病院ではお静かに。
ゆっくりと扉を開くと、ベッドの周りを忙しなく看護師が動き回っている。
看護師は、手際よく酸素マスクを外すと口元を拭い、点滴のスピードを調節した。
傍らでそれらの作業を見守っていた医師は、看護師が離れると聴診器を取り出した。
入院着の胸元へ差し込み、心音や呼吸音を聴き、看護師が持ってきた電子カルテをチェックすると、看護師に何やら指示を出している。
二人はドアを開けたまま、呆然とその光景を見守った。
「・・・か、柿崎サン・・・こ、梢は・・・どうなったの?」
「・・・・・・」
柿崎は何も答えず病室へ入って行く。
何も知らされていない本橋は、震える足をどうにか動かして柿崎の後から病室に入った。
二人は部屋の中程で、医師の診察が終わるのを待った。
やがて、医師の診察が終わると、立ち尽くしている柿崎の方に歩み寄ってきた。
「昏睡状態だった理由は、恐らく煙を大量に吸った事に寄るものでしょう。明日は後遺症などの有無を検査します。」
「・・・宜しく・・・お願いします・・・」
柿崎は深々と頭を下げた。本橋も同じく深々と頭を下げると、「あまり長話はしないで下さいね」そう言って、看護師と共に部屋を後にした。
柿崎がゆっくりと横たわる梢に近付く。彼の人は静かに目を閉じている。
「・・・・・梢・・・」
そっと頬に触れると、ぼんやりと瞼が上がり、声の主を捜すようにゆっくりと周囲を見回す。
そして傍らの男を見付けると、ふわりと笑みを浮かべた。
「・・・ゆう・・ろ・・さ・・・」
耳が覚えている声よりも、弱々しく掠れていたが、まぎれもなく梢の声だった。
柿崎は大きな手で嗚咽が漏れそうになる口を覆うと、顔を上げて込み上げそうな涙を堪えた。
もう一度、彼女の口から名を呼んでもらえるなんて・・・
「・・・ゆういちろう・・・さん?」
梢は夢でも見ているような顔で、傍らに立つ柿崎を見上げた。
「・・・あ・・・れ・・・?」
梢は見覚えのない部屋に驚いたように、きょろきょろとし始めた。
「・・・梢?」
本橋が横から顔を覗かせ、状況が掴めずにいる梢に声をかけた。しかし、梢は戸惑ったように周囲を見回している。
「・・・・こ、こ・・・どこ?」
「・・・梢、何言ってんだ?」
本橋は、梢が記憶障害を負っているのではないかと息をのんだ。
「・・・私、アパートにいたはず・・・なのに・・・?」
ああ。と、柿崎も本橋も安堵の息を吐いた。
「アパートの火事で、煙に巻かれて病院に担ぎ込まれたんだよ」
本橋がそう言うと、梢はぼんやりと首を傾げた。
「・・・火事?」
「病院で説明されたろ?」
「・・・・ん?」
ぼんやりと小首を傾げる梢に、柿崎は溜め息をついた。
「・・・適当に返事してたな。」寝惚けている時の梢の悪い癖だ。
そんなやり取りをしているうちに、ぼんやりと記憶が戻ってきた。
あの日、残業が早く終わってアパートに戻ったら、アパートから煙が上がっていた。
貴重品を含む荷物の殆どは柿崎の部屋にある。燃えて困る物はない。そう思いながらも、何気なく胸に手を当てた。
「・・・指輪っ!!」
いつもはフェイクレザーの紐に通して首から下げていたのだが、柿崎の背中を見送ったあの日から、見ると切なくて、ベッドサイドの引き出しにしまったままになっていた。
煙が上がり時折炎が上がるアパートを見上げ、梢は躊躇った。
『もう・・・必要ない・・・』そう思っても、どうしても諦めきれない。
警備と消防の隙をついて部屋に飛び込んだ。
アパートの一階の部屋が火元のようだ。二階までは大丈夫だろうと思ったのだが、ドアを開けると部屋の中は煙で一杯だった。
