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5.黄薔薇―yerrow rose―

 気付いてしまったことがある。

 少しずつ、立ち直るあいつの姿を見ていて、俺は自分を呪った。

 馬鹿なのか、俺は。

 こんなこと、俺はもっと初めから知っていたはずなのに。





 さて、どうしようか。

 わけも無く心の中で呟いてみる。だからと言って、何か分かるわけでもない。

 高宮に野牡丹を贈ってから、特に何もない。いや、特に無いわけじゃない。これが元々の高宮なのかと思わされるときがそこそこにある。

 例えば音楽の授業。初めての曲でもあいつは絶対に音を外したりはしなかった。きちんと楽譜を読むことができて、その音が分かるということだ。俺が花の名前と入手時期、栽培方法、花言葉を覚えているのと同じように。それはあいつが今まで積み重ねてきたことだ。どれだけ無かったことにしようとしても、そんなことできない。

 当然、高宮もそれを分かっているんだろう。次第に音楽というものを受け入れていった。

 次だ。

 高宮じゃない。江田のことだ。最近、江田が俺を避け始めた。あまり避けられる覚えがない分、ショックは大きい。ただし、俺の机の上に嫌がらせとして置かれる花を見ないあたり、嫌われたわけではないと思う。思うってだけで確信が無いのがきついけど。

 「まぁ、そういうわけです。紫先輩、何か分かりませんか?」

で、今はそれらの件を紫先輩に相談しに来ていた。何せ、江田と仲の良いのも、高宮のことを相談したのも全部、紫先輩だ。両方を相談するんならこの人以外にいるわけがない。

「稜ちゃんのことなら簡単でしょう? 春馬くん、ちゃんと分かっていたじゃない」

その言葉を聞いてしまえば、やっぱりとしか思えなかった。江田が俺のことを友達と思っていなかったことを知ってる。でも、俺は江田とは友達でいたかったから気付かないふりをしていた。無理だって、分かっていたらこんなことにはならなかったのに。

 考えれば後悔しか出てこない。

 「それから、高宮さんの場合は発破かけたからね。多分、春馬くんの昔を知って頑張らなきゃって思ったんだね、きっと」

「話したんですか?」

紫先輩は無言で頷いた。そこにいつもの笑顔はない。

 この人はこれがあるから怖い。普段はぼけっとした頭悪そうな人なのに。一番いいときに、一番きつい言葉を浴びせてくる。それに何度もひやっとさせられてきた。

「高宮さんだけ何も知らないままは駄目だよ。いくら、稜ちゃんが口を滑らせていたとしても」

「俺だけが知っていて、俺があいつを守ろうっていうのは駄目だって?」

うん、と紫先輩が頷く。

「駄目。春馬くんが言ったでしょ? 元々の高宮さんというものが見えてきてるって」

「言いました」

「だから。分かり始めてるんじゃない?」

何が、とは言えなかった。言いたくもない。それは、俺の自分勝手なところを認めることでもあるし、何より。

「高宮さんと春馬くんは同じなんだよ。経験も、性格も」

はっきりと言われてしまった。ここまではっきりと言われた以上、認めるしかない。自分でも、分かっていたことだ。もう、認めるしかない。

 「あーあ。言われなきゃ、そのまま進めたのに」

降参、とばかりに空を見上げる。まだ梅雨は来ていない。なのに、空は曇っていた。

「そういうの、よくないよ」

思うよ、がなかった。ということは、はっきりと非難されたってことだ。まぁ、非難される前から分かってることだけど。

 ま、卑怯者にはなりたくないよな。

 「で、先輩。俺にできることってまだあると思います?」

聞いておきながら、自分でもあることは確信してる。だけど、今の俺は誰かに背中を押してほしかった。そうじゃないと、俺は認められない。自分だけじゃ逃げてしまいそうなんだ。

 高宮は、こんな俺を知れば軽蔑するんだろうか。俺の弱さに、それ見たことかと笑うだろうか。

 「分かってるんでしょ? けじめのつけ方ぐらい」

「それぐらいは。でも、それ以外って何かありますか?」

紫先輩は口の端を小さく上げて笑うと俺の方に寄ってきて、胸に手を置いた。

「最後まで、見てあげなよ。高宮さんが、もう一度立ち上がるその瞬間まで」

「俺が?」

「春馬くんが。それ以外に誰が高宮さんをわかってあげられるの?」

言われて、その通りだと思った。

 俺があいつのことを一番分かってる。もう一度立ち上がりたいと願い始めたあいつのことを分かってる。

 「わかりました。取り敢えず、野牡丹はそのままにして黄色の薔薇でも贈りますよ、今度は」

「その意味は?」

残酷と分かってて聞くんだから、この先輩は。

「恋の終わり、ですよ」







 家に帰って、店の黄色い薔薇を一本買い取った。まだ、棘も取ってない薔薇だ。普段ならこの棘はすべて取ってしまう。お客さんが怪我をしてしまうから。

 どうしようか、とも思う。初めて会った高宮を、心の中でだけ荊姫と呼んだことがある。先輩や昴の前でも呼んだことがある。誰にも近付いてほしくないという一心で心に張った必死の予防線。心を守り、踏み込む相手を傷つける荊の鎧。

