星に願いを・・・。
庶民的な造りの旅館に到着すると、広い駐車場に車を止めた。
入り口で可愛い仲居さん達が、桃色の着物に濃紺の前掛け姿で二人を出迎えた。
中で簡単に受付を済ませると、直ぐに荷物係が台車を押してやってきた。
フロントでカギを受け取った係の男は、「お部屋へご案内します」と二人を誘導する。
大きな窓の向こうには、大きな池があり、風情ある空間を演出していた。
荷物係はエレベーターの中で「五階の萩の間です」と告げ、お風呂の場所や他の施設について簡単に説明した。
五階でエレベーターの扉が開くと、午後の日差しを避けるように閉じられた障子戸が目についた。反対の窓からは温泉街も見える。
「こちらです」と案内されるままついて行くと、細い窓と客室がいくつも並ぶ廊下を、半分過ぎたところが二人の部屋だった。
杉板に【萩】と書かいてある。
荷物係が扉を開けると、微かにラベンダーの香り。
荷物を中に運び入れた男は「後ほど係のものが参ります。ごゆっくりどうぞ」そう挨拶して出て行った。
部屋の中央に大きな座卓と、ふっくらと膨らんだ座布団が座椅子と共に二脚あり、床の間には備長炭が掛け軸の前に置かれていた。
二人は広縁に立つと、窓の外に広がる景色を眺めた。
眼前には雄大な山々が間近に迫り、眼下には川が滔々と流れている。
「ふぅ・・・」
「疲れたか?」
広縁の椅子にへたり込むように座る梢に柿崎が声をかけた。
疲労のせいだろう、顔色が悪い。
「平気です。」
滅多に遠出などしない梢には、七時間ものドライブは体力的にキツかった。
しかし、いつまでも座ってはいられない。すぐに、柿崎の両親へ挨拶に行かなくてはならないのだ。
「時間なら大丈夫だから、少し休め。顔色が悪い。」
「いえ、大丈夫です。」
梢は自分に言い聞かせるように立ち上がると、洗面所に向かった。
確かに疲れていたが、それよりも緊張の方が強かった。
初めて会う人間を、本意ではないにしろ、これから騙しに行くのだ。気分が良い訳がない。
梢は胸に沸き上がる違和感が、罪悪感なのだと悟り、足を止めた。
「・・・柿崎さん、やっぱりこんなこと・・・よくないですよ・・・」
襖に背を預け、小さな声で呟いた。
背中を向けていた柿崎は、荷物の方に歩きながら、視界の隅でその様子をみる。
「気にすんな。」
「・・・・そんなの・・・無理です。」
二人のガーメントバッグを外套掛けにかけてしまうと、襖に寄りかかる梢の後ろに同じように立った。
「・・・深山・・・俺が嫌いか?」
「・・・・・よく、わかりません」
「よかった。嫌いだと即答されなくて」
柿崎は冗談めかして笑った。三日前の梢なら嫌いだと即答しただろう。大した進歩だ。
「嫌いじゃないならいいじゃん♪」
「そう言う問題じゃありません!」
振り返り大きな声を上げる梢は、いまにも泣きそうな顔をしていた。
柿崎は、そっと梢の頭を撫でた。梢も大人しくしている。これも大きな進歩だと柿崎は思う。
梢は切な気に俯く。
「・・・だって、ご両親を騙すことになるんですよ・・・?」
「俺はそうは思わないよ?」
「・・・どうしてですか?」
梢が、信じられない!といった表情で柿崎を見上げると、彼の方は、いつもの自信に満ちた表情をしていた。柿崎がこういう顔をする時は、どんな商談も必ず上手く行く!と、課長が言っていたのを思い出した。
「簡単なことだ!おまえが、俺を好きになればいいんだ!」
「ーーーーはあ?」
思わず素っ頓狂な声が上がった。空いた口が塞がらない梢は、あんぐりと柿崎を見る。
それを面白そうに見下ろしていた柿崎が、不意に真顔になると梢の細い体を抱きしめた。
「ーーーーーなっ!!!」
「よーーーーーっく聞けよ?!深山!!」
柿崎の大きな声が、胸に押し付けられている耳に響いてくる。そして、彼の早い鼓動も聞こえてきた。
「俺は、深山が営業部に来る前から・・・ずっと好きだったんだ。」
「・・・え?」
腕が緩むことなく梢を抱きしめているので、柿崎の顔は見えなかった。
訳が分からない。
営業部に来る前といっても、彼女は入社してからずっと営業部にいる。かれこれ四年になるだろうか。
大学を卒業してもなかなか就職が決まらず、二年ほどアルバイトをしながら何社も面接を受け、ようやく今の会社に入ったのだ。
その頃の自分を知っているというのだろうか?柿崎の胸に抱きしめられたままぼんやり考えていた。
柿崎の声が、その胸を通って響いてくる。
「その当時、俺は慣れない営業の仕事に四苦八苦してた。まだ二十五だし、別の仕事やろうかな?なんて思ってた。」
柿崎は、抱きしめていた腕を離し、ふんわりした座布団に梢を座らせると、向かいに胡座をかいて座った。
「私生活も散々だった俺は、毎日ふて腐れてた。そんな頃・・・深山に会ったんだ。」
「・・・・・」
梢は黙って聞いていた。
「おまえさ、会社の近くの喫茶店でバイトしてたろ?」
「・・・・・・はい」
それは、梢がまだ大学生の頃の話だ。
その頃、父がリストラされ母のパート代だけでは学費が賄えないため、いくつものアルバイトを掛け持ちしていたのだ。喫茶店はその一つだ。
「一目惚れだった。」
「・・・・・・はぁ・・・」
梢は、現実味がなさすぎて頭が着いていけず、ただのろのろと曖昧な返事を返す。
そんな彼女に構わず、柿崎は話を続けた。
