9(97).心の揺らぎ
遠くの山々の色付きは、少しずつ彩りを失い始めていた。
谷間を吹く風は強く、気持ちよい目覚めとは程遠い。
強風に殴られるように起こされ、日の出と共に巨大なアーチを目指す。
太陽が真上に到着する頃、アーチの元に辿り着く。
そこは、左右より鋭い爪が、アーチを描くように重なり合い続いている。
僕達は、自然の偉業に愕然と立ち尽くす。
それをあざ笑うかのように、風は僕たちを掠め、アーチをくぐっていく。
そして僕たちの背を押す様に吹き荒れた。
意志に反して前に出る脚は、何かに誘われる様に進んだ。
強風を除けば、谷底とは思えない程ぼのぼのとした空気に包まれていた。
風の強い草原は、何処までも豊かに続く。
太陽は既に狭い天には無く、代わりに闇が支配を始める。
僕は、松明に火をつけ、ラスティを起こす。
彼女は、定位置でちょこんと前を見つめる。
それから幾時かすぎると、天には小さな星が輝きだした。
洞窟よりましな環境で、2人は食事をとり休む。
それは、2日程変わり映えのしない風景と共に続いた。
先方には、空以外に深い青が見える。
そして、その手前には集落があった。
エルフの村の村長が、含みを持たせて話したモノはこれだ。
海岸を臨む集落は、レンガ造りの家が何件も立ち並ぶ。
活気はないが、人通りはあった。
集落に門などはなく、旅人を持て成す施設も在るか怪しい。
僕は、フードを取ることなく集落へと踏み込んだ。
そこには、懐かしい肌の色を持つエルフ達が生活している。
彼らの表情は無に等しい。
その上、子供は全く見当たらなかった。
ラスティは、僕の懐からピョンと飛び降り先を行く。
それは、まるで何かに呼ばれているかの様だ。
僕は、彼女を追い、見知らぬ集落を駆けた。
彼女も同じはずだが、目抜き通りから路地に入り、さらに奥へ進む。
僕は、彼女に声を投げるも、彼女からの返答はない。
集落を抜け、風景は開ける。
そこは、日の光に満ちた海原を臨む小高い丘。
優しく吹く潮風に、不思議な唄が乗り響き渡る。
その歌声は優しく、僕は涙した。
魔力を孕んだ唄は丘の先から聞こえる。
近づくと、それは音ではなく頭に響く唄声。
頭の中に不思議と安らぐ声で訳の分からない詠唱が続く。
『にゃーんこ ♪ にゃんにゃんこー ♪ ──── 』
僕は、草花が咲き乱れる花畑に出た。
そこには、不思議な詩を謡い、猫達をじゃらす女性。
ラスティは、その女性の足元で、他の猫達と戯れる。
女性が持つ尻尾の様な草は、彼女たちを虜にした。
しかし、警戒心が強く、猫ではないラスティが懐く事に違和感を感じる。
やはり、あの意味の分からない歌は魔法の様だ。
猫をじゃらす女性に近づくにつれ、僕の心音は激しくなった。
女性の魔力は紛れもなく師匠のそれだと感じたからだ。
その姿も後ろからでもわかる程に相変わらずボサボサな髪。
今だから理解できる魔力量の異常さ。
僕は涙の中、その女性に声をかけた。
「師匠!」
彼女は、声に驚き振り向くことなく逃げるように駆け出す。
何度も声を上げながら、師匠と思われる女性を追う。
何時しか集落の中へ戻っていた。
追いかける際に拾ったラスティは、まだ歌に当てられたままだ。
その姿は、マタタビを愛でるソレになっている。
僕は、縮まる事のない距離に苛立ち、再び女性に声を投げた。
「師匠、待ってください!」
集落を歩くエルフは、一斉にこちらを向く。
しかし、彼女は全くこちらを振り返らない。
僕は眉を顰め、状況を理解し師匠の名前を叫ぶ。
「アリシア師匠!! 待って!」
彼女は、風魔法を使い屋根へ飛び上がる。
そして、さらに距離を離そうと加速。
カタカタと屋根をかける彼女は、その美しい薄黄金の髪を靡かせた。
どう見ても、彼女でしかない。
僕は、縮まらない距離に苛立つも思考を巡らせた。
そして、その答えを記憶の底から漁り見つける。
「師匠! 鯛焼き持ってきましたよ!!」
一瞬速度は落ち、距離が縮むが、彼女の魔力が増大。
そして、反転しつつ衝撃波を放った。
それは、殺意はなかったが、明らかに殺傷能力がある。
僕は盾に魔力を込め強度を増し防ぐ。
押し出されるように地面に靴跡を残す。
彼女は、バランスを崩し、小さな声を一瞬上げ屋根から落ちた。
僕は全力でその落下地点を目指す。
上空から女性が落ちてくる。
僕は、逃げられない様に両腕で彼女を抱える。
しかし、彼女は僕の肩に手をかけ、猫の様に体を捻りる。
そして、そのまま逃げの体勢をとった。
一瞬見えたその表情は涙を浮かべ、少し怒っている様にも思えた。
2人のチェイスは数刻続く。
その結末は、僕が彼女の魔法を正面で喰らう事で終えた。
「なんで避けないんだ! 死んだらどうするんだお前は・・・」
「いつもボロボロになって・・・」
「バカ野郎・・・」
僕は彼女の腕に包まれている。
彼女の腰に手を回し、彼女の体温を感じた。
集落の喧騒の中、二人の時間は静かに流れる。
集落の帳も落ち、辺りは優しい光で包まれた。
夜風は優しく僕たちを撫で、高い夜空へと昇っていく。




