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6.雛罌粟―Iceland poppy―

多分、某賛美歌のあたりが問題ありだとと思うので修正します。2017/3/5

 記憶にも種類がある。

 嬉しいこと、悲しいこと、他にもいろいろ。

 大きく分ければ、きっと2つ。

 私には、大きな負の記憶がある。




 思い出があってもいい。私は確かにそう言った。その言葉を証明するかのように春馬は毎日のように私と一緒に帰り、そしてうちでコーヒーを飲んで、花の話をして帰っていった。この数日が、とても大切なものになるように、と。そこに間違いはない。少なくとも、期限の日を目前に控えた今、とても幸せにさえ思える日々をすごしている。

 だけど、その幸せを感じる裏で、私が蓋をしてきた記憶が蘇る。

 一瞬、悪寒が走った気がした。

 髪に触れる。春馬に会ったころは何の手入れもしていなかった髪が今では綺麗になってる。あの日と同じくらいに。

 思えば、私は春馬に何も言っていない。もしかしたら調べたのかもしれないけど、私は自分の言葉で何も語っていない。私のほうは最上先輩に言われて、お母さんに教えてもらって断片的ではあっても情報を押さえている。そして、そのことを春馬には言っていない。


「卑怯だ」


あいつのことを勝手に知って、それで勝手に振舞って気遣ってもらってる。そして、それをとても心地よく感じている自分は本当に卑怯だ。

 話そう。卑怯なままではいたくない。

 私が転校した理由、私がピアノをやめた理由。

 話すことを決めて、整理するために私は事の仔細を思い出していた。蓋を開いた。

 今でも変わらないけど、私はとても生意気なんだと思う。当たり前のように誰かに反発して食って掛かる。ピアノのために有名私立校に通っていた当時の私に可愛げなんてないし、当たり前だけど私立校では友達なんて出来なかった。

 まぁ、その友達とつるむ時間全てが練習時間になった私は当たり前だけど実績を残していった。コンクールで入賞の常連となり、学内での成績も良かった。同級生からの評判は最悪だったけど。

 うん。同級生からの評判が最悪だったと言えば大体誰でも分かるんだけど、嫌がらせもされてた。だけど、当時の私は品のない人ばかりだと無視していた。一つ事が起こると次にやられそうなことを考えて対策を立てる。

 ある意味、私が嫌がらせをしていたに近かったのかもしれない。嫌がらせをしようにも出来ない状況を作っていったわけだから。


『高宮さん、先生が呼んでたよ』


この言葉を言われたときもいつものように対処したつもりだった。この場合、この言葉に従って行くと囲まれて暴言を浴びることになるのが多かった。きっと、気が立っていたんだと思う。全力で論破してやる。そう思って指示されたとおりに向かったんだ。

 待ってたのは同級生じゃなくて、柄の悪そうな男達だった。勿論、この瞬間、やられた、と思った。自分達じゃ勝てないから、私が勝てない相手を送り込んできたわけだ。それにしても、いいところの家の子が多いのにこれは誰の伝手だ、と場違いながらも考えていた。そう、私は呑気だった。

 世の中に女性を力でいいようにする最低な輩がいることは知ってる。だけど、まさかその対象に中学生が含まれるなんて考えてもみなかった。口では散々大人なんだと周りに豪語する私達だけど、肝心なところではどうしようもなく子供だった。


 『こいつ? 好きにしていいんだっけ?』


この言葉を聞いた瞬間、全てを理解した。こいつは私をそういう目で見ている。理解すると、一気に慌てた。あまりに想像からかけ離れていた。だって、私は中学生なんだよ。まだ中学生で、他はどうか知らないけど、そういうのは早いって思ってた。

 なのに、“そういうの”が望まない形で目の前にある。これで慌てない子がいるんなら、私はその子の正気を疑う。

 言葉は意味がなくて、暴力では勝ち目がなくて。そんなときはどうすればいい? そりゃ、逃げるしかないじゃない。一目散に来たほうに向かって走り出そうとして、先頭の男に髪を掴まれた。この日はゴムで適当に纏めていただけだった。その纏めていたあたりを掴まれていた。そして、実はこの日は別のイベントが朝からあった。私の下駄箱の隅に接着剤が流し込まれていたんだ。それを削るために使ったカッターはポケットの中。それを思い出した私は髪をカッターで切った。一瞬の自由で十分だった。あとは全速力で逃げ出せばいい。

 私立だから家から遠い場合がある。そういう人にはスクールバスが用意されている。バスにさえ乗ってしまえばあの男達には手が出せない。

 幸いにも、バスには運転手さん以外は誰も乗っていなかった。もっとも、当の運転手さんは私を見るなりぎょっとしていたけど。まぁ、ぼろぼろの髪で息を切らせて駆け込んでくればびっくりもするか。

 男達は追いかけては来たけど、バスに乗って生徒でないことはばれてしまうのでバスには乗ってこなかった。

 とはいえ、異常性は分かっていたんだろう。きっと、きっちり学校に報告したんだろう。私だってこればっかりは拙いと思って帰ってから迷わず親に相談した。

 そして、納得がいかないけど怒られて、泣かれた。

 当の私はピアノのために選んだ学校であんな目に遭ったことが許せなくて、その日からピアノに触らなくなった。

 で、ここからが超展開だった。

 まず、両親による学校と加害生徒の告発。並行しての我が家でのお説教。当たり前のような自主退学と近くの公立校への転校手続き。そして、一番衝撃的だった父の退職とカフェ開店だった。というか、最後のは今まで準備してたらしい。だからこそのこの早さだったんだと思う。

