2 (永倉哲也視点)
名前間違ってました、ごめんなさい…!
七夜が白羽に入学してくる前日。
その日の永倉はいつも通り、苦労のかかる生徒と聞き分けのいい生徒を平等に接しつつ、勉強させるという難題をこなしていた。合併によって繋がった、金持ち校――白鳳と、不良校――天羽の生徒は、自分とは正反対の生徒と相容れず、不仲状態が続いている。
そもそも、何故合併が行われたのか。
それは、日本で一番の成金だと言われる法堂家が、元々天羽が建てられていた土地に目をつけ、廃校にしようとしていたところからだ。不良たちが集まる天羽は、金さえ払えば行ける高校と言われていたため、潰してもそこまで問題にはならないし、教師は強者揃いが有名だったので、自分の会社の社員に引き入れればいいと思っていたのだろう。
だが、白鳳と天羽の校長同士が、異常なほどに仲が良かったため、廃校にはならず合併になったのだ。なんでも二人は幼馴染らしく、どうにかしてほしいと頼まれた白鳳の香料は断れなかったらしい。
そして、その合併にはもう一つの目的があった。
――――――それは、法堂家の〝帝王〟の噂が関係している。
法堂家にはトップである法堂宗一の弱みで裏から操っているとか。法堂家には鬼才がいて、その鬼才が巧みな雄弁で自分の親を騙しとおしているとか。親ではなく、その子供が実権を握り、支配していると言う根も葉もない冗談交じりの噂。
だが、その噂は妙に信憑性が高い。
一つは、法堂家には子供がいることを公表しているくせに、表に一切出さないことだ。
法堂宗一とその妻の理恵子さんが会社員に写真を見せたりしていると言っている。テレビに出た時も会って、自慢話はするくせにその姿を見たものはいない。
もう一つは、子供を産んだと言ったその年から、法堂家の売り上げが二倍にもあがったこと。
大きな運が付いているのだ、と誰かが言っていた。
そして、その正体不明の子供の姿は誰も知らないまま、合併が進み、そして昨日。この学校の応接室に、その謎に包まれた法堂家の主人、法堂宗一が来たのだ。
永倉のようなただの一社員には聞けないような、重要な話らしいが、後で説明を受けた時の話を纏めると、法堂家の一人息子が、明日から学校に通うことになったらしい。
驚くと同時に、永倉は思った。――どうして、白羽なんだろう、と。
確かに白羽の設備はいいし、同じような金持ちの生徒はいて、気が楽かもしれない。だが、同時にいがみあっている不良の存在もいるわけで。
しかも、今まで姿を現さなかった鬼才が、どうして行き成り宣言してまで通わせるのか。名前を売るためなら分かるが、それは生徒自身に言わせればいいことだ。なのに、校長に名前を通して貰うまでの執着はどうなっているんだ?
そして当日。あの法堂家の帝王まで言われた存在が、来るのだ。
担任を務める二組にくるからと報告された永倉は、思わず隠しもしていない不満を顔に出してしまった。
(あの法堂家の鬼才――相手にできるか?)
