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4.杜若―Japanese iris―

遅くなりました。まだもうしばらくは続きます。

 赤の他人が一番信用できない。

 でも、赤の他人でなければ言えないこともある。

 それでも、人選ってあると思う。

 あの誑しじゃなくて、あいつにしたのは…間違いか。







 野牡丹の鉢植えをもらった。

 それが昨日のこと。それも、あの誑しから。

 「これ、どうしよう」

家の場所が当たり前のようにばれてるし、親がいつでも来ていいとさえ言ってしまった。逃げ場はない。

 机の上にもらった鉢植えが鎮座してる。これがすべての悩みの元凶だった。というか、どうして私がこんなものをもらわなければいけないのかも分からない。しかも、前のときみたいに花言葉が書かれたカードがあるわけでもない。でも、きっとそこに意味があるに違いない。

 「鈴、入るわよ」

「だめっ、待って」

どうしよう。この鉢植え、どこかに隠さなきゃ。

 取り敢えず、机の下にでも隠そう。

 でも、慌てたのが悪かった。ガチャン、と音がしたときにはしまった、と思ったし、それに間違いはなかった。

 割れた鉢植えに、カーペットにばら撒かれることとなった土。

「鈴、今の音は何?」

さすがに、割れた音がしてはお母さんも黙ってはいない。止める間もなく入ってきてしまった。

「その鉢植えを落としたの?」

頷くしかできなかった。

「野牡丹じゃない。それ、春馬くんからよね」

当然、これも頷くしかない。

「それをいきなり割っちゃったのね。それ、春馬くんに知れたらショック受けるわよ。そうね、別の鉢にでも移しておきましょう」

私の理解が追いつく前にとんとん拍子で話が進んでいく。

 というか、落ちたんだから捨てればいいのに。

 「鈴、掃除機かけときなさいね。それから、この花は捨てないように」

だからどうしてここまで私の考えてることが分かるかな。

 花を救い上げて出て行くお母さんを見送って、私は途方にくれた。野牡丹だって言ってたし、お母さんも野牡丹って言ってた。じゃあ、これの花言葉って何なんだろう。

 と、思うものの。それを調べる気は全く起きない。

 私はいろいろ面倒になって、体をそのままベッドに投げ出した。思わず、溜息が漏れる。

 わかってる。わかってはいる。

 でも、それを認めるわけにはいかない。それを認めてしまうと、私は今の私でいられなくなる。

 天井を仰いでいると、お母さんが戻ってきた。当然、野牡丹の鉢植えを抱えている。

「いらない」

認めたくない一心で、私はそれを拒んだ。

「それはだめよ。店にもこれは置けないもの」

何で、とは言わせてもらえなかった。

「これは、鈴がもらったもので、鈴のもの。そして、メッセージが添えられたものだから」

それぐらいはわかってる。でも、そのメッセージを知りたくない。

 ……もう、誰かに話すしかない。だけど、その誰かが私にはいない。作らなかった。欲しくなかった。

 でも、必要になった。

 お母さんが残していった野牡丹の鉢植えを見ながら、唯一頼れそうな人を求めていた。







 翌日。

 登校しても絶対にあの誑しと目を合わせないようにした。絶対にペースは乱されないようにする。

 目的の相手はいつも時間はギリギリだ。そういう意味では何の心配もない。

 ――いつもの時間だ。

 私は廊下に出た。すぐに目に入る、騒がしい奴。少し前の私なら、ああいうのは見下してたはずだ。でも、今の私はあれ以外に頼る人を思いつかない。

 普通に考えれば、適任とは思えないけれど。

 「江田さん」

そう、江田稜。あの誑しにべったりの。

 今の学校に来てから僅かでも言葉を交わした同性はこいつくらい。それも、褒められた理由じゃなかった。

 当然、睨まれた。思わず、手を握り締める。

 「何か用でもあるの? ないならどいて。時間、危ないの分かってるでしょ」

誑しの前では絶対に見せない態度だった。大丈夫。こういう分かりやすい敵意なら大丈夫。

「後で、時間がほしいの」

私に言えるのはこれくらいだった。もっとたくさんの言葉を使うには、私は人を避けすぎた。どうやって接したらいいのか、忘れてしまった。

「じゃあ、昼休みに視聴覚室で。開いてなくても、誰も来ないから」

私が頷くと、江田は教室に入っていった。

 いなくなってから、握り締めていた手を開いた。汗でべたべただった。

 「大丈夫」

私は自分に言い聞かせた。

 疑うまでもなく、私は緊張していたんだ。

 同性なら大丈夫だって思ったんだけど。思いのほかに難しい。

 「高宮、教室入れよ」

先生に声をかけられて我に返った。振り返って教室の時計を見ると丁度予鈴がなる時間だった。

 「はい」

きっと、この学校に来てから一番素直に従ったはずだ。

 教室に入って、自分の席についてすぐに机の上に小さな紙切れが落ちてきた。出所は分かってる。隣だ。

 突き返す気も起きなかったから、おとなしくその紙切れを開いた。

 ――カキツバタ。

 そうあった。

 意味は分からないけど、多分……何かの警告だと思う。相変わらず、めんどくさい伝え方をしてくる。でも、そこに意味を持たせるのがこいつなんだとも思う。いろんなものを押し付けられてくる中、少しだけ理解できた気もする。

