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嫁ですがなにか?!  作者: 暁
20/40

出張−1

翌朝です。



「俺、明日から出張なんだ。」


梢の部屋の小さなテーブルで朝食を取りながら柿崎が唐突に告げた。


梢は息を吹きかけていたマグカップから顔を上げ、小さなテーブルの向かいに座る男に視線を向けた。

テーブルを挟んで座る大柄な男は、ピシッとアイロンがかかったYシャツを着て、大きな手に合わない小さなマグカップでコーヒーを飲んでいた。


「ずいぶん急ですね?」


改めて紅茶に口を付けながら言う。問われた男はカップをテーブルに置いて、慎重に取っ手から太い指を抜いた。


「いや、前から予定されてたんだ」


そう言いながら、柿崎は新聞を開いた。梢は火傷しないように紅茶に息を吹きかける。

前から予定されていたのに、どうして今言うんだろう?そう思いながらもう一口飲んだ。


「出張って、どこに行くんですか?」

「札幌。」バサッと音を立てて新聞を捲る。事件記事、国会、スポーツ欄は斜め読みで済ませ、株価と経済欄はじっくりと目を通した。

ポットに残ったコーヒーを注ぎ切ると、梢は食べ終わった食器を重ねてトレイに乗せ、台拭きでテーブルを拭った。


「何日くらいですか?」

「ん~~~三日か・・・もうちょっとかかるかな?」


注がれたコーヒーを飲みながら、目は新聞の記事を追っている。


「・・・・・へぇ」


思わず曖昧な返事を返す梢に、柿崎は新聞を畳んでテーブルに置き、腕を伸ばして梢の頭を撫でた。


「そんなに寂しいなら、一緒に行くか?」

「行きません。」

「即答か!」


相変わらず即答で答える梢に、柿崎は思わず笑ってしまった。グイッと残りのコーヒーを飲み干すと、トレイを取り上げて立ち上がった。


「あ!私がやりますから、柿崎さんは支度をして下さい」

「支度しないといけないのは梢のほうだろ?」

「い、いえ、私ももう終わってますから」

「じゃ、梢は食器を拭いてくれ」

「・・・・・」


狭いキッチンに二人並ぶとさらに狭い。柿崎は意外なほど家事が好きらしく、今日の朝食も柿崎が作ったのだ。

朝も早い柿崎は、朝食だけでなく弁当も作っていた。またもや彼に起こされた梢は『・・・あんまり寝てない筈なのに、どこにそんな体力が残ってるの?』と、何とも複雑な心境だ。


食器を棚に戻していると、柿崎は手早くネクタイを絞め、上着とカバンを取り上げた。

玄関で靴を履く柿崎をみて、梢は手を伸ばした。


「あ、柿崎さん、ちょっと待って下さい・・・ネクタイが曲がってます!もう、いつもはきちんとしてるのに・・・」


少々小言を言いながらも、玄関でネクタイを直してあげるなんて、まるで新婚さんのようだ、と、梢の頬が赤らんだ。


よもや、梢が気付くように、わざと雑に絞めていたなど、彼女は知る由もない。


柿崎は梢にお世話されてご満悦だ。


「お、バッチリじゃん!ありがとな。じゃ、会社で♪遅れるなよ」


そう言って、まだ紅を引いていない梢の唇にキスを落とすと、部屋を出て行った。

閉じられたドアを、梢はフリーズしたまま眺めていた。







オフィスに入ると、高橋が他の男性社員から仕事を教わっているのが目に入った。いつもは遅刻ギリギリで出社する高椅には、実に珍しい事だ。


しかし、梢の足が思わず止まってしまった。昨日からまだ数時間しか経っていないのだ、怯えるなという方が無理である。梢は小さく深呼吸すると自分のデスクへ向かった。


「おはようございます」何事も無かったように挨拶をする梢だが、声が上擦ってしまった。

梢と同期の植村が高椅と共に、ファイルから顔を上げて同時に振り返った。


「おはよう、深山。」

「おはようございます・・・みやま・・さん」

「・・・・・」


高橋は人が変わったように大人しかった。

梢に対してきちんと名字で呼び、彼なりに礼儀をわきまえているようにみえる。


「深山。今日からコイツの指導は俺がすることになったから」


高橋にファイルの見方や、データ入力などを教えていた植村が言った。


「そうですか。宜しくお願いします。」

「・・・ずいぶん、あっさりしてるな?」

「いえ、植村くんは優秀なので、高橋くんも早く仕事を覚えるでしょう」


梢は、深く理由を聞く事なく返事を返すと席に着いた。普通なら、指導の途中で交代と言われれば、自分に非があると言われているようなものである。しかし、梢の場合は事情が違う。


