とりあえず生で。
5話目にしてやっと本題・・・なんですけどね・・・
普段、居酒屋に行くことのない梢は、神妙な顔で座っていた。
会社の人に会うんじゃないかと、落ち着かないようでそわそわしている。
「深山、酒飲める?」
「あ、はい・・・でも、明日も仕事だし・・・」
「じゃ、軽いのにしよう」
そう言って店員を呼ぶと、サワーと生ビールといくつかの品を注文すると、梢に向き直り、いきなり本題を持ち出した。
「今度の日曜は、うちの爺さんの十三回忌の法事があるんだ。」
「・・・十三回忌の法事?それが嫁と何の関係があるんですか?」
「大有りなの。」
梢が困惑していると、店員が飲み物を持ってきた。
テーブルには生ビールと巨峰サワーとお通しが並べられる。
お通しは、キュウリとエノキダケの梅あえで、自炊をする梢のお気に入りメニューでもあった。
柿崎がおもむろにジョッキを持ち上げると、楽し気に乾杯の音頭をとった。
「じゃ、俺たちの幸せな結婚生活に♪」
「・・・帰りますよ。」
「まあまあ!待てって!!」
睨む梢にへらへらと笑う柿崎は、彼女が持つサワーグラスにジョッキを当てて勝手に乾杯した。
旨そうにぐいっと飲む姿を見て、梢も黙ってサワーを口に運んだ。
お通しの梅あえは、サッパリとしていて口当たりはいいが、もう少し梅干しの量が多いと尚いいかな〜などと考えながら箸を口に運ぶ。
「それで?どうして法事に嫁が必要なんですか?」
「それなんだよ・・・」
はーと溜め息を着く柿崎は、先ほどと違い本当に困っているように見えた。
もう一口ビールを飲むと、重々しく話し始めた。
「久々に従兄弟から電話があってさ、お互いの近況とか話してたわけ。そしたらそいつ、俺の一こ下なんだけど、出来ちゃった結婚したっていうんだ。」
言葉を切ってビールを飲む。実に旨そうに嚥下する喉仏を、梢はまじまじと眺めた。
「で、兄ちゃんはどうなんだ?なんて言うもんだからさ、つい俺も“最近結婚したんだー”って言っちまったんだ・・・」
「・・・アホですか?」
「・・・そう言うなよ・・・」
グビグビッとビールを飲み干すと、店員にビールのお代わりをオーダーした。
梢は梅あえを肴にちびちびとサワーを飲みながら、柿崎の話を脳内で反芻し整理した。
すぐに生ビールとオーダーした料理が運ばれてくる。
焼き鳥やつくね、サラダに出汁巻き卵などあらゆるメニューが並べられた。
空腹だった梢もさっそく箸を延ばした。
「それで、嫁を仕立てることにしたんですか?」
「そう。」
柿崎は、人ごとのように焼き鳥を頬張る。
梢も、巨峰サワーをぐっと飲み干すと、取り分けた料理を口に運んだ。
「営業成績が常にトップクラスの人がする発想とは思えませんね。」嫌味は忘れずに。
「・・・・・・・」
すっかり開き直った梢は、酒の力も借りて言いたい放題だが、柿崎はそれを咎めることはしなかった。
梢がカシスソーダを飲み始める頃には、皿の料理はあらかたなくなっていた。
余程空腹だったようだ。
「でもなんで私なんですか?千佳子なら、本当のお嫁さんになれるのに」
「・・・・彼女なら、経理課の斎藤と付き合ってるよ。」
「ええ!!」
柿崎と食事をしたと話していたのは、先月だったはず・・・。梢はあんぐりと口を開いた。千佳子からは一言も聞いていなかったのが、すこし悲しかった。
「・・・だからって、なんで私?」
「ん?俺は適任だと思うけどな」
「意味が分かりません」
【嫁の適任】って、なんじゃそりゃ!梢はぐいっとソーダを飲んだ。
柿崎はテーブルに頬杖をついて、優し気なまなざしを梢に注ぐが、梢はまったく気付かない。
「その日だけ、お嫁さんのフリをすればいいんですか?」
「お!協力してくれるの?」
「・・・だって、承諾するまで付きまとうんでしょ?このままじゃ本当に家まで着いてきそうだし」
「・・・付きまとうって・・・ストーカーじゃないんだから・・・」
「どう違うんだか。」
すっかり砕けた口調になってる梢は、酔っているようだ。
「じゃ、日曜日だけですよ。」
「よし!じゃ、これに名前書いて♪俺はもう書いたから♪」
テーブルの皿をどけて何やら薄っぺらい紙を広げた。
差し出されたボールペンを反射的に受け取った梢は、その紙を覗き込んだ。
「なんですか?」
「うん。婚姻届♪」
程よく満腹になり、程よくアルコールが回っている梢の脳内回路は動きが鈍かった。
コンイントドケ・・・?