 だけど、気付かされたことが一つだけあった。すると、カキツバタの意味も分かった。

 ……江田の口は軽い。







 昼休み。私は後悔しながら視聴覚室の扉を開いた。

 江田の口が軽いことに気付いてから、いったいどれだけの人に伝わったのだろうかと。そんなことを考えながらいると、

「あなたが、高宮さん?」

先客に声をかけられた。

 短いながらも、私とてこの学校の生徒だ。徽章を見れば学年が分かる。

 この人は、先輩だ。

 「……そうです」

下手に強く出ると後が面倒かもしれない。

「警戒してるね。あ、稜ちゃんは来ないから。代わりに私、最上紫っていうんだけど。私が話を聞くことになったから」

 もうわけが分からない。

 だってそうでしょう?

「私、江田さんに話があったんですけど」

「うん。知ってるよ」

知ってるけどね、と最上先輩は続けた。

「稜ちゃんは、あなたの相談がわかってて、それには答えられないんだ」

何が言いたいのか分からない。でも、一つだけわかっていることがある。

 江田は来ない。

 「やっぱり、帰ります」

来ないのなら意味がない。だったら、帰ったほうがいい。

 やっぱり、江田に話を持ちかけたこと自体が間違いだったんだ。どうして、こんな知らない人に自分の恥ずべきものを話さなきゃいけないの。

 「帰っちゃ駄目」

それは、とても穏やかではあったけど、それが怖かった。

「今帰ったら、抱えてるもの、そのままでしょ? それは駄目。それが出来ないから稜ちゃんに相談しようとしてたのに」

「私は、江田さんに話したかったんです。先輩じゃありません」

「言ったよ、稜ちゃんには答えられないって」

意味が分からない。そう言いたかった。

 でも、目の前の人はそれを許してくれそうにない。

 ……頭、ゆるそうに見えてもそうでもないんだね、この人。

 「まあ、聞きたいことっていうのも大体分かるけどね。だから、聞かずに答えてあげる」

これこそ本当にわけが分からない。

「5年前の、6月12日。調べてみたら? 何の解決にもならないけど、周りの考えてることは少しだけ分かるかもしれないよ」

「どういうことですか?」

「調べてみたらって言ったよ。私からはそれ以上は何も言えないの。当事者ではないから」

そう言って、最上先輩は出て行こうとして、

「あ」

立ち止まった。

「誰もあなたに同情はしていない。それだけ知っておいて」

 この人は、知っているんだ。

 私の身に起きたこと、それが何だったのか。私が捨てたものが何なのか。全部、知っているんだ。

 「冗談じゃない……」

何のために、家族すら避けてきたのかわからないじゃない。こんなんじゃ、何の意味もない。

 視聴覚室に1人、どうすることもできず、ただ立ち竦んでいるしか出来なかった。

 そうして、この学校に来てから初めて授業をサボることになった。







 授業をサボった場合の対処法はいくつかある。

 例えば、荷物はそのままに家に帰る。ただし、これは家に誰かいる場合はすぐにばれてしまう。はっきり言えば、私には使えない。

 じゃあ、どうするか。答えは簡単だ。

「失礼します」

開いた扉の向こうは白いカーテン。その奥にはベッドも見える。

 答えは、保健室だ。何より、この学校には私に何が起きたのかが伝わっている。できれば、やりたくはなかったけど、使えるものは何でも使うしかない。

「ちょっと、気分が悪いので少し休ませてください」

「高宮さんね? じゃあ、一番奥のベッドを使って。気分が良くなったら教室に戻りなさい」

「ありがとうございます」

 全部知られているから、学校は私の些細な願い程度なら聞き入れてくれる。でも、それは同情でしかない。だから、嫌だ。

 『誰もあなたに同情はしていない』

ふと、最上先輩の言葉を思い出した。

 あれは、本当は望むべき言葉だったはず。なのに、私はその言葉にショックを受けている。

 私は、同情される、心配されて誰からもかまってもらえる自分に酔っていた?

 私はとてもかわいそうなんだ。そう思い込もうとしていた?

 だとしたら。

 ああ、と理解した。

 本当に、私の親もあの誑しも江田も最上先輩も。本当に誰も私に同情していない。心配はされているけど、同情はされていない。江田と最上先輩に至っては心配すらしていない。

 思わず、涙が溢れてきた。

 ベッドにもぐりこんだ私は布団を目深に被って、全部誤魔化した。

 誤魔化したつもりでも、分かってる。

 私は、あの男――春馬真樹が気になり始めている。

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