7(64).猫の想い
僕たちは無事ヘルネから出向する。
波は穏やかで、潮風がミーシャの被毛を優しく撫でていた。
遊ばれる被毛は、太陽の陽ざしと海の照り返しでミーシャを美しく彩る。
数日船に揺られると、やがて目的の島が姿を現した。
「ルシア、見える? あれが私の故郷だよ。」
彼女の表情は複雑だった。それは戦争が生んだ産物なのだろうか。
僕は彼女の手を取り、船首へ向かった。
水面からは、ヒッポカンポス(半馬半魚)の群れがその巨体を遊ばせる。
その水しぶきはミーシャの涙を隠した。
帆船は帆をたたみ、リヒターの玄関口クーデリアに入港する。
街はヘルネの様に盛っているが、水夫たちの殆どは獣人だ。
大陸との違いは他にもある。
それは彼ら獣人たちの表情が明るい。
僕たちは宿を取り、街を散策した。
多くの者はミーシャに挨拶をする。
その表情は明るく、それだけで彼女が慕われていることが判った。
商店街では、多くの者が"持ってけ"と彼女に商品を手渡す。
宿の戻るころには、僕は両手を埋める程の荷物を抱えていた。
「ルシア、明日はカールに向かうよ。・・・私たちの実家。」
ミーシャは、部屋のバルコニーから夜空を見上げ、首に下げたロケットを強く握った。
僕は、彼女の傍らで彼女を支える事しかできなかった。
翌日は雨が降り、海は荒れていた。
僕達はフォンランド家の馬車でカールを目指す。
道は石畳程ではないが、それなりに整地されている。
ガタガタと揺れる馬車の中、ミーシャはアンリの事を語りだした。
「小兄はね、いつも本を読んでたんだよ。・・・本が好きだった。」
消え入りそうなその声は、彼女の想いの大きさを伝えた。
涙をたたえる、悲しい笑顔からは、アンリの思い出をゆっくりと言葉に変えていく。
「小兄は、冒険譚が好きだった。いつも世界樹を夢見てたよ。」
世界樹の詩歌、2000年前に邪神を封じた勇者の話。
勇者たちは霊剣の力をもって、命をつかさどる母なる神を封じたという。
そして封じた女神は世界樹に姿を変えたという事だ。
嘘か真か、世界樹は現実に存在する。
そこは大陸の中央にある聖域と呼ばれる大森林地帯の中心だ。
勇者の冒険譚は、ヒューマン至上主義のきっかけになったが、夢見る少年は好む話である。
幾人もの吟遊詩人が謡い継ぐ伝説だ。
僕は、アンリのことを深く知らなかった。
ミーシャから彼の生き姿を僕は静かに聴いた。
彼は、ミーシャと年が近く、小さい時はよく遊んだという。
そして戦争が始まるまでは、家長の元で領地の運営に携わっていた。
彼は優しく戦うような人ではなかったという。
言葉を紡ぐミーシャは次第に嗚咽を含み、その悲しい声で雨音をかき消した。
僕は、彼女を優しく抱きしめる。
嗚咽に満ちた馬車は、広大な森を抜け美しい田園を映し出す。
やがて雨は止み、空は彼女の心とは裏腹に澄み渡っていた。
馬車は領主の館に横づけされ、出迎えの使用人たちが深く頭を下げている。
「お帰りなさいませ、ミーシャお嬢様。」
彼女は、使用人たちに労いの言葉をかけた後、僕の手を引き館に誘う。
僕は、大きなホールを抜け、応接室に通される。
「お兄様、ただいま戻りました。」
部屋の奥でくつろぐ黒毛の品のいい猫は、髭を撫でそれに答える。
そして僕に、軽く会釈をし、客として扱う。
僕は深く頭を下げ、領主に礼儀を返す。
彼は、ラトゥールで見た領主の様に品定めする様な事はなく、笑顔で椅子を勧める。
ミーシャは、兄にアンリの最後を伝えると、彼は噛み締める様に静かに聴き入っていた。
「ルシアくん。アンリとミーシャの事をありがとう。 ゆっくりしていくといい。」
