6.不穏な予兆
ダンジョン奴隷として魔生洞窟と宿舎を往復する日々が3年経とうとしている。
体力や筋肉はそれなりに付き、初級の前衛冒険者程度には成長できた。
これは個人差があり、魔力操作ができない者なら1年半程度で達成できるらしい。
正直、やるせない気持ちになり肩を落とした。
しかし、それでも嬉しい。
そんな一喜一憂する姿を3人の仲間は、微笑ましく見守ってくれる。
その表情は、昔の様に心配する感情はなかった。
しかし、この領地には変わらない者もある。領主だ。
コイツは変わらない、いやむしろ悪化した。
事あるごとに話しかけられる。挙句に触れようとしてくる。
「ルシアちゃん。私の妻にならないか!」
思考停止とは恐ろしい。僕は、迫る手を払いのけ、存在そのものをあしらう。
3人の仲間は、初めこそ守ってくれたが、盾技を覚えた頃からほのぼのと見ているだけだった。
そんな平和な日常から、魔生洞窟に潜る。
この日は何かが違っていた。目的の階層には鉄錆の臭いが充満し思考の邪魔をした。
索敵に引っかかったのは討伐目標の魔力だが、魔力が大きい気もする。
次第にその姿を表す魔力の主は、討伐目標と同種で間違いなかった。
同種だが、遭遇した魔物アイギパーン(山羊獣人)は何か違う。明らかにおかしい。
目の前にいるアイギパーンは、今まで戦ってきたソレに比べ、二周り以上、体が大きく体色もより深い。
頭に生えた2つの角も、一方がやたらと肥大化していた。普通の冒険者なら逃げる事が定石だ。
しかし、僕たちは奴隷だ。逃げてもろくなことはないし、結局こいつと戦う羽目になるだろう。
ルーファスは、利き手に持つロングソードに目をやり、下唇を噛む。
意を決し、仲間に指示を飛ばす。陣形はアイギパーンを囲むように形を変えた。
「ミランダ、俺がオトリになる。お前は、回り込んで隙をつけ!」
「ライザは、タイミングを見て足を止めてくれ!」
「ルシアは、ライザのサポートだ。間違っても接近戦はするな!」
ライザとミランダは指示に反応し、やるべきことに取り掛かる。
彼女は僕に指示を飛ばすし、術式のを完成させていく。
「わかったわ!ルシアは私のそばで索敵して!」
僕は頷き、アイギパーンとライザの中間で、盾を構え陣取った。
ルーファスはアイギパーンを睨み、体制を整え、間合いをつめる。
この魔物は力も強いが、風魔法も使い厄介だ。下手に啼かれると簡単に全滅しかねない。
アイギパーンは口から青白い煙のような魔力を吐き、体勢を落としこちらを睨む。
ルーファスは、剣で盾を数回叩きアイギパーンを挑発する。
「さぁー来い!」
アイギパーンんは、さらに体制を落とし、咆哮を上げた。
それに合わせて、ライザの魔力が高まり、アイギパーンの足を岩漿(マグマ)の塊が襲った。
脛から地面まで溶岩がへばりつき、太ももの皮膚は爛れ青黒い血が痛々しく滲む。
アイギパーンは両手を地面につくが、その殺気は衰えず、全身に力が入り魔力の集中が始まる。
二人の前衛はこの隙に、正面から頭部に一太刀、背後から背中に一太刀を入れた。
支給されている武器は業物からは程遠く、投げ売りされるような品質のもだ。
2つの斬撃は骨を断つまでにはいかなかった。
アイギパーンの魔力は流れ出す。ライザはそれに気付き危険を知らせる。
「二人とも来るよ! ルシア、魔力ちょうだい」
ぼくは、ライザに魔力を送りつつ、魔物に注意を送った。魔物は甲高い咆哮をあげ、体を震わせる。
それは一瞬だった。前衛の二人は吹き飛ばされ、壁には巨大な切り傷が何本も入っていた。
ライザの注意で、前衛の二人は距離を取ったが、その想定を超えていく。
ルーファスの盾は、傷だらけになり3分の1ほどが失われた。
ルーファスの視線の先には、大きく弾き飛ばされる仲間の姿が映る。
「ミランダ!」
ミランダは壁にたたきつけられ、そのまま地面に横たわっている。
ルーファスは、指示を出しつつアイギパーンの注意を引く。
「ライザ、サポートを頼む!ルシア、ミランダの確認を頼む。・・・あいつは俺が抑える!」
魔物は地面に張り付いた足首を岩ごと引き抜くと、低く唸りルーファスに突っ込んでいく。
鈍く低い音と共に衝撃が洞窟内に広がる。
アイギパーンは岩壁にルーファスを押し込み、その軌道には赤い鮮血が舞う。
後方ではライザの魔力が高まり、それを感じアイギパーンの瞳はライザを捉える。
アイギパーンは頭を強引に振り、ルーファスを吹き飛ばす。
そしてライザを睨み甲高い咆哮が響く。
ライザは、術式を瞬時に変更し、自らの正面に岩の防壁を作り上げる。
しかし、防壁は無残に切り刻まれ、ライザもそれに巻き込まれた。
ルーファスは、自分の体がどうなっているかすら気にかけず、ライザのことを心配した。
