19(107).想い人
王都の町は食欲を誘うよい匂いが包む。
仕事を始めた、パン屋から芳ばしい香りが立ち昇り、
酒場や、食堂の軒先からは、香草の香り。
宿屋の庭にも香りは入り込んだ。
僕は、鍛錬を終え2人を起こしに部屋へ戻る。
意外にも師匠は起き、毛玉と遊んでいる。
毛玉は、彼女の意に反し、その気持ちを高ぶらせた。
予想はしていたが、師匠の悲痛の叫びは王都に響く。
ラスティは、そっぽを向き、自身の正当性を主張した。
「師匠、ラスティも・・・」
僕は、彼女たちが起きている事に安堵するが、その後はいただけない。
しかし、僕を他所に彼女たちは仲良く食事する。
互いの嫌いなものを相手の皿へ移動させながら。
それは、仲睦まじい光景だが、お互いの利点が一致していただけである。
店主さえも欺き、彼女たちは食事を終え荷物を取りに部屋へ戻った。
僕達は、ミーシャの慰霊碑へ向かう。
そして僕は、目を瞑り彼女へ声をかけた。
「ミーシャ、前に話した師匠だよ。」
僕は、ミーシャと別れてからの事を彼女の慰霊碑に伝える。
風は温かく、湿気を払う様に心地よく吹く。
その風は僕の頬を優しく撫で、時には髪で遊ぶ。
近況を伝えた後、僕の知る世界の変化を伝える。
「君の夢は、少しずつ理解されて広がっているよ。」
「・・・」
「じゃぁね、ミーシャ。 今度はカールに会いに行くよ。」
僕は、彼女の慰霊碑に手を合わせ、彼女と別れた。
その後ろでは、アリシアとミーシャも手を合わせていた。
風は優しく頬を撫で、天に昇る。
僕は慰霊碑を背に師匠たちを急かす。
しかし、アリシアは先に行けと返答し慰霊碑に残った。
彼女は僕を見送ると、慰霊碑に向かい直し、また目を瞑る。
"ミーシャ嬢、すまないな。”
” 私はアイツの大事な時に・・・何もしてやれなかった・・・"
"君のお陰で、アイツはアイツのままでいてくれたよ。"
"本当にありがとう。"
"少しの間、アイツを私に預けてくれないか?"
彼女は、返ることのない返答を待つ。
すると、風が彼女の髪を撫でる。
"なぁ、ミーシャ嬢。私は妾でも構わない。"
"それでも・・・君の様にアイツを守ってやりたいんだ。"
"こんな私でも、君に認めて欲しい。 自分勝手で済まないな・・・"
" 今度は、君の好物を持って、君の故郷に向かうよ。"
”それではな。”
アリシアの包むように優しい風が渦巻き、そして天高く登る。
アリシアは、その風に視線を向け微笑んだ。
僕達は王都の居酒屋街にいる。
僕は記憶を辿り、小さな淑女をエスコートした。
目の前には、桃色の一角獣が描かれた看板。
僕は、顰めた眉を元に戻す。
ドアを開けると鈴の音が店内に鳴り響く。
しかし、いつもの店員の声はない。
「すいません、そういった接客はございません。」
1人の背の低い女性が、ガラの悪い貴族に絡まれている。
ソレに見かねた背の高い店員は応援に向かう。
そして、利き足で強く床を踏むと強気で諫める様に話す。
「申し訳ありませんが、お会計はあちらです。」
彼女の強気な表情に笑みを漏らす貴族。
そして、品定めるような視線で彼女達を舐めまわす。
店内の空気は良くないどころか、ひどすぎる。
僕は、彼女たちの前に立ち、貴族を窘める。
「アンタ、彼女達嫌がってるよ。」
「貴族なら、らしく振舞えよ。」
ガラの悪い貴族は、眉を顰め僕に視線を切り替える。
その眉間に寄せた皺は、少し深くなりやがて消えた。
彼は、僕の品定めを始めている様だ。
その視線は上下に動き、胸部で止まり、顔へ移る。
そして深いため息を吐く。
「君は私の趣味じゃない。どきたまえ小娘。」
突き出された指は、意図的に僕の胸をつく。
立ち上がる貴族は、それなりの上背。
僕は、見上げる様に貴族の顔を覗く。
貴族は、店内に入る切れ長の目をした女性に視線を送る。
女性は、手を振り僕に対し声をかける。
「ルシア、わかりにくい場所なら待っていてくれよ。」
「ずいぶん探したじゃないか。」
僕は師匠に視線を送る。
それを理解した貴族は、またあの視線で師匠を値踏みした。
そして、店内に聞こえる声で僕をののしる。
「なんだよ、保護者が居るくせに、躾けも碌になってないのか。」
「それでは、保護者に責任を取ってもらわねばな。」
