悪魔の石段
そのきれいな白い翼を羽織ったその人型たちは俺たちを取り囲むように降りてきた。
「皆さん。遅くなってすいませんでした。私たちは天使です」
その言葉に一同は静まり返っていた。
本物の天使がここにいる。翼があり、それぞれ違うけれど顔や体系はまさに人間だ。しかも、白人系、黒人系、黄色系などの人種別の天使たちが俺たちを取り囲んでいる。
「遅れてすいませんでした。前の方々のお送りに時間がかかってしまって」
前の人? 何のことだ。
「お前ら一体何なんだよ!」
マイケル・コスナーが一人叫んでいた。
「先ほども申しましたが、私たちは天使です。死者を導くのが仕事です」
「俺は死んでないって言ってるだろ!」
「この後に及んでまだ自身の死を理解していない人は久しぶりにお目にかかる。しかし、これは事実です。あなた方がここにいる。それはまさに死を意味します」
「そんな・・・・」
マイケルは意気消沈してしまった。
「まあ、死んだと言ってもそれは肉体が滅んだだけの話です。魂はまだ生きています」
「それはどういう意味ですか?」
長宮さんが天使の一人に質問した。
「あなた方は魂と言ったほうが分かりやすいですかね。この世界は死後の世界ですが、天国ではありません。ここはスタート地点。言い換えれば、半死世界なんです」
「半死世界?」
その言葉を聞いた大勢の人々は動揺を隠せずにいた。
「そうです。肉体は滅んでも魂だけは存在している。それは完全な死ではない。この世界は魂だけの存在になった人間が集う場所なのです。そして、あなた方は旅をしなければならない。天国までの長き旅を」
俺はファンタジー小説の世界に入り込んでしまったような感覚に襲われてしまった。本当に訳が分からない。半死って何だよ?
しかし、俺の混乱を知ってか知らずか、天使は話を続けた。
「あなた方は同じ日の同時刻に無くなった方々の集まりです。人種などは関係ありません。だから、国籍の違うもの同士が集うのです。また、この世界では言語の壁は存在しません。ゆえに、会話による弊害はありません。もちろん、食事を取る必要もない。呼吸活動は生きていた頃の活動習慣によるものであり、実際にこの世界には空気は存在しません」
今までの疑問を完全に解決してくれる発言であった。
「あなた方の前にこの世界に来た人々を天国に導くために時間がかかってしまいました。でも、その仕事も終わったので皆さん、私たち天使についてきてください」
すると、天使たちは立て四列に人々を並ばせ、俺たちを囲うように位置し、ヘブンズロードの門をくぐり始めた。
俺はその列の真ん中くらいを歩いていた。周りは多国籍の人々ばかりで話かける雰囲気ではなかった。気がついたら死んでしまい、気がついたら見知らぬ土地にきていて、見知らぬ天使にここは死後の世界だと言われる。この気持ちは生きているものには理解できまい。
俺はヘブンズロードと書かれた門を通り抜けた。しかし、何のことはない。ただ、道が果てしなく続くだけだ。もしかすると、退屈してしまうかもしれない。すると、右側にいるガイド役の天使が口を開いた。
「右にあるのは地球が見える望遠鏡です。ご自身に関係のある親族などが現在どうしているか見ることができます」
俺は右方向に顔を向けると、確かに望遠鏡らしきものがいくつか設置されている。
「一旦進行を止めますので、望遠鏡を使ってご家族の様子をご覧になってください」
天使たちは歩くのを止め、望遠鏡の見るように促した。
すると、大勢の人々が望遠鏡へと足を運んだ。
望遠鏡は地球で売っていたものと形は同じであり、もし地球の望遠鏡を使用したらなら、見えるのは果てしない荒野しかないだろう。右方向には道らしき道はなく、大地が広がっているだけだ。物理的に考えても、何も見えないはず。
俺から一番近い望遠鏡を手にした白人男性が目を合わせて見ている。すると、その男性から涙がこぼれ落ちている。本当に地球が見えるというのだろうか?
その男性は上下左右に傾けながら、地球の光景を見ているようだ。しかし、左右上なら分かるが、下に望遠鏡を向けていた。普通に考えれば地面しか見えないはずだ。しかし、この世界で地球の物理現象など無用の産物か。
その男性の後ろには大勢の人々の列ができている。俺も自分の家族や親友たちがどうしているか気になったので、その長蛇の列に加わった。
しかし、次の人に代わるまでに時間がかかってしまっている。当然といえば当然である。自分の家族や友人たちがどうしているのか、じっくり見たいであろう。その気持ちは俺にだって分かる。
俺がふと、目線を変えると、マイケル・コスナーだけは望遠鏡には近づかず、腕を組んで突っ立っている。まだ、死んだことを理解できていないのだろうか?
