出張−4
「じゃあ、明日また来ます」
面会時間が過ぎても、梢は柿崎の病室にいた。
痛々しい姿を見ると、離れがたかった。柿崎も同じ気持ちなのか、梢の手を握ったまま離そうとしない。
「~~ここに泊まればいいのに・・・」
「ここは完全看護だから、付き添いは必要ないんです・・・」
「そういうことじゃなくて・・・梢は俺と一緒にいたくないの?」
「・・・いたいけど・・・駄目なものは駄目なの!手を離して?」
「~~~~~ヤダ☆」
「もう!」
柿崎は、梢の手を握ったまま離さず、子供のような駄々をこねていた。
「また明日も来ますから。いまは、いい子にしててくださいね」
梢は、優しく甘やかすようにそう言うと、包帯が巻かれた額に唇を落とした。
「・・・なんか、いつもより優しいな?」
「私は、いつも優しいですけど?」
「・・・たまに怪我をするのもいいもんだな」
途端に梢の顔が曇った。柿崎はしまったと思ったが遅かった。
「・・・そんなこと・・・二度と言わないでっ!!」
梢の目から再び涙が溢れた。柿崎は慌てて梢を引き寄せると、謝りながらキスの雨を降らせた。
「ごめん・・・もう言わないから・・・泣かないで・・・ごめん」
「・・・っ・・・バカ裕一郎!」
「うん・・・ごめん・・・」
梢は彼の患者服にしがみ付き悪態をついた。柿崎は、それをぎゅっと抱き締めた。
「やぁ~っと出てきた。遅いよあんた。」
病院の夜間用出入り口を通って外へ出ると、札幌の空はすっかり暗くなっていた。風もヒヤリとして肌寒い。
思わず首をすくめた梢の腕を、冴子がいきなり掴んだ。
「さ、冴子さん・・・帰ったんじゃ?」
「ねえオバサン!あたしのゆーいちろーと、どーゆー関係?!」
・・・あたしの?梢の頬がひきつった。オバサンと言われた事よりも、そちらの方がカチンと来た。
「・・・私は、彼の妻です」
「はあぁ?ナニソレ?」
冴子は軽蔑するように眉を吊り上げた。
「っざけんじゃねーよ!オバサン!!」
「―――ううっ!」
冴子は、さっき自分が踏んで青アザになっている甲を、今度はブーツの踵で踏みつけた。それも思い切り。
痛みに顔を歪める梢を睨み付け、更に体重をかけた。
「あ・・・う・・・さえ、こさ・・・やめ・・ううっ!」
「ゆーいちろーと別れて。」
「・・・い、いやっ!」
「・・・ムカつく」
「ーーーあああああ!!!」
冴子が更に体重をかけられ、激痛に声を上げた。
「あれ?折れちゃった?オバサンだから骨脆いんだ」
「・・・くっ・・・うぅ・・・」
冴子はケラケラと笑いながら、激痛に顔を歪めて踞る梢の髪をいきなり鷲掴みにした。力任せにグイッと自分の方を向かせる。
「ーーーうっ!」
「ゆーいちろーは、あたしのなの!オバサンはさっさと東京に帰えんなよ。」
「・・・さっきから・・・勝手なことばっかり・・・言わないでよ!」
激痛に額から脂汗が流れ落ちる。梢は髪を掴まれたまま反論した。
「・・・裕一郎さんは、私の夫なの!彼は私のなの!」
「ふん・・・それが何?」
冴子はつまらなそうに鼻で笑うと、若い女の方がいいに決まってんじゃん。髪を掴んだままそう言うと、どす黒く腫れた甲を蹴り付けた。
「きゃあああっ!」
あまりの激痛に声を張り上げると、すぐに頬を叩かれた。
「うるさいよ、オバサン。」
「・・・う・・・うう・・・」
はね除けたい気持ちをどうにか抑え、必死に痛みを堪えた。もし、ここで彼女を振り払えば、状況が悪くなる気がしたのだ。
「おい!何をしてる?!」
梢の声を聞き付けた警備員が駆け付けてきた。
「ヤバ! いい?オバサン。ちゃんとゆーいちろーと別れてね!」
そういい残し走り去った。残された梢は、足を押さえ踞ったまま動けなかった。
「大丈夫ですか?ああ、これは酷い・・・」
警備員は腫れ上がった足を見て驚いた。それが尋常な状況ではないと判断できるほど、梢の足は酷い有様だったのだ。
「すぐに中へ!立てますか?」
「・・・す、すみません・・・」
梢は、警備員に腕を支えられ、救急の診察室へ入った。
レントゲンを撮ると、骨折は免れたようだが、中足骨にヒビが入っていた。