話が終わると、ミーシャは僕の手を引き部屋を出る。
僕は、ミーシャに引かれるがまま屋敷を案内された。
その夜、彼らと夕餉をとりながら今後の話をする。
彼らは週末にアンリの追悼式を行うという。
そこには僕の出席も望まれた。
静かに夜は過ぎていく。
ミーシャがアンリの部屋で泣く姿はあまりにも悲しく映る。
僕はその度に何もできない自分が情けなく感じた。
日は過ぎていきアンリの追悼式になる。
ミーシャの兄の演説の後、灰と遺品の入った棺桶は剣のアーチに見送られた。
領民は、誰を恨むことなく涙しすすり泣く。
翌日、僕はミーシャと共に離れに呼ばれた。
離れにはミーシャの母が療養している。
天蓋のあるベットには、品の良い老猫が上体を起こしていた。
「あなたがルシアだね。ミーシャから言いているわ。」
婦人は人はらいをし、ミーシャへも同様の視線を飛ばす。
彼女もそれに従い、部屋を後にした。
そこには戦場とは違う張り詰めた空気が漂う。
「あなたはケットシー、そうね、猫人族のことをご存じ?」
僕は、ミーシャから聞く限りの事を話したが、婦人の顔は明るくない。
彼女は、サイドテーブルに置かれた紅茶を一口飲み、話しを始めた。
「あなたは異種族間の子供を見たことはおありかしら?」
僕は婦人の質問に記憶の海を必死で潜ったが、それらしい情報はつかめなかった。
正直にわからないことを伝えると、彼女は少し微笑む。
「フフフッ、ミーシャが気に入るわけね。」
そして、咳払いし話を続ける。
彼女が話す内容は衝撃的だった。
異種族間では子供は持てないというのだ。
その為、愛の行く末は一代限り。
種族間の交流も損得が基本となり、友好以上の関係はきずけない。
それが、種族差別がいまだに続く原因だと彼女はいう。
彼女は、もう一度ティーカップを手に取りゆっくりと口に運ぶ。
「ルシアさん、種族間のつながりが薄い理由はこれだけだと思いますか?」
婦人は質問を投げて目をつぶった。
婦人の問いかけは、先ほど本人が話した考え以外にも、その原因があるかのようだ。
僕は、ミーシャの事を何も知らない。
唇をかみ俯くしかできない自分が情けなくなった。
沈黙の後、婦人からゆっくり語られる言葉は僕の心に重くの圧し掛かる。
「わたしは、それに加えて寿命があると思うの。」
「同じ時間を生きられなければ、世代が変わり信頼も薄くなっていくわよね。」
「商売でもそうでしょ。コロコロ変わる店主の店なんて嫌よね。」
僕は婦人の真意に気が付いた。
ケットシーとヒューマンでは寿命が違うのだ。
婦人の目を見て、僕はミーシャへの想いを伝えた。
「奥様、僕はこんな見た目だけど、ミーシャを悲しませることはしません。」
「彼女がその命を終えるまで、彼女の笑顔を守ります。」
婦人は、僕の真剣な表情に優しい笑顔を返す。
そして僕を傍へ呼ぶ。
「あなたの気持ちはわかったわ・・・ミーシャを、娘をお願いします。」
婦人は、呼び鈴を鳴らし侍女を呼ぶ。
そしてミーシャを呼ぶように侍女に告げた。
侍女が深く頭を下げ退出すると、少し時間をおきミーシャが入室する。
「ミーシャ、素敵な方ね。 若いころのヴェイターを見ているようだわ。」
「ルシアさん、少し娘と話させてね。」
ぼくは婦人の部屋を後に、庭園でミーシャを待つ。
半時ほどすると、ミーシャは離れから出てきた。
そして、勢いよく後ろから僕に抱きついた。
僕は首を動かし彼女を追う。
「こっち見ちゃダメ。」
声色からは彼女の笑顔が感じられる。
遠くに控える侍女たちは手で口を隠し微笑みをうかベていた。
それから少し経ち彼女の腕が解かれ、僕は彼女に手を引かれ庭園を案内された。




