15(42).渓谷の邂逅
会議から5日後、王国は帝国への使者を派遣。
しかし、帝国はこれを断った。
結果、予定通りに王国軍は戦線を引き上げる。
そして出立した第一陣はバーミル高原に陣を張った。
追う様に第二陣の兵站部隊は、ザルツガルドから渓谷へ兵を動かそうとしている。
その日の空は重く、今にも落ちてきそうなほどに不安定だった。
法術隊第4中隊長ザビーネは、不安を振り払う様に陣頭指揮を執る。
「これより、法術4中隊第一第三小隊及び傭兵隊は本体に合流する為出立する!」
「第四小隊はナネッテ第ニ小隊長の指揮下に入り、第ニ小隊と共にザルツガルドの警戒。」
「王都からの後発隊到着後はファルネーゼ殿の指揮下に入れ。」
「この戦争も、もうすぐ終わるはずだ。こんな時だからこそ気を引き締めて任務に当たれ!」
「皆で生きて帰るぞ! 以上だ。」
渓谷にポツポツと雨が降り始めた。
行軍する兵の視界は被るマントにより狭くなる。
徒歩で警備にあたる者は、マントで逃げ場をなくした体温に体力を奪われた。
何事もなく過る時間は、逆に兵士たちにストレスを与え続ける。
渓谷の雨は雨脚を強め、雨粒を大きくし降り続けた。
風は湿気を孕み、体にまとわりつく。
後方から農民傭兵達だろうか、ストレスに耐え兼ねた声を上げた。
「こんな日は内職でもしてた方がええな。」
「あぁ、まったくだ。金にゃー変えられんが、家に帰りてぇな。」
「早く、かかぁ(妻)のメシがくいたい。」
「騎士様は、もうすぐ戦争は終わるとおっしゃっておった。」
「オラは娘っ子(実娘)にうめーもん買って帰ってやるだ。」
「そりゃいいな。騎士様じゃねぇけど、踏ん張っ行くさー!」
「「「ハァハァッハ」」」
数人の兵士はストレスを払うように笑い合う。
場の空気は明るくなるが、それすら消し去るように風は止まり雨は止んだ。
急な変化に兵士たちの笑いは消え、静けさだけが辺りを包んでいた。
周りを見回す兵士たちはマントから頭を出し警戒する。
急に真上から風が吹き、空は落ちてきた。
先ほどまで隣で笑っていた者は、肉塊となり笑う口を持たない。
荷馬車の幌は破れ、倒れる兵士たち。
悲鳴にはならない悲鳴が辺りを覆った。
ザビーネは全体に指示を飛ばすが、彼の顔に余裕はない。
「敵襲だー、隊前面に1、上空に10騎。」
「魔法が使えるものは防御壁を展開。その他は体勢を低くしろー!」
警戒も、探知も怠ってはいなかった。
この状況が起こるまで、魔力を全く感じ取れなかったのだ。
僕らの目前にいる魔力の塊は、明らかに大きい。
その大きさは、魔窟暴走制圧の際に下層で出あった魔物のソレだった。
眼前に現れたソレは、翼を1対持ち亜竜に属するフロストワイバーンだ。
1頭は部隊を荒らし、他の10頭は上空からその場から逃げようとする兵を襲っている。
その光景は、ザビーネの精神を追い込んでいく。
止まっていた風は、また吹き雨も強く降り始めた。
ザビーネは、本陣へ救援依頼の早馬を飛ばす。
「お前が出れる様に奴らは抑える。振り向かず駆け抜けろ。」
「ハッ、ザビーネ様ご武運を。」
隊の前方で氷と炎が飛び交う。
傭兵たちはワイバーンの攻撃を防ぎ、術士達は炎玉をぶつける。
フロストワイバーンは、周囲の雨をも凍おらせる。
そして1筋の氷撃は雨粒すら配下に置き、群れを成してザビーネたちを襲う。
完全に行軍は止まっている。
後方では、わけもわからず混乱する傭兵たち。
術士たちは、前方で飛び交う魔力と上空に舞う魔力に不安と恐怖で震えていた。
早馬は見えなくなった。
ザビーネは横目で伝令のいた場所を確認し、フロストワイバーンを睨む。
ザビーネは呟きながら思考する。
「なぜ、一息に潰しに来ない? 優勢なのは明らかに奴らだ。」
「上空からは後方を威嚇するのみ。 正面のこいつは、私たちを殺しに来ていない。」
「魔物が、こちらの動きを制しているだと・・・
「そもそも、こいつはココにはいないはずだ・・・何が起きている。」
