笹本和真との出会い
晴れて入学した初日、七夜の午前中は教師の話を聞くだけで終わってしまった。教科書が届いていないため、授業を普通に受けることが出来ない上に、今までの話を聞いている限り、もう家で習った分である。既に知ったことを繰り返されるのは退屈でしかない。必至に欠伸を噛み殺しながら、黒板に書かれる文字を目で追っていく。
お昼になる時間になっても、一晃が来るまで七夜にはすることがなく、机に顔を乗せると暖かな日に誘われ、睡魔が襲ってきた。
(寝たいけど…………一晃来るし………………眠いー)
七夜にとって、お昼時はいつも寝ている時間なのだ。習慣をいきなり変えるのだから、無理せずに寝てしまおうか、――そう思った時、誰かから頭を叩かれた。
「おーい、起きろ新入り!」
「寝てんじゃねーぞ!」
「…………うん?」
金髪の二人組が七夜を見下ろしていた。周りでは白鳳の生徒が何事かと見ている。天羽の生徒は既に何をするのか知っていて、怒声に近いその大きな声を見ないふりしていた。教師である永倉はおらず、その場で七夜と名前の知らない不良の二人の間に入ったのは、今朝会った森坂透だ。
「どこかに連れ込もうとしてるんじゃないですか? まさか、去年の一年のように、溜まり場に連れて行って拒否権がないようにするつもりですか?」
「さあ、それは知らねえなあ。俺らは仲間んとこ連れて行こうとしてるだけだしな。俺らが必ず何か企んでいると考えるのは流石に被害妄想が過ぎるんじゃねえのか?」
「転入してきたばかりの法堂くんをそちら側に取り込もうとしているのが見え見えです。今までの前例を上げましょうか?」
「あん? 今は違うかもしんねえだろ?」
「前例があるから、彼を貴方たちに接触させないようにしているんですよ、分かりませんか?」
天羽である不良側は相手の権力を怯えて、白鳳の生徒たちは相手の暴力に怯えて、いがみ合って入るが、どちらも相手を恐れて強く出られないからこそ、激しい口論が始まる。それは最早学校が黙認していることだった。相手を恐れているから、どれだけ中傷しても同じ中傷で反撃が返ってくる。大きな事件も起きないから処罰もできない。被害を受けた生徒が学校側に訴えれば収まるが、それは自分の尊厳が邪魔して、誰もしていない。
そして、尊厳の所為で言えないわけではないが、言い争っている火種の張本人七夜は、どうして三人が言い合っているのか分からず、小首を傾げるだけだった。
(取り敢えず、何の用だったのかな? 急ぎの用事? この場合、森坂さんが悪いのかな? でも、なんだか悪い雰囲気だったから、とめてくれたのはいいことなのかな? うーん、早く一晃来ないかなー)
重い瞼を擦りながら、半ば本気で願っていた。隣では煩くて寝られないし、そもそも、どうして言い合いが始まったんだろう?