正直ありがたかった。あんな目にあって、次の日に普通の顔で接しろというのは、さすがの梢でも無理に思えた。彼の担当から外してもらえないか、課長に聞こうと思っていたのだ。

だから、こんなにもスムーズに後任が決まったのは、本当に喜ばしい。その背景には、きっと柿崎が何か手を回してくれたのだろうと梢にも予想がついた。


一体、あの後何があったんだろう?梢はすこし気になったが、その事について柿崎にあえて訪ねる事はしなかった。まあ、それはそれでいいか。と梢はさっさと頭を切り替えた。


『柿崎さんにまた一つ借りができちゃったな・・・』梢は小さく溜め息をつくと、パソコンを立ち上げた。






柿崎は、資料のファイルを幾つか広げ、パソコンで作業をしていた。

チラリと梢の背中に視線を送ると、その隣で背中を丸める高橋の背中を睨んだ。隣に座っているのすら腹立だしい!『・・・席替えも要求するべきだった。』柿崎は小さく舌打ちする。




出張は先週から予定が決まっていた。それも、内容次第では時間も掛かるだろう。

高橋は依然として梢にちょっかいを出していたし、そんな状況で、梢を残して行くのは酷く不安だった。

自分が傍にいなくては、いざというとき助けてやれない。


それほど、高橋の梢に対する態度も、見るに耐えない程エスカレートしていたのだ。

しかし、梢に全てを話せば、返って不安にさせるだけだったろう。


だからこそ、出張に行く事をギリギリまで言えなかったのだ。




まさか、高橋がこんなにも早く尻尾を出してくれるとは、柿崎は思いもしなかった。


夕べ、梢が会議室で押し倒された姿を思い出すと、猛烈な怒りが沸き上がる。もし自分の出張中だったら梢は・・・それ以上は考えるのも嫌だった。だから、自分の手で決着を付ける事ができたのは、まさに幸運だったと言える。


彼女があんなにも怖い思いをしたのは誤算だった。本当なら、梢の知らないところでケリを付けたかったのだ。あの後、体の震えがなかなか止まらなかった梢を思い出すと、自分の腕の中から出したくないという思いが一層強くなった。



しかし、梢の事だから、いまは仕事に打ち込みたいと言うに決まっている。柿崎は溜め息をついた。


あれこれ手は打っておいた、高椅も当分は悪さは出来まい。と、パソコンの前で資料と格闘している高橋の背中を一瞥してオフィスを後にした。









2時間後、会議を終えオフィスに戻った柿崎が、課長と出張先のクライアントについて話をしていると、それを聞きつけた数人の女子社員が、わらわらと柿崎を取り囲んだ。中には柿崎の腕に馴れ馴れしくしがみつく女子もいる。


パソコンの画面に目を凝らせば背後の様子がうかがえる。我知らず梢の唇がへの字に歪んだ。


「柿崎さん!北海道のお土産わすれないでくださいね!」

「私も一緒に行きたかったですー!」柿崎の腕にしがみつく姿は、梢をさらに苛立たせる。


「俺は遊びに行くわけじゃないぞ?」

「分かってますよー!でもぉ!」

「はいはい。分かりましたよ」


柿崎は、まとわりつく女子社員を適当にあしらうと、課長に申請書類のいくつかを提出した。


「柿崎!土産は経費では落ちんぞ!」

「課長・・・野暮は言いっこなしですよ?」

「バカモン!」今時、波平さんしか言わないような台詞を吐く課長に、梢以外の全員から笑いが起こった。


『・・・何が面白いのかしら?』梢の口はさらにへの字に歪む。

なんだかんだ言っても、彼は必ず土産を買ってきた。それも、ちゃんと全員に行き渡るようにだ。

梢もそのお裾分けを貰っているので、それが結構気の利いた品であることも知っていた。マスコミで話題に上がっている物だったり、限定品だったりと、女子の心をくすぐるのに十分だ。