天使たちは望遠鏡の列を誘導し、混乱しないようにしている。また、時間制限を設けており、一定以上の地球閲覧を禁止している。無理もない。大勢の人々がいるのだから。
その後も、なかなか俺に順番が回ってこなかった。前には長蛇の列がまだまだ続いている。これでは、人気アミューズメントパークのようだ。
すると、天使たちから予想外の言葉が出てきた。
「もう時間ですので旅を続けます。地球の閲覧は一旦終了です」
すると、俺も含めた数多くの人々が不満を漏らした。
「大丈夫です。設置場所は他にもありますから」
天使は屈託ない笑顔で答えた。
仕方がない。もう俺は向こうの住人ではないのだから。
俺はため息をつきながら、元いた列に戻り、再び前に進んだ。
ゆっくりと時が流れるように俺も流れるように歩いていく。天国という場所に向かって。しかし、この世界は俺から見れば本当に魔法のような世界だ。いや、もしかすると、本当に魔法使いがいるかもしれない。しかし、先ほどの望遠鏡を使って自分の家族がどう生活しているかを確認したかった。できれば、両親には俺の死を乗り越えて幸せに生きてもらいたい。けんかもしたが、いい両親だったので俺のことなど忘れて、悲しみを乗り越えてほしい。それに俺には弟がいる。たくましい弟だ。あいつだけは死なせずに生き抜いてもらいたい。俺からの心からの願いである。
そういえば、友人たちはどうしているだろうか? 俺が車の事故に遭ったとき、友人もいっしょに事故に巻き込まれたはずだ。ここにいないのなら、怪我だけ負って、生きているのだろうか? しかし、死亡した可能性もある。ここにいる人々は俺と同じ時間に死亡した連中ばかりだ。時間違いで死んでしまったとも考えられる。そう信じたくはないが車とは俺が思っている以上に怖い乗り物だ。殺人マシンと言っていいかもしれない。
本当につまらない死に方をしたと後悔している。しかも、死ぬ寸前の出来事をはっきり覚えているのだから性質が悪い。早く忘れたいが、たぶん無理であろう。
俺は空を眺めながら、だらだらと歩き続けた。
太陽がないくせに本当にきれいな空だ。虹色に輝いていて、虹の橋がそこにあって歩けるのではないかと思ってしまう。子供じみた空想であるが、もしかしたら、本当にあるかも知れないな。虹の橋ってやつが。
そんなことを考えながら、俺はヘブンズロードを進んでいく。途中から両サイドが大きな岩に覆われた場所にきたが、道はちゃんとありそのまま進んでいく。天使たちは何かを警戒しながら、前後左右に展開し、ある天使は歩き、またある天使は翼を使って空を飛びながら進行していく。
一体何に警戒しているのだろうか? しばらく歩き続けているが、何も起きてはいない。ただ歩いているだけだ。道さえ分かれば天使など必要ないのではないか? 天使は一体何人存在するのか? 人から天使になれるのか? もし、なれるならその方法は? 数多くの非科学的疑問が俺の頭を過ぎる。
そして、最大の疑問は天国とは何かだ。天使たちは何も言わずただ俺たちを誘導しているだけだ。何も話さない。それとも、俺たちが何か話せば口を開いてくれるのだろうか?
天使といっても、翼を除けば人間と容姿は同じだ。死人の俺たちと同じように彼らだって、黒人、白人、黄色人種などの顔立ちをしている。天国とは何か? 天使は何者か?
数多くの疑問を引きずりながらも、俺は無言で歩き続ける。
俺は少し人見知りな性格なので、自分から話しかけるのは苦手だ。生きていた頃も、先生から黒板の問題が分かる人を求められた時、俺は分かっていても挙手しなかった生徒だった。間違った答えを言ってしまい、恥をかくのを恐れていたからだ。しかも、大体の問題は正解していたので、あの時手を上げていれば良かったと思うことが毎日のようにあった。しかし、俺にはそれだけの勇気はなかった。臆病者であったのだ。まあ、特別得意なことがあったわけではないし、学校で目立ちたいと思ったこともない。ただ、俺には生きる目標がほしかった。高校に入れば、その目標を見つけることができるのではないだろうかと思ったのだ。勉強が好きで入ったわけじゃない。ただ、目標を見つける以上に、その流れに従っただけという理由もある。勉学は嫌いであったが、それほど苦手でもなかったので普通高校に入学することができたのだ。中学生は高校に進学するのが当たり前。その社会の流れにただ乗っただけと言ってもいい。生きる目標があったのなら、高校には行かなかったかもしれない。それでも、俗人の俺にはその流れに乗ってしまい、逆らおうという勇気はなかった。別に高校に入ったことを後悔しているのではない。入って良かったと思っている。中学時代からの友人も何人か同じ高校に来てくれたし、新しい人生、新しい友人、新しい環境を手に入れたのだから。
しかし、そんなありきたりで恵まれた環境を俺は失ったのだ。つまらない交通事故で。誰かを救おうとして自分が犠牲になったとかなら格好がつく。男ならそういうのに憧れを抱くし、後悔などしなかったかもしれない。けれど、交通事故というつまらなく、失うものしかない死に方は最悪だ。無駄に殺されたようなものなのだから。
俺のように交通事故で命を落とした人々もきっと同じ気持ちだったに違いない。
悔しい・・・・
その一言に尽きる。
もし、俺が交通事故に遭わずに生きていたらどのような人生を送っていたのだろうか?
部活や勉強に明け暮れる毎日だったに違いない。しかし、勉強についていけず、落ち込む日々だったかもしれないし、逆に優等生を満喫していたかもしれない。
まあ、それはないか・・・・
部活は何部に入っていただろうか?
