18(306).造られた聖母
彼女の瞳には、魔人の頭が宙を舞っている様に映った。
しかし、彼女にとってはどうでもいい事。
少し距離を置いた壁際には叫び狂う知った顔の女。
それも彼女にとっては、煩いだけだった。
同じ様に騒ぐ、見知らぬ瞳の群れも同じだ。
視界に映る物、耳に入る音、全てがどうでも良かった。
それは、この世界に生を受けた時から変わることは無い。
彼女が初めて見た光景は、無機質な薄暗い空間だ。
そこではじめに声を掛けられた。
それは何処かぼやけて聞こえる。
「成功したのは、お前だけね・・・」
「まぁいいわ・・・お前は、マリアルイゼ・・・じゃオリジナルとかぶるから・・・」
「そうね、17番目だから・・・ヴィクシィでいいわ。」
彼女には、それが自分を現す言葉だとは判らなかった。
呆然と視線を向けた相手は、一人話を続ける。
「お前の主人は、私じゃないの。」
「ソラス様よ。」
「・・・あら、いらっしゃったわ。」
目の前から消える人影。
自分が入れられている容器から液体が抜かれる。
それは、初めての事だ。
外気に晒された彼女は、肌を刺す空気の冷たさに震えた。
虚ろな視界には、もう1人映っている。
それは視界に入りきらない程大きい。
彼はゆっくりと近づき、優しく声を掛け、柔らかい布で彼女を包んだ。
「これを使え・・・」
「面白い存在だが、俺は止められている。」
「お前を愛することは出来ない・・・残念だ。」
彼女には、掛けられた言葉の意味を理解する知識は無い。
首をかしげる事すらもできない姿に、良くしゃべる人影はため息をつく。
「頭はダメみたいね・・・情報は空よ。」
「赤ちゃんみたいだわ。」
「まっ、静かないだけいいけどさ。」
それから彼女は、魔力に関する知識を良くしゃべる女から与えられた。
講師たるその女は、それに見合う知識も経験も無い。
それでも、時折姿を現す主人と、何処か温かみのある女性の説明で形になった。
数カ月が経ち、数年が経つ。
その頃には、一見した見た目だけなら盲目の女性と瓜二つ。
だが、彼女に継ぎはぎだらけ。
彼らに従い、初めて部屋を出た。
初めて見る太陽は、砂の広がる大地を焼き尽くす。
それは、北の大地とは真逆。
徐々に体力が奪われ意識は飛んだ。
気が付くと男に担がれ、地の底に続く大穴へ。
先を進む主人は、3人を残し奥へと消えた。
彼女には、隣で嘆く女の感情が分からない。
ただ、頭に響く主人の声に従うだけだ。
"魔力は解放しろ"
彼女は跪き、両手を組む。
その姿は聖母そのものだ。
しかし、マントから覗く継ぎはぎだらけの肌は、見る者に憐みを与えた。
それに気を取られる兵士達は、戦意と意識を奪われる。
兵士達は、浄化され高揚する精神と共に魂すらも浄化された。
その場の異常さに気付き叫ぶサラマ。
「魔道具を使うんだ!」
「絶対に手放すんじゃないよ!!」
彼の声に反応できた者は、東方の布を握りしめる。
それは、高揚する意識を無理やり抑え込むわけではない。
何処か物足りなさだけが残る状態で留めているだけ。
サラマを含め数名かの魔導士は、魔力発散を行う。
彼は、辺りを見回し残る魔導士たちに声を掛ける。
「魔力を溜め込むんじゃない。」
「何でもいいから放出するんだ。」
辺りには、適当な呪文を放つ魔導士の姿。
サラマは一息吐くと、部下たちに指示を飛ばす。
「余裕がある者は、顔色の悪い・・いや違うか。」
「至りそうな者へ発散を掛けてやってくれ。」
「効率が悪いなら適当な魔法で吐き出しながらでもいい。」
「「承知しました、サラマ様。」」
「君達も死ぬんじゃないよ。」
「「はっ!」」
反応を確認し、サラマは駆け出す。
それは、ドゥルーガとトリジャータの元へだ。
彼が駆け着けた先では、地面に横たわる二人の姿。
意識を辛うじて保っているドゥルーガだが表情がすぐれない。
「ドゥルーガ、大丈夫かい?」
「・・・ほら、多少は楽になったろ?」
「・・・すまない、サラマ。」
「私じゃ・・・・トリジャータを救えなかった・・・」
ぐったりとするトリージャの姿がそこにはあった。
サラマは眉を顰め、震える唇を噛み殺す。
「まだ、大丈夫だ・・・絶対に!」
「僕にトリージャを預けてくれ・・・必ず元気にする。」
「彼女の笑顔は、僕が取り戻す!」
サラマは、ドゥルーガからトリジャータを受け取る。
そして、強く抱きしめ魔力を発散させた。
それは、無謀ともいえる光景だ。
彼は、意識を失いくっだりとする彼女を抱き抱え、自らの魔力を高め発散する。
魔力の飽和する空間は、それを容易にはさせない。
サラマは、さらに命を燃やし魔力を高める。
繰り返される言葉は、自身を鼓舞するのか相手への想いなのか分からない。
「必ず助ける・・・約束したんだ・・」
サラマを包む魔力は、次第にその姿を陽炎の様な揺らめに変えた。
そして二人を包み赤紫の焔は天井高く燃え上がる。
終わりの無い魔力の移動は、彼の神経をボロボロにしていく。
痙攣を始めるサラマの瞼。
微かに震える指先に彼は唇を強く噛む。
「トリジャータ・・・必ず・・」
彼に包まれた女性は、微かな声を漏らす。
それは、悲痛の様でどこか安らぎがあった。
「サラマ様・・・」
サラマは口元を緩めるも、それは想う様に動かない。
それでも、彼は彼女の額に自らの額を当て願う。
「君だけは僕が助ける・・・・この命に代えても。」
サラマは、集団の後方から近づく記憶の彼方にある少年お声を感じた。
それは、薄れゆく意識の中で細やかな希望にも思えた。
次の瞬間、辺りを照らす魔導の光は何かに遮られる。
そして、その影は紅い光へと変わった。
それは、どこか安らぎにも感じられる温かい光。
飽和する魔力は、優しく温かい光によって強引に掻き消されていく。
それと同時に、サラマはトリジャータを抱えたまま意識を失った。