梢はハンカチを口に当て、以前、会社で受けた消防訓練の通り、姿勢を低くして中に入って行った。
「ゲホッゲホッ」
煙が喉を刺激して呼吸が苦しい。煙が目に滲みて前もよく見えない。それでも必死に奥に進んだ。
ついこの前まで、柿崎と過ごし、引っ越しの準備をしていた部屋は、煙がかなり充満していてものの形がわからないほど霞んでいる。
ゲホッ!ゲホッ!ゴホッ!『・・・はやく・・・見付けなきゃ!』梢は必死に床を這った。
どうにかベッドまでたどり着き、手探りでベッドサイドの引き出しを開ける。
しかし、床に伏せた不自然な体勢と手探りだけでは見付けられず、焦った梢は体を起こして引き出しを漁った。
「ゲホッ!ゲホッ!・・・あ!あった!!」
しかし、紐が何かに引っかかっているらしく、力を入れて引っ張っても取れなかった。
「ゲホッ!ゲホッ!ゲホッ!!」
だんだんと意識が朦朧としてきた。梢は急いでハサミを取り出し紐を切った。
どうにか指輪を掴んだものの、そのまま床に倒れ込んでしまった。煙は既に部屋全体に広がっている。
早くここを出なくちゃ!そう思っても、体が鉛のように重く、もはや体を起こす事すら出来なくなっていた。
ゲホッ!ゲホッ!ゴホッ・・・・
『・・・わたし・・・死ぬの・・・かな?・・・彼に・・・誤解されたまま・・・なんて・・・嫌だなぁ・・・』
手の中の指輪を見詰める目から涙が溢れた・・・ぎゅっと指輪を握りしめたところで意識が途絶えた。
そこまで思い出した梢は、ここが病院だというのは理解できた。そして、柿崎と別れた事も・・・
だから、どうして彼がここにいるのか、聞いていいものかどうか迷った。
『・・・きっと・・・仕方なく・・・だよね・・・?』梢は胸の痛みを噛み締めながら、柿崎の顔を見上げた。涙を堪えるために唇を噛む柿崎の顔は、見上げる梢には怒っているように見えた。
見ていられず、思わず顔を背けてしまった。柿崎はムッと眉を顰めた。
「・・・あの・・・ゆ・・柿崎さん。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」
急に堅い声になった梢の言葉に、柿崎の肩がピクリと震える。
「・・・・・梢?」
「・・・あの・・・私の荷物は、すみませんがもう少し預かって頂けませんか?」
柿崎の顔を見ていられず横に向けたまま、突き放すようにそう言った。
自分は捨てられたのだと、再認識したくはない・・・どうか、このまま帰って・・・梢の想いとは裏腹に、傍らに立つ男から低い声が落ちてきた。
「・・・それは・・・どういう意味だ?」
「・・・あの・・・とりあえず、住むところが決まるまで・・・」
「どういう意味だ?」
ぞくっと背筋が寒くなるほど低い声音。それは、柿崎が本気で怒っている証だ。
「・・・か、柿崎さ・・・」
「どういう意味かと聞いている。」
柿崎の声がひときわ低くなった。梢は顔を背けたまま、布団を握りしめ言葉を探した。
「・・・あ・・・あの・・・だから、もう、大丈夫なので・・・」
「・・・それでは答えになっていない。」
梢の言葉に、柿崎はギリッと奥歯を噛み締め、苛立ったように松葉杖を放り出すと、横たわる梢の肩を掴み、もう片方の手で、乱暴に小さな顔を自分に向けさせた。梢は瞼を閉じて必死に抗った。
「・・・・は、離して・・・」
「俺を見ろ!」
「・・・・や・・・柿ざ・・」
「俺を見ろっ!」声を荒げる柿崎を、本橋が慌てて腕を掴んで止めに入った。
「ちょっ、ちょっと柿崎サン!?落ち着けって!」
「うるさい!お前は黙ってろ!!」
掴まれた腕を振り払い、梢の頬を両手で挟むと、ぐっと顔を近づけた。梢は小刻みに震えながら小さく首を振った。
