出張−6
「ビデオに映っていた人物は、間違いなく川村冴子でした。」
若い警官のよく通る声は、誰の耳にもハッキリと届いた。踞る冴子の横で、父である川村も青ざめていた。
年配の警官は表情を変える事なく、冴子に向き直った。
「川村冴子さん。もうすこし詳しくお話を聞かないといけないようですね。」
「・・・・は、はなし・・・な、い・・・もん」
警官は、膝を抱えて小さく踞る冴子の前に膝を折った。その顔は厳しい。
「川村さん。貴女が提出した診断書ですが、あれは何方が書いたものですか?」
「・・・え?」冴子は、何を言っているんだろうという顔を警官に向ける。
「今の話を総合すると、貴女は深山 梢さんを、悪意を持って陥れたことになります。そして、警察に対し虚偽の被害届を提出している。それも、診断書までつけて。一体誰がこの診断書を書いたんですか?」
「・・・か、関係ないじゃん・・・」
「ご存じないなら教えましょう。」
冴子は未だ青ざめた顔で、尚も虚勢を張っている。警官は一呼吸おくと、持っていた書類を冴子の前に示した。
「もし、この診断書に偽りがあれば、これを書いた医師は、刑法第160条の【虚偽診断書等作成罪】となり、三年以下の禁錮または三十万円以下の罰金となります。」
「・・・・・・」冴子は声もなく震えている。警官はさらに続けた。
「川村さんを診断した医師が、どれほどの認識でこれを書いたかによりますが、もし警察に提出するものと知って書いたのであれば、その医師は懲役刑になります。」
「・・・ちょうえき・・けい?」
「そう。刑務所に入る事です。」
冴子は呆然と、軽はずみな行為がとんでもない事態を引き起こした事を知った。
川村は、座り込んでいる娘の腕を掴んで立たせると、頬に貼られたカーゼを剥がした。そこには青あざ一つない。怪我も完全に虚偽である事が明らかとなった。
「・・・冴子・・・なんて馬鹿なことを・・・」川村は悲し気に娘を見詰めた。
「それで、貴女が提出した被害届ですが、取り下げますか?それとも、深山さんを訴えますか?」
「・・・・・・取り下げます・・・ごめんなさい」冴子は消え入りそうな声で呟くと、警官は改めて、冴子を虚偽告訴について警察で事情を聞かせて頂きますと、連行して行った。
娘が連れて行かれると、川村は憔悴した表情で梢の前に跪いた。
「か、川村専務・・・」
「深山さん、この度は本当に申し訳ない・・・一人娘だと甘やかし過ぎてしまったようです・・・」
川村はがっくりと肩を落とし、まるで土下座するように頭を下げた。
「せ、専務・・・どうか頭を上げて下さい・・・」
「今後の事を弁護士と相談し、貴女への謝罪は十分にさせていただきます・・・今日のところは、これで失礼します・・・申し訳ありませんでした・・・」
川村は、跪いたまま梢の顔を見上げ、篠山に頭を下げると、肩を落として病室を後にした。
カーペットが敷かれた廊下を川村が大股で歩いていた。
「・・・うん、とりあえずは告訴されないようにしてくれ。・・・うん。弁護士が出てくれば、彼女も告訴はしないだろう。」
川村は病院の廊下を歩きながら携帯で話をしている。院内では電源を切るようにと看護師に注意されると、ジロリと睨んで話を続けた。
エレベーターのボタンを押し、箱が到着する間も、川村は話し込んでいる。
「いや、君が出て話をつけてくれ。あと例のビデオも始末してくれ。それが済んだら、冴子の方を頼むよ。ああ。」
ピッと通話を切ると、到着したエレベーターに乗り込んだ。
「すみません。川村誠司さんでいらっしゃいますか?」
駐車場に停めてある車に乗り込もうとした時、不意に呼び止められた。
振り向くと、白いスーツに身を包んだ女性が無表情で立っていた。
「・・・そうだが、なんだね?」
川村は眉根を寄せて目の前の女を睨んだ。スーツの女性は臆する素振りも見せず「あら、怖いお顔ですわね?」と微笑んでみせた。しかし、目が笑っていない。