雨は勢いを増し王国兵たちの体力を奪った。
前方から軍馬の群れがザビーネの視界に入る。
そして上空の10騎は少し遠巻きに離れていく。
ザビーネは援軍に心を落ち着けた。
ようやくこの悪夢も終わると、そう信じた。
しかし、それは間違いに終わる。
斜面より帝国兵が後方を遠巻きに固める。
さらに、前方の馬群も王国のそれではない。
そして、風が止んだ。
雨は氷刃に変わり降り注ぐ。
僕は御者台から、周囲を警備する外のミーシャに叫ぶ。
「ミーシャ、馬車の影に隠れるんだ!」
このままでは、僕たちは全滅する。
周囲は帝国兵たちの叫び声で満ち溢れていた。
荷馬車には氷刃とボーガンのボルトが刺さる。
ミーシャは、馬車の下へ潜りつつ、上空に大きな火球を放つ
火球は氷刃を飲み込み、急激に加熱された水は炸裂。
上空には霧がたち、10騎を隠し空間にその影を落とす。
氷の雨が止むと、前後から帝国兵たちが僕たちを襲う。
僕は盾を構え、ミーシャと物資を守る。
他の傭兵も武器を構え応戦している。
挟撃され半壊しているこの状況に、ザビーネは唇を噛んだ。
「なぜ、探知できなかった。」
ザビーネは過ぎたことを復唱するほど思考が止まっている。
目の前では部下たちが蹂躙され、悲鳴が辺りに響く。
ザビーネは、その叫びでようやく我に返った。
火球を放ち敵兵を圧倒するも多勢に無勢。
ザビーネは、持ちこたえることだけを考えた。
兵士たちは乱戦になり陣形は崩れる。
それでも傭兵は魔術師達をかばう様に前進む。
王国魔術師たちは、列の中心へ集まり傭兵を守るように防壁を張る。
その時、上空を旋回する一騎が急速に高度を下げた。
急速するソレは地面をえぐり、数台の馬車を吹き飛ばす。
僕は混乱する戦場でミーシャを探す。
そして急襲をかけたワイバーンの向かう先に彼女を見つけた。
「やばい、あそこには法術隊が・・・ミーシャがいる。」
地面に衝撃を与えたワイバーンは冷気を吐き、生き残る魔術師達を睨む。
魔術師達は後ずさりしつつも、魔力を高め術式を完成させる。
複数の火球が飛び、そして魔術師達の前には土壁が形成された。
放たれた火球は、無情にもワイバーンの冷気にかき消される。
雨が降るような湿気の多い状況では、火属性はその力を発揮できない。
さらに、相手は火属性と相性が悪い。最悪である。
魔術師達は防壁を作り耐えるしかなかった。
遠巻きだった傭兵たちは、声を上げ自らを奮い立たせる。
「こっちだ、ドラゴン!俺らが相手してやるよ。」
「なぁ、お前ら、こいつを狩りゃーお貴族様になれるかもしんねぇよなぁ!」
「いちょ、やってやりましょーぜ!」
入隊の時の山賊モドキと取り巻き達だ。
僕は男達に加わり、ワイバーンの後方を扇状に囲み隙を見て飛び掛かる。
男達の連携により、ワイバーンの意識は法術隊にはない。
男達は、ワイバーンの牙を防ぎ、尾撃を搔い潜る、
そして一太刀、また一太刀と傷をつていく。
僕の想像とは違った。
それは青い返り血で鎧が染められたことだ。
そんなことは意に返さず、男達は叫び自らを鼓舞して恐怖を打ち消す。
僕は山賊たちに声をかけ先導する。
「オッサン達、飛ばれたら厄介だ。翼をやるよ!」
僕の掛け声と共に一部の男たちは、ワイバーンの注意を受け持つ。
男達はワイバーンに魔法を使わせる暇を与えない。
僕と山賊モドキはワイバーンの牙を掻い潜りカウンターを浴びせる。
これに合わせ、法術隊はワイバーンに樹木系魔法を駆使し束縛した。
低い咆哮の後、身動きが取れなくなったワイバーンに残りの男たちは飛び掛かる。
しかし、それは甘かった。
ワイバーンは甲高い咆哮を上げ、氷を纏い身を固めた。
そして次の瞬間、頭上より質量をもった吹雪に僕たちは押さえつけられた。
一部の男たちは直撃を受け、氷の彫刻のように固まっている。
目の前のワイバーンは纏った氷を払い、こちらを睨む。
雨は止み、季節外れの雪が降っていた。
僕は体を起こし辺りを見渡す。
視界はぼやけいてる。音もよく聞こえない。