野球部やサッカー、バスケット、バレーボールはない。がちがちの体育会系ではない上にそれだけの運動神経も持ち合わせていない。それに、その系統の部活動はどうしても『集団行動』をしなければならない。集団行動は嫌いではないが、必ずといっていいほど彼らは部活以外でもつるみ、常にいっしょにいるイメージがある。正直、むさくるしいのだ。なら、卓球や弓道などは候補として上がる。まあ、万年補欠という可能性はあるが、さっぱりしているほうが性に合っている。運動が駄目なら文化部系も考えたことがある。吹奏楽部はその典型的例であるが、楽器は苦手なので駄目だ。なら、囲碁や将棋部などが良かったか。強くはなかったがルールは知っていたので部員といっしょに囲碁を打ったりして青春を謳歌する。それも悪くない。
しかし・・・・もう、その夢は永遠にかなえることができなくなったのだ。
歩いてくるにつれて、次第に悲しみと悔しさがこみ上げてくる。
可能性を持ち合わせながら、無意味に死んでしまった俺を、家族はどう思っているのだろうか? もしかしたら、恨んでいるかもしれない。
よくテレビなので、親よりも先に子が死ぬことは、最大の親不孝だと言っている。俺は親になったことがないから、正直理解に苦しむ。
実にあっけなく死んでしまった俺を友人たちはどう思っているだろうか。家族とは違う友人たちはやはり苦しむのだろうか? それとも、俺を馬鹿にして喜んでいるのだろうか? もし、その二択の選択肢があるなら、友人には後者の方を選択してほしい。
俺が死んだくらいで苦しむ必要などないのだ。むしろ、あいつ死んじまったぜ、ダサいぜ、くらいに思ってくれれば幸いだ。
俺が死んでから地球ではどのくらいの時が流れたのだろうか? ここと地球とでは時間の流れが違う可能性がある。もしかすると、友人たちはもう大人になっているかもしれない。
な~んてな。そんなことはないか・・・・
青春を謳歌することのできなかったことを後悔しながら、俺は旅を続けるしかないのだ。天国という目標に向かって。
しかし、スタート地点にヘブンズロードと書かれているのは、よく考えればおかしい。確かに、天国という概念を考え出したのは人間である。だからといって、この死の世界を天国の道と命名しなくても良かったはずだ。別の名称になっていた可能性の方が高いのだ。しかし、ご丁寧に天国の道と書かれていたとなると、もしかすると、この世界は最初に死んだ人間たちがやってきて、名づけたのか? しかし、大昔の人が『天国』という概念を持っていた可能性は低い。
なら、先ほどの文字も言葉同様に壁が存在しなのかもしれない。実際は死後の世界の言葉で書かれているが魔法か何かで『ヘブンズロード』と脳内変換されたのかもしれない。
謎が多すぎるこの世界を他の皆はどう思っているのだろうか?
俺と同じようなことを考えているやつがいるかもしれないし、マイケル・コスナーのように存在そのものを否定し続けているかもしれない。
この場合、天使に聞くのが一番いいのだろうが国籍以前に人間ではないので話しかけづらいのが本音だ。
しかし、天使たちの翼はとてもきれいだ。映画やアニメに出てくるような白い大きな翼を身に着けている。あの翼を鳥に例えるなら何だろうか?
動物には詳しくないので分からないが、地球で生きている友人なら分かるかもしれない。
それだけ、あの翼はきれいなのだ。身に着けたいとは思わないが。
そうか。翼があるということは空を飛ぶためのものだ。なら、ここには重力が存在することになる。でなければ、俺たちはこうして歩くことはできない。重力があるということは、ここはどこかの惑星なのか? はるか彼方にある銀河系なのかもしれない。引力のことはよく分からないが、月にだって地球の六分の一ほどの重力が存在するのだ。しかし、俺たちには肉体や言語の壁が存在しない。今ある体は魂だと天使は言っている。やはり、科学では解明できない不思議な世界なのかもしれない。
まさに、ファンタジーの世界へと足を踏み入れたのだ。
しかし、非科学的世界に来るために俺は『命』を失ったのだ。生きると言う人間の基本概念を代償にこの世界にやってきた。果たして、人生を失っただけの価値がこの世界にあるのだろうか? しかし、人間は必ず死ぬのだからこの世界に来ることは、決して珍しいことではないのだ。人類規模で考えれば、人生の一部分でしかすぎないのだ。
そう考えると、やはり損をしたと思ってしまう。
いくらでも人生はやり直せると言うが、死んでしまってはどうにもならない。もう俺はやり直せないんだ。この事実は絶対であり、俺の脳裏に縛りついて離さない。
疑問と否定の間を行ったり来たりしているうちにも、旅は続いている。両サイドにあった岩の塊を通過し、今度は壮大に広がる草原と何も生えていない道がそこにあった。
少しではあるが、気持ちが晴れた。あまりにきれいな場所であったので暗い気持ちが和らいだのだ。それは俺だけでなく、他の多国籍の人たちも同じであった。
重苦しい空気を吹き飛ばしてしまうこの大地に大勢の人々は癒され、救われたのだ。しかも、心地よい風が吹いている。地球で見かける光景そのものではないか。
俺は再び空を見たが、太陽はない。地球でないことを再確認されられた。
芝生の草が風に吹かれてなびいている。メロディを奏でる演奏者のように。その光景は地球のテレビでしか見たことがなかったので俺は再び後悔に狩られた。
生きていた頃の俺は一度も家族旅行に行ったことがなかったのだ。両親はあまり旅行が好きではなかったために、ほどんど遠出をしなかった。キャンプやテントにはよく憧れを抱いたくらいであった。
中学一年生の時、宿泊学習というのがあり、一度そこでキャンプファイアをしたことがあった。皆で歌を歌ったり、火を上げて周りに集まったり、登山もした。しかし、テントを使って野宿をしたことがなかったので、そういう大自然に憧れを抱いていたのだ。レクリエーションで山の中で暗号を解き、目的地に向かうというゲームをしたことがあった。あの時は勝つことに夢中でグループの皆で協力して戦ったことのを思い出してしまった。ビルなどの余計な建物のない大自然での活動は本当に楽しかった。自然が好きだったくせに、自分からキャンプをしようとはしなかった。何だかんだ言って最後は人任せだったことを今は後悔している。
いつかはやる。その言葉に踊らされた結果がこれだ。
もう取り返しがつかない。
死んでしまったのだから。
この大草原にやってきても、結局悲しみだけが広がっていく。俺のじんせいは一体何だったのだろうか?
