36(174).死狂い
控室の扉を開けると、小さな毛玉が飛んでくる。
腕をすり抜け、顔に抱き付くソレはラスティだ。
不安定だからだろうか足をバタつかせ僕の首筋を蹴る。
「ラスティ、約束守っただろ?」
「ほら、降りて。」
僕は、彼女を両手で優しく抱き、椅子の上に置く。
そして、ラスティを抱いた時にグシャグシャになった紙を見せる。
それを訝しみ見つめる彼女は、少しだけ元気に見えた。
「ルシア、これは何?」
「師匠の身請け証だよ。」
「これがあれば、師匠は助かる筈だけど・・・」
「だけど?」
彼女は少し不安そうな表情で僕を見つめる。
僕は、その不安を振り払う様に彼女に笑顔で話す。
「なんにしても、あと1戦だよ。」
「必ず、3人でこの街を出ようね。」
空元気でも無いよりはマシだ。
彼女もそれに応じ、いつものやり取りに変わっていく。
彼女は、小さな手を伸ばし小指を立てる。
「約束?」
「そうだね。僕とラスティの約束。」
「うん。約束。」
僕は、彼女の小さな小指に自分の小指を絡ませる。
そして、彼女と約束を交わす。
静かに時間は過ぎ、彼女に見送られ控室を出た。
進む先の光に希望を抱き、僕は包まれていく。
沸き上がる歓声は、舞台に上がる2人へと投げられた。
一方は、盾を持ちレイピアを携えた小さな少年。
それに対するは、ボロに包まれた盲目の旅人。
僕はその光景に目を疑った。
正面の男は舌で唇を濡らし、何かを探る。
そして、ゆっくりと数歩前に出た。
「これは、ルシアさんじゃあ、ありゃしまんか・・・」
「めぐり合わせとは、悲しいものでございますね・・」
「どうして、貴方がこんなところに・・・」
「こんな老いぼれでも、買われちまったら従うしかありゃあせん。」
「どんな主人であろうとも、買われちまったら致し方ありゃしませんよ。」
「僕は、貴方と戦いたくはありません。」
「引いてください。」
「ハハッ、そりゃ、聞けねぇ相談でさぁ・・」
「分かってくれませんか?」
「ルシアさんは、アッシと試合う。」
「それでいいじゃぁありませんかい?」
「どうしてなんですか?」
「そうですねぇ、相手がルシアさんだからかもしれません・・・」
「男にぁね。見ておきたいもんがあんですよ。」
「特に子を持つ男にぁね。」
アインは、おもむろに杖を刀へと変えていく。
そして独特の構えで、こちらを見据えた。
「さぁ、みせてください。」
「ルシアさん、貴方の力を・・・」
丁寧な言葉とは裏腹に飛ばされる殺気。
そして見えない筈のその瞳からは、強い視線を感じた。
僕は、その殺気に気圧され、盾を構えレイピアに手を掛ける。
「いけませんよ・・それじゃあ。」
「その態度は、いただけません。」
「刃を向けるってのは、命を捨てたってぇ事なんだよ・・」
「アンタの命ってぇのは、そんなに軽いもんなのかい?」
「ならば、この老いぼれが刈り取るまでです。」
音も無く、舞台には砂煙が立つ。
そして、迫りくる魔力は爆発的に増大。
僕の目の前に刃が迫る。
しかし、構えた盾に助けられた。
明らかにそれは、挑発でしかない。
僕は、盾で彼を推し飛ばす。
尚も二人は、互いの間合いの中にいる。
その光景に場内は沸き上がるも、2人の世界は静かで重苦しい。
アインは左右を確認する様に首を動かし、空気を感じ、魔力を読む。
「ルシアさん、ちったぁ老人を楽しませる気にはなりやしたかい?」
「アッシはね、死に土産にアンタと真剣勝負がしたいんでさぁ。」
「アンタも剣士、その意味はわかりやすね?」
「もうやめてください!」
また、アインは首を動かし辺りを感じ取る。
そして柄を握り、力を籠める。
「ルシアさん、アンタはここで何のために戦う?」
「アンタは、アッシに負けたら何も残りゃあしませんよ。」
「アッシは、アッシを買った者を恨みもしやした。」
「でもね、この状況には感謝してます・・・」
「このところの神さんには、泣かされっぱなしですよ・・・」
「アインさん何を?」
アインは僕の言葉に、片方の眉を動かす。
そしてまた、首を動かし辺りを探る。
「アンタが、あの女に向ける気持ちは、老人一人も切れないと?」
「それとこれとは別でしょ!」
「僕は・・・」
僕は、彼の言葉の意味が理解できない。
しかし、僕の態度に苛立つ彼の感情は、その動きで理解できた。
言葉を聞く、アインは眉を顰め、その眉間に深い皺を作る。
そして、いつに無い強い口調で言葉を放つ。
「ならば貴様が、あの女に向ける気持ちなどその程度。」
「小僧、女を捨てて逃げかえれ・・・貴様には何もできない!」
アインの持つ刀は赤紫の揺らめきが覆う。
そして彼は、体を沈めた。
空気は変わり、場内は殺気に包まれる。
それは、観客すらも飲み込み、音を消し去った。
樋鳴りと共に迫る刃。
僕は意を決し、それを迎え撃つ。
しかし、魔鉱石の合金である盾は、その一部を残すのみ。
地面には、重い金属音が転がる。
アレだけ大きかった歓声は、その姿を潜めていた。