梢は、女子に囲まれる柿崎を無視し、黙々とデータを打ち込んだ。キーを叩く指が心なしか荒い。

『なによ。あんなに鼻の下伸ばしちゃってさっ。やっぱ、スケベオヤジじゃん!』妙にイライラしながら仕事をする梢は、何度も打ち込みミスをしてはやり直していた。その行為は、柿崎がオフィスを出て行くまで続いた。


それが嫉妬だなど、彼女は絶対に認めないだろう。


「・・・深山さん、顔、怖いですよ?」

「え。」


隣に座って仕事をしていた高橋が、ぼそっとそう言った。梢が振り向くと、高椅がファイルを見るフリをしながらニヤリと笑った。梢は小さく溜め息を着くと、再び仕事に集中した。


しかし、苛立つ梢は、一つのファイルを仕上げるのに、ずいぶんと時間が掛かってしまった。







午前の喧噪が一段落し、梢は真弓と一緒に外へ向かった。

いつもはコンビニ弁当か社員食堂の日替わりランチなのに、真弓は珍しく弁当を持っている。


「真弓がお弁当なんて珍しいね」

「それがさぁ、体重が尋常じゃないのよ!」真弓がそう言いながら、下腹の辺りを撫でた。

「そうかな?」梢は、真弓の腹を見るが、彼女が言うほど肥っては見えない・・・

「・・・中身の問題よ。このままじゃ、次の健康診断で絶対に引っかかるわ・・・」


残念そうにそう言うと、真弓が弁当の蓋を開けた。

中身は、茹でたブロッコリーと人参、唯一のタンパク源がゆで卵だけでご飯も入っていない。

弁当箱の中身の方が、よほど減量に成功しているようだ。


「・・・これじゃ体壊すよ?」

「大丈夫!ここにたっぷり蓄えがあるから!」そう笑って下腹を叩いてみせた。


ラクダじゃないんだから・・・そう思いつつ、味の付いていない温野菜を、一口ずつしっかり租借し始める真弓を眺めた。なんとも健気な彼女をみて、自分も蓋を開けーーーー即、閉めた。



そういえば、今朝も柿崎が弁当を詰めていた・・・梢はしくじったと思ったが、既に遅い・・・。



ご飯の上に、またしても暑苦しいメッセージがデコレーションされている。

【コズエLOVE】しかも、今回はハムと薄焼き卵が大小様々なハートにくり抜かれ、散りばめられていた。

おかずも、揚げて甘辛いタレに絡めた鶏肉と、ピーマンと卵の味噌炒め、出汁巻き卵にサラダという、凝ったメニューが詰まっていた。


あの短時間にコレだけの物を?感心しつつ、ご飯の上の暑苦しいメッセージに、食べる前から胸焼けする気分だった。


どうやって食べよう・・・梢は悩んだ。この間のように、真弓と向かい合っているのなら誤摩化せたのだが、今日は右隣に座っている。ガードが難しいと考えていると、不意に弁当箱の蓋を取り上げられた。


「あ!」

「う、わっ!梢?!何そのお弁当!!?」

「え、あ、あの・・・こ、これは・・・」


固まった梢を訝しんだ真弓が、以前も同じような反応をしていたのを思い出し、蓋を開けたのだ。

そのあまりにも古典的なメッセージに、真弓はどん引き状態だ。


見られたくなかった・・・猛烈に恥ずかしい・・・。梢は耳まで赤くなって俯いた。そんな梢と弁当箱を見比べた真弓は、何か合点がいったように瞬きした。


「・・・ひょっとして、梢、彼氏できた?」

「あ・・・えっと・・・・こ、これは、い、イトコが・・・悪戯を・・」

「イトコぉ?・・・あんた、そんな嘘がバレないと思ってるの?」

「う・・・うそ・・・なんて・・・」


視線を彷徨わせ、どもる梢に真弓がにやりと笑った。これは間違いなく男だな!!と真弓は目を輝かせる。


真弓がいくら合コンに誘っても、残業を理由に一度も参加した事がない梢は、入社以来、浮いた噂のない唯一の女子社員なのだ。そんな梢にもついに春が!?真弓は自分のことのようにウキウキし始めた。