目標も見つけられず、ただ流されるだけの人生。そんなものに意味なんてあったのだろうか? もう俺は地球に帰ることができない。前に進むしかない。『後悔』という十字架を背負ったまま進むのだ。
しかし、他の多国籍の人々は何を考えて前に進んでいるのだろうか?
俺と同じように後悔しながら歩いているのだろうか? それとも、寿命を全うしたことを満足しながら足を動かしているのか? 人種、国籍が違えども考えることは皆大体同じだと俺は思う。
俺みたいに事故や病気で死ぬ場合は遣り残したことを抱えながら歩いているに違いない。しかし、寿命を全うした人にとっては重荷になることはないはずだ。
どうして、俺が死ななければならなかったのか?
その理由を知る人がいるならそれは神様だけであろう。
こんな、ファンタジーのような世界があり、なおかつ天使が存在するのなら神さまがいたっておかしくはない。
もし、神様と話すことができたなら、聴きたいことを一つだ。
『なぜ、人類を創造した』かだ。
創造してくれたことには感謝している。知能と感情を究極的に持ち合わせた人類を俺は嫌いになる理由はない。ただ、人間社会には不条理なことが多すぎるのだ。
貧富の差、戦争と難民、犯罪など悪の面を神が人類に植え付けた。なぜ、そのようなものを作ったのか? もっと、平和的な人間のあり方を創造できなかったのか?
もし、神様に盾突くようなことを言ったら、地獄にでも落とされるかもな・・・
そういえば、天国の存在は理解したが、地獄という言葉が天使たちから聞かされてはいない。しかし、天国までの旅としか言ってはいないのでそんな世界はないと思うが・・・
草原の風は追い風となり、草の揺らぎ方も変わっていった。
大自然の神秘を感じる。俺にとってはここが天国のように感じる。しかし、天使たちはここを半死世界と言っていた。魂だけの世界。もしかしたら、ここの草原たちもかつては地球で生えていた植物たちかもしれない。
数多くの疑問を抱いていた俺であったが、この大草原とももうすぐお別れの時がやってくる。まさか、この後に起こる恐怖の体験が降り注ぐとは思っても見なかった。
しばらく集団で歩いていると、草原を抜け、大きな湖に出くわしたのだ。湖はとても大きく、その両脇には先ほどの大きな岩の塊があり、この湖を渡る以外先には進めない道になっていた。問題はその湖である。何と、湖なのにとても黒いのである。まるで、重油を運んでいた船が転覆し、重油が漏れ出した海のようであった。
「ここはとても危険なので私たちの話をよく聞いてください!」
危険? どういう意味だ?
「皆さんにも見えていると思いますが、この湖を渡らなければ、先へは進めません。ですが、ここには船がありません」
すると、辺り一面がざわつき始めた。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
前方にいるマイケル・コスナーが大声で怒鳴った。
「もちろん、方法はあります。湖を見てください。四角形の形をした岩が無数に浮いているのが見えますでしょうか? あれを使って渡ってください」
「渡るって、あの浮いている岩を足場にしろって言うのかよ!」
「はい、そのとおりです」
再び辺りがざわつき始める。
「岩を飛び越えて岩を渡る。その方法しかありません」
確かに数多くの岩が黒い湖にぷかぷか浮いている。たぶん、岩自体はとても長く、湖の底についているのだろうがバランスと脚力と精神力が試される場所だ。
天使たちの誘導で俺たちは横に並び始めた。俺は湖のちょうど真ん中くらいの列に位置することができた。すると、天使たちが羽をばたつかせ、空を飛び、再び警告した。
「この湖には悪魔が住み着いています」
その言葉に一同が絶句した。
「悪魔はあなた方死者を湖に引きずり込み、一生の苦しみを味わう悪魔へと変貌させてしまいます。もし、少しでもこの黒い湖に触れてしまうと、たちまち湖から悪魔が這い上がってあなた方を黒き湖に引き込みますので気をつけてください」
気をつけろだって? 一体何を言っているんだ!