弱ってしまった両手で逃れようとするも、大きな手の拘束は緩まない。薄く目を開ければ、これまで見た事もないほどの怖い顔。梢は目を反らす事もできず、震えながら見返した。
怖い!そう思う反面、頬に感じる熱い手に心が震え、涙が溢れ出した。
「・・・梢、答えろ。」
「・・・どうして怒るの?・・・だって私たち・・・別れた・・・でしょ・・・?」
ビクッと体を震わせたのは柿崎の方だった。梢が会社で素っ気ない態度だったのは、【自分は捨てられた】との想いからだと柿崎は初めて気が付いた。
己のつまらない嫉妬が、深く彼女を傷付けた・・・柿崎は自分を殴り飛ばしたくなった。
「ーーーー俺は、別れた覚えはないっ!」
「ーーーーぁっ」
いきなり、横たわる梢を抱き起こすように掻き抱いた。小さく驚きの声を上げた梢に構わず強く抱き締める。馴染みのない痩せた背中が切なかった。
だが、密着する梢の胸から心臓の鼓動が伝わって来る。動揺してか、酷く乱れた心音だ。
ーーーー生きてる!柿崎は梢の肩に顔を埋め、嗚咽を堪えた。熱い息が服を通して梢の肌に届く。
「・・・俺が・・・俺がどんな気持ちだったか・・・」
「・・・え?」
「・・・この二週間・・・どれだけ心配したと思ってんだ!」
胸に伝わって来る拍動が嬉しくて、さらに強く抱き締めると、腕の中の梢が弱々しく抗った。
「・・・か・・・かき・・ざ・・き・・さ・・・・苦しっ!」
「・・・あっ・・・すまん・・・」
慌てて腕を緩めると、梢の顔を改めて覗き込んだ。真っ白だった頬が僅かに色を取り戻したように見える。梢は、戸惑いを隠せない表情のまま、たった今聞いた言葉に耳を疑った。
「・・・・二週間?」
梢自身は、ほんの一晩くらいだと思っていたのだ。柿崎は、覆い被さったまま、愛おしげに頬を撫でた。
「そう。あの火事から二週間、梢はずっと昏睡状態だったんだ・・・」
「・・・そんなに・・・」
「・・・・もう・・・目が覚めないかと・・・」
再び梢の肩に顔を埋めると、その時の恐怖が沸き上がり、震えが止まらなかった。
負担をかけないように気遣いながら、その体を抱き締めた。
「・・・梢・・・ごめん・・・ごめんな・・・お前を責める資格なんて・・・ないのに・・・」
そのやせ細った左腕がそっと背中に回される。小刻みに体を震わせながら、柿崎は涙を流した。
「・・・柿崎さん・・・泣いてるの?」
「・・・・・」
声を詰まらせる柿崎に、梢は不思議そうに、やせ細った手で宥めるように大きな背中を撫でた。
「・・・梢・・・」
「・・・・・・柿崎さん?」
梢の問いに、柿崎は涙でぐしゃぐしゃになった顔で「名前で呼べよ!」と文句を言った。
「ちょっと柿崎サン!そろそろ場所代わってよ!!俺も梢の顔見たいんだけど!?」
本橋が痺れを切らして声を上げた。柿崎は完全無視で梢を見詰めている。気のせいか、梢の姿を隠しているようにも見える。本橋は呆れたように両手を腰に当て、盛大な溜め息をついた。
「・・・・・無視かよ。」
「・・・え?啓哉もいるの?」
梢は驚いたように辺りを見回すが「気のせいだ」と、顔を自分の方に戻した。
「ひでぇ!ずっと看病してきたのにぃ!!」
「え?そうなの?え?看病?」
「ご苦労さん、もう帰っていいぞ。」
「おいっ!」
柿崎は頑として梢の側を離れないため、本橋は反対側に回り込むことで、ようやく梢の顔が見れた。
酸素マスクなしの顔を見るのは、本当に久しぶりだ。窶れた頬が痛々しい・・・
「・・・おはよ、梢。ちょい寝過ぎかな?」
「・・・啓哉、いま起きたの?もう、外まっくらよ?」
「お前が寝てたんだよ!」
梢は真面目な顔で天然ボケをかました。その顔を、大きな手が包み込み、自分の方に戻した。