「ライ・ザ・・」
ルーファスはボロボロの体を振るい立たせ、背後からアイギパーンの首に剣を食い込ませた。
しかし、安物の剣では骨を断つことができない。
アイギパーンは腕を振りまわし、ルーファスを遠ざけた。
僕は、ようやくミランダの下にたどり着き、状況を確認する。
彼女の目には強い光が宿っていた。
「ルシアちゃん、ありがと。あたしに魔力譲渡をして!」
僕は、悩んだ。しかし彼女の意志は固い。
それにこの状況を打開できる駒はそれ以外持ち合わせていない。
ミランダの顔を見ると、彼女は強くうなずく。
僕は彼女を信じるしかない。
「・・・わかった。無理しないでね。」
僕は彼女に魔力を譲渡していく。
目の前ではライザが倒れ、満員相違のル-ファスも危ない。
ミランダは一瞬恍惚な表情になった後、いつもとは違う野太い咆哮を上げた。
アイギパーンへ向かう。
「ッ、ウォーー、この山羊頭がー!!」
ミランダは、アイギパーンとの間合いを一気につめ、大上段から一閃した。
彼女の持つ剣の刃は上半分が無くなり、残りの刀身と共い山羊の頭を地面に叩き落した。
しかし、彼女もその場に頭から倒れ込んだ。
アイギパーンを倒したかに思えた。
しかし、首を失いうも、まだ殺気が衰えず獲物を探す。
僕は目の前の恐怖より、3人の仲間を失う恐怖が勝り、僕はアイギパーンの正面で盾を構えた。
僕にできる技術は、盾技、魔力譲渡の二つだ。頭で考える前に体が動く。
フラフラと獲物を探すアイギパーンをショートソードで切りつける。
しかし皮すら刃が通らない。
アイギパーンの行く先は変わらない。
首元からは青白い魔力が溢れ出す。
魔物は魔力をもとめる。アイギパーンが向かう先はライザだ。
必死に動線に入るも効果は薄い。
それでもアイギパーンの正面に大の字て立つ。
「世界はまた僕のすべてを奪うのか。・・・なら僕も奪ってやる!」
どこからか不思議な囁きが脳裏をよぎった。
"・・に足掻く子よ、いざなわれなさい。"
その瞬間、ダンジョンから魔力の流れを感じた。
そして体内に魔力が流れ込む。
高まる鼓動、得も言われぬ幸福感に襲われた。
次の瞬間、僕はアイギパーンを盾の縁で突くように殴り、のけぞる魔物に飛び掛かる。
そして両手で持ったショートソードで大上段からきりつけた。
斬撃は肉を断ち、体内へ魔力を急激に流し込んだ。
魔物は仰向けに倒れ動かなくなった。
ライザを守るためにがむしゃらだった。
僕は何をしたのか全く覚えていない。
パーティーは壊滅状態だ。
僕は3人を壁際に寝かせ、涙を拭きながら可能な限り手当する。
3人の止血が終わるころには、ルーファスは目を覚ました。
「・・・ルシアか・・・俺たちは助かったんだな・・・」
「うん・・・ミランダもライザも、気を失っているけど生きてるよ。」
「・・・お前が手当てしてくれたんだな、ありがとな。っててて、お前は大丈夫か?」
ルーファスはボロボロの体で立ち上がり、状況を判断し最善を考える。
もう武器はない、選択肢は1つしか存在しない。
周囲に魔物が居ないこと確認した僕たちは目的地を目指す。
そこは、大人が屈んで入れる程度の大きさの穴があり、奥はそれなりの空間があった。
ダンジョンには、先人達が安全性を確保した場所がいくつか存在する。
僕たちは、安全地帯までたどり着いた。
パーティーはボロボロで食料も1食分だけだ。
どうにかここまでは来れたが、このまま入り口まで戻る力は無かった。
僕達は少し休むことにした。その間、僕は魔力探知を切らさないように休んだ。
ルーファスは現状を理解し、依頼の続行は危険と判断した。
流石に、この状況はおかしい。
ダンジョンに異常があるのではないかとルーファスは考えていた。
「ミランダ、ライザを頼む。ルシア、俺と前衛だ。」
「戦闘はしない、魔物を感知したら迂回だ。出口を目指すぞ。」
どうにか魔生洞窟から脱出することができ、ルーファスはその足で領主に報告をした。
その日の依頼は失敗、鉱石採掘もできていない為、赤字である。
僕の知る領主像ではお咎めがが予想された。
しかし、領主はボロボロの僕を見て、涙を流し抱き着いてくる。
体力も魔力もない、何も抵抗できないことが苦痛だった。
「あああ、私のルシア。もう君をはなさない。危険な目にはあわさないよ。」
ルーファスが助けに入り、過ちは起こらなかった。
僕たちは診療所に運ばれて数日が過ぎ、ライザも意識が戻る。
僕は誰も欠けることなく帰ってこれたことを神に心から感謝した。
それは、彼らの笑顔が僕にっとって大切なモノになっていたからだ。
診療所の雰囲気とは対照的に、外はシトシトと冷たい雨が降り始めた。