「おい、そんな話聴いていないぞ!」
マイケル・コスナーや他の人々が叫びだした。
「これが・・・この世界の掟です」
天使たちは無表情で言った。これは冷徹というよりむしろ悲しみを抱いた感じだ。
「一生の苦しみを味わうとはどういうことだ!」
マイケルの天使への質問攻めは続く。
「悪魔に身を穢れれば、魂の消滅は永久になく、怒り、憎しみ、悲しみ、絶望、歪んだ欲望などを抱くことしかできないまさに悪の魂になります。この湖にはその魔物たちが仲間を増やそうと息を潜めているのです」
一生苦しむ・・・・・想像するだけで恐怖心を抱いてしまう。
「負の感情だけしか抱けない魔物になりたくなければ、あの岩を踏み台にしてこの湖を渡るしかないのです」
車にはねられる恐怖を味わったばかりの俺にとって、永遠の苦しみを味わうことはまさに『地獄』だ。
そうか。これが地獄なのだ。この領域そのものが地獄の一部なのだ。やはり、天国と地獄。人間は死してなお、試練からは逃れられないということか。
「では、そろそろ始めましょう。先頭の人から順に岩に飛び乗ってください。失敗さえしなければ、悪魔はやってはきません。湖に眠る悪魔たちは陸地に上がることはできませんから、湖を越えてしまえば問題ありません」
数人相手ならそうも言えるが、百人単位の人々がそこにいるのだ。
「最後に一つだけ申しておきます。もし、岩を渡る前に悪魔が出てきた場合は、その方がたはしばらくお待ちしてから、悪魔が完全にいなくなるまで待たなければなりません。しかし、私たちは待たずに成功した人々を誘導するので」
「じゃあ、岩を渡れなかった人々は天使のガイドなしで旅を続けなければならないのですか?」
長宮さんが質問した。
「そのとおりです」
大勢がざわつく中で一人、自分勝手な行動を取るやつが現れた。
「俺が先に行く。そこをどけ!」
マイケル・コスナーが順番を無視して一人だけ湖に浮かんでいる岩に飛び乗った。それに便乗してか、他の人々も次々に岩に飛び移り始めたのだ。
俺の列の先頭にいる黄色人種の男性も岩に飛び乗り、順調に進んでいく。
そうさ、失敗しなければいいんだよ。決して難しいエリアではない。岩から岩へ飛び乗る。その間隔が二、三メートル以上離れているわけではない。大丈夫。問題ない。
俺の列の人々が順に岩に飛び乗り、ついに俺の番が回ってきた。一呼吸してから、前に踏み出し、一メートル前後先にある大きな岩めがけてジャンプした。非常に平で面積が大きかったので問題なく着地することができた。
ぜんぜん問題ない。このまま落ち着いてまたジャンプすればいい。
俺は前にいる人が次の岩に飛び乗ったので、後ろで待っている人のためにも迅速かつ正確に行動する必要がある。
前に空いている岩を確認した。今乗っている岩とほとんど同じだ。距離も一メートルもない。俺は軽くまたぐ感じで次の岩に移った。
しかし、岩をまたいで進行していくという行動は、俺が小さかった頃に友人たちといっしょに遊んだゲームとまったく同じだった。生きていた頃に近くにあった大きな河川敷があり、芝生内の小川があり、その間に岩のいくつが設置してあって、それを渡りながら鬼ごっこなどをしてよく遊んだのだ。たまに、足を滑らせて俺や友人たちは小川に足を沈ませてしまい、母親に怒られた。最近では、キャッチボールなどしてその河川敷を利用していた。小学校時代に少年野球段にいたので基本的なことだけはできていたのだ。しかし、投げ方に変な癖があり、それが直せず困ったものだ。今でのその癖は残っており、遠投ができなかった。また、ピッチャーを一度やってみたかったが、投げ方が悪い上にコントロールにも問題があった俺は結局一度もマウンドに立つことはなかった。バッティングセンスも皆無で飛んでくるボールを顔で追うことができず、内野ゴロが精一杯であった。そのため、万年補欠で試合にもほとんど出る機会はなかった。それで、野球は卒業し、友人たちとキャッチボールするくらいでほどんと野球との関わりは断ち切っていた。
俺はまた、前の人が開けてくれた岩に飛び乗った。さっきよりは少し表面の粗い岩ではあったが何のことはない。うまく着地することができた。俺の後ろにいる白人女性も何なりとクリアしている。この湖を早く渡って、後方にいる人のためにもスムーズに進めなければ。
しかし、岩は何十個もあり、まだまだ時間がかかりそうであった。しかし、決して難しくはないので落ち着いて岩をまたいでいけば問題はない。特別、時間制限が設けられているわけでもあるまい。
その後も、順調に岩をまたいでいく。湖に足一つ入れずに。
俺は他の列にいる人々を見ていると、一人だけ慌てて先を急ごうとする人物がいた。マイケル・コスナーだ。
小心者なのか分からないが、かなり慌てて岩をまたぎ、進んでいる。
