3.言葉
一枚のクローバーが挟まれた、ラミネート加工された栞。
それを見つけた日の夜、俺は妙な胸騒ぎを感じていた。
単なる偶然かもしれない。けれど、偶然にしては、あまりに“らしい”気がしていた。
あの日の図書館カウンターの彼女の視線が、どこか引っかかっていた。
翌日、俺は再び図書館へ向かった。
何をするでもなく、ただ“返す”ために。
カウンターに立つのは、違う学生だった。
ミサキの姿はどこにもない。
「今日はお休みですか?」
そう聞こうとして、言葉を引っ込めた。
職員でもないのに、そんなことを聞く理由が見つからなかった。
仕方なく、そのまま返却ポストに本を滑り込ませようとしたとき——
視界の隅で、何かが落ちていた。
椅子の横、返却済みの本が積まれた台の陰。
拾い上げると、それは黒いゴムで綴じられた小さなノートだった。
表紙には淡いインクで「選書記録」とだけ書かれている。
(……まさか)
迷った。勝手に開くべきじゃない。
けれど、なぜか手が止まらなかった。
ページを開くと、整った文字で日付とタイトル、簡単な感想が並んでいた。
けれど、何ページかめくったところで、空気が変わった。
彼は、気づいているのかな。
あのとき話しかけるのをやめたのは、ずるさと怖さと、きっとどちらもあった。
姉を見ていた瞳が、あまりに真っ直ぐで、少しだけ苦しかった。
……でも。
いつか、話せたらいいなって思ってた。
たった一言、「また話せてよかった」って、言えたら。
ページが震える。俺の手が震えていた。
(……これは、ミサキの——)
無意識にページを閉じていた。
あの日、自分にかけられた「少し時間ある?」の言葉。
あれがどれだけ勇気を振り絞ったものだったのか、ようやく分かった気がした。
あの日、俺はただ「うまくやらなかった」のではなく、「受け止めなかった」んだ。
その日から、なぜだか落ち着かなくなった。
食堂で友人の話も耳に入らず、授業中も集中できなかった。
ぼんやりと黒いノートのページを思い出していた。
返さなければ。ミサキに。
いや、返すだけじゃ、きっとだめなんだ。
(……ちゃんと、話したい)
その想いが心の底に芽生えていた。
クローバーの栞も、あのノートも、もしかしたら全部が偶然じゃなかったのかもしれない。
そう思えたとき、なぜか胸が少しだけ軽くなった。
ふと、窓の外に目をやる。
遠くで夕焼けが滲んでいる。
まるで、何かが変わり始めた合図のように——。