第11話「涙のあとさき」
すべてを、思い出した。湊くんとの約束も、彼への想いも、何もかも。日記を読み終えた私は、まるで長い夢から覚めたような不思議な感覚に包まれていた。失われた十五年間という時間は、決して空白ではなかった。彼は、その時間もずっと私を愛し続けてくれていたのだ。
『ごめんね、湊くん。今まで気づかなくて、ごめんね』
心の中で何度も彼に謝った。そして、ありがとう、と伝えた。
外は静かに雪が降り積もっていた。明日はホワイトクリスマスになるだろう。約束の日に、ふさわしい。
明日の夜、教会へ行こう。そして彼に伝えよう。「ただいま」と。
そう決意したものの、その夜はほとんど眠ることができなかった。高ぶる気持ちと、少しの不安。彼は本当に来てくれるだろうか。私が別れを告げた後でも、約束の場所で待っていてくれるだろうか。
日記の最後のページにあった彼の言葉を思い出す。
『君が苦しむくらいなら、俺は一人でいることを選ぶ』
もしかしたら、彼はもう来ないかもしれない。私のために、私の幸せを願って姿を消してしまうかもしれない。その可能性を考えると、胸が締め付けられるように痛んだ。
いや、彼は必ず来る。十五年間、たった一人で約束を守り続けてきた彼が、最後の最後で来ないはずがない。私は、彼を信じる。
翌朝、目が覚めると窓の外は一面の銀世界だった。街中が浄化されたように白く輝いている。私は今日のために用意していた白いワンピースに着替えた。そして鏡の前に立つ。少し潤んだ瞳の奥に、強い意志の光が灯っているのを感じた。
花屋の仕事は幸い休みだった。一日中そわそわして落ち着かず、何度も時計を見てはまだかとため息をつく。時間がこれほど長く感じられたことはない。
そして、ついに夜が来た。
コートを羽織り、玄関のドアを開ける。冷たい空気が火照った頬に心地よかった。大丈夫。深呼吸を一つして、私は雪の積もった道を歩き始めた。
教会へ向かう、いつもの道。でも今日見える景色は、いつもとは全く違って見えた。一つ一つの光が、雪の結晶が、私を祝福してくれているようだった。
石畳の坂を上る。心臓の音がやけに大きく聞こえる。
教会の門が見えてきた。
そして―――そこに、彼はいた。
黒いロングコートを着て、いつもの場所に彼は静かに立っていた。雪が彼の肩や髪に舞い降りて、まるで時間が止まっているかのようだ。
よかった。来てくれた。
その姿を見た瞬間、安堵からか涙がぶわりと溢れ出した。視界が滲んで彼の姿が揺らぐ。私は溢れる涙も拭わずに、彼に向かって駆け出した。
雪を踏みしめる音に気づいて、彼がこちらを振り返る。
その瞳が私を捉えた瞬間、驚きに見開かれた。そして次の瞬間には、信じられないものを見るような戸惑いの色が浮かんだ。
「しず……く?」
やっとの思いで彼の前にたどり着く。息が切れて言葉が出ない。ただ、彼の顔を見つめる。湊くん。私の、大好きな人。
「どう、して……」
戸惑う彼に、私は首を横に振った。そして、ありったけの想いを込めて言葉を紡いだ。
「日記、読んだよ。全部……思い出した」
私の言葉に、彼の瞳がさらに大きく見開かれる。凍りついていた彼の表情が、ゆっくりと、ゆっくりと溶けていく。驚き、安堵、そしてどうしようもないほどの愛おしさが、その瞳から溢れ出す。
「……そっか」
彼はそれだけを言うと、壊れ物を抱きしめるように私を強く、強く抱きしめた。彼のコートから、雪の冷たい匂いと彼の温かい匂いがした。
「おかえり、雫」
耳元で囁かれた、優しい声。
「ただいま、湊くん」
私も彼の背中に腕を回し、顔を彼の胸にうずめた。涙がもう止まらない。でも、それは悲しみの涙ではなかった。喜びと、愛おしさと、感謝の気持ちが溶け合った温かい涙だった。
長い、長い十五年という時間が、この一瞬で完全に繋がった。
涙のあとさきに見える未来は、きっと光に満ちている。もう二度と、この手を離さない。心に、固く誓った。