そういえば、幼かった頃にもあういうやつがいたな。
小学時代にその河川敷で遊んでいた仲間の一人で相当な負けず嫌いなやつであった。すぐに転校してしまったその少年は鬼ごっこやかくれんぼ、テレビゲームなどすべてにおいて本気でかかってくるやつで正直気に食えわなかった。俺にとって遊びは遊び。勝利しても敗北しても、その両方を笑いに変えて楽しむのが俺の考え方であった。俺がゲームで連敗しても『くそ、これで十連敗だ。このままでは悪しき人生の汚点を残してしまう!』と言って友人たちから笑いを取って楽しむ。それが俺のゲームの楽しみ方であった。勝つことが喜びになるのは当たり前だが、負けたら負けでそれなりの楽しみ方はある。しかし、その少年は勝つことばかり考え、いざ負けると言い訳などでうだうだとうるさいことばかり言っていたのを思い出す。河川敷で鬼ごっこをやったとき、俺が小川の岩をまたいで逃げたために、少年も岩をまたぎ追いかけてきたときのことだ。かなり必死で、しかも本気になっていたので岩をまたぎはずし、足を小川に沈めてっしまったことがあった。その時のことを俺は絶対忘れないだろう。彼は急に切れだし、しかも泣きながら鬼ごっこを勝手に止めてしまい、帰ってしまったのだ。あれ以降、一度も遊ぶことなく、少年は転向して行ったのだ。
相当悔しかったのだろう。プライドの塊のようなやつだったので恥ずかしく、その場を去るしかできなかったのだ。
しかし、その話には続きがある。この事件は後に『小川事件』と友人たちから命名されたのだ。なぜなら、少年の名前が小川だったからだ。その後も、友人たちと昔話をする時には必ず小川事件の話があがる。
しかし、『小川事件』と命名した理由はもう一つあったのだ。それは河川敷の出来事から次の週になり、一部の女子生徒たちから俺も含めた友人たちが糾弾されたのである。小川は勉強ができ、女子生徒から妙な人気があったのだ。後々知ったことだが、小川がメールアドレスを交換していた女子生徒たちに俺たちに川に落とされたと嘘を吹き込んだのだ。自分で勝手にこけたという事実が許せなかったのだろう。おかげで、小川をいじめた悪党扱いされ、それがクラス中に広まり、大騒動になったのだ。ここまで来ると、さすがの俺も黙ってはいなかった。友人たちと協力し、反論しようとしたが、口げんかで女子に叶うはずがなかった。所詮小学生のおこちゃま男子では精神的に上である女子には到底勝てなかった。その後、すぐに小川が転校していったので一件落着だと思った。しかし、それが第二次糾弾へと繋がっていったのだ。小川の転校は家庭の都合だったのだが、人気者の小川が去ったことと、河川敷での事件が同時に重なったために、俺たちが小川をいじめたから転校していったという噂が広がってしまったのだ。それから半年間は俺たちのグループはろくに口も聞いてはくれなかった。
これが『小川事件』の全貌である。実にくだらなく、馬鹿げた話である。それ故に、昔話になると、必ず出てきて、友人たちで笑ったりしながら会話のネタにしている。小学校時代は小川の身勝手さとプライドの高さには腹が立ったが、今のとなってはいい思い出だと俺は思っている。
ただ、適当に小学校時代を過ごしただけでは、思いですら残らない。単に小学校を卒業しましたという記録しか残らない。それではおもしろくないし、とても味気ない。小川事件は俺の悪しき歴史の中に刻み込まれた痛いけどおもしろい経験なのだ。
俺はまた一歩、岩と岩との間の湖をまたいだ。
だからこそ、まだ死にたくはなかった。高校生になっておもしろい思い出がこれからも作れると信じていたからだ。飛びぬけた才能もなければ、将来の目標もなかった俺だけど、生きていれば、何かがあったはずだ。
生きることはチャンスであり、人の道であり、感動なのだ。
それを奪われてしまったからにはそれを受け入れるしかない。しかし、頭では分かっていても、本能がそれを否定している。死を受け入れられない自分が非常にもどかしい。理性と本能。この対称的な二つの完成が合い交えないことは人間にとって苦痛以外の何ものでもない。
また一歩、岩にまたがり、俺たちは進んでいく。やっと半分まで来た。すると、他の列の前方ではもう陸に上がっている人たちもがいた。
俺も早く済ましてしまって、陸に上がらなければ。思い出に浸っている時間はない。
一石、また一石と石を踏み台にして前に進んでいく。水には一切触れてはいない。しかし、過去に囚われてしまっている俺にはこの光景は小学校の小川事件を思い出さずにはいられなかった。ノスタルジックな感覚に襲われている。しかし、後方には大勢の人々が待っているのだ。
しばらくして、後五分の一くらいで陸に上がれる時であった。前方にいるマイケル・コスナーが陸一歩手前で足を滑らし、右足が水に触れてしまったのだ。これを知った天使たちが慌てて騒ぎ始めた。