その七夜の願いがとどいたのか、その時丁度、一晃が二組のドアを開けた時だった。
「一晃……」
「すぐに来られなくてすみません、七夜さん。何もありませんでした?」
「…………………………多分」
「何かあったんですね。誰に何をされました?」
何かをされたわけではないが、未遂で多分とめられたのだろうと判断し、目の前の三人の中の中央にいた不良を見上げる。まだ重たい瞼で見上げると、目線の先にいた不良の二人と森坂もがびくっ、と肩が跳ねる。
一晃は七夜の目線の先にいる不良を睨み、眉間に皺を寄せた不機嫌を隠さない表情で、腕を鳴らしていた。その表情は七夜には見えておらず、七夜は顔を強張らせた三人を不思議に思っている。何も意味するのか向けられた三人の目に、七夜は曖昧に笑った。何か困ったことがあれば取り敢えず笑っておけばどうにかなる、と父親に聞いた。
その笑みの意味をどう察したのか、三人はまた冷や汗を漏らすだけだったが。
「お前ら覚悟は、」
「一晃。…………お腹空いた」
制服の袖を引っ張られて、一晃が背後に振り替える。
「そうでしたか……。それなら、食堂に行きますか」
「…………立ちたくない」
七夜を見捨てなかった睡魔は、今も脳裏に絡みついている。心の中では必至に食べ物を求めているのだが、脳では眠れと司令官が命令を下している。優しい兄に甘える程度と思って一晃にしがみつくと、そのまま抱き上げて頭を撫でてくれる。もういい、と肩を叩くが、食堂まで連れて行くと言い、聞かない。
昔から本当に弟のように扱わられていたためか、その扱いにも慣れてしまっている。
食堂に着くまでの道のりは、近くない。それまでは廊下で談笑していた天羽も、次の授業の話をしていた白鳳も、一晃に抱き上げられている七夜を見て固まる。
(俺、なんか変なことしてるかなぁ……)
七夜は、一晃の胸の中に顔を押し付け、周りの視線に必至に耐えていた。
食堂はすでにたくさんの生徒が席に着いていた。広く作られたはずの食堂は自然に小さく見え、食券機の前も並んでいる。この学校では弁当の持参が許されているが、ほとんどの生徒が学食で終わらせることが多い。
一晃はそれを知っていたのだが、一言言えば列も半分くらいは退くだろうと思って、何も言わず七夜を連れてきたのだ。
「一晃、降りる……」
「はい。どれにしますか? 俺が頼んできますよ」
「あー…………」
食券機の上にデカデカと乗っているメニュー板を見て、悩む。食堂はもう人が座れるような席はない。運びやすいものではないと、途中で落としてしまうかもしれない。
七夜は、レジの隣にあるパンに、目線を向けた。
(焼きそばパン……焼きそばなの? パンなの?)
じっと見ていると、食券機の前に並んでいた人たちが一斉に退き、道が出来る。どうしてそうなったかは分からないが、丁度いいと七夜は初めてパンを買おうと前に進んだが、ふと下を見て光るものを見つけた。
(何これ? ――あ、小銭だ。何円玉だったっけ?)
並んでいた生徒たちの誰かが落としたのだろう。誰のかは分からないが、そのまま踏むのも嫌なので、拾い上げる。そうして腰を曲げた時に、七夜の頭の上で何か音がしてすぐに顔をあげたが、理由は分からなかった。ただ、後ろで悲鳴が聞こえ振り向くと、一晃の近くで不良が一人倒れている。周りは見なかったふりをして、黙々と食事をしている。
「……一晃?」
「はい?」
「…………それ、……その人?」
「はい」
(いや、返事されても、それじゃ分からないよ)
人をそれと言いそうになり訂正して状況を聞くが、返事するだけで何がどうなってこうなったのか、説明しようとしない。七夜の言葉が悪いのではなく、いつもの一晃なら今の言葉でも何を言っているのか分かっているので、わざと答えてないのだ。
それでも、一晃は重要なことならばちゃんと話してくれる、という信頼を持っているため、七夜はまあいいか、と自己解決した。
(きっと風邪で倒れたんだ。すぐに医療の人が運んでくれるだろうし)
知識が偏っているためか、七夜はそれが当たり前だと疑わなかった。
「七夜さん、パンなら取り上げましたので、移動しませんか?」
「(取り上げる? ああ、貰ったってことかな)……了解」
「ああ、知り合いの先輩もいいですか? 七夜さんに会いたいと言っていましたので」
「(一晃の)知り合い……。(どんな人? もしかして、)神崎(先輩)?」
