嫁と姑。
文中で、あえて【柿崎】と表記してあります。混乱注意です☆
大きな座卓の上で自己主張する携帯を取り上げる
『ちょっと!いつまで待たせる気?!もう四時過ぎたじゃないのッ!!』
思わぬ大声に、柿崎が耳から電話を離した。
「ああ、これから行くよ」
どうやら柿崎の母のようだ。静かな室内には電話口の声がハッキリと聞こえてくる。
『それで?ホントに【お嫁さん】連れて来たの?』
電話の向こうから、大きな声が聞こえてくる。怒っているのだろうか?
梢は不安になってきた。
「もちろん。これから一緒に行くから、楽しみにしててよ。じゃ」
ピッと電話を切ると、何が言いた気な梢と目が合った。
「・・・今の、お母さん?」
「そう。声がデカイから、何もしてなくても怒られてる気になるんだ。」
「いっそ、思いっきり叱られて下さい。」
「なんでだよ?!」
酷いな!と呆れた顔をする柿崎をよそに、梢の不安はどんどん増して行く。
いよいよ会うのだ。どうしたらいいんだろう・・・梢はさらに青ざめた。
嘘なんてすぐにバレるに決まってる!この男はそこまで考えているのだろうか?
「俺を好きになればいい」なんて言っても、すぐには無理だし、せめて恋人だというなら、この先別れたと言っても通るだろう。
しかし、結婚となると、どうしても柵が着いて回る。
離婚したと嘘をついたところで、結婚すらしていないことなんていずれバレる。
いや、別れた後なら問題はないだろう。
しかし・・・。
ここまで考えて梢は、どうして【嘘がバレたら困る】と思うのか分からなくなった。
バレたらバレたで、梢にとっては寧ろ喜ばしい筈だ。
柿崎に無理に頼まれて嘘をついたと言えばいいのだから。
しかし、それを躊躇っている自分は・・・?
【裕一郎の嫁】と呼ばれたいの?
それとも、人から悪く思われるのが嫌なだけの【偽善者】なの?
梢は後者だと思った。
きっと、どんな人からも・・・嫌われたくないのだ。
そんな自分が・・・すごく嫌になった。
梢がそんな事を考えているとも知らず、彼女の沈黙が緊張しているからだと思った柿崎は、梢の肩を優しく掴んだ。
「大丈夫だよ。一癖ある人だけど、悪い人ではないから」
「・・・だから、そう言う問題じゃ・・・ないです。」
自分の母に対してなんて言い草だと梢は思う。
付き合ってもいない男の両親に、これから【嫁】として挨拶をしなくてはいけないのだ。
そう言ってみたところで、柿崎はケロリとしている。
「これから付き合えばいいじゃん♪」
「順番が激しく間違ってますっ!」
不毛な会話をしながら部屋を出ると、何故か三つ隣の客室の呼び鈴を押した。
彼の両親の家に行く筈なのに、誰に会うのだろう?梢は不思議そうに客室の扉を見詰めた。
「・・・柿崎さん?どなたか泊まっているんですか?」
「・・・梢、名前で呼べよ。」
『はいはーい♪今開けるよー♪』
中から上機嫌な男性の声がしたと思ったら、勢い良く扉が開いた。
現れたのは、白髪が多く混じった髪を丁寧に後ろに撫で付けた六十歳代と思しき男性。
どっかで見たような顔だ、と梢は記憶を辿った・・・思い出せない。
「よお、裕一郎!待ってたぞ!さあ入れ!!ああ、そちらが梢さんかい?」
「・・・え・・・は、はい・・・はじめまして」
ニコニコと優し気な笑みを浮かべる男性は、よろしくねと言って、柿崎共々中に通してくれた。
訳が分からず混乱している梢は知り合いなのかしら?と首を傾げ、柿崎の広い背中を追って客間に入った。
梢たちの部屋と同じ設えの部屋に入ると、二人の女性がいた。
一人は小柄で、少し縮れた白髪を後ろでまとめた老婦人が、広縁の椅子に腰掛けニコニコしている。
もう一人は、恐らく出迎えてくれた男性の妻だろう、六十歳代の女性が、短い髪を黒く染め、ビシッと化粧を施し、姿勢よく床の間の前に座っていた。しかし、顔は笑っていない。
そこへ、先ほどの男性が二人を座るように促すと、その婦人の横に並んで座った。
・・・ひょっとして・・・梢がそっと隣の柿崎に視線を送ると、気がついた彼はにこやかに言った。
「紹介するよ、俺の両親とばーちゃんだ。」
・・・・やっぱり。どこかで見た筈だ。二人とも隣に座る男にそっくりだ。
心の準備も覚悟もないまま、いきなり両親に対面させられた梢は、全身から戸惑いのオーラを発したまま黙り込んでしまった。
「紹介するよ、俺の嫁さんの梢だ」
「は、はじめまして・・・梢と申します」
動揺しながらも、畳に手をついて挨拶をする。降り注ぐ視線が痛い程だ。
「・・・裕一郎の母の登紀子です」
「父の真です。遠いところよく来たねぇ」
登紀子と違い、真はにこにこと梢に笑顔を向けている。
「あと、喜代ばーちゃん。今年八十四歳なんだ」
「はじめまして、梢です。お元気ですね」
梢はお年寄りが好きだ。柿崎もそれは何となく気がついていた。警備員の椎野がいい例だ。
柿崎が紹介すると、喜代は嬉しそうに「こずえちゃんていうの?」と、おっとりと優しい声で訪ねた。
「女学校に同じ名前の仲良しさんがいたのよ。懐かしいわぁ」
喜代は、顔を皺だらけにして笑う。梢は、心から嬉しそうに微笑んだ。
「それで、その人がお見合いを断った原因なのね?」
登紀子の固い声が割り込んで、梢はハッと視線を戻す。
人を威圧する雰囲気は、間違いなく柿崎の母だと納得させるほどそっくり・・・いや彼以上か。
彼の威圧感は母譲りのようだ。
「・・・お見合い?」
初耳だ。梢は隣に座る男をみると、気にもしていない様子で微笑み返した。
「ずいぶん前にそんな話があったってだけ。俺には梢がいるから断ったの。」
「・・・はあ・・・」
ひょっとしたら、お見合いを断りたくて、梢をダシに使ったんだろうか?