 棘を残すか、取り除くか。薔薇を前に思案する。

 「どうしたの?」

夕食の仕度のために店を引き上げてきた母さんが声をかけてきた。どう答えていいかわからず、ただ見返すばかりだった。

「黄色の薔薇、か。相変わらず、素直に言葉にしない子ね」

「俺に花言葉を教え込んだのは母さんだろ」

その通り、と母さんは笑った。

「花を贈るのはね、祈りに近いものがあるの。少なくとも、母さんはそう思ってる」

突然だった。母さんは、今までそんなことを言ったことはなかった。誰もが、素直になれないときに思いを乗せて贈るものだとしか教えてくれなかった。人の思いを乗せるものだから、大事に育てて一番いいものを売るのだと教えてくれた。

 祈りなんて意味があるのを母さんは教えてくれなかった。

 だけど、母さんならそうなのかもしれないと思った。

 5年前の6月12日。俺が、学校の花壇や鉢、プランターで育てていた花がすべて燃やされたあの日。花を育てる俺が完全に否定された日。

 そして、車道に飛び出して自分から命を投げ出した日。

 きっと、高宮はその後の騒ぎすらも調べたんだろう。まぁ、あの頃は確かに大きな騒ぎになったから調べるのも簡単だったろう。よりのもよって、死んでもいない俺を実名報道したメディアがあったなんて。暫くは店も営業できないくらいにマスコミが押しかけたし、変な噂も立った。そんな状況だから、俺はどんどんふさぎこんでいった。

 それぐらいの頃に、俺は母さんに手を引かれてとあるキリスト教会に足を運んだ。そこで、母さんがその昔、幼児洗礼を受けていたことを聞かされた。小学校の頃は通っていたことを聞かされた。俺が死のうとしたことで教会のことを思い出したらしい。

 そこにはいろんな奴がいた。純粋にそこが楽しくて仕方がないって奴。俺のように居場所を奪われた奴。

 だけど、俺にしてみれば屈辱だった。俺をこんな奴らと一緒にするな。そんな言葉が口から出ようとしたとき、気付いた。こんなことを言ってしまったら、俺から花を奪った奴らと同じになってしまう。そんなのは嫌だ。そのとき、俺は道を決めた。決めることができた。

 花を育て続ける。種をまき続ける。いつか、同じように傷ついた人に出会ったときには、花で癒せるように。花は見た目の美しさと、強さ、しなやかさでもって人を癒し、勇気付ける。そして、花言葉は人に思いを託す。花言葉を教えてくれた母さんに、俺は初めて花を贈った。花言葉に思いを託して。

 ペチュニア。花言葉は、あなたと一緒なら心が和む。

 こんなきっかけをくれた母さんだ。教会に連れて行き、今では自分が堅信礼を受けた母さんだ。祈りの意味はそういうことなんだろう。いや、託す思いそのものが祈りと呼べるものなんだろう。それは、わかる。俺が高宮に贈り続けた花には、俺の思いが、願いが込められている。それは、祈りそのものだった。

 危うさに気付いてほしくて、薊と夾竹桃を贈った。恋心に気付いてほしくて野牡丹を贈った。そして、恋は終わる。だから、黄色い薔薇を贈る。

 すべて、願いであり、祈りだ。そうだ。黄色い薔薇と、もう一つ贈ろう。これからへの祈りと、願いを込めて。立ち上がり、困難に立ち向かう高宮を励ます花だ。

 そうだな……鉢植えになるけど、オキザリスにしよう。花言葉は輝く心。傷つけようとするものにも負けずに立ち上がろうとする、傷ついた心を抱えて、それでも立ち上がる高宮は何より輝いて、綺麗だ。俺はその綺麗な心を、そのままにしてやりたい。

 俺達は、同志だ。

 「母さん。俺、好きになった人がいた。でも、それを好きなままで終わりにするんだ」

「うん」

母さんは黙って聞いてくれる。俺の願う生き方を知っている。だから、俺の間違いは正してくれる。その母さんを俺は信じる。その思いの元、俺は言葉を続けた。

「俺と、あいつはあまりにも似ていた。同じだったんだ。痛みも、これからも。終わりの黄薔薇。祈りのオキザリス。俺はこの2つに願いを託して、あいつに渡す。きちんと、言葉にして」

母さんは、ただ俺の言葉にうなずいていた。

「勿論、黄薔薇の棘は抜いておくよ」







 次の日、火曜日のことだ。俺は、家に黄薔薇とオキザリスを用意しておくことにした。渡す前に、きちんと話しておくべきだと思った。だから、昼休みに高宮を屋上前の踊り場へと連れ出した。

