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失われた記憶の先で、もう一度君と恋に落ちる。聖夜の教会で始まる、切ない恋物語。  作者: 久遠翠


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第10話「綴られた時間」

 湊さんから受け取った十五冊の日記を抱え、私は逃げるように自分の部屋に戻ってきた。ドアに鍵をかけ、その場にずるずると座り込む。紙袋の重みが、彼の過ごしてきた十五年という時間の重さのように感じられた。


 心臓が、早鐘のように鳴っている。これを読んでしまったら、私はもう後戻りできなくなる。真実を知ってしまう。それが怖かった。でも、読まなければならない。彼の十五年ぶんの告白から、もう目を逸らすことは許されないのだ。


 震える手で、一番上にあるノートを手に取った。表紙にはマジックで大きく『1』と書かれている。最初の一冊。


 ゆっくりと、ページを開く。そこには子供らしい、少し拙い丸文字が並んでいた。


『十二月二十五日。きょう、しずくはこなかった。びょういんにいるって、おばさんからきいた。あたまをうって、おれのこと、わすれちゃったんだって。すごく、すごくかなしい。おれが、いじわるを言ったからだ。ボールを追いかけるきっかけを作ったからだ。ごめん。ごめんね、しずく。でも、おれはやくそくをおぼえてる。

『まいとしクリスマスのよる、このきょうかいであおうね』って。だから、おれはまってる。しずくがぜんぶわすれても、おれがぜんぶおぼえてるから。だから、はやくげんきになって。』


 一ページ目を読んだだけで、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。幼い湊くんの悲痛な叫びが聞こえるようだった。彼は自分のせいだと思っていたのだ。私が事故に遭ったことを。違うのに。悪いのは、道路に飛び出した私なのに。


 ページをめくる手が止まらない。


 二冊目、三冊目と読み進めていく。文字は少しずつ大人びていき、内容は日々の出来事や学校でのこと、そして必ず、私のことが綴られていた。


『中学二年。今日、街で偶然雫を見かけた。友達と笑っていて、元気そうだった。声をかけたかったけど、俺のことなんて覚えてないだろうから、できなかった。でも、元気でいてくれてよかった。』


『高校三年。進路を決めた。建築家になる。いつか、雫と住む家を俺が設計するんだ。その日が来ることを信じて、頑張る。』


『大学四年。設計事務所への就職が決まった。クリスマスの夜、今年も教会に行った。もちろん、雫は来なかった。わかっているけど、毎年少しだけ期待してしまう。馬鹿だよな、俺。』


 そこには、私が全く知らなかった湊さんの十五年間があった。私が友達と笑い、部活に打ち込み、恋に悩み、平凡な毎日を送っていたその裏で、彼はたった一人、遠い日の約束を胸に抱いて私を想い続けてくれていたのだ。


 胸が、張り裂けそうだった。嬉しさ、切なさ、申し訳なさ。様々な感情がごちゃ混ぜになり、涙となって溢れ出す。


 私は、なんて愚かだったんだろう。彼が何かを隠していると疑い、彼を傷つけ、一人で苦しんでいた。でも、本当に苦しかったのは彼の方だったのだ。真実を言えないまま記憶のない私に寄り添い、どれほど辛い思いをしてきただろう。


 日記は、後半に進むにつれて私との再会後の喜びで満ちていた。


『二十四年目のクリスマス。奇跡が起きた。雫が、俺に声をかけてくれた。夢みたいだ。覚えてはいなかったけど、それでもいい。もう一度、ゼロから始められる。神様、ありがとう。』


『雫と、恋人になった。十五年間、ずっと夢見てきたことが現実になった。この幸せが壊れないように、大切にしたい。彼女が記憶を取り戻すのが怖い、と思ってしまう俺を許してほしい。』


 彼の喜び、葛藤、そして深い愛情。そのすべてが、インクの染み一つ一つから痛いほど伝わってくる。


 私は、なんて大きな愛に包まれていたのだろう。そのことに、今まで気づかずにいた。


 最後の一冊、十五冊目のノートは、まだほとんどが白紙だった。最後のページに、震えるような文字でこう書かれていた。


『雫、もしこれを読んでいるなら、俺は君に別れを告げられた後なんだろうな。それでいい。君が苦しむくらいなら、俺は一人でいることを選ぶ。でも、これだけは信じてほしい。君を愛している。あの日から、今この瞬間まで、そして、これからもずっと。』


 もう、涙は出なかった。ただ、言いようのないほどの愛おしさが胸いっぱいに広がっていく。


 失われた記憶が、パズルのピースがはまるように次々とはまっていく。


 陽だまりの中で笑う湊くん。シロツメクサの花冠。霞草の花束。『大きくなったら、お嫁さんにしてあげる』という彼の言葉。そして、事故の直前に交わした、小指の約束。


『―――毎年十二月二十五日の夜に、この教会で会おう。そして、二十五歳になった年のクリスマスに、お互いがまだ想い合っていたら、結婚しよう』


 そうだ。思い出した。全部、思い出した。


 私は、湊くんが大好きだった。ずっと、ずっと大好きだったんだ。


 時計を見ると、針は夜の十一時を指していた。窓の外では、いつの間にか雪が降り始めている。


 今日は、十二月二十四日。クリスマスイブ。


 そして、明日は―――約束の、二十五歳のクリスマス。


 私は立ち上がった。もう迷いはない。行かなければ。彼の元へ。


「待ってて、湊くん」


 十五年ぶんの想いを伝えるために。そして、約束を果たすために。

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