 こうして、私が公立校への転校手続きが完了するまでの数日間はとても慌しく、思い出す暇もなかった。それは今にして思えば狙ってやったことだという確信がある。私は荒んでいったけど、必要以上に自分を襲った現実を思い返すことはなかった。もっとも、あの日カッターで引き千切った髪はそのままだったけど。

 そう、あの日のカッターは刃物の形をした何かでしかなくて、髪をぼろぼろにしてしまった。そりゃそうだ。ロッカーに流し込まれた接着剤を削り取っていたカッターなんだから。だけど、その後ろくな手入れをしなかったのは他ならぬ私自身だった。自分という存在を取り繕うつもりがあるんなら手入れをしておくべきだった。そうすれば私の内面を春馬に見透かされることもなく、今のようにはならなかったはずだ。少なくとも、あのころの私はそれを望む。

 でも、今の私はそれを望めない。望むわけにはいかない。それは、今の私を否定する。それは、私の決意を否定する。それは、今の私の存在を定義しない。

 そして、私はもう一度ピアノと向き合う。それは、私と向き合ってくれた春馬やいろんな人たちと一緒。私には、ピアノを通して伝えるべきことがある。それを漠然とではあるけど感じ始めていたから。







 ピアノを再開するに当たってまず始めたのは、前にバラバラにしてしまったスコアを整えることだった。今までとてもお世話になってきたものたちで、これからの私を支える一片。

 明日は春馬が行ってるっていう教会の電子ピアノを借りる予定。


「あ、そうだ」


確か、練習用にってもらった讃美歌があったはず。ちょっと弾いてみようかな。

わかりやすいのがいいな。何にしよう。

 考えながら賛美歌の冊子をめくり、見つけた。


 たしか、亡くなられた歌手の人が歌ってたとかで有名になった曲だ。


 日本ではノンクリスチャンでさえ知っている曲だ。私にとって、春馬との出会いから驚くばかりだった。神は思いもしない、驚くばかりの恵みをくれるという内容の歌。そして、春馬が持ってきた花とこめられたメッセージは私にとって、まさしく驚くばかりの恵みだった。まさかもう一度、人を信じる日が来るなんて思いもしなかった。男を好きになるなんて思いもしなかった。

 全部、春馬がくれた。本人は否定するだろうけど、少なくともきっかけはすべて春馬だ。

 本を取り、お店のスペースに行く。私が弾かなくなってからも、お父さんが調律を続けていたのを知ってる。あの頃はなんて無駄なことを、なんて思ってもいたけれど。今となっては、必ずこの日が来ることを信じていたと分かる。でも、こんなに早くその日が来るとは思ってなかっただろう。


「お父さん」


店舗スペースではお父さんが明日のためにコーヒー豆を焙煎していた。


「どうした」


「ちょっと、弾くね」


お父さんは何も言わずに頷いた。

 ピアノの前に座り、蓋を開ける。並ぶ鍵盤に一瞬の不安を感じるも、すぐに振り切る。もらったものは、それ以上にして返す。だから、まずはお父さんに、私がどれだけのものをもらったのか、どれだけ救われていたかを知ってもらおう。

 最初の一音。心地いい高い音。

 声楽は専門じゃないけど、自然と歌詞が口を吐いて出てきた。


 弾く前にスコアと一緒に歌詞もしっかり見ていたからって、なかなかこううまくはいかない。だけど、しっかり歌えたし、凄く満たされたような気もする。

 ピアノは好きだ。嫌いになった気もしていたけど、もっと好きになった。

 多分、自分のためだけのピアノじゃなくなったからだ。

 今まで、自分の楽しみのため、表彰されるためだけにピアノを弾いてきた。だけど、想いを伝えるために弾いたことなんて一度もなかったんだ。


 「その曲ってね」


余韻に浸っているとお父さんが口を開いていた。


「元々はどこかの民謡か何かに歌詞をつけたものらしくてね。歌詞をつけたのは、アメリカの牧師だったんだ」


「まぁ、賛美歌なんだから当然でしょ」


お父さんは頷いてからその言葉を発した。


「牧師になる前は奴隷商人だったそうだよ」


奴隷なんて、現代では世界史とかでしか聞かない言葉だ。歴史の中の言葉が、急に現実にやって来た。


「彼は、奴隷商人として成功を収めていた。そんなある日、奴隷を乗せた船と一緒に嵐に遭遇した。いつ沈むとも分からない中、彼は

初めて心から祈ったそうだ。

 そして、生還した彼は奴隷商人を辞め、牧師として生きることを決心したそうだ。

 そんな彼の体験から生まれたのがアメイジンググレイス。驚くばかりの恵み、ということだそうだよ」


 奴隷という人を人として認めない商売で身を立てていた人が、牧師という人を認めて活かす生き方に変えられる。

 自分以外を見ていなかった私が、自分のためにしかピアノを弾けなかった私が、誰かを想ってピアノを弾くことができる。

 ああ。私は確かに救われた。


 「鈴」


私を呼ぶ声がする。見ると、お母さんが鉢植えを持って立っていた。


「これ、そこに置いてもいいかしら」


ピアノの隣。私は特に何も考えず、いいよ、と伝えた。

 そして、隣に置かれたその花を見て、思い出す。あれはアイスランドポピーだ。自慢じゃないけど、ここ数日で私は随分と花について詳しくなった。さらにはその花言葉についても同様だった。

 この花を届けに来たであろう春馬を想う。

 ああ、私はこんなにも癒された。もう、私の過去を態々教える必要もない。私がそれを気にしない。私は私の過ちだけを認めて、謝ればいい。

 私は、春馬と傷の舐め合いをしたいわけじゃない。

 春馬からもらった、驚くばかりの恵みによって癒された。そのことだけ、伝えたい。

すみません、暫くサボってました。また続きがしっかりと準備できたら順次投稿します。

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