37(175).アイン・グラディアートル
観客席からは、静かなどよめきが起こる。
一方は何処の馬の骨ともわからない少女。
しかし、その相手は”死狂い”と呼ばれた盲目の傭兵。
その実態を一部の者は知っていた。
「あの剣士、死狂いだろ。」
「この勝負は、レート低いんじゃねぇか?」
「ってもよ、見てみ。 爺さんの方でも言うほど割は悪るくねぇ。」
「まぁ、”死狂い”はドワーフ王国で死んだって聞いたけどな。」
「・・・あれだっけか、賢者殺しの奴か・・・」
「じゃぁ、噂なのか?」
「何がだ?」
彼方此方の囁きが、集中の邪魔をする。
中途半端に聞こえる声程、耳につくものだ。
目の前では、盲目とは思えない動きの中年。
それに目で反応できず魔力に頼る僕は、巨老人の悪酔い時と同格の恐怖を味わった。
耳につく言葉は、中年の過去。
ただ僕には、気のいい中年のアインには変わらない。
客席の囁きは、まだ続く。
「噂ってのはさ、死狂いが古代魔法王国の生き残りなんじゃねぇかって事よ。」
「はぁ?頭湧いてんのかお前・・・」
「もう2000年近く経つぞ?」
「そうだよ・・・賢者は生きてたじゃねか・・2000年。」
「それでも切り殺されちまったけどさぁ・・・」
「ってぇ事は、暗黒騎士って話か・・・」
「あり得んだろ、あっちはエルフ狩りん時にやられたって話だろ?」
「まぁ、噂だよ。噂。」
「で、お前はどっちに掛けんだよ。」
客席の囁きは似たような物は多く聞こえた。
暗黒騎士であるなら、それは英雄とも言い換えられる存在。
僕は、無用な情報に翻弄され、眉を顰めた。
アインの斬撃は、僕を見定める様に繰り返される。
そして、彼は僕を挑発。
しかし、顔つきが変わった様にも映る。
「ルシアよ、その腕では、何も守れんぞ。」
「お前には、失望した・・」
「死して還れ・・・もう用はない。」
彼は、刀を脇構えにし、地面を擦り加速する。
僕は、その強い殺気を受け、レイピアに魔力を流す。
刀は、跳ね上がる瞬間にさらに加速。
僕はギリギリで、その軌道に刃を乗せた。
2つの赤紫の焔は火花を散らす。
そして、刀から放たれた斬撃は空を切り、客席の壁に傷跡を残した。
その衝撃に、ようやく場内は沸き立つ。
僕は、盾を引き、レイピアを前に構える。
それは、攻勢に移れるからではない。
盾の強度では、耐えられないからだ。
その行動にアインの表情、そして口調さえも変わる。
「ほぉ、ようやくか・・・」
「ルシアよぉ、俺は、嬉しいよ。」
「お前の本気、見せてみやがれ!」
そしてアインの動きも変わった。
それは盲目とは何なのかと思わせる動き。
迫りくる刃を僕は、レイピアでいなす。
そして、円を描き、軸をずらし、距離を詰める。
レイピアは、僕の魔力を喰い続けた。
それは、アインも同じだろう。
互いの樋鳴りは、場内に響き渡る。
それは、ギリギリのせめぎ合いがそうさせていた。
だが、一歩踏み込めば首が飛ぶ。
「守りかい・・・それもよかろう。」
「だが、それで女は守れるのか!!」
アインは、その一歩を踏み出すと共に加速。
そして、一歩を強く踏み抜く。
場内に強い音が響き、僕はそこに気を取られた。
その刹那の隙が彼の一撃を成功させる。
アインの初撃は高速でレイピアを掠め上空へ。
そして、そこから上段の二撃目。
それは、僕の目の前で、姿を現す。
「その貧弱さでは、あの女は任せられん。」
「貴様は、死んで女に詫びろ!」
咄嗟に体を引き横に避けるが、盾の残る半分がそれに引っかかる。
それはもう盾の価値は完全に失った。
遠くからは、女性の籠った悲鳴。
僕は、間合いから抜け、体勢を整える。
そして、手に残る盾の残骸を捨てた。
それを見据えるアインは、眉を顰め目を細める。
僕は、自分に言い聞かせる様に言葉を吐く。
「アリシア・・・僕は負けない。」
「・・・・・アイン、僕は貴方を切る!」
「それでいい・・・それができないなら、ここで死ね!」
アインは、体勢を落とし刀を地面に突き刺す。
そして、それを引きずる様に加速を始める。
「守ろうが引こうが、結果は変わらん。」
「あの世で、女を見守っていろ小僧!」
僕は、円を描き、迫りくるアインの軸をずらす。
しかし、そんな事など関係ないかの様に追撃する刃。
僕は脇を閉め、いなす構えをとる。
その時のアインの視線は、ゴミでも見るかの様に感じられた。
「見当違いだ小僧・・・死ね。」
その瞬間、僕は体勢を更に沈ませる。
そして、アインの加速する刃にレイピアの刃を這わせた。
そこには、激しい金属音と共に激しい火花が生じる。
そして、延長線上にアインの刃はそれた。
「フン、それでこそだ・・・」
「それでこそ、あの方の想い人よ!!」
アインは空いた腕で殴りかかる。
僕はレイピアを持つ腕を回し、強引に逆袈裟に切り上げる。
「なんとぉぉ!!」
その斬撃は、アインの脇を通り肩ごと腕を切り飛ばす。
更に僕は、腰を入れ、魔力を込めた掌底を残りの腕に。
刀を握る手は、その握力を亡くし刃を失う。
そして抵抗力を失ったアインは、後方へ仰向けに倒れ込む。
失われた腕の断面からは、止めどなく赤い鮮血が溢れ出す。
男は、天井から降り注ぐ光に陰りを感じた。
そこにあるのは、温かく何処か傷を持つ魔力。
アインは、表情を無理に崩す。
「アインさん・・・僕は謝りません。」
「貴方を切ったのは僕ですから・・・」
「それでいい・・・ルシアよ。」
「つまらん奴・の手に、かかるくらいなら・・」
「・・・貴公に切られて本望だ。」
「・・あの女性を頼む。」
「アインさん・・・」
彼の笑顔は、重い責任を託された様に感じられた。
それが真実なのか、勘違いなのかは分からない。
それでも、その気持ちに僕は頷き答える。
「約束します。」
「ならば・・・サッサと・・女を取り返しに行け・・・」
「彼女を・・待たせるなよ・・・」
僕は、彼に頭を下げ、舞台から、主賓席に視線を送る。
そこには、もうあの男の影はない。
そして、師匠の姿も無かった。
しかし、冷たい視線が僕をとらえる。
場内からは拍手と共に、その男が僕を迎えた。
「西方出身のルシアさんでしたか・・・」
「貴方は、私と共に我が大殿の住まう城へ向かいます。」
「拒否権はございません。」
「・・・私に手を出しても、貴方ならわかりますよね。」
「2度目はございませんよ・・・」
「理解できたのなら、ご用意を。」
僕は促されるまま、控室へ向かう。
場内の歓声は未だに冷めることは無かった。
舞台では、一人の男が、光の中で朽ち果てる。
「神さん、俺は・・最後の最後に来て幸せもんだよ・・」
「なぁ、神さん、これ以上喜ばせなんでくれや・・」
「・・これで、王妃に・・姉に顔向けできらぁ・・・」
「・・・」
世界から、また一人過去の英雄が姿を消した。
風吹かぬ地下闘技場は、人々の熱狂で静かに風が渦巻く。
それは、一人の英雄を空へと誘った。




