愛と嫉妬とプライド
柿崎氏の視点で進んでます。
部屋に戻ると怒りに任せてドアを閉めた。そのままリビングのソファに寝転がる。
天井を見上げ深呼吸しても、沸き上がる嫉妬心が収まらない。
目を閉じれば、今朝の可愛い梢の姿が浮かぶ・・・
ーーーー言い過ぎた。
あんな事を言うつもりはなかったのに。自分の感情が押さえられなかった。
悲しげに涙を浮かべる梢が思い出され、胸が締め付けられる。
さっきの怒りから急速に頭が冷めて来た。
しかし、梢に謝ろうという気持ちには・・・まだなれなかった。
何度か携帯の梢の番号を呼び出すが、本橋にキスをするあの写真が脳裏にちらつき、どうしても通話ボタンを押す事が出来なかった。
諦めてテーブルの上に置いた。お揃いのストラップが虚しく揺れる。
自分の部屋なのに落ち着かない柿崎は、所在無さげに立ち上がると、寝室のドアを開けた。
日当りのいい寝室は、中天にさしかかった日差しが窓辺に留まっている。
日差しの届かないベッドに腰を下ろすと、左手が柔らかなものに触れた。
見れば、それは梢がさっきまで着ていたパジャマだった。ベッドの隅に自分のパジャマと共にきちんと畳んで置いてある。
寝惚けた姿を思い出し、眉間に皺を寄せたまま、口元だけが歪んだ笑みを作った。
・・・梢、泣いてるかな?
一緒にいるようになって、梢はいろんな顔を見せるようになった。
几帳面そうに見えるのに掃除が苦手だったり、お揃いが好きだと頬を染めて笑ってたっけ・・・・
そんな彼女を、自分は醜い嫉妬で傷付けたのだ。今になって後悔が沸き上がる。
だが、やはり戻ろうという気にはならなかった。
いま戻ったとしても、また酷い事を言ってしまいそうだった。
だから、今は頭を冷やした方がいいんだ。そう自分に言い聞かせ、ベッドにごろりと寝転がった。
寒さでぶるっと体が震える。
『・・・梢の部屋にはヒーターがあったから大丈夫ろう・・・』
しかし、着るものの殆どをこの部屋に移している。厚手の服は向こうにはない筈だ。
着ていったあのコートだけ・・・
持って行くべきだろうか・・・いや、そんな事をしたら、まるで帰って来るなと言っているようなものだ。寒ければ取りに来るだろう。
・・・取りに・・・来るだろうか?
来るとしても、今日ではないだろう・・・柿崎は、瞼の上に片腕を乗せてじっと自己嫌悪に落ちて行った。
・・・どうしてあんな事を言ってしまったんだ・・・
枕から仄かに梢の香りがする・・・梢に対する愛しさが込み上げてくる・・・
しかし、それ以上に形容しがたい怒りも込み上げて来る。
選りに選って、本橋とのキス写真をとっておくなんて・・・思わず拳をベッドに叩き付けた。
捨て忘れた?そんなのはデタラメに決まってる!嫉妬の炎は柿崎を飲み込んでいく。
『いま連絡を寄越せば、赦してやれる。』それは、男のちっぽけなプライド・・・情けない。
しかし、いくら待っても梢から連絡が来る事はなかった。
ましてや、荷物を取りに来るということもなかった。
柿崎は、ひょっとしたら、またコーヒー牛乳をヤケ飲みして、一人で苦しんでいるんじゃないだろうかと心配になった。
とりあえず、電話をしてみよう!言い訳なんて何とでもなる。
ベッドサイドの子機を取り上げると梢のナンバーを呼び出し、意を決して通話ボタンを押した。
きっと、いつもの様子で「なんですか?」って言うだろう。
しかし、間もなく柿崎の想いは打ち砕かれることになる。
聞こえて来たのは、呼び出し音でもアナウンスでもなく、誰かと通話中である事を告げる電子音だった。
通話中?・・・・いったい誰と・・・
時間はもうすぐ午後2時というころだ。
謝ろうと思っていた気持ちが、引き潮のように引くのを感じ、苛立たし気に電話を切った。
仄かに梢の香りが残る毛布に包まると、柿崎はいつの間にか眠ってしまった。
ーーー裕一郎さんが好き・・・
梢が笑う・・・
ーーーもう!裕一郎さんってば!
