1.薊― plumed thistle ―
なろう様には初めてです。至らぬ点が多々あろうとは思いますが、生暖かい目で黙殺してください。
荊に囲まれた城に眠るお姫様は、王子様のキスで目覚めるんだよ。
そう、絵本の中でずっと、教えられてきた。
だけど、荊で身を守るお姫様を助けるにはどうしたら良いのかは、教えてはもらえなかった。
あの荊の向こうに隠れてるお姫様を、助けたい。
確かに、そう思ったんだ。
◆
唐突だった。
朝、登校してみると隣の席が空いていた。
「塚本…何でそこなんだ?」
「転校生だって」
今まで隣にいた塚本に聞いてみると答えは実にあっさりしていた。
それにしても…この時期に、か。わけでもあるのか?
そんなことを考えながら、俺は教室を出た。まだ予鈴まで時間もあるし。しばらくは適当に歩いてるか。
教室を出て、廊下を歩く。ウチの学校は学年が上がると下の階へと下がっていく。ただし、南校舎と北校舎に別れていて俺たち3年は北校舎の3階と2階に分散している。理由なんて聞いたことはない。
「はーるまっ」
唐突に俺を呼ぶ声がした。
少し離れたところから俺に向かって手を振ってる奴がいる。というか、あんなことをするのは1人しか知らない。
「江田。もう少し大人しくしたらどうなんだ」
「いいんじゃない?元気なくらい。病気じゃないんだしさ」
否定する余地もない。
「それより、珍しいね。授業の移動でもないのに春馬が廊下歩いてるなんて」
今回も否定する余地がない。
「……俺の隣の席に転校生が来るらしい。今日のホームルームくらいは起きていたほうが良さそうだったから」
「変な時期に来るんだね」
「そうだな」
頷きながら江田と並んで廊下を歩く。
「あ、今日は新しい花とか持ってきてないの?」
「あぁ。まだ切花にするにはちょっとな。ていうか、まだ教室に前の生けてあるだろ」
「そうなんだけどね…」
俺の家は花屋だ。おかげで朝はやたらと早い。だから普段の休み時間は睡眠に当てて、少しでも休むようにしてる。
「あぁ…でも、来週ぐらいにはストケシアが見頃になるから」
「そうなんだ。どんな花か知らないけど」
…なのに催促するあたりは困ったものだけど。
それと、俺が学校で生けてるのは店の花じゃない。俺が自分で育てているものだ。小さな頃から花と接してきた所為もあってか、今では園芸が趣味になってしまっている。
いや…それが悪いわけじゃない。まあ…良くないこともあったけど。それでも、花を見捨てる選択を出来なかったあたりは筋金入りなんだと実感したものだ。そのおかげで江田と友達になれたわけだし。
男の友達がほとんどいないのは考えものだけどな。
「で、そのストレシアだっけ?花言葉は何なの?」
「ストケシアな。一応、“追想”とか“清楚”だな。あと、和名がルリギク」
「うーん。花言葉はありがとうだけど、和名でもわかんないかな」
少し変な顔をして首を傾げる江田。
「だろうね。最初から期待してない」
「何をー」
こうして馬鹿をやりながら、俺は教室に戻ることになった。
「あ」
先に教室に入った江田が入り口を塞いで立ち止まった。
「春馬。ちょっとどっか行っててくれない?」
「いい。何が起きたかぐらいわかるから」
俺は江田を押しのけて教室に踏み込む。
俺の席に、俺が先週生けたデルフィニウムが置かれていた。
「相変わらず芸の無い…」
昔からだ。男の癖に。この言葉だけでこの行動を実行できるんだから、単純でうらやましい。
まあ、こんなことやりたくなんて無いけど。
俺はデルフィニウムを生けた花瓶を前のほうの棚の上に戻した。そこが定位置だったから。
江田は俺がこれに気付く前に戻すようにしてるらしい。とはいえ、別に今更過ぎて。気にすることもなくなってる。
「じゃ、江田。俺は寝る」
「はいはい。ホームルームには起こせって言うんでしょ」
よくわかってるじゃないか、と頷いて俺は机に突っ伏した。
◆
そのときはやってきた。
先生が入ってくる前に江田に起こしてもらっていた俺は入ってきた転校生をしっかりと見ることが出来た。
女だった。不恰好なショートヘアーで、隙の無いほどにきっかりと着こなした制服。そこらへんの女子とは明らかに違う存在。