「水に触れた死者が出てしまいました。湖から悪魔が這い上がってきます。急いで陸に上がってください!」
すると、辺りがパニック状態になり、騒がしくなった。
どうして、こんな簡単なことで失敗するのだ。
俺は悪魔が現れる前に陸に上がりたかったので、岩から岩へ足を運び続けた。俺はふと、マイケル・コスナーの列に顔を向けると、黒い湖からヘドロのような手が出てきたのだ。そして、岩に両手を乗せ、上半身が湖から出てきた。全身が黒く、ヘドロを被ったようなその姿こそ、この世界で言う『悪魔』なのだ。
俺はその姿に恐怖しながら、岩を踏み続けた。
後少しだ。もう少しで陸へ上がれる。
俺は慌てずに岩を踏みながら前進していった。しかし、悪魔のことが気になり、そちらに顔を向けると、マイケル・コスナーの列から大勢の悪魔たちが這い上がり、多国籍の人々を湖に引きずり込もうとしている。そのしぐさはとても不気味で不愉快さを感じた。悪魔たちは人々の足首を掴み、湖に引きずり込んでいる。引きずり込まれている人々は必死で岩にしがみついている。まさにわらにもすがる思いだ。しかし、何体もの悪魔たちがその人の体を掴み、ついに湖へと姿を沈めてしまった。
俺は恐怖に駆られた。しかし、こんなことで悪魔などにはなりたくない。
そして、一分くらい後で俺は陸へと足を踏み出すことができた。
俺は安堵とともに他の人々の心配をしている。
マイケル・コスナーの列にある岩には多くの悪魔たちが這い上がり、大勢の人々が湖に沈められていった。しかも、悪魔たちは他の列にある岩にも現れるようになり、まるで、死体に群がる蛆虫のごとく人々に襲い掛かっている。
「皆、早く陸に上がるんだ!」
気がつけば、俺は叫んでいたのだ。普段は何も発言しない俺は心から人々を助けようと思った。しかし、陸に上がったとはいえ、綱などもないこの世界でできることは限られている。
すると、陸に上がった他の人々も俺と同じように叫び始めた。
「もう少しで陸だ。がんばれ!」
「早くするんだ!」
しかし、悪魔はどんどん湖から這い上がって増えてきている。ついには俺たちの列にも悪魔が襲い掛かっている。中間地点の岩にいた黒人男性に悪魔が掴みかかってきたのでその男性は必死に対抗し、逆に悪魔を湖に突き落としていた。しかし、そんな人はごく稀であり、ほとんどは悪魔の餌食になっていく。
少し、遠くを見ると、まだ岩を渡っていない人々もいる。こんな状態では渡れるはずがない。
俺は慌てて陸にいる天使たちに向かって走っていった。
「すいません。彼らを助けてもらえませんか?」
しかし、天使の態度は冷たかった。
「これはこの世界の規則です。私たちは死者たちの魂を導くことが仕事であり、死者を救うことではないのです」
「そんな、何か手立てはないんですか?」
「死者を助けられるのは同じ死者だけです」
天使はそれ以降、俺の顔を見ようとはしなかった。
仕方がないので、俺は湖の方へ戻っていった。すると、先ほどよりも明らかに悪魔の数が二倍以上に増えていた。抵抗していた黒人男性もついに数対の悪魔に取り押さえられ、湖へと消え去っていった。
助けたいが、うかつに湖近くに行けば俺も引きずり込まれる。このもどかしい感じが実に不愉快だ。
しかし、何もしないわけにはいかない。俺はできるだけ距離を置きながら、湖に近づき、声で応援するしかできなかった。
すると、別の学校の制服をきた同い年くらいの少女が俺の列にある岩を踏んでこちらに近づいてくる。そして、陸に上がろうとした瞬間、陸の手前で全身黒ずくめの悪魔が少女の足を掴んで湖に引きずり込もうとしている。少女は上半身を陸地に置いている。それを見た俺は急いで、少女の腕を掴み、湖から引きずりだそうとした。しかし、悪魔の力もなかなかのもので簡単には少女を救うことができなかった。
「誰か、助けてくれ!」
俺は必死に懇願したが、悪魔に対する恐怖心からか、誰も助けようとはしなかった。
「誰でもいいから手伝ってくれ!」
俺の必死の叫びが届いたのか、一人の入院服を着た少年が彼女の腕を掴み、引っ張りあげようとしている。
「ありがとう!」
俺は心から礼を言い、彼女を湖から引っ張りあげることに成功した。しかし、悪魔がしつこく陸へ這い上がろうとしたので、俺が蹴りを一発食らわせると、湖へ沈んでいった。
「大丈夫かい?」
俺はその少女を心配した。
「だ、大丈夫・・・です」
相当怖い思いをしたのであろう。彼女から恐怖心を感じる。
「本当に危なかったよ。まいった」
俺は陸で腰を下ろした。すると、あることに気がついた。
悪魔たちは陸には上がってこないのだ。上半身は出すけれど、それ以上体を陸へ出ようとはしない。これは一体何なのだろうか?