梢が拗ねている・・・
ーーー裕一郎さん
笑顔で腕を広げている・・・
「・・・・・こずえ・・・」
柿崎は自分の声で目が覚めた。腕を伸ばしている自分に気付き辺りを見回すが、ベッドには自分しかいない・・・
「・・・夢・・・か・・・」
はあっと溜め息を吐く。部屋の中はすっかり暗くなっていた。何時だろうとベッドサイドの時計を取り上げた。
「・・・・7時か・・・」
柿崎はもう一度ベッドサイドに腕を伸ばし、子機を取り上げるとリダイヤルボタンを押した。
今度はちゃんと呼び出し音が鳴った。その事にホッとする。
始めになんて言おう・・・頭の中で言うべき台詞を考えながら、梢の声が聞こえるのを待った。
しかし、一向に出る気配がない。
一度切ると、もう一度リダイヤルボタンを押した。
やはり出ない。
『何かあったのか?・・・それとも・・・』
・・・それとも、自分からの着信と知って出ないんだろうか?後者ではない事を密かに願いつつ、電話を切った。
柿崎は落ち着きなく、家の中をうろうろと歩き回った。
リビングのソファに毛布を運び、DVDを再生する。
好きな映画だったはずだが、ちっとも頭に入らない・・・。
柿崎は毛布に包まり、悶々と日曜の朝を迎えた。
梢からの着信はないかと、何度も携帯を開く。しかし、着信もメールも来てはいない。
・・・怒っているだろうか?
自分がつまらないヤキモチを妬いたせいで、梢を傷付けたのだ、やはり自分が謝った方がいい。
昔の写真に嫉妬するなんて、どうかしてた。
写真に写っていたのが知らない男だったなら、これほど苛立ったりしない。相手が本橋だったからだ。
「ーーーくそっ!」
柿崎は上着を掴むと部屋を飛び出した。
梢に会って、ちゃんと話しをしよう。そして、ちゃんと謝ろう!
車を走らせ、梢のアパートに向かった。
もはや、言い訳など考えてはいなかった。ただ、梢の顔を見たい一心でハンドルを握る。
午前4時。アパートの周辺はしんと静まり返っている。
鉄製の階段に松葉杖をつき、出来る限り音を立てないように昇って行く。
梢もまだ眠っているだろう。そう思って合鍵でドアを開けた。
チェーンロックは掛かっていない。いつも掛けるように言っているのだが、今回ばかりはありがたかった。
音を立てないようにドアを閉めると、静かに部屋に入った。
まっすぐにリビングのドアを開ける。やはり室内は暗い。
しかし、柿崎は妙な違和感を感じた。
カーテンが引かれていない?何故だろうと思いつつ、その薄明かりの中でベッドに目を凝らす。
「?!」
柿崎は反射的に明かりを付けた。
そこには、整然と荷物が片付いた部屋が照らし出された。ベッドは使われた形跡がない。
実家に帰ったのかもしれない。一瞬そう思ったが、部屋の様子を見回して胸がざわついた。
部屋の中が片付いている・・・?
昨日まで積み上げられていた段ボール箱は、その中身がきちんと棚に戻されていた。
空いた箱は丁寧に畳まれ、部屋の隅にまとめられている。
引っ越しの準備をしていた昨日までの部屋とは思えなかった。
まるで、引っ越しなんて何もなかったような梢の部屋。
「・・・梢・・・?」
何度も食事をした小さなテーブルも、知らない部屋にいるように、どこかよそよそしい。
傍らにあるゴミ箱には、細かく切り裂かれた写真が捨てられていた。
・・・どんな気持ちで破り捨てたんだろう・・・
崩れるようにその場に座り込む・・・松葉杖がゴトンと床に転がった。
「・・・梢・・・どこに行った・・・?」
柿崎は、ただ呆然と細切れになっている写真を拾い上げた。
テーブルの上に紙切れを広げ、それをジグソーパズルのように組み立てて行った。
本橋が写っている部分をゴミ箱に戻すことは忘れない。
何枚もの写真を組み立て終わると、それらをじっと眺めた。
見た事のないミニスカート姿の梢・・・ふわふわに巻かれた髪・・・
隣にいるのが自分ではないという現実が、これほど腹立たしいものだとはしらなかった・・・
楽しそうに笑っているのは確かに梢なのに、なんだか知らない女のようだ・・・
服装や髪型がそう思わせるのか・・・
柿崎は、ベッドに凭れ掛かり、その写真を眺めて過ごした。
部屋に夕日が入ってくる時間になっても、梢は帰ってこなかった。
携帯に電話をしても、やはり出る気配がない。
役に立たない携帯を床に置いた。それでも柿崎は、梢を待った。