「話って何?」

「何も言わずに、最後まで聞いてほしいんだ」

これくらいは言っておかないと途中で逃げられてしまいそうだ。

 「俺さ、高宮のことが好きだった。今でも好きだ。でも、終わりにするんだ」

「は?」

高宮が呆気に取られた顔をしている。その隙にと俺は一気に続けた。

「俺とお前、あまりにも似てるんだ。同じなんだ。傷ついて、それでも立ち上がろうとしているところ。懲りずにもう一度好きなことに打ち込もうとしているところ。

 俺は、傷ついた人を守ってやりたいと思った。そしてきっと、お前は立ち直った後は誰かを守るよ。それじゃ俺と一緒なんだ。一緒じゃ駄目なんだ。違わなきゃいけないんだ。だから、俺は高宮を好きでいるのをやめる。そのために、今日の夕方に黄色い薔薇を一輪用意した。あと、メッセージを込めてオキザリスの鉢植えも用意した。俺のけじめと、メッセージを受け取ってほしいんだ」

ここまで言い切って、俺は一息ついた。

 はは、俺って結構馬鹿だよな。普通、好きだって分かってて勝手に諦めるとかしないぞ。でも、俺は自分のことを知ってる。知ってるから諦めるしかできないことも知ってる。

 さぁ、高宮。最後だ。俺に止めを刺してくれ。ただ純粋に、君を応援させてくれ。手伝わせてくれ。荊で身を守るお姫様は、荊の奥で元気でいたんだ。眠ってなんていなかった。だから、荊を取り除いた後で俺にできることはないんだ。

「あー…… あのさ、今も好きで、なのに諦める宣言ってどうなの?」

「言ったよ。同じじゃ駄目なんだ」

うん、と高宮は俯いた。

「私さ、それなりには考えてた。同じくらい考えてなかった。野牡丹とか花をもらったことは嬉しかったし、裏もちょっとは気付いてた。これで確信した。でも、他にあんたを好きでいる人のことは考えてなかった」

「江田のこと?」

頷いた高宮はそのまま話を続けた。

「よりによって、私は江田にあんたのことを話そうとしてた。馬鹿でしょ? 笑えるでしょ? あんた、知ってたんでしょ」

「知ってた」

短く答える。今は、高宮が話してるんだ。その邪魔はしない。

「だろうね。で、今更だけどごめん。私、あんたのことを勝手に誑しって呼んでた。女誑しの誑し」

「うわ。そこはせめて人誑しで頼むよ。こんなお人好しいないだろ」

「自分で言うな」

言って、高宮は笑った。普通の笑顔だった。ようやく、こいつを笑わせることができた。これで本当に、俺にできることはなくなった。もう、荊は残っていない。荊姫はただのお姫様になったんだ。それも、誰かの痛みが分かるお姫様だ。俺はとても王子様や騎士にはなれなかったけど、それでいい。俺は高宮のそれじゃない。それはもう分かってる。

 「私もさ、ちょっとは気になってたんだ」

いつの間にか笑っていない高宮がそこにいた。

「私も、守ってくれるあんたが気になってた。でも、そう。私たちはあまりにも似てる。だから、一緒になったときにきっと後悔する。でもさ、ちょっとくらい思い出があったっていいんじゃない?」

「思い出?」

うん、高宮が頷く。

「春馬は週末、何か予定あるの?」

言われて週末の予定を思い起こす。たしか、日曜に教会に行って花壇の手入れをする約束をしてた。あ、そうだ。教会なら楽器がある。電子ピアノがあったぞ。

「俺、母さんに勧められて教会に行ってそこの花壇の世話をしてるんだ。で、そこにもピアノがあるんだ。弾いてみないか?」

「そういうことなら。で、出来ればその日まで。私たち、付き合ってる気分を味わってみない?」

擬似恋愛ってやつ。高宮は確かにそう言った。思い出がほしいとも言ってた。断る理由なんてどこにも無い。少なくとも、俺はそう信じたい。

 高宮鈴という人間のことをもっと知っておきたい。これからもきっと、いい同志でいてくれるはずだから。

 「喜んで。じゃあ、とりあえずは今日の夕方に一緒帰るところから始めてみるか。で、ちょっとお茶して帰るんだ。勿論、高宮のところで」

「いいね、それ」

 こうして、日曜日に終る関係が始まった。でも、俺たちはそのことで後悔しない自信がある。確信があった。

 あとは、江田か。今度、話がしたいな。あいつと、こんなところで終りたくない。多分、ちゃんと向き合わなきゃいけない。ずっと一緒にいてくれた。たとえ、最初から向こうが俺を友達として見てくれていなくても。応えられるかは分からないけど。それでも、俺はまだ終われないんだ。

 そういう部分では、高宮も味方になってくれるはずだ。今日の話で俺はそう信じた。信じることができた。

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