花は手折らず愛でるもの。
「私が彼の妻なんです」
そう宣言した梢に、登紀子の冷ややかな視線が突き刺さる。
裕一郎は、二人の間に火花が見えた気がした。
「あなた・・・子供が出来てるってことはないんでしょうね?」
「母さん!いい加減にーーっ」
「・・・裕一郎さん、いいんです。」
口が過ぎる母を咎めようとした裕一郎に、梢は静かに振り向いてそれを征した。
梢の手は、さっき指輪を交換した時の温度が消えてしまったように、ひどく冷たかった。
「どうなの?妊娠してるの?」
仮にも夫婦を名乗っている息子の嫁が、妊娠していたらどうだと言うのか。
親の意に添わぬ嫁の子は、中絶しろとでも言う気なのだろうか?
梢は、心が抉られるのを感じていた。
それでも、登紀子を見る目は力を失っていなかった。
「妊娠はしていません」
「そう。それならまだ間に合うわね」
「・・・・それはどういう意味ですか?」
二人の静かな会話に、裕一郎は入り込めずただ梢の冷たい手を握っていた。
登紀子は、口の端を僅かに上げ、皮肉そうに笑った。
「・・・それは・・・貴女も大人ですもの、言わなくてもわかるでしょう?」
梢は眉一つ動かさず、登紀子を見据える。
「分かりかねます。ハッキリと仰って下さい。」
「・・・そんなこと私の口から言ったら、さすがに真さんに叱られそうだから止めておくわ。」
なら最初からこんな話をしなくても・・・。そう裕一郎が思っていると、父が穏やかな目で裕一郎を見て頷いた。
ーー黙っていろと。
「さて、話はもう終わりよ。」
「・・・そうですか」
裕一郎の大きな手から自分の手を引き抜くと、畳にその両手をつき深く頭を下げた。
「・・・失礼します」
「・・・梢・・・」
裕一郎は、言葉がなにも思いつかなかった。
ただ、頭を下げている梢が痛々しくて堪らなかった。
「裕一郎さん、私先に部屋へ戻ってます。」
「・・・梢、待っ・・・」
「裕一郎、貴方にも話があります。」
登紀子の言葉に裕一郎が動きを止め、梢が透明な微笑みを浮かべて、静かに部屋を出て行くのを、ただ見ているしかなかった。
部屋のカギを持っていなかった梢は、エレベーターで階下へ向かった。
「どういうつもりだよ!なんであんな酷い言い方するんだよ!!あれじゃ、梢が可哀想じゃないかっ!!」
「・・・いったい、どっちが酷いんだろうね?」
静かに口を開いたのは父だった。真の表情は硬く、その目は咎めるように裕一郎を見ている。
彼は言葉を紡ぐこともできず、ただ父を見ていた。
「・・・な、に・・・言って・・・」
「僕等が何も気付いていないと思っているのかい?」
「・・・・・・・・父さん」
「こんな茶番に付き合わせたりして・・・」
登紀子は何も言わず四人分のお茶を入れながら、真っ直ぐに自分を見詰めていた梢の姿を思い出していた。
「あんなにいいお嬢さん、おまえにはもったいないよ」
「・・・かあ・・・さん・・・」
裕一郎はただ俯き、握りしめた自分の拳を見ていた。
「でもね裕一郎、彼女はお前のことを、ちゃんと考えてくれているみたいだよ?」
「・・・え?」
「あんな酷い侮辱を受けても、あの子はおまえの嫁であろうとした。健気ないい子だね」
裕一郎は、凛と背筋を伸ばしていた梢の横顔を思い出す。
「彼女を失いたくなければ、これ以上間違えないことだ」
「・・・間違い?」
「ホントに馬鹿だねぇ、おまえは。」
登紀子が喜代に冷ましたお茶を持たせ席に戻ってくると、裕一郎に厳しい声で言った。
「あの子の気持ちをちゃんと聞きなさい!自分の想いばかりを押し付けるんじゃないの!」
「・・・き、もち・・・」
「あの子が大切なんでしょう?」母が言う。
「花を無理に手折れば、枯れてしまうよ?」父が諭す。
「・・・・俺、そんなつもりは・・・」
裕一郎は、彼女の傍にいたかった。
そして、ずっと梢に傍にいてほしかった。
だが、梢の気持ちを無視し続けていたのは確かだ。
彼女が誰かのものになっていまうのが嫌で焦っていた。
梢が・・・自分以外の男に微笑みかけるのが、すごく嫌だった。
だから・・・こんなにも強引に彼女を・・・
俺は、知らずに彼女を傷付けていたんだろうか・・・?
両親の言葉が痛かった・・・
立ち去る時に見た梢の顔に、胸が締め付けられた。
彼女が・・・梢がいなくなってしまうのだけは嫌だ!
裕一郎は立ち上がった。彼女を追うために。
その腕に抱き締めたかった。
「俺、梢を迎えに行ってくる!」
「ああ、裕一郎。ご飯は七時だからね!遅れないでよ!?」
「梢ちゃんによろしくね〜♪」
暢気な声に送られて、勢い良く部屋を出た。
しかし、自分が部屋のカギを持っていたことに気付き、慌てて階下へのエレベーターに乗り込んだ。
「・・・梢!」
だが、裕一郎がロビーに降りても、そこで梢の姿を見付けることはできなかった。
父と母。裕一郎以上に策士のようです。
梢ちゃん、ホントにいい迷惑です。
少し直しました。