しかし、そんなことを考えている余裕はない。他にも悪魔に捕まっている人たちがいるのだ。
その後も、湖から多くの人々を救い出したが、半数以上の人々が悪魔の餌食となり、数十人は湖を渡れず、向こう側の陸に取り残されてしまった。悪魔は湖から上半身を出し、俺たちを見ている。その眼球は黒く、人間には見えなかったが、形だけは人間と同型であることが分かる。
決して難しくはなかったはずだ。ただ、渡ればいい。運動神経すら必要のない試練であったのにこんなことになるなんて・・・・・
すると、俺は不謹慎ながら小中学校時代の大縄跳びのことを思いだしていた。
俺は大縄跳びが大嫌いであった。なぜなら、必ず失敗するやつがいるからである。大縄跳びといっても基本的には二種類ある。一人ずつ飛んでいくパターンと集団で縄を飛ぶ二パターンである。俺は後者の飛び方が特に嫌いだった。ただ、タイミングよくジャンプすればいいだけのものを失敗するやつが必ずいるのだ。たいした運動センスのない俺ですら飛ぶだけのことはできるのに引っかかる生徒は決まっている。その不愉快さをこの世界でも味わっているのだ。
マイケル・コスナーのことを言っている。あいつは一人慌てて先へ進もうとしたばかりに大勢の人間を犠牲にしてしまったのだ。
俺はマイケルに対して激しい憤りを感じている。しかし、マイケルとてわざとこけたわけではない。それくらい俺だって分かる。しかし、この不条理な光景を許せるほど俺は心が広くはないのだ。
「さっきはありがとう」
制服を着た少女が俺に感謝してきた。
「いや、いいんだよ。別に」
ん? 先ほどは慌てて考えもしなかったが、彼女は色白でアジア系の顔をしている。一体どこの国の人だろう?
「君はもしかして日本人?」
俺は気軽に質問した。
「はい、そうですけど」
すると、俺の中で異常なほどの安堵感がわいて出てきた。
「良かった。俺も日本人。仲間がいてよかったよ」
「そうなんですか?」
彼女も喜んでいる様子だ。
「あなたたちも日本人?」
入院服を着ている、やせこけた少年が言った。
「君もかい?」
「そうです。僕も日本人です」
偶然とは不思議なものだ。まさか、こんな状況で日本人二人と出くわすとは。
「俺の名前は神路弘樹。高校一年生」
「私は上野愛、中学三年生です」
「僕は小島陽一、同じ中学三年生です。一応」
一応って何だ・・・・・・・・まあ、いいか。今の所は。
「しかし、この有様は酷い・・・・」
俺たち三人は湖の惨劇をただ目撃し、記憶に刻むことしかできなかった。もう、俺たちにできることはないのだ。
「半数の人々がやられましたね」
小島がテンションの低い声で言った。
「そうだな。まさか、死後の世界でこんな目に遭うなんて思っても見なかったからな」
「そうね」
空を見上げると、やはり虹色に輝いていて美しい。しかし、それとは対照的にこの湖はすべてにおいて穢れている。とてもおぞましく、薄汚い。天と地とはまさにこのことだ。
「アメリカ人が!」
大声を上げる少年の声が聞こえたので俺たち三人が顔を向けると、例のアフリカ系少年がマイケル・コスナーに罵声を浴びせていた。
「こいつが足をすべらせて、悪魔たちを呼び寄せた。お前は悪魔の手先だ。アメリカ人は悪魔だ!」
アフリカ系の少年はマイケルめがけて、攻撃してきた。それを分かっていたマイケルは少年の攻撃をかわし、逆に捕まえ、首を絞めた。
「黒人やろうが! 何の証拠があってそんなことが言えるんだよ。俺はへまなんかしちゃいねぇよ。くそがきがぁ!」
マイケル・コスナーは少年の首を絞めたまま、離さない。見かねた俺はマイケル・コスナーと少年の間に割って入り、けんかを中断させた。
「何すんだ! 中国人!」
「俺は日本人だ」
まったく、こいつはアジア人を見るとすぐ中国人と言う。馬鹿の一つ覚えみたいに。
「二人とも、止めるんだ。こんな所でけんかしたってどうにもならないだろう」
後方から、上野と小島がやってきて、アフリカ系の少年を静めた。
「こいつが殺したんだ! 皆を殺したんだ。悪魔、悪魔」
少年の興奮は冷める様子はなかった。
「いい加減にしろよ。がきの分際で!」
マイケルは癇癪を起こしている。俺は必死で彼の体を抑え続けた。
「相手は小学生くらいの子供だぞ。落ち着けよ!」
しかし、マイケルの怒りは収まらない。
「他人のてめぇなんかに言われる筋合いはないんだよ。黄色やろう、汚い体を離しやがれ」
「黄色くて悪かったな。でもな、お前が怒ったって何も変わらないんだよ。湖に消えてしまった人は救えない。前に進むしかないんだよ」
俺は大嘘つきだ。前に進むしかないとはよく言えたものだ。過去に縛られている俺が言える立場ではないのだ。肉体があったあの地球に未練を残している俺は、魂は前に進めるが、奥底に眠る本能は地球に帰りたがっている。生き返って人生をやり直したい。それは他の人々も同じであろう。家族や友人、恋人などを地球に残してしまった苦しみは誰もが同じだ。誰がこんな過酷な旅を望んでやるものか。
「もう嫌だ! 僕はこんな所から早く立ち去りたい!」
俺と同じアジア系の少年が急に喚きだした。
「何で僕はこんな所にいなくちゃいけないんだ。僕は家に帰りたい。今すぐ帰りたい!」
少年はひざを地面に置き、泣き叫んでいる。
「そうだよ。こんな場所いる必要なんてない!」
今度は白人男性が叫びだした。
すると、他の人々も同じように喚きだし、辺りが騒然としだした。
「皆さん、落ち着いてください!」
長宮さんが皆を促そうとしたが、空振りに終わった。
「第一の難問をクリアした方々、次に進みますのでお静かに」
天使は無表情に言ったので皆は静まり返ってしまった。