仮初めの・・・。
宴会が和やかにお開きになった。
男達は部屋で飲み直そうということに決まったらしく、ビールやらつまみやらを買いに行くと言って売店に向かった。
梢達は、それぞれに与えられた部屋へ戻るため、エレベーターを待った。
仲良くなった美枝子たちと談笑していると、何かが梢のスカートの裾を引っ張った。
見ると、樹理亜が大きな目で見上げていた。
「樹理亜ちゃん、どうしたの?抱っこ?」
屈んで視線を合わせると、樹理亜は嬉しそうに両手を広げ、無言で抱っこを要求した。
少々重みがある小さな体を抱き上げると、樹理亜は嬉しそうにしがみついてくる。
柔らかい頬の感触がとても愛おしくて、思わず抱き締めてしまった。樹理亜も嬉し気な笑い声をあげる。
「あら、珍しい!この子すごい人見知りでさ、初めて会う人には頭も撫でらせないんだよ!?」
「じゅいあ、こじゅえちゃんと おふおはいうー!」
「あらま!お風呂もはいるの?!梢ちゃん、どうかな?」
「え?私は構いませんよ?樹理亜ちゃん一緒に入ろうね」
「うん!じゅいあが、こじゅえちゃんのしぇなかああってあえうー!」
「・・・ん?」幼児語に付いて行けず、しばし大きな目を覗き込むと、美奈子が豪快に笑った。
「通訳するよ!樹理亜が梢ちゃんの背中を洗ってあげるー!って言ったの!」
その会話に、いつの間に戻ってきたのか、聞き覚えのある低い声が割り込んできた。
「・・・梢の背中は俺が流す!いや、全身洗ってやる!ちびっ子はひっこんでろ。」
「おいちゃんはらめっ!」(訳/おじちゃんは駄目!)
「おにーさんだろぅ!?」
小さい樹理亜は梢にしがみついたまま、むむぅとしかめ面で顔を寄せる柿崎に舌を出してみせた。どうも、こちらも気が合うようだ。
「梢の体は俺が洗う!」
「らめー!」(訳/だめー!)
「梢も、俺の方がいいよな!?」
「嫌です。」
「なんでだよー!?」
すかさずきっぱりと言い切ると、樹理亜を抱いたまま美奈子たちと、到着したエレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まる寸前に見せた柿崎の顔に、姉妹が再び爆笑することになった。
「ホント、裕にぃは梢ちゃんにべた惚れなんだね~!」
「あ~~こんなに笑ったの久しぶり!目尻に皺が出来ちゃうよぉ!」
「・・・・・・・・・」
梢の心情など知らない二人は一頻り笑い、目的の階に到着する頃には笑いの発作は収まり、大浴場で待ち合わせることを確認し、それぞれの部屋へと入って行った。
イトコ達と別れ、部屋に入ろうとドアノブを掴んだ梢は、がっかりと肩を落とした。
『・・・カギ・・・忘れた。』仕方なくドアの前で柿崎が来るのを待つことにした。
細く切られた窓の外を眺める・・・
すっかり暗くなった景色は、窓に近付かなければよく見えない。梢は凭れ掛かる様に外を眺めた。
濃い藍色に染まった景色は、微かに空と大地を分ける山の稜線を浮かび上がらせている。
そんな中にあっても尚、旅館の明かりは暖かそうに灯っている。
『・・・私・・・何やってんだろ・・・』梢が溜め息をつくと、窓は白く曇り景色が滲んだ。
どのくらいそうしていたのか、廊下から聞き覚えのある男達の声が響いてきた。
角を曲がったところでドアの前で立っている梢を見付けた柿崎は、満面に笑顔を浮かべ小走りで駆け寄って来た。
「なぁ〜に?やっぱり俺と入りたい?」
「絶対に嫌です!」
「なんでよ?!ふ〜ふじゃん!?」
「~~~いいから!早くカギを開けて下さい!」
「・・・はいはい。」
背後の笑い声を気にすることもなく、柿崎がカギを開けると、扉を大きく開き、ホスト宜しくわざとらしい仕草で梢を中に通した。
「どうぞ、奥様。」
「・・・・あ、ありがとう」
浴衣と着替えと洗面用具を取るだけだと中に入った梢は、襖を開けて思わず立ちすくんだ。
わなわなと震えながら立ちすくむ様子は、まるで空き巣にでも入られたかのよう・・・
「・・・梢?!どうした?」
その後ろ姿を見て、柿崎は何事かと急いで肩越しに部屋を覗き込んだ。
特に異変はない。
強いて云えば、大きな座卓が隅に寄せられ、布団が二組並んで敷いてあることくらいか。
『・・・なるほど。』柿崎は思わず半目になった。
梢は未だフルフルと体を震わせている。
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
