。呪いだ。その苦しみは一生背負わなければならない。しかし、今は小島といっしょに旅をしている。離れていった仲間もいたが、それで呪いは中和される。
「旅は自由でいいですよね。何にも縛られずにただ歩き続ける。目的地も自由に決められる。自由に歩き続け、そこで多くの人々と出会う。すばらしいことじゃないですか」
「俺はそこまで考えてはいなかったな」
小島は想像力豊かだ。それだけ、病気と病院に束縛された生活を送っていたのだろうが、平凡な日常を過ごしていた俺にはそのような創造性はない。
自由はチャンスと同じだ。自由な時間さえあれば何だってできる。しかし、自分からは動こうとはしなかった俺は人生を損してしまったのかもしれない。
俺にとって、旅は冒険である。逆に言えば、それしか思いつかなかった。
友人を築き、人間関係を広げる。その発想なき俺は実に哀れだ。
死神への門は開かれたまま、大勢の人々が漆黒の闇へと誘われていく。悪魔に似た黒き色は俺を不愉快にさせる。
そういえば、上野は元気でやっているのだろうか?
いじめを引きずり、過去に生きることしかできない上野は悪霊になってはいないだろうか? もしくは魂が消滅していないか心配になってくる。
望遠鏡では幽霊の姿は確認できなかった。さすがに実体のないものは写せないか・・・
しかし、彼女も不幸な女性だ。自殺してまで地球から離れたかったくせに、結局地球へと戻っていった。肉体を失った状態で・・・・やはり、無理やりでも止めるべきだったのか?
地球は複雑で理不尽な社会だ。平等など存在しない。
俺が死んでも、地球にいる人類は一つにはなれないだろう。言語の壁がないこの世界とて人種などでグループという名の壁を作ってしまう。
完璧な世界などあるのだろうか?
また、どうでもいい疑問が脳から湧き出ている。
人類は必ず問題を起こしてしまい、それを解決しようとすると、また別の問題が発生する。どうして、こんなにも人類は不器用なのだろうか?
先進国と言われている日本でも数多くの問題点はある。
不況、リストラ、汚職、自殺、病気、犯罪。
完璧を求める自体が人間のエゴなのかもしれないが、そういう世界があったっていいはずだ。
毎日が充実し、楽しい世界。
後、何百年経てば、そのような世界ができるのだろうか?
いや、きっと無理だろう。
「この先も悪魔たちがいるとすると、憂鬱になってくるな・・・」
俺は小島に弱音を吐いた。
「先輩なら大丈夫ですよ」
「どうしてだ?」
「だって、逃げるのは得意でしょ」
メアリーと同じことを言われた。
「まったく、逃げれればいいという問題でもないだろう」
しかし、小島に言われると、妙な説得力を感じる。そのため、天国まで無事にいけるのではないだろうかと自信がついてきた。
そして、死神への扉が閉じ、出発の時を迎えた。
「本当に待っているのか?」
俺は低い声で小島に言った。
「安心してください。僕が責任を持ってメアリーやその他の人たちを案内します」
「天使が言うことを聴いてくれれば・・・・」
本当に融通の利かないガイド役だ。地球だったら、くびになっているところだ。
「一生の別れじゃないんですか、そんなしんみりした表情を見せないでくださいよ」
「・・・・・」
俺は何も言えなかった。いや、何も言える権利など俺にはなかった。
しかし、一つだけどうしても聴きたいことがあった。もしかすると、これが本当の別れになってしまうかもしれないから、そうなる前に・・・・
「どうして、残ることを決意したんだ? メアリーや他の人を助けたいという理由じゃ、俺は妙に納得できない。お前はそこまで正義の味方じゃないだろう?」
すると、小島は下を向きながら、照れくさそうにしていた。
「それは・・・・ですね・・・・・」
小島が何を言いたいのかまったく予想できない俺。
「先輩はにぶいですね」
「・・・・え?」
ますます小島を理解できない俺がいる。
「先輩は本当にだめだめですね! メアリーが好きになっちゃんたんですよ!」
「・・・・・・何!」
魂の存在になっても恋愛ができるというのか?
「小島・・・・好きっていうのは友人としてだよな」
「ああ、先輩。僕を馬鹿にしてませんか? 恋愛のほうですよ。僕が何も知らないとでも思っているんですか?」
「ああ、いや・・・」
はっきり言えばそうである。
「僕だって恋くらい知っていますよ。失礼な」
「いや、人の恋のことは疎くてな。申し訳ない。しかし・・・・どうしてメアリーなんだ?」
俺はメアリーを恋の対象にはできない。それは一種の生理的なものなのかもしれない。それに、俺は堤に好意を抱いている。
「恋に理由はありはしません」
小島はまじめに答えた。
「いや、何かあるだろ。金髪が好きだとか・・・顔が好みだったとか・・・・」
「本当に駄目駄目ですね。先輩。理由で人を好きになるっておかしいというか夢がないというか、つまらないというか・・・・」
年下である小島に散々批判を俺は浴びている。しかし、返す言葉が見つからない。
「だったら、どうして先輩は堤をいう女性を好きになったんですか?」
「それは・・・・・」
ああ、こういう話は苦手だ。
「会話が合ったからかな。たぶん」
正直、それくらいしか思いつかない。
「そんなことで人を好きにはなれませんよ。理由を求めちゃ駄目です。それじゃあ、人生観がつまらないじゃないですか。先輩は理屈で考えようとするから駄目なんですよ」
確かに、俺はそれほど頭がいいほうではないが、物事を理屈で考える。合理的といったほうが適当であろう。だから、メアリーと仲たがいしてしまったのかもしれない。しかし、理屈に心が囚われている俺にはやはり、小島の言っていることが理解できない。
「まあ、いいや。じゃあ、どうしてつり橋でメアリーを置いてきたんだ」
俺はことの核心に迫った。
「あの時は先輩が正しいと思ったからです。でも、望遠鏡で先輩の恋の相手を見たときに気づいたんです。メアリーのことが気になっていることに。これじゃいけないと・・・・メアリーと先輩と僕で旅を続けるべきであると。好きな女性を置いてはいけません」
非常に滑稽ではずかしいことを小島は言っている。もし、ここが学校であるならば、小島は絶対にいじめの対象になるだろう。滑稽なやつほど排他されるのが日本の社会だ。しかし、この世界は地球とは違う。それに、小島の考えは間違いではない。
「分かった。もうお前を止めないよ。だから、必ず追いついてきてくれよ。メアリーの怒った形相を拝みたいからな」
俺は皮肉をこめた。
「分かりました。先輩!」
俺と小島は硬い握手を交わした。
「望遠鏡でメアリーたちを見ながら、俺たちの行動も確認しておけよ」
そして、俺は天使たちの誘導の元、展望台からはなれ、小島と別れた。