僕は、貴族の意を理解し、剣を抜く。
「僕の連れに手を出すな。」
鞘から走る刃は、その場にいる者の目には映らない。
貴族は、首に押し付けられた金属の冷たさで状況を理解した。
そして、貴族であることだけを盾に、血を高ぶらせ怒声を飛ばす。
「平民風情が、私に刃を向けるとは・・・」
「決闘だ・・・表に出ろ!!」
僕は彼の言葉を買う。そして、店先へ出た。
師匠は、少し不安そうな表情だ。
それは、相手が貴族であるためだろう。
それでも僕は、戦う決意をした。
貴族は、腰のショートソードを抜く。
その立ち姿は、リカルドにも劣る。
何度となく振られる剣は、枝を素振る音と大差ない。
貴族は回数を重ねるうちに肩で息をする様になる。
そこへ店の店主が現れ場を納めた。
彼女の横には、軍部の技術局長であるギリアムが控える。
彼は、その貴族に視線を送り場を引く様に伝えた。
貴族は、彼に頭を下げその場から消えるしか選択肢はない。
店主は、僕に声をかけた。
「ルシアちゃん、危ないことはダメよ。」
「あなたの行動が、彼女達を危険にするんだから。」
僕は久しくミランダの怒る顔を見ていなかった。
二人に礼を言い、師匠たちに謝る。
アリシアは、僕を抱きしめて、耳元で囁く。
「ばかやろう。 お前が牢にでも入れられたらどうしたんだ。」
「・・・でも、カッコよかったぞルシア。」
店先である事を忘れるほど、その言葉は深く心に響く。
僕は、彼女に抱擁で返した。
少しすると、その姿に見かね、笑顔のミランダが声をかける。
「アンタたち熱いのは良いのよ。でも営業妨害よ。」
「さっさと店に入りなさいな。」
僕達はミランダ達と共に改めて店に入った。
二人の店員は、僕に礼をする。
小さな給仕アーニーはいつも通り礼儀正しい。
しかし。大きい給仕フィンも何故か礼儀正しい。
不思議な状況に僕は、彼女たちに体の事を話す。
訝しく店員2人は僕をまじまじと見る。
そして、年を取らない僕にご立腹だ。
しかし、彼女たちは、助けられた事には礼をする。
その言動は、僕だとわかり雑になっていた。
店内の空気は昔と変わらない。
そこには客たちの笑顔があり、食事を楽しんている。
僕達は、ミランダからファラルドたちの話を聞いた。
彼は旧帝国帝都に移動し、そこの領主になったそうだ。
その為ファルネーゼもレドラムも旧帝都へ移動したという。
それは、功績だというが、ミランダの見立てでは違った。
彼女は、彼らを疎ましく思う派閥が絡んでるという。
僕は、深入りするべきではないと感じ話題を変えた。
僕が振った話は、ミランダのことだ。
「ミランダは、ライザ達の領地へは行かないの?」
ミランダは、想い耽る表情で頬杖をつく。
「今はいいわ。」
その視線の先にはギリアムがいる。
そして、ミランダは彼の元へ行く。
少し経つとミランダがギリアムを連れ、カウンターに戻る。
そして彼女は、少し居心地が悪そうに頭を掻く彼を紹介した。
彼はライザの元上司だという。
彼は真面目そうで笑顔のヒューマン。
しかし、その笑顔には、どこか真実が見えない。
服装は、師匠よりも雑だ。
色合いは適当で私服の上に白衣を羽織る。
足元は靴ではなくサンダル。
ミランダは、僕の事を家族みたいなものと紹介した。
ギリアムは、天上を眺め腕を組む。
そして、何かを思い出したかのようにハッとした。
「キミがぁ・・・ハハハッ。」
「君とライザのお陰で、僕はルーファスに殴られたんだよ。」
彼の表情は変わらない為か、その笑みはどこか恐ろしい。
彼は、僕達と酒を飲みながら国のやり方を憂いだ。
ミランダの、彼への表情は優しく、ミーシャが僕を見るような表情だった。
僕は、そういうことかと彼にミランダを推す。
恥ずかしがるミランダは、あまりある腕力で僕の背中を叩く。
「ちょっと、ルシアちゃん。 大人をからかっちゃダメよ。」
普通の農民なら脱臼しているほどの衝撃は、彼女の気持ちなのだろう。
彼女の笑顔は、僕の心を温かく包み、楽しい時間を与える。
王都の夜は更け、雑踏はもうどこにもない。
翌朝、僕達は王都を去る前に、もう一度ミーシャの慰霊碑を訪れ別れを告げた。
温かい風は渦巻き、僕たちを送り出す様に背中を押す。