だが、日付が変わるまで待っても、梢は戻ってこなかった。
柿崎は、写真をテーブルに置いたまま部屋を出た。
悶々としたまま月曜の朝を迎えた。
習慣で朝食を作る。皿をテーブルに置いてからハタと我に返った。
・・・二人分・・・何やってんだ・・・俺・・・
柿崎は溜め息を吐くと、一人分の食事を平らげ、梢の分をそのままにして会社に向かった。
のろのろとオフィスに入ると、見慣れた姿が目に入る。
・・・梢・・・
梢は朝からファイルの山を両サイドに積み上げ、ひたすら仕事をこなしていた。
ホッとしたのもつかの間、彼女は一晩中どこにいたんだという疑問が沸き上がって来た。
まさかオフィスで痴話喧嘩をする訳にもいかない。柿崎はそのまま自分のデスクに向かった。
イライラと椅子に座ると、パソコンを立ち上げ午後の会議で使う資料の作成を始めた。
時おり顔を上げて梢の背中を見るが、理解し難い感情が邪魔をして落ち着かない。
本当なら、夕べ一晩どこに、誰といたのかを問い詰めたかった。しかし、それは返って彼女を追いつめるだろうと考え直し、仕事に頭を切り替えキーを打った。
しかし、本橋と一緒だったのだろうか?そんな妄想までがことあるごとに沸き上がり、勝手に嫉妬の炎が再燃する。
柿崎は半分意地になって梢に声をかけなかった。
梢は、柿崎と目を合わせる事もなく黙々と仕事をしている。
動揺すら感じさせない梢の態度は、柿崎をより意固地にさせた。
『梢が話しかけてくるまで、俺は何も言わない』柿崎は、おかしな決意を固めると、午後の会議のためにオフィスを後にした。
そうしている内に、一週間という時間が、あっという間に過ぎていった。
相変わらず梢は自分を見ようともしない。あれから一度も。
・・・梢は、もう俺の事は・・・
意地になっていた自分を見詰め返し、さらに自己嫌悪に沈んだ。
仕事を終え、エレベーターで地下の駐車場に降りると、松葉杖をつきながら車に向かう。
梢は今日も自分を見なかった・・・話す機会はあったのに、目を合わせる事もなく、以前の・・・いや、前よりももっとよそよそしい態度になっている・・・
柿崎は今更ながら意固地になっていた自分を悔やんだ。
・・・もう・・・戻れないんだろうか・・・?
そんな事を考えながら歩いていると、背の高い男が車の前に立っているのに気付いた。
「やあ、柿崎さんご無沙汰」
男は軽く手をかざして業務用の笑顔を浮かべた。
本橋啓哉・・・今もっとも会いたくない人物である。
柿崎は眉根を寄せると、松葉杖に寄りかかるように立ち止まった。
「・・・・・なんか用か?」
ムスッとそう言うと、リモートキーでドアの鍵を開けた。
「なんか、この間より機嫌悪いね?」
本橋は訝しげにそう言うと自分の顎を撫でた。
「・・・お前には関係ない。」
・・・・いや、ある意味、関係大有りなのだが、本橋本人には関係はないし、それを言うつもりもない。
思わず顔を背ける柿崎に、本橋はおや?と眉を上げた。
「柿崎さん、ひょっとして梢と喧嘩した?」
「・・・お前には関係ない!」
「図星かよ。」
本橋は、上質な厚手のコートからタバコを取り出すと、軽く振って飛び出した一本を銜えた。
タバコの箱をポケットに戻し、代わりに使い古されたジッポーを取り出して火をつける。
ふーっと旨そうに煙を吐く本橋を、柿崎は文字通り煙たそうに睨んだ。
「それで、梢は?」
「・・・残業だろ。」
顔を背けたままの柿崎をじっと観察しながら、ふーっと煙を吐く。
「・・・・何があったか知らないけど、あんたにちょっと話たいことがあるんだ」
「お前と話すことなんぞない!」
そう言ってドアを開けると、後部座席にカバンと松葉杖を放って運転席に滑り込む。
本橋はすばやくタバコを消すと、何故か車に乗り込んできた。
「降りろ!」
「まあまあ。俺の話し、聞いといた方がいいぜ?」
本橋はさらにシートベルトをしめて、前方を指差した。
車を出せ。との無言の命令。柿崎はあからさまに舌打ちをした。
「・・・男同士でドライブする趣味はねぇ!」
「俺だってご免だ!だが、俺はお前に忠告しておきたいんだ」
「・・・忠告だと?」
「そう。梢のためにね」
いいから出せよ。と顎をしゃくる本橋に苛立ちながらも、ギアをドライブに入れ走り出した。
男二人を乗せた白いステーションワゴンは、静かに夜の東京を疾走した。