「いえ、笹本和真という人です。会ったことはないとかと」
「そう(なんだ)……」
七夜は人見知りだけはしないので、一晃の先輩がどんな性格か考えていた。優しい先輩だろうか、それとも先輩といえば怖い人だろうか、陽気な人だろうか、無口な人だろうか。色々浮かんだが、やはり一晃の知り合いならいい人なのだろう、と七夜の思考は自己完結して終わった。
(それにしても、言葉遣いが荒くなっている気がするよ、一晃。大きくなったから仕方ないのかなあ……でも、取り上げると貰ったは結構違うよ)
色々思考しながら着いた場所は、三年校舎の一番奥にある資料室Ⅲ。そこは周りから黙認されている溜まり場であり、一般生徒とまでは言わないが、不良とは無縁な白鳳の生徒からは、地獄だと思われている。不良である天羽の生徒も、そう簡単には近づけない。そこは、三年トップの笹本和真が愛用しているのだから。
そんなところに来たとは知らず、七夜はドアの前で汚さに眉を顰めた。
「ここに(人が)いるの」
「ええ、ここにいます」
「…………」
「開けていいですか?」
「………………ん」
顔色を窺った後、一晃がドアを開けた。同時に、香ってくる煙。
一晃を後ろに着いて中を見ると、不良が溜まる中、中央で三人ほどが煙草を吸っていた。一晃が笹本と呼ぶと、その中の一人が煙草を持ったままこちらに向かってくる。
染め上げて時が経っているのか、根元が黒くなっている銀髪。頬の両端だけ長くして伸ばし、後ろの髪が添うように短く切られている。そして、その右の髪はメッシュになるように、黒髪が染められずに残されている。垂れ目と背の高さが目立っていた。
「笹本、この方が七夜さん」
「一晃、お前年上に敬語使えよ」
「敬意がないから無理だ」
「お前なあ」
半ば睨みながら挨拶する一晃と、その両目の瞼部分を突きながら注意する笹本。年上に対して敬語を使わない一晃は失礼だが、それを楽しそうに遊んでいる笹本も結構な兄貴分である。普通なら殴られて終わりだ。
そして、その二人を見ていた七夜は、笹本の髪型にくぎ付けになっていた。
(凄い髪型だなあ。黒と白がいっぱい…………モノクロだなあ、一晃の先輩)
会話が落ち着くと、笹本が七夜を指さす。
「んで、こいつがお前の言ってたやつか」
「ああ、そうだけど……変なことするなよ」
「へえー? こいつがねえ」
笹本の視線が七夜に移る。七夜は笹本の髪型を凝視したままだったが、一晃が軽く促すと、挨拶するために視線をずらした。
「(これは)どうも(初めまして)…………、モノクロ(な髪型の先輩)さん」
だが、そう挨拶すると、何故かその部屋の空気が固まった。
「――――――」
「――――――――ぶっ」
(なんだ……?)
沈黙の中、吹き出したのは一晃だ。それ以外の不良は真っ青にして視線を逸らすだけで、誰も笑っていない。笹本本人が苦々しそうに顔を歪めたが、何も言わず七夜に手を差し出した。怒りを堪えた引きつり顔で、笑う。
「笹本和真だ。三年のトップ、まあ、番長やってる」
怒りに耐えるためか手まで震えている。その手を見つめ、七夜は無表情を崩した。
(何? 手? 何か欲しいの?)
七夜は幼少期から一晃以外、両親と執事の真中にしか言葉を交わさなかった。両親と真中は自分が生まれる前から面倒を見ているから自己紹介はしないし、一晃は自分が礼をするだけ。唯一自己紹介した永倉は色々あって〝握手〟という経験を得られなかったのである。そうして、差し出された手を〝握手〟だとは思わず、何かを強請られているのと、七夜は勘違いした。
ポケットを探る。一つだけチョコがあり、それを笹本の手に置いた。どうぞ、の意味を込めて、笑う。再び訪れる沈黙。
「…………おい、一晃」
「何?」
「どういうことだ、こりゃあ」
「有り難く思い、そして保管するといい」
「チョコは食べもんだろうが。そうじゃなくてだな、」
「――――アンタが思ってる通りなんじゃねえの?」
意味の分からない会話がされる中、七夜はもう一度曖昧に笑う。困ったときはそれ、が両親からのアドバイスだ。だが、七夜が笑った時、笹本の顔は更に強張った。額には青筋。一晃と見ると、親指を立てて笑っていた。
その後、笹本が七夜を殴ろうとしたが、逆に一晃に殴られ、未遂に終わった。七夜は喧嘩を見たことがなかったため、それを戯れだと勘違いしたまま。
そして次の日、とある噂が駆け回る。