コンイントドケ・・・
・・・・コンイントドケって、なんだっけ?
ぼーっとしたまま紙を見詰める梢を、満面の笑みを浮かべた柿崎が見詰めている。
「・・・・これ、ホンモノ?」
「本物だよ♪」
「・・・ねえ柿崎さん」
「ん?」
「その顔をぶっ飛ばしてもいいですか?」
「・・・・え、遠慮しとくよ。」
右手をぐっと握りしめた梢から思わず顔を離した。
どことなく目が据わってるように見える梢に、柿崎は内心にんまりする。
「ど〜してお嫁さんのフリをするのに、婚姻届が必要なんですかぁ?!」
「ん〜。リアリティーの追求かな?」
頬杖を着いて満足そうに微笑む柿崎に、おしぼりを投げつけてくる。
呂律が回っていない梢に、酒に弱かったんだろうか?と、柿崎は少し心配になってきた。
「だぁかぁらぁ!なぁ〜んで好きでもない!付き合ってもいない男と、本格的な結婚をしなくちゃいけないんですかぁ!?にちよーびだけでしょー?!おかしいでしょぉ!!?かきざきしゃん!あたま大丈夫でしゅかぁ〜!?」
「お、おいおい深山…ちょっと落ち着こう……な?な?」
「わたしは、常にれーせーですっ!」
むぅ!と唇を尖らせ、その辺にあるものを手当たり次第投げようとする梢を、とりあえず宥めてみたが、その顔は緩みっぱなしだ。
「なあ、深山」
「なぁんですかぁ?その顔殴らせてくれるんれすかぁ〜?」
「・・・いや、それはダメ。俺、営業だし。って、そうじゃなくて」
「んん?」
とろんとした目で見つめ返してくる梢は、めちゃめちゃ可愛いと思った。
そして、独り占めしたいと強く願った。
頑な梢だが、営業部の男子にはそこそこ人気がある。誰にでも靡かないところがいいのだと言う。
思い出して、思わず柿崎の眉間に皺が寄った。
おしぼりトレーを投げようとしていた梢の手をそっと握る。
「・・・・・・・深山」
「・・・かきざきしゃん?」
頬が赤いのは飲酒のせいだと分かっていても、潤んだ瞳で…赤らんだ頬で…小首を傾げて見詰めてくる梢から目が離せなくなった。
もう一度キスしたい!しかし、さすがにそれは思いとどまった。
「深山。俺を好きになれ」
「ん〜?なぁんでぇ〜?」
細い指先は飲酒のせいで暖かく、そして華奢なのに柔らかかった。
柿崎はほわんとした表情で見返してくる梢の指に、そっと唇を押し当てた。
梢は、不思議そうな顔でそれを見ているが、ちゃんと理解できているのかは怪しい。
唇を離し、梢の手を力を込めて握ると、低く抑えた声が梢の耳に滑り込んできた。
「俺は・・・ずっとおまえが好きだったんだよ」
空腹時の飲酒は、回るよね〜。