「ね、誰?誰?会社の人?」

「・・・だから・・・彼氏なんて・・・」

「あんたが言いたがらないってことは、私の知ってる人ね?」

「・・・・・・・・」


真弓には絶対あの人だというアテがあった。なんとか口を割らせたい!真弓は人参を噛み噛み梢を凝視する。


『・・・まいったなぁ・・・』梢はなんとか言い逃れる台詞を探しながら弁当を啄む。

誰が恋人かは秘密にしておきたかった。アレやコレやと詮索されるのも嫌だったし。しかし、隣で目を輝かせる彼女はそう簡単に誤摩化されてはくれないだろう・・・。


「正直に言いなさい!梢!」

「・・・・・」梢は文字の部分を一口で頬張ると、もぐもぐしながら沈黙を守った。


その様子に、真弓はへこたれるどころか、ますます燃えた。


「・・・頑固ね・・・でもいいわ♪だいたい検討が付いてるから」

「・・・検討?」恐る恐る真弓を見ると、得意げな顔で梢の鼻先に指を突きつけた。


「ズバリ!新人の高橋クンでしょ!?当たったでしょ?!」

「・・・はぁ・・・全然違うよ・・・。」


梢はホッと胸を撫で下ろした。寄りに寄って高橋だなんて・・・梢は眉間に皺を寄せて鶏肉を口に運んだ。

鶏肉は柔らかく、甘辛いタレが絶妙に旨い。梢は味わうようにゆっくりと租借する。


「えー。違うの?」

「全然違います!だいたい、なんで高橋くんなのよぉ?!」


梢は不機嫌そうに、卵と絡んだピーマンを口に運んだ。みそ味が絶妙に美味しくて、つい頬が緩んでしまう。どのおかずもご飯にピッタリだった。


真弓には、梢が余裕たっぷりに見えた。しかし、梢はただ単に、美味しいお弁当に舌鼓を打っているだけなのだ。真弓は不本意そうに眉を歪めた。


「だって、梢ずっと高橋くんの指導してたじゃない?高橋くんも梢のこと好きっぽかったし、そこで恋が芽生えたのかな?って思うじゃん!」

「思わないし。高橋くんはただの後輩。それ以上でもそれ以下でもありません。」梢はサラダを口に運んだ。


真弓は次の候補を考え始めた。梢は構わず弁当を平らげるとポーチにしまい、小さな水筒の蓋を開け、ちょうどいい温度の紅茶を飲んだ。


「う~ん・・・誰だろう?・・・植村・・・は、結婚してるからあり得ないか。ん~~柿崎さんは・・・もっとあり得ないか。」


一瞬ドキリと肩が震えたが、他に思い浮かぶ相手がいないのか、悔しそうに箸を握りしめている真弓は、その決定的な瞬間を見逃した。


「もう!降参!!」真弓はそう言って両手を上げた。「お願いだから教えてよー!」


食い下がる真弓を尻目に、梢は悠々と紅茶を啜ると「絶対に教えませんっ。」と宣言した。


やはり、柿崎と梢は、周囲からは付き合っているという風には見えないようだった。

梢には都合がいいので特に気にはならない。


尚も食い下がる真弓を振り切った梢は、足早に屋内へと入って行った。





昼休みが終わり、オフィスに戻る途中に携帯が振動した。相手は柿崎である。

真弓がいない事を確認してメールをチェックした。


『今夜も部屋に行く。残業は他のヤツに任せて家にいろ!ーーform:K』


メールでも俺様な柿崎に、梢は口元が緩みそうになるのを、どうにか堪えオフィスの自分の席に戻った。

仕事にかかる前、デスクの下で素早く『善処します』そう返信した。




梢の背後でメールを見た柿崎は、梢の背中を見詰めてからオフィスを出て行った。






夜、梢の部屋で数時間一緒に過ごした柿崎は、眠っている梢の唇にキスを落とし、【毎晩 連絡する。残業は程々にしろよ。】と書かれたメモをテーブルに置いて、静かに部屋を出て行った。






翌朝、柿崎は梢と顔を合わせる暇もなく、三人のメンバーを引き連れて北海道へ向けて飛び立っていった。








しかしその夜、いくら待っても、梢の携帯が鳴る事はなかった。





梢ちゃん、初のヤキモチです(笑)

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