「・・・なにに驚いてんの?荷物が寄せてあること?・・・それとも、布団が二組敷いてあること?」
「・・・・・・・」
「俺としては、一つの布団に一緒に寝るってのが理想なんだけど、まあ、これはこれで・・・」
にやりとする柿崎を他所に、梢は言葉が出てこず、複雑な顔色で硬直していた。
「言っとくけど、別の部屋は取らせないからな。」
「・・・・・そこを・・・なんとか・・・」
「駄目。」
「・・・・・・お、お願い。」
「観念しろ。」
「・・・・・・む・・・無理。」
梢は素早く浴衣と着替えが入ったボストンバッグを掴むと部屋を出ようとした。しかし、戸口に立つ柿崎の大きな体が、それ以上進むことを困難にした。
「・・・と、通して下さい。」
「梢細っこいから、これくらい通れるだろ?」
「・・・通れないから言ってるんです。」
冗談めかした柿崎の口調に、怒りよりも焦りの方が大きかった。だが、いつまでもこうしているわけにも行かない。梢は思い切って柿崎の横を通って部屋を出ようとした。
その僅かなすき間を通る前に、梢の体は乱暴に柿崎の胸に抱き寄せられた。
「ーーやっ!」
「・・・風呂に行くだけで、そんなに荷物はいらないだろう?・・・置いてけよ。」
低く抑えた声が、とても怖かった・・・
「・・・み、美枝子さんの部屋に泊めてもらいます!」
「・・・なんで?」
「なんでって・・・だ、だって・・・」
「夫婦なのに、別の部屋に泊まるなんて変だろう?」
「け・・・喧嘩したって事にします!」
「却下。」
梢は黙り込み次の言い訳を考え込んで、そのまま俯いてしまった。
彼女が何を云わんとしているのか、柿崎にはもちろん分かっている。
だが、彼にも譲れない想いがあるのだ。
「・・・い、一緒の部屋で・・・ていうのは・・・その・・やっぱり・・・あの・・・」
身じろぎながら必死に言い訳をしてみるが、腕は緩むことなく細い背中を抱き締める。
よく見えない彼女の顔を、柿崎は首を傾げるように伺う。が、はやりその表情までは伺えない。
「言っとくけど、同じ部屋でっていうなら、この前も寝たじゃん。忘れちゃったの?」
俺には長い夜だったのに・・・と、覚えていないことを言われ、梢は意味もなく頬を赤らめた。
何をしたのか、何を言ったのかすら良く覚えていないので、その話を持ち出されると居心地が悪い。
「あ・・・あの時は・・・その・・・し、仕方なく・・・」
熱い腕に捕われ、梢は顔が上げられないまま、何もない部屋の隅に視線を落としている。
この前は何事もなく過ぎたが、今日も何もないとは言い切れない。
何もしないと約束して!そう言いたいのだが、返って誘っているように聞こえるのではないかと躊躇っていた。
「・・・梢、こっち向け。」
「い、嫌です。」
梢は首を振る。男はすこし眉根を寄せ、抱いていた体を少しだけ離して顔を伺うと口調を強めた。
「梢。いいからこっち向け!」
「・・・・・やだ。」
柿崎の方を見るのが怖かった。これ以上流されるのが嫌でひたすら首を横に振る。
ふ~っと髪に吐息がかかるのが分かった。だが梢は言葉を発することもできず、俯いたまま部屋の隅を見詰める。
背中には柿崎の腕が回っているし、梢の両手は荷物で塞がっている・・・逃げるに逃げれない状況を何とかしなくてはと焦る梢。妙な沈黙が部屋に満ちた。
上から見下ろす柿崎には、梢のつむじはよく見えても、その顔は見えない。
上を向かせればいいのだが、彼女の意思で自分を見てほしかった。
「・・・梢・・・俺を、見て?」
「・・・い・・いや・・・」
「・・・・・・・そっか。」
梢の肩が震える。その気配に、柿崎の顔が僅かに曇るが、俯く梢には見えなかった。
背中に回っていた手が弛み、あっさりと解放されたと思うと、肩をトンっと押された。
何事かと顔を上げると、そこには形容しがたい表情の柿崎がいた。
立ちすくむ梢を押しのけ、部屋の奥に置いていた自分のバッグを開くと、やおら上着を脱ぎ始めた。シャツ越しに筋肉が薄く浮き上がっているのが分かる。梢は頬が熱くなるのが分かった。
「わわわ!!何いきなり脱いでるんですか!!」
「・・・着替えるんだよ。見たいのか?」
「い、いえ。」
「・・・・なら・・・・・・さっさと行けよ。」
言い捨てるように背を向けると、シャツを脱ぎ始めた。
梢は複雑な顔で後退ると、踵を返して部屋を出て行った。
脱いだシャツをカバンの上に放り、誰もいなくなった部屋で佇む男は、唇を噛み締め俯いた。
少し修正しました。