「なんだね?私は忙しいんだ!」
川村が車のドアを開け乗り込もうとすると、スーツの女性がそのドアに手をかけて止めた。
「・・・川村さん。貴方、娘の不始末を棚に上げ、深山 梢さんに告訴しないよう脅すつもりですね?」
「・・・な、何を言っとるんだ!失敬じゃないか!」
川村は脅し付けるように大声を出した。しかし、スーツの女は微動だにしない。
「・・・川村さん・・・貴方のお嬢さん、この街では知らない人がいないほどの有名人だそうですね?・・・それも裏の方で」
白いスーツの女性の後ろから、ダークスーツに身を包んだ男が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「な、なんなんだね?!さっきから、失礼じゃないか!」
「・・・あくまで恍けますか?ま、いーでしょ。証拠はこちらの手の内にある。」
「ーーーーーなっ!何の話をしとるんだね!」
「あら?どうかなさいまして?川村さん・・・」
恐ろしいほどの笑みを浮かべている男女を見比べていると、女性のスーツの襟には金バッヂが光っていた。
「・・・べ、弁護士なのか?」
川村は先手を打たれたのだと思ったのか、態度を一変し大手企業の専務顔になる。弁護士の女は片眉をあげてさりげない不快感を示した。
「・・・名刺を頂けますかな?女弁護士さん?」
川村は鋭い目付きで弁護士を見上げるが、当の本人は怯えた素振りも見せず、名刺を差し出した。
「申し遅れました。私、こう言うものです。」女が差し出した名刺を見て、川村は目を見開いた。
「あ、僕もこう言うものです。」ダークスーツの男も名刺を差し出した。
その時、川村の携帯が鳴った。失礼、と、短く告げて電話に出ると、その表情がにわかに曇った。
「なっなんだと!?ビデオが警察に回収された?いつだ。・・・くそ。」
「あら。何か大変な事があったみたいね?」女が聞こえよがしに男に話しかける。
「そーだねぇ。大企業の専務さんだから、いろいろ大変なんだろうね?」と、暢気な会話をしていた。
青ざめた顔で電話を終えた川村は、男女を脅し付けるように睨んだ。
「・・・あんた達、何をした?」
「なにって、証拠の防犯ビデオを、証拠隠滅される前に回収させて頂いただけですよ。」
ダークスーツの男は暢気にそう言った。
「あ・・・あんた達!・・・こんな事をして・・・」
「こんな事とは?私も彼も、別に法に触れるような事はしておりませんよ?」
弁護士は唇をゆるりと持ち上げぎこちなく微笑むと、柔らかな笑顔の男が一枚の紙を広げてみせた。
「これは、ちゃんとした手続きを経て、証拠品を回収したという証明書です。北海道警察はとても快く協力してくれましたよ?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・納得いきました?」男はにっこりと微笑みながら、さりげなく川村を威圧した。
そのとき、川村の携帯がもう一度鳴った。今度は何も言わず電話に出ると、その表情が先ほどよりも険しくなった。
「なっなんだと?!マスコミが?!・・・くそっ!!一体誰が・・・はっ」
川村は、汗を浮かべた顔で背後の男女を振り返った。
「あら・・・どうかなさいまして?」
「顔色が悪いね・・・具合でも悪い?ちょうど病院の前だし、診てもらったら?」
一見すると、にこやかに話をしているように見えた。しかし、実際には川村は【蛇に睨まれた蛙】宜しく冷や汗をかいていた。
「それじゃ・・・【また近いうち】お会いしましょう。」
そういうと、白と黒の男女は踵を返し、病院内へと姿を消した。
残された川村は暫く呆然としていたが、急いで携帯を掴むと、電話の相手をひたすら怒鳴りつけていた。
謎の男女の正体は・・・
そして、冴子パパは、やはり狸のようです。