「・・・これは酷いな・・・」
当直医が、腫れ上がった足を見て渋い顔をした。梢は必死に痛みをこらえている。
「・・・だいぶ痛むでしょ?」
「・・・うう・・・はい・・・」
「ここは痛みますか?」
足の裏、土踏まずの辺りを軽く押されただけで、激痛が走った。
「ーーーーっ!!い・・・痛いです・・・」
「あなた、我慢強いですね」
医師は無表情でそういうと、湿布とテーピングで足を固定した。
「手術の必要はないけど、骨がくっつくまで固定しておいてね。暫くは痛むと思うけど」
「・・・は、はい・・・」
鎮痛剤と湿布を処方され、梢は足を引きずって診察室を出た。
帰り際、急に柿崎の顔が見たくなった。
ズキズキと痛む足を引きずり、やっとの思いで部屋にたどり着くと、暗い病室の中で彼は既に眠っていた。
静かな寝顔を見て、なんだかホッとした。
梢は、包帯が巻かれた額に口付けると、そっと部屋を後にした。
その夜、痛めつけられた足は鎮痛剤が効かず、梢は一晩中痛みに苦しめられた。
翌朝、梢がなかなか現れず、柿崎がやきもきしていると冴子がやって来た。
右頬には大きなガーゼが貼られ、腕や足にも包帯が巻かれている。
「冴子さん、その怪我はどうしたんですか?」
「・・・昨日、ここに来てた女の人にやられたの。」
「・・・彼女が貴女に暴力を?」
柿崎は、まさか。と、冴子の言葉を鵜呑みにはしなかった。
「彼女はそんな人ではありません。一体、なんでそんなことに?」
「分かんないよぉ!病院の外にいたら、いきなり襲って来たの!冴子すごく怖かったんだよぉ!」
大げさな身振りで駆け寄ると、横たわる柿崎にすり寄った。
「・・・・・襲って・・・きた?」
「警備員さんが、冴子の悲鳴を聞いて飛び出して来てくんなかったら、もっと酷い怪我してたかも!あの人、それを見て逃げてったんだよ!酷いよね!!」
「・・・・・・・・・」
何があったんだ?柿崎はすぐにでも梢の元に駆けつけたかった。しかし動けない今の状況は酷く恨めしい。
少なくとも、梢が人を殴るような人間でない事は、自分が一番よくわかっている。冴子の言葉は、真実とは真逆な気がした。
『梢・・・早くこい・・・』柿崎は、朝日が差し込む窓の外に目を移した。
酷く慌てた篠山が、息せき切って駆け込んで来た。
「か、か、柿崎!み、み、深山くんが大変なんだ!!」
「・・・課長?彼女がどうしたんですか?」
真っ青な顔で飛び込んできた篠山の様子はただ事ではない。柿崎は冴子をどかして体を起こした。
「い、いま、ホテルに警察官が来て、深山くんに話を聞きたいって!」
「・・・警官が?」
ベッドに腰を下ろした冴子は、得意げに足を組んだ。
「あたしぃ、さっき、ケーサツに被害届出して来たの♪」
「・・・・・被害届?」
「あの人今ごろ、逮捕されちゃってるかもね♪」
柿崎は眉を潜めた。随分と手際がいいな・・・。柿崎は、嵌められたな?と考えた。もし、警察に掴まっているとしたら・・・柿崎が次の手を考えていると、足を引きずりながら梢が入って来た。
「ーーー梢!お前、足、どうしたんだ!?」
梢の様子を見た柿崎は、冴子を押し退け身を乗り出した。当の梢は、冴子の顔を見て驚いていた。
「・・・冴子さん、その怪我どうされたんですか?」
冴子は、まさか警察と入れ違いになると思っていなかったのか、酷く焦っていた。
「じ、自分でやっといて何言ってんのよ!」
「・・・私が何をしたというんですか?」
「と、とぼけないでよ!」
昨日、彼女を突き飛ばしたりしなかったのが、正しい判断だったと梢は理解した。
篠山は何がなんだか分からず、ただオロオロと二人を見比べる。
ドアの向こうに、制服を着た警察官が二人やってくるのが見えた。冴子は勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
「深山 梢さんですね?貴女に川村冴子さんから、暴行に関する被害届が出ているんですが。お話を聞かせてもらえますか?」
「・・・被害届?」
梢は唖然として背後の警官を見上げ、冴子を除くその場の誰もが、最悪の事態を想像した。
梢ちゃん、受難だ。