「俺だけ見てろ。」
「柿崎サン、意地悪っすね。ずっとメソメソ泣いてたくせに」
「泣いてない!!」
「泣いてたじゃん!寂しいって言ってさ。今だって、すごい顔じゃん。」
「うるさい!」
二人のやり取りをぼんやり聞いていた梢は、柿崎の顔をじぃっと見詰めた。
「・・・ほんと?」
「・・・・・・・」
柿崎は耳まで真っ赤になって黙り込んだ。梢は重い腕を一生懸命に伸ばしてその頬に触れた。
すこし骨が浮いた手の感触・・・柿崎はその手を大きな手で覆い、自分の頬に押し付けた。
「・・・裕一郎さん・・・ほんとに?」
「・・・ああ・・・本当だよ。寂しくて寂しくて仕方がなかった・・・」
梢は目にいっぱいの涙を浮かべて微笑んだ。
「・・・・うれしい・・・」
「・・・梢・・・」
飼い主に戯れ付く犬のように、梢の顔にキスの雨を降らせた。
「あのさぁ、恥ずかしから、そういうの二人だけの時にしてくんない!?」
「お前が出て行け。それで二人きりになる」
「・・・・・やだね。っていうか、ここ病院だぞ?何考えてんだよ。」
本橋は腕を組み、離れようとしない柿崎にそう言った。しかし、当の柿崎は、体を丸めるように覆い被さったまま返事すらしない。
「おい、柿崎!俺の話し聞いてるか?」
「・・・・・」
「お~~い!」
柿崎はキスの雨を降らすのに大忙しのようだ。本橋は大きな溜め息をつくと、野暮だなと、しばらく二人を放って置く事にした。
しかし、病室に梢の苦し気な吐息が溢れ始めた。官能とは違う、呻きに近い本当に苦しそうな声。
柿崎の情熱全てをぶつけられ、息があがった梢が、意識朦朧とし始めていた。
「おいおいおい!!梢をまた意識不明にする気か!!落ち着け柿崎!!」
「ーーーっ!」
はっと我に返った柿崎は、腕の中でぐったりとした梢に慌てふためいた。
「こ、梢!しっかりしろ!梢!!」
「あ~あ。まったく・・・この節操なしが!」
腕を掴む本橋を恨めしげに睨むが、我を忘れたのは自分なので、しょんぼりと椅子に腰を下ろした。
「梢、梢、大丈夫か?」
本橋が声をかけると、梢はぼんやりと目を開け、こっくりと頷いた。
「・・・お前も災難だな」
「どういう意味だよ!」
「意識が戻ったばっかりの梢に無茶したのはお前だろうがっ!!」
図星を突かれ眉根を寄せる柿崎は、赤い顔で言い返す。
「嬉しいんだから、しょうがないだろう!」
「威張ることか!!少しは自制してみろっ!!そもそも自制って言葉知ってる?」
「うるさい!」
つい大声で二人が言い合いをしていると、ドアが勢いよく開き、大柄な看護師が鬼の形相で入ってきた。
「静かに出来ないなら出てって下さい!!」
二人は同時に振り返ると、看護師の迫力に思わず固まった。
「・・・す・・・すみません・・・」
「・・・気をつけます・・・」
あんたが一番声デカイんじゃ・・・という言葉は辛うじて飲み込んだ。
「いいですね?病院では静かにして下さい」
世にも恐ろしい造り笑顔でそう言うと、看護師はドアを閉めて去って行った。
「び・・・ビックリした・・・」
本橋は、胸に手を当て跳ね回る心臓を押さえた。柿崎は自分自身に呆れたように頭を掻いた。
傍らでは、梢がクスクスと楽しそうに笑っていた。
柿崎も本橋も、梢の笑顔に釣られて笑みを浮かべた。
「・・・・笑うなよ」
「ふふふ、ごめんなさい。でも、二人ともとても仲が良くなって嬉しい」
二人は顔を見合わせると、柿崎はもの凄く嫌な顔をしたが、本橋はにんまりと笑った。
「梢、俺さぁ、柿崎サンにすっかり胃袋掴まれちゃって」
「胃袋?」
「本橋!!気色悪い事言うなっ!!」
