16(192).緊箍の心呪
馬車は森を抜け、里を越え、また森を抜ける。
今にも落ちてきそうな程に重くるしい灰色の空。
それでも、吹き抜ける風は乾いていた。
久しぶりの御者台から見る風景は、何処か男心をくすぐる。
その姿を見るアリシアたちの視線は冷たい。
それを隣で笑う呀慶だけが、心のよりどころだ。
僕は、心浮かれ馬車を引く馬の頭に視線を向ける。
そこには、ピコピコと動く耳。
その視線に気づく呀慶は、僕に声を掛ける。
「ルシアよ、お主も知っているだろうが、我ら獣人は、耳で感情を表すことがある。」
「ほれ、馬車を引く馬の耳を見てみぃ。」
「今は横に向いておるだろ・・・あれは気持ちが楽な状態だ。」
すると呀慶の言葉を知ってか知らずか、馬の耳は、またピコピコと動く。
それに対し、呀慶は説明を続けた。
「ほれ、今度は、良く動く。」
「あれは、周りを気にしている状態だ。」
「だが、悪い意味ではない、興味を持っているんだ。」
僕は、爽やかに説明する呀慶の耳に視線を送る。
彼の耳はピンと立っていた。
それは、馬で言うところの興味がある事を意味する。
しかし、どこか違和感を感じる。
僕の膝の上には、弄られ飽きたラスティが背を預ける。
呆けた顔の彼女は、無意識に馬の尻尾に目を奪われていた。
「ダメだよ、ラスティ。」
「・・・うん、飛び付かない。」
僕は、2人の耳を交互に観察した。
その姿に呀慶は苦笑しか返さない。
結局分かったことは、獣人全てが同じではない事だけ。
馬車はその日、渓谷の入口に到着した。
そこには、意外な人物が二人。
彼らは、道端には俯き佇む。
それに視線を向け、声を掛けたのは呀慶だ。
「お主ら、玄褘はどうしたのだ?」
「奴一人では、何も出来んぞ?」
「・・・もしや、お主らも破門されたのか?」
それは、早とちりに終わるも、余り良い状況ではない。
彼らは頭を下げるも、呀慶はため息を返し諭す。
「お主ら、私ではないだろ。」
「まずは、仲間を頼れ。」
「お主らには大切な仲間がいるだろ?」
「馬車の荷台に行ってみろ・・・喜ぶやもしれん。」
彼らは、師の兄弟子の言葉に従い馬車の荷台に回り込む。
そして、頼るべき兄弟子に声を掛けた。
「美斉、すまん。」
「俺たちが居ながら、師匠の暴走を止められなかった。」
「アータが居なきゃ、おっ師匠様はダメダメよ。」
「ただの馬鹿になっちゃうもの・・・」
「ねぇ、美斉・・・戻ってきてよ。」
二人は、眉尻を下げながら、ようやく会えた兄弟子に安堵。
そして、無理に笑顔を作り彼女を説得する。
しかし、彼女は師の言葉を守ろうと塞ぎ込む。
「私は、糞坊主様に破門にされたのです・・・」
「こんな私など、糞坊主様は・・・」
「アータ、そういうとこよ。」
「もお~、土下座でも、なんでも一緒にしてあげるから。」
「でも・・・」
「私、糞坊主にこれ以上嫌われたくありませんもの・・」
沙簾の言葉にさらに俯く美斉は、何処までも彼女らしくはない。
その姿に行き所の無い感情を擁く剛蓬。
「あー! ジメジメジメジメしやがって。」
「いつもの勢いはどうした猿娘!」
「お前の好きな糞坊主があぶねぇて言ってんだよ。」
「俺たちだけじゃ助けられねぇんだ・・・」
彼女は、その言葉に視線を上げる。
そして眉を顰め、剛蓬を問い詰める。
「どういう事ですか?」
「はっきり、お話しください豚野郎!!」
美斉は、腕をクロスさせ剛蓬の胸ぐらを掴む。
それは、完全に極まっている。
ジワジワと変わる顔の色。
緑を深緑に変える顔色は、鬼気迫るものだ。
それに見かねた沙簾は、止めに入るも力不足。
「美斉、やめなさいな。」
「お師匠様の前に豚が逝くわよ。」
「豚など、どうでもいいのです。」
「さぁ、お話しください!」
「喉の肉がお邪魔ですか?」
もだえ苦しむ剛蓬は、必死で彼女の腕を叩く。
しかし、血を昇らせた彼女にはどうでもいい事だ。
「呀慶様も馬鹿猿を押さえてくださいな。」
「おい、美斉・・・仕方あるまい。」
呀慶は、印を結び抑揚のない、連なる言葉を淡々と唱える。
「オン ソンバ ニソンバ ウン ギャリカンダ ギャリカンダ ウン ギャリカンダハヤ ウン」
「 アノウヤ コク バギャバン バザラ ウン ハッタ ────────── 」
美斉は剛蓬から手を離し、頭を抱え悶え苦しみだしす。
それは、呀慶の声が止むと同時に収まる。
息荒く横たわる彼女に、沙簾は寄り添い、彼女の息遣いを整える。
頭痛と呼べるほど甘くない痛みが消え、落ち着いた美斉。
彼女の状態を確認し、剛蓬は事の顛末を話す。
それは、いつものお人よしである。
しかし、それは弟子たちを蔑ろにした、あまりにも杜撰な考えだ。
その事に、呀慶は大きくため息をつく。
「アイツは、まだ内を蔑ろにし、外面を整えているのか・・・」
「いい機会だ、アイツも含め、お主らには後で説教する。」
「・・・言っておくが、年寄りの説教は、つまらなく長いものだ。」
僕達は、項垂れる2人の案内で、彼らの師匠を救出に向かう。
谷から吹き荒れる風は、冷たくそして、僕達の進む道を阻んだ。