永倉は元天羽の生徒と言う立場と経験を使って、不良でも他の教員のように怯えずに接してきた。生徒の性格に合わせて、少し厳しくしたり無駄に明るく振る舞ったりして、天羽はともかく、白鳳の生徒にも慕われている。
だが、今までの高評価がこんなところで使われることになるなんて。
(まったく、荷が重すぎるんだよ)
だがその言葉は、不良側トップであるの真中が連れてきた生徒を見て、裏切られた。
少し長めに伸ばされたサラサラの黒髪に、それを思わせる凛とした雰囲気を纏っていた。目の黒は奥が見えない闇のようで、一番初めに話した時も、無愛想に名前だけ言い、自分を警戒している素振りを見せる。笑って見せてもじっと凝視してきて、こちらを探っているだけで、人見知りではないことが確定し、警戒されていることが発覚。男にしては長い睫毛に、影のある表情。
一瞬で、誰もが魅せられた。
だが、永倉が驚かされたのはそれだけではなかった。
鬼才の隣にいた男――真中一晃。不良組の二年のトップ。三年のトップの、あの笹本和真が認めるほどの強者。気にくわないものは殴る。自分の邪魔をするものは殴る。三年でも容赦なく殴る。殴るのはいつも利き手じゃない右手だということと、前二年トップの右腕がわりだったと言われるほど強いためか、そのまま『右腕』の異名を持つ。本人が嫌いなため、呼ぶのは少数ではあるが、白羽のものなら誰でも知っている。
誰もに従うことはなく、一度暴走すると誰にもとめられない。傍観している教師の中に例外はなく、永倉も一晃がキレると手が付けられないほどだ。普段は大人しいが、警戒心も強く、永倉が仲が良くなったのも、一晃の担任をするのが二回目になった三月の頃だ。
その真中一晃が、鬼才を相手に敬語を使っている。そして、その鬼才は真中一晃にタメ口で話している。年上さえも敬語で話すと言うのに。
だが、驚きはとまらない。
きっと、今日中に話題になるだろう。――『真中一晃が笑顔で接していた転入生』。
しかも普通の笑顔だったらまだしも、それが恍惚の近い、蕩けるような笑顔で相手していたのだ。愛しい人を相手するような、優しい表情。無表情の鬼才は、それがさも当然のことのように、隣でされるがままだ。別れぎわにさりげなく言った言葉は、まるで従者だ。いや、そうなのだろう。あんな恭しく接していたのだ。違うのならば、何だと言うのだ。
ちなみに、鬼才――法堂七夜は正しくは〝入学〟なのだが、今まで学校に通ったことがないのはおかしいので、表ではそうなっている。
永倉は驚きで固まっていたが、今は警戒心の強い、新しい教え子の相手をしなければならないため、すぐに取り繕う。
〝真中一晃〟の存在が強すぎて、つい主人である転入生にも緊張してしまう。話しかけてみようかと思ったが、その目は不用意に触れるなよ、と語っていて、クラスを紹介しただけで何も言えなかった。
二組のドアを開けて、優等生と不良の集まる、厄介な空間に入る。今日も優等生な元白鳳生は机について予習していて、不良はほとんど集まっていない。集まっている元天羽の生徒も、話を聞いているが無関心な生徒と、近い席のやつと話していて聞いていない生徒もいた。こんな中に、あの警戒心の強い、鬼才が馴染めるのだろうか。
(それで、俺はあいつをどうやって呼べばいいんだ? 法堂、はちょっと失礼か? でも法堂さんと呼ぶのもおかしいし、一介の生徒にさん付けも逆に他人行儀だ。じゃあ、七夜と呼ぶか? いや、それも馴れ馴れしいだろ。あの警戒心でそれはないか。――もう、法堂でいいな。下の名前は避けたいし)
悩みに悩んで苗字に決めて、永倉はドアの向こうで待機しているだろう鬼才を呼んだ。永倉がドアを開けるときに大きな音を出したので、そっと、あまり音をたてないように。そして永倉の隣に立つと、美しい容姿にぴったりな美声で自己紹介した。
「……法堂七夜。…………よろしく」
よく耳に通るその声は不機嫌そうで、あからさまに宜しくしたくなさそうな声音で言った。だが、綺麗な声に振り返った不良たちは、予習に集中していたが顔を上げている優等生たちも、その目は輝いている。
顔をじっと見られても物怖じしない鬼才は、永倉の指定した席に座ると、一人で窓の外を見ていた。
その横顔を、クラスメイトである不良たちは、いい獲物を見つけたと見つめていた。
その横顔を、クラスメイトである優等生たちは、まるで神を見るように恍惚の表情を浮かべていた。
だが、今見惚れている教え子たちは知らないのだ、あの真中一晃が敬語を使っていたことを。それを知った時の驚く顔を予想して、永倉は遠い目で溜息を吐いた。
あの鬼才がクラスに馴染む日は、遠いようだ。
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