15(153).エゴの狭間 - 幸福論 -
瓦礫の中に佇む男は、地面に横たわる従者の事を想う。
嬉しそうに微笑む彼の姿がそれに重なる。
”エーヴィッヒさま、これおいしいよ。”
その声は、もう聴くことはできない。
冷たくなりつつあるその体を、男はそっと抱きしめる。
「あぁ・・・ジョルジュ。」
「人というモノは、どうしてこんなに儚いのだ・・・」
涙にぬれる執事長の安らかな顔。
それとは対照的な憎しみに満ちた顔は想いに耽る。
彼に浴びせられる、火球は、彼を包む炎によりかき消された。
彼から放たれる殺気は、それに近づく害悪を拒絶する。
"エーヴィッヒ様、今度は何処に行くのですか?"
彼の目の前に映る光景には、まだ幼少期のジョルジュの姿。
彼には、静かに時が戻る様に感じられた。
彼がまだ、だたのエーヴィッヒだった頃の事。
街の片隅でボロに包まる黒いエルフ。
それに視線を送る、ボロを着た腹を鳴らす少年。
「おじさん。大丈夫?」
「僕のパン・・・あげるよ。」
少年は、枯れ枝の様にやせ細った男に、その日の食事を手渡した。
その日は、肌を刺す様な寒さが雪を呼ぶ。
男は置かれたパンに手を付けない。
彼は、全てに絶望し、風に流されるまま旅をしてきた。
気まぐれで寄った町の一角。
彼は、そこで純粋な優しさに触れた。
翌日も、少年は彼の元を訪ねる。
「おじさん。パン食べた?」
「・・・ダメだよ。食べなきゃ。」
「今日は、僕も一緒に食べるね。」
少年は、男の横に腰かけ、手に持つパンを嬉しそうに頬張る。
男は、少年の優しさに涙し、彼は共にパンを味わった。
それは、硬くお世辞にを旨いものではない。
それでも彼は、最高の贅沢だと感じた。
そして、食事を終え、指を舐める少年に声を掛けた。
「少年、おいしかったよ・・・」
「本当に・・おいしかった。」
「よかった。僕もおじさんと食べたから、おいしかったよ。」
少年の返す笑顔は、彼には重く感じられる。
そして彼には、その姿が少しずつ滲んでいく。
「おじさん、どこか痛いの?」
「僕が一緒にいてあげるよ。」
「少年、帰る場所は無いのか?」
「うん・・・」
外は寒く乾燥した季節。
寒空の下、彼らは寄り添う様に夜を越す。
月日は流れ、少年は成年へと成長した。
「エーヴィッヒ様、また研究ですか。」
「徹夜はいけませんよ。」
彼は、ジョルジュの小言が好きだった。
自分の為と言いつつも、彼の笑顔の為仕事する。
それは結果を結び、移り住んだ国で認められた。
いつしか彼は、時の表舞台に舞い戻る。
ジョルジュは言う。
「エーヴィッヒ様の研究は、ドワーフを幸せにしますね。」
「皆の笑顔がエーヴィッヒ様に向いていて、僕は嬉しいです!」
黒いエルフは、彼の言葉に力を貰い研究に打ち込んだ。
それは、彼の体に痛みを引き起こす。
そこで彼は、芥子の栽培を始めた。
研究は進むも時間は過ぎる。
それは、少年を青年へと変えた。
「エーヴィッヒ様、また徹夜ですか。」
「貴方が倒れては、民は嘆きますよ。」
「フッ、私は、お前が嘆かなければそれでいい。」
「・・・さっさとお休みください。」
彼は、過ぎる時を呪った。
それでも、巷で逸る苦手なコーヒーを飲み、研究を進めた。
それは、優しい養子の為だ。
全てを失った男は1つの愛情を大切にした。
それは、少しつづ広がり、国民の心へと伝播する。
しかし、万民が良い顔をすることは無い。
それでも民は彼を慕う。賢者様と。
その埃まみれの響きを彼は思い出す。
そして遠い昔の様に、民の為に研究を続けた。
エーヴィッヒは言葉を紡ぐ。
それは、今は亡き言葉。
静かに紡がれた言葉は光を放ち、巨大な鳥獣を生み出す。
「グリフォンよ。彼の者を運んでくれ。」
現れた一頭の使い魔は、横たわる躯を咥え、空高く飛ぶ。
それが小さくなるまで眺める男に、もう涙は無い。
空気は、さらに重く張り詰める。
風魔法で浮いていた2人の女性は、その羽をもがれ地面に平伏した。
「なによ・・これ・・聞いてないわよ・・・」
ナルは、異常な魔力の圧に息ぐるしさを感じた。
そして同じように地面に四つん這いになるクローネ。
正面に立つ剣士を見据える賢者。
その瞳には、二人の女性など映らない。
剣を抜き放つ男は、賢者に向け走り出す。
加速する彼の姿は、常人には映らない。
しかし、相手が悪い。
「小僧。一度は命を見逃してやったはずだが・・・」
「なぜ貴様らは、私から奪う。」
剣士は状況が理解できなかった。
走っていたはずが、首を掴まれ宙に浮いている。
彼は、目の前の赤い涙を流す黒エルフに唾を吐く。
「お前は・・国に仇なす存在・・民の・・敵だ!」
「だから、俺は・・お前を切る。」
紅い涙を流す賢者は、握る力を強めた。
そして、握りしめた命に冷たく問いかける。
「私がいつ、国に仇なした。」
「いつ、民を虐げた。」
握られた男は、体の感覚を失いながら横たわる彼女たちを想う。
そして、自問するしかできない。
「どこで・・・まちがったんだ。」
悲し気な魔力は、赤紫の炎となり、周囲を焦がす。
美しい、庭園はその姿を失い、彼の心の様に荒れ果てた。