目の前を悠然と横切る白影。
ワイバーンより二回りほど大きく、一対の翼を持ち、4足の獣。
明らかにワイバーン達と空気が違う。
これもドラゴンなのだろうか。
しかし、人影がまたがっている。
焦点が合うにつれ、僕はその惨劇を目の当たりにした。
悲鳴が飛ぶ中、横たわる肉塊を貪る白影。
騎乗する者は、逃げ惑う者を氷の刃に襲わせていた。
その光景は現実とは思えないほどだ。
僕は、無意識にその光景を否定するように小さく呟く。
「何だよこれ。なんなんだよ。」
現実逃避する自分と、状況を把握しようとする自分がせめぎ合い、体が動かない。
尚も、蹂躙し続ける白影。
先ほどまで戦っていたワイバーンはそこにはいない。
遠くからミーシャの声が聞こえる。魔法詠唱だ。
彼女は無詠唱で術式を完成できる。
しかし、詠唱するということは、まだ制御しきれない術式を使うということだろう。
彼女の属性特性は炎と風、どちらも効果が薄い、それでも彼女は戦っている。
彼女だけではない、先ほどの一撃を回避できた傭兵たちもドラゴンを囲い牽制している。
僕は思考を戻し、転がっていた剣を拾い走り出した。
「ミーシャ、こいつは僕達が引き付ける。君は騎士をねらって。」
「わかった、ルシア無理しないで。」
僕はミーシャの横を駆け抜け、ドラゴンの足を掻い潜り斬撃を与えた。
しかし、剣閃は血しぶきを纏わず、氷の切粉を飛ばし、鱗に突き刺さり終わる。
僕は鱗突き刺さった剣を捨て、回避に専念した。
取り囲む男達は隙をつき各々攻撃する。
数本の刃はドラゴンの鱗を傷つけるも、怒りを買うのみ。
ドラゴンは尾を使いその圧倒的な力で男たちを払い飛ばす。
その時、大きな隙が生まれた。
ミーシャ達の火球はドラゴンの騎士を狙う。
火球は複数直撃し、その衝撃で騎士が怯む。
ドラゴンの制御は一時的に騎士から離れ、行動にちぐはぐさが生まれた。
僕は隙を見て剣を回収する。
そして氷に覆われていない瞳に一撃を与えた。
息のある男達はドラゴンの斜め正面でけん制を続ける。
僕はドラゴンの爪を剣で払う。
攻防は続き、迫りくる巨大な顎は盾で防ぐも強引に進み、僕の頬をかすめた。
全く生きた心地がしない。
僕は、ドラゴンの顎を掻い潜り騎士へ盾をねじ込み魔力を流し込む。
ミーシャは僕の後ろから続き、のけぞる騎士の兜に、ゼロ距離で火球をぶつける。
刹那、二人はドラゴンの腕に薙ぎ払われ、崖の淵まで弾き飛ばされた。
騎士の兜は火球により吹き飛ばされて、その異常な表情をあらわにする。
騎士はニタニタと笑い明らかに場違いであった。
しかし、僕はこの顔に見覚えがある。
目の前が真っ赤に染まるように思えた。
そして握る拳に力がこもる。
「お前だけは許さない!!」
目の前にいるのは、遠い日に家族を置いて消えた男だった。
地面に落ちた剣を拾いつつ、剣に魔力をのせ、歪んだ笑みを浮かべる男に迫る。
ドラゴンの前足を躱し、騎士に一撃を放つが、剣閃は容易く止められた。
次の瞬間、男の背が遠くに見えた。
それは、大木のように太い物に跳ね飛ばされたのだ。
さらに、追い打ちが来る。
地響きと共に巨躯が迫り、その上半身を立てた。
僕は軋む体にムチ打ち、転がるように下がる。
ドラゴンは、立てた上半身を重力に身を任せ大地をえぐる。
傭兵たちは巻きこまれ、肉塊になった者、跳ね飛ばされ崖から落ちた者がいた。
僕は体勢を立て直すも、中腰が限界だった。
そして使える魔力も少ない。
「ルシアよけて!」
後方から閃光が僕を掠め、正面の騎士をとらえた。
しかし次の瞬間、氷槍がミーシャを襲う。
そして彼女の身は崖から舞った。
「ミーシャ!」
僕は必死に走った。
あの時のように、この男に大切な者を奪われるのか。
僕は追いかけ彼女を掴む。
後方からさらに氷槍が僕たちを襲う。
二つの影は1つになり崖から消えた。
不快な笑い声と共に、崖下からは大きな水柱があがる。
惨劇の後には、兵士だった肉塊と物資の残骸だけが残っていた。




