14(302).儚き想い
壁際には生き絶え絶えの魔術師の男獣人。
その傍らで、縋る様に声を掛ける女獣人の騎士がいた。
男性の顔は血だらけだ。
少しずつその紅い鮮血は、温かい涙でにじんでいく。
サラマは、無理に笑顔を作った。
その唇から覗く牙は紅く染まっている。
彼の瞳に映る女騎士には、もう戦うだけの精神力な残っていない。
彼は、苦笑交じりに囁く。
「トリジャータ・・・無事でよかった・・」
「僕の事はいい・・本体へ逃げるんだ。」
すすり泣くトリジャータは、言葉にならない言葉でそれを拒否する。
しかし、彼もまた彼女を諭す。
「いいかい・・・僕は・・アイツに狙われないよ。」
「でも君は・・・君は、素敵な人だ・・」
「僕は・・君が・・汚される姿は見たくない・・」
「君は・・・強い女性だろ?」
「サラマ様・・・嫌です・・離れたくありません。」
「ダメだよ・・トリジャータ・・・」
「今・・アイツの意識は・・・部隊にある。」
「行くんだ・・・」
「・・・」
「私は・・・・・・」
そこには、苦笑ながら優しい表情のサラマがいた。
トリジャータは、涙を拭い立ち上がる。
そして、彼に背を向け、少し寂しそうな表情で視線を送った。
「サラマ様・・・今度は私が守ります。」
「さようなら・・・」
「トリジャータ!!」
壁際に横たわるサラマは、残された言葉に動かない体を呪った。
視線の先で、体形変化を始めるトリジャータ。
それは、一部の獣人のみに許された能力。
トリジャータの体躯は一回り以上大きくなり、その表情は人間らしさを失っていく。
変化していく彼女に何度も叫ぶサラマ。
その叫びが、自分から出ている事すらも忘れる程叫んだ。
洞窟には、野生の雄たけびが響き渡る。
部隊中心で暴れまわる嵐は手を止め、殺気を湛えた獣に視線を向けた。
そして、口元を歪ませる。
「ほう、先祖返りか・・・面白い。」
「虎もいいが、お前も良い。」
その言葉に、返る言葉は威嚇に似た唸り声。
対峙する二人に、残る部隊は距離を置く。
巨漢は、魔力を失った水を顔から拭い去る。
そして、新たに生えそろった腕を回し調子を確認。
対するトリジャータは、その見た目からでは一見女性には見えない程に変化している。
前傾姿勢になり、背を丸める彼女。
腕には剣などある筈もない。
両腕を前に構え走り出すトリジャータ。
それは、唸りと共に巨漢を襲う。
ぶつかり合う2つの力。
鈍い音が洞窟内に響き渡る。
組み合う二人。
一方は、牙を剥き唇を震わる。
対する巨漢は、不敵な笑みを浮かべ上唇を舌で濡らす。
遠くからは、弱々しいドゥルーガの声が辛うじて聞こえた。
「トリジャータ、何をやっているんだ・・・」
「お前が成る必要は無かったんだ・・・馬鹿野郎・・」
声の元に掛けよる兵士は、彼女に肩を貸す。
ドゥルーガは、寄りかかりながら彼女を見つめた。
その彼女の声は、トリジャータの耳に入ることは無い。
ドゥルーガ達の目に映る戦いは、人のそれではなかった。
獣の爪は巨漢の肉を削ぎ、牙は首筋を狙う。
それでも、巨漢には余裕がある様に思えた。
その傍らで、危険を感じ魔導具を起動させる女商人。
彼女は、血の気の失せた顔で必死に作業を急ぐ。
それは、青黒い煙を漂わせ、中心から青白い光を放った。
そして異界の門が開く。
"血の契約に従い、汝を主とする・・・"
カーミラは、召喚された魔人を苦笑いで見つめた。
そして、魔人に指を差し命令を告げる。
「はぁ・・どうにかなったわね。」
「あんた、私を守りなさいよ!」
"御意に・・・"
魔人は意を返し、彼女の居る空間を薄い魔力のベールで包む。
それは、彼女が青黒い薄い膜で覆われた様に兵士達の目に映る程濃い魔力だった。
半壊した部隊の奥からは、新たな兵士達の声が聞こえる。
カーミラは、胸を撫で降ろすも、同時に恐怖が襲い地面へと座り込む。
「・・・ふはぁー・・・大丈夫よね・・・私。」
目の前では、半魔人化したカイナラーヤと獣化したトリジャータがぶつかり合う。
しかし、カーミラには衝撃も音も、何かに遮られている様に盈虚は無かった。
遠くには、新たな獣人。
そして、憎たらしいファラルドの妹の姿。
本体は、先遣隊に合流する。
しかし、戦闘に参加できることは無い。
拮抗する人ならざる者の戦闘に、呀慶はため息をつく。
「西の者は何処まで浅はかなのだ・・・」
その言葉を耳にしたドゥルーガは、眉を顰めその言葉に咬みつく。
それは、ドゥルーガの同胞達も同じ意思を示し空気は重苦しい。
「おい、東の白髪! お前に何が分かるってんだ!」
「アイツは、もう・・・もう元に戻れねえんだぞ・・・」
「アイツの・・・トリジャータの意志を踏みにじんじゃねえよ!」
ドゥルーガの表情は、怒りから悲しみに変る。
地面を見つめるドゥルーガに、呀慶は睨み言葉を返した。
「だから、浅はかだと言った。」
「戻れぬ力など価値はない・・・」
「成った先で、悲しむ者の想いなど考えてい無いのかと言ったまでだ。」
「たとえ、その命で救えた命があっても、それは正義ではない。」
「貴様! トリジャータを愚弄する気か!!」
返される怒号に、声色を変える呀慶の瞳は何処か寂しげだ。
しかし、それはドゥルーガ達に何かを伝えようとしている。
荒げた声は、ドゥルーガ達へと投げられた。
「残された者の想いを考えた事はあるのかと言っている!!」
「死んでは、もう守る事も愛することも出来ないのだぞ・・・・」
「犠牲など考えるな・・・お前たちは、生きて帰る事だけを考えろ。」
視線の先で二人の戦闘が続く。
その姿を見つめ、ドゥルーガ達は唇の震えを止め俯く。
それは、否定できない想いだ。
しかし、自分たちの考えも間違ってはいない。
ドゥルーガは、地面を強く蹴り声を上げた。
「あぁ! なら何が正解なんだよ・・・」
「アイツは、大事な仲間なんだよ。」
「説教なんて・・・なぁ、アンタが偉い僧侶なんだろ・・・」
「アイツを・・・トリジャータを助けてくれよ・・・」
次第に弱々しくなっていく声。
ゆっくりと鼻から息を吐く呀慶は、視線を戦場へと向けた。