「信号待ちしてて、店の窓越しに目が合ってさ、そしたら、おまえが笑顔で会釈したんだ」
「・・・私が・・・ですか?」
毎日が忙しすぎて、そんな些細な事など覚えている筈はなかった。
「その顔が忘れられなくて、何度か喫茶店に行ったんだぜ?でもさ、何度行っても逢えなくて、辞めたのかと思ってたら、午前中だけだっていうじゃん。でも、午前中に行くのはどうしても無理だったから、すごくガッカリしたもんだ」
梢の両手を握って話す柿崎は、当時を思い出したのか、クスっと笑った。
「それから何ヶ月かして、取引先に行った帰りにコンビニに寄ったら、おまえが働いてた」
「・・・・・」
両手を握ったまま柿崎は話し続ける。
梢は、じっと耳を傾けている。握られた手が、とても暖かかった。
「俺は声もかけれないヘタレでさ、ネームカード見て名前覚えたの。でも、それっきり。もう逢えないと諦めかけてた。それが、会社の廊下でリクルートスーツ着た深山を見たときは感動したよ!まだチャンスはある!ってね。その日から、おまえが入社して、同じ部署になるようにって、毎日祈ったんだぜ?!」
驚いたように梢が目を見開いた。
「・・・柿崎さんが、神頼みしたんですか?」
「いーや?お星さまに願ってたよ♪」
「お星さま?!柿崎さんがぁ?!」
デカイ図体で、星に願掛けする柿崎・・・。想像すると、滑稽で面白すぎる。
「あ、あり得ない・・・か、柿崎さんが・・・ぷぷっ!」
「笑うなよな。お陰で同じ部署になってんじゃん?俺ってすげー!」
「何それ!!あははは!!」
梢は体を揺すって笑った。
一番苦しくて辛かった頃の自分を好きだと言ってくれる人がいた。
恋人さえも逃げ出したのに・・・。なんだか救われたような気がした。
だが、それだけでは梢は納得できなかった。
「一目惚れ云々(うんぬん)はこの際、置いといて。どうしていきなり嫁なんですか?付き合ってる人です。とかでも良かったんじゃないですか?」
「おい!大事なところを置いとくなよな!俺は、深山を嫁にするって決めてたんだからいいんだよ!」
「・・・私の意思は無視ですか?!」
笑いを納めた梢が、生真面目な顔を取り戻すと、真っ直ぐに柿崎を見据えた。
どんな理由があるにしても、自分の意志を無視されるのだけは嫌だった。
だが、柿崎は憎らしいほど自信たっぷりな顔をした。
「いーや?絶対落とすって決めてから。」
「・・・ニセ嫁は、落ちたことにはなりませんよ。」
梢の目が睨むような色になったが、男は全く動じない。
「想い続ければ、叶うんだよ。」
「・・・乙女かっ。全然似合いません!」
梢がぷいっとそっぽを向いても、柿崎の眼差しは変わらず優しい。
どう説得しようか考えているのではなく、ただ、愛し気に梢を見詰めている。
本当は、他の男に梢を取られたくないがために、必死で考えた結果だった。
正面から告白したところで、頑な梢は絶対に付き合ってはくれなかっただろう。
不器用な男の苦肉の策だった。
「深山。」
「・・・なんですか?」
むすっとしたまま柿崎の方を向く。熱の籠った目で見つめ返され、梢は目をそらせなくなった。
「俺と、結婚してくれ」
「・・・・・・・嫌です。」
「ずっと、俺の傍にいてくれ」
「・・・・・・・嫌です。」
「俺は・・・ずっと梢といたいんだ」
堪えきれず梢は俯いた。その唇が微かに震えている。
柿崎の大きな掌にすっぽりと収まっている、細く小さな手も、小刻みに震えていた。
「・・・俺の・・・俺だけの梢になってくれないか?」
「・・・・・・っ。どう・・・して・・?」
「ん?」
震える声で、梢が問う。どうして自分がいいのかと。
男は両手を広げて梢を抱き寄せた。
「おまえが、深山 梢だからだよ!俺がずっと惚れてた女だからだ!他に理由なんていらないだろう!?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜い、意味わかんないですっ!」
涙声で突っかかるも、梢の細い両腕は、しっかりと柿崎の背中を掴んでいた。
柿崎も、その華奢な背中を力を込めて抱きしめた。
「大好きだよ・・・。梢は?」
「・・・・・・・嫌いでは・・・ない・・・かも・・・」
「回りくどいなぁ。それって、好きってことだろう?」
「そ、そこまで言ってませんっ!もう離して下さい!!」
柿崎の胸を押し返すが、がっちりとした腕が絡まっていてびくともしない。
男は、胡座をかいた膝に梢を乗せ、さらにぎゅっと抱きしめた。
「離して下さい!」
「やだっ!梢が好きって言うまで離さない!」
「こ、子供じゃないんですから!!離して下さい!!」
「い〜や〜だ〜!!好きって言えーー!!」
「いーーやーーー!!」
自分を抱きしめる腕は、とても優しいのに、態度は子供っぽくて、普段の姿とのギャップがなんだか笑えた。
そして、これまで忌々しいと思っていた柿崎の事が、もうそれほど嫌ではない事にも気がついていた。
彼が、自分のために、星に願ってくれたことが、なんだかとても嬉しかった。
『自分も好きかもしれないなんて、悔しいから言ってやらない!・・・まだ。』
梢は腕から逃れようともがきながら思った。
大人気ない男女のじゃれあいは、客室係が訪問するまで続いた。
あれ?と思ったアナタは、かなり【いい人】です!(笑)