「あー唐突だが、転入生を紹介する。高宮、自己紹介を」
先生が連れてきた女子に自己紹介するように言った。
「高宮鈴です」
それだけだった。それ以外、何も言わなかったし、言おうともしなかった。
「あーそれだけか?」
「はい」
もう何も言うことはない。そう言わんばかりの態度だった。
ある意味では当たり前なんだが、先生はそれが面白くない。そりゃそうだ。協調性とかが大事だと語る先生としては敵を作るだけのやり方になんて納得するはずがない。
ただし、俺にだからわかることもある。
あいつは…同類だ。程度の差はあるんだろうけど、それでもあれは俺の同類だ。周囲にわけもわからないままに疎まれ、否定される。それを超えてきた同類だ。
だから、俺はあいつだけが気付くようにそっと、隣の席を指差した。
「…」
あいつも、俺にだけわかるように目で応えてその席へと歩みだした。
「どこに行くんだ」
「そこの空席が私の席だと思ったので」
事実だけに何も言えない。それきり、先生は何も言わなくなった。
何も言わず、こちらに目も向けずに座ったあいつ。俺はそっちに目を向けた。ホームルームなんかよりも、こっちの方が有意義だ。
「何?」
気付いた。
「別に」
俺は一度目をそらした。それきり、あいつは俺のことなんて気にしなかった。
ただ…確信を得たことがある。こいつは、まだ超えていない。まだ、その中にいるんだ。
「薊」
なんとなく、口にする。高宮鈴という女に今一番ぴったりな花は、間違いなく薊だと思う。薊の花言葉は『触れないで』と『反抗と無愛想』だ。あいつは誰にも触れて欲しくない。その象徴が態度と、無造作にもほどがある、まるで引きちぎったような毛先の黒髪だ。
本当に恐ろしい何かから命からがら逃げ出してきて、ただ強がっているような。そんな感じ。俺には花があった。でも、あいつには何があるんだろう。闇は、抜け出そうと思わない限り、いつまでだって着いてくるのに。
結局、俺は真面目にホームルームを受けなかった。まあ…俺が真面目に受けることなんてまずないんだが。
それはそうと。転校生の定番のあれがない。そう、質問攻めだ。あの態度でそれが出来るわけもないんだろうがな。
「何?」
「何も」
少し視線を向けただけでこれだ。ずいぶんと気を張ってるもんだ。
「春馬、宿題見せて」
江田だった。
「自分でやれ。というか、最上のほうが成績いいだろうが。あっちにしろ」
「昴は出来すぎるから駄目なんだって。似たような成績の春馬くらいがちょうどいいの」
まったく。偶には自分でやったらいいのに。そんなことを思っても、結局は割と大事な友達。貸してやることにした。普段、花瓶騒ぎで貸しばっかり作ってるみたいだからね、こういうところでも返していかないと。
「女誑し」
随分な言われ様で。当然だけど、面白くない。
「友達だからね。普段から借り作ってばかりだから、返せるときに返しておかないと」
それに、ここから薊を突き崩せればとも思う。俺にはこいつを放っておく選択肢はないと思った。
「それより、もうちょっと愛想良くてもいいんじゃない?」
「関係ない」
「それもそうだ」
まだ、俺たちはクラスメイトでしかない。同じクラスにいても話をしない人なんてたくさんいる。でも、俺はこいつと始めたい。始まりを迎えたい。
だから、俺は一歩でも踏み込む。
「因みに、女誑しではないけども友達は少ないけど女子のほうが多いんだ。家に遊びに行ったりはしないけど」
そこまで言って、俺は前に生けられたデルフィニウムを指差した。
「あれ、俺が育てて生けたんだ。ああいう趣味してると、男が寄り付かなくてね」
「悪趣味」
「そう?いい趣味だと思うけどな。花は、時に人を傷つける道具になるけど、人を喜ばせたり、癒したり出来るのも花だからね。いいものだと思うんだけど」
高宮はもう何も言わなかった。ただ視線を黒板に向けていた。もう、何も話すつもりはないんだろう。それだけわかれば俺も態々機嫌を損ねる必要もないだろう。
「寝るか」
ほっとていても江田が起こしてくれる。
じゃ、とりあえず…お休み。