二人の会話がよほど面白かったのか、梢は楽しそうに声を上げて笑った。
笑いが収まると、目を潤ませたまま柿崎を見上げた。
「胃袋って手で掴めるの?」
梢は不思議そうに首を捻っている。二人はその天然っぷりに思わず笑い声を上げた。
再び、ガラッ!と勢い良くドアが開いた。
「他の患者さんは寝てる時間なんですが?!」再び大柄な看護師が苦情を言いにきた。
さすがに11時を回っているため、看護師もピリピリしているようだ。
いや、時間が。というより、柿崎と本橋が煩いのだ。
三人はクスッと笑うと、それぞれ声を潜めた。
「・・・じゃあ、そろそろ行くよ」
柿崎が、大きな手で頭を撫でた。
「・・・・・・」
細い指が、追い縋るように柿崎の小指を掴んだ。強く握ったつもりなのに、力が入らず小刻みに震えている。
「・・・梢?」
「・・・・・・帰っちゃうの・・・?」
「・・・う・・・」
うるうるした目で見つめられ、しかも、小指をぎゅっと握られて、柿崎は金縛りにあった。
本橋は溜め息を吐くと、ポケットからタバコを取り出した。
「・・・俺、タバコ吸ってくるわ。」
本橋が出て行くと、ほぼ同時に梢に覆い被さった。何度も口付けを交わし、強く抱き締めた。
消毒の匂いが切ない。何度も唇を吸う。
ようやく顔を上げると、梢はぽろぽろと涙を零していてギョッとした。
「・・・梢、どうした?」
「・・・裕一郎さん・・・私、あなたに捨てられたと思ってた・・・」
胸の奥が罪悪感で締め付けられる。
「・・・ごめんな・・・俺のヤキモチから、梢に酷い事を言って・・・ごめん・・・」
梢は涙を零しながら首を振った。
「違うの・・・私が誤解を招くような事をしたから・・・」
「・・・おまえってやつは・・・」
誤解を招くような事をした方が悪い・・・頑に守り通してきた信念だ。
柿崎は仕方なさそうに笑うと、もう一度キスを落とした。
「名残惜しいけど、行かなきゃな・・・」
「・・・・寂しい・・・行かないで・・・」
「・・・梢・・・」
ビックリするほど素直に甘える梢に、柿崎は余計に離れ難くなってしまった。
唇を重ね、さらに細くなってしまった体を抱き締める。
「~~~~~そんな可愛いこと言うなよぉ!我慢できなくなるだろ!?それとも誘ってんの?」
「さ、誘ってません!」
梢は真っ赤になって反論した。その顔に吹き出すと、ようやく体を起こした。
「じゃあ、また明日」
「・・・絶対・・・来てね?」
「必ず来るよ。おやすみ」
唇を合わせる間も繋がれていた二人の手が、ゆっくりと名残りを惜しむように離れた。
そして、ドアが閉まるまで視線は離さなかった。
見詰めあう。ただそれだけで、胸の奥から暖かな愛しさが沸き上がって来る。
それはきっと、梢も同じだろう。
そう思うと、柿崎は口元が緩むのを押さえる事が出来なかった。
「・・・お前は野獣か?この節操なしめ」
ドアを閉めると、本橋が壁に寄りかかっていた。
「・・・・覗きか?感心しない趣味だなぁ弁護士。」
「覗いてはいないよ。そこまで無神経じゃないから」
「どうだか。」
ふん。と鼻を鳴らす柿崎に、本橋は眉間に皺を寄せて睨んだ。
「病院は静かなんだよ。その意味わかる?」
「・・・・・・さあな。」
柿崎はしれっとそう言うと、松葉杖を持ち直しさっさと廊下を歩いて行った。
二人は病院を出ると、イルミネーションが彩る大通りまで歩いてタクシーを拾った。
「さて、忙しくなるぞ!本橋、手伝えよ?」
「・・・・へ?・・・何するの?」
ニヤリと笑う柿崎と、嫌な予感を覚える本橋を乗せたタクシーは、光の粒を纏う街路樹の下を、滑るように走って行った。
本橋くんの予感は、このあと的中☆
意外に泣き虫な裕一郎くんでした(笑)