18(106).懐かしの土地と想い
翌朝、我が師匠は小さな淑女と、どうでもいい論議をしていた。
まだ朝は早い。この時間は彼女の活動時間ではない。
議題は師匠の起こし方だ。
傍から見れば、知的にも見えるかもしれない。
しかし、内容は本当にどうでもよかった。
時間というモノは平等で、くだらなくても同じように流れる。
それでも、今日はリーア領を旅立つ日。
僕は二人のやり取りを他所に、支度を進める。
そこに、部屋の外から執事の声が投げられた。
「皆さま、馬車の準備ができました。」
僕達は、荷物を持ち玄関へ向かう。
いつの間にか領主館のアイドルと化したラスティ。
彼女の後ろ姿に手を振る使用人たちは哀愁に溢れる。
ソレに返答する様に彼女の尻尾は優しく左右に振れた。
玄関では、使用人たちが領主とその息子の荷物を馬車に積む。
この状況は幸運だった。それは、5日前の夕餉の話。
ルーファスは四カ月に一度、王都に公務があるという。
それは、領地の報告と、王子の剣術指南だ。
イオリアは、話の中で自らを主張する。
少年は王子と共に指南を受けるという。
彼の話は王子との楽しい時間。
それは、微笑ましくも、羨むモノだった。
そんな僕の姿に領主は提案する。タイミングがイイからと。
僕達は、彼の提案に便乗した。
そして今に至る。
荷積みを手伝いながら僕は考える。領地は大丈夫かと。
しかし、視線に映る女性は笑顔で笑う。
ライザは、王都へは行かず、領主が戻るまで代理を務めるという。
彼女なら、領主には悪いが間違いはない筈だ。
荷物が積み終わると、ライザが僕と師匠に念を押す。
「みんな気を付けてね。 あとそこの二人、連絡。」
その瞳は静かだが殺意にも似た力を感じた。
それは死神に大鎌で首を抑えられている様だ。
この領地は何物も侵略することはできないだろう。
送り出された馬車を見送る女性は何時までも手を振っていた。
馬車は、轍や起伏にその車体を取られる事なく進む。
荷馬車とはえらい違いだ。
数日がたち、アナスタシアで僕たちはルーファス達と別れた。
アナスタシアの町は昔と変わらず閑静な姿を見せる。
それに反し、師匠の表情は商店街に近づくにつれ緩み始めた。
甘い香りに誘われた大きな妖精は、もはや害虫の様だ。
パン屋の店内に入ると、目を輝かせ僕にせびる。
彼女の目標は"鯛焼き"だろう。
時間は昼を過ぎている。置かれた商品も少ない。
明るかった表情は次第に曇り、彼女は眉を顰め項垂れる。
大きな子供に見かねた店主は声をかけた。
「アンタ、鯛焼きが目当てだったのか。」
店主は、以前の様に僕を餌付けしながら会話を進めた。
それをうらやましそうに見ながら返答する大きな子供。
ラスティは興味なく僕のフードで眠っている。
店主は少し待てと言い、店の奥へ声を投げた。
「なぁ、まだアレあったか?」
奥からは、女性の声が返ってくる。
その内容は大きな子供を明るくすることになった。
「鯛焼きじゃねぇけど、コレなんかどうだ?」
「献上品の余りで値段は少し張るがな。」
それはどら焼きより生地は柔らかく。
同じように豆を甘く煮たものが入っていた。
そして、店主の趣向で生クリームが入っている。
師匠は、目を煌めかせ店主に願う。
「それは、銅鑼焼きではないかぁ! いくらだ。」
彼女は、腰の財布袋から金を出し、あるだけ買い占めた。
その幸せそうな表情は、アナスタシアの町を明るくする。
どら焼きを頬張り、僕の手を引く姿。
彼女の頬には、相変わらずのクリームだ。
僕はそれを布で拭く。
すれ違うの人々は、笑顔で口に手を当てる。
繰り替えされる状況は、恥ずかしさなど記憶の彼方に置いていく。
僕達は、数日の食料を買い込み、アナスタシアを後にする。
日はまだ