梢は、ここに来てしまったことを後悔し始めた。
登紀子は挑戦的な眼差しで、息子の隣に座る梢を見ている。
形のいい眉が、突然現れた【嫁】が登紀子にとって喜ばしい事ではないと、如実に物語っていた。
「もったいないお話だったのよ?今からでもど~お?」
頭からまさに舐めるように繁々と無遠慮に見みながら言う登紀子に、梢は少なからずムッとした。
そもそも、貴女の息子のせいでこんなことになっているのに、なんでそんな目で見られなくてはならないのか。そんな梢の心情を知ってか知らずか、登紀子はさらに続ける。
「伊藤さんのお嬢さん、市役所に勤めてる公務員なのよ?」
「しつこいな。いつまで言ってんだよ。梢に失礼だろう!」
「だって!とってもいいお話じゃない!綺麗なお嬢さんだし、ご両親も公務員だしねぇ」
梢を前に、実に失礼な話である。
同じ事務職でも、会社員は劣るとでもいうのか。世の中のOL全てを敵に回すような発言だ。
梢の顔からすっと表情が消え、奇妙な笑顔が浮かんだ。それに気付いた柿崎の背筋に冷たいものが走る。
「・・・そうですか。そんなにいいお話がおありでしたら・・・私は必要ありませんね。」
「ーーーちょっちょっと・・・梢?」
笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げるとすっと立ち上がった、踵を返す梢を柿崎が慌てて抱き止めた。
「ーーー梢!!」
「・・・裕一郎さん、離してください」
「・・・あら、話が早くて結構じゃない。」
「母さん!!ふざけんな!!俺は梢がーー」
「裕一郎さん。お義母さまが、そう仰っているんですもの、お見合いなさったら?」
「・・・・・・・・・・・」
梢は微笑みを浮かべていたが、目は笑っていない。・・・こんな梢を見たのは初めてだ。
柿崎にどれだけ振り回されても、こんな顔はしたことがなかった。
彼女が深く傷ついているのは明白だ。こんな顔をさせたくて連れて来たんじゃない!こんなことで梢を失うなんてごめんだ!柿崎はきつく梢を抱きしめたまま、母を睨みつけた。
「俺は、梢以外の嫁なんていらないんだっ!!」
「時が経てば、気が変わるかもよ?」
「母さん!いい加減にーー」
「・・・・・・登紀ちゃん。」
静かにその場を征したんは父だった。柔らかな笑顔が消え、声音が低く響いた。
「・・・・真さん」
「遠いところから来てくれて人に失礼でしょ?梢ちゃんに謝って?」
「・・・・・・ごめんなさい」
登紀子は意外にも素直に従った。この夫婦の力関係は、穏やかそうに見える真が握っているらしい。
腕に閉じ込めた梢の表情は冷めている。感情を乗せない目は、酷く悲し気に見えた。
どうしていいのか分からず、柿崎はただ抱きしめる。
「・・・ごめん・・・ごめんな・・・梢・・・」
「私なら平気です。もう離してください」
「・・・こず・・・え」
梢に嫌われてしまった・・・?柿崎は自分が震えているのが分かったが、止めようがなかった。
「大丈夫だから離して?・・・ご両親の前でこれじゃ、恥ずかしいです。」
「・・・・あ・・・」
静かな声に、柿崎がその腕を緩めると、梢は居住まいを正し、失礼しました。と義母に向き直った。
「お義母さまのお考えはよくわかりました。」
梢は背筋を伸ばし、まっすぐ登紀子の目を見据えた。
登紀子も、威圧的な空気を緩めることなく見詰め返す。
客間は水を打ったように静まり、じっと梢の顔を見詰める。
「お義母さまが私を気に入らないとしても、・・・私が裕一郎さんの嫁なんです。」
文句は言わせない的な、凛とした梢の一言に、その場の全員が言葉を失った。
梢ちゃん、かなり負けず嫌いのようです。(笑)
っつか、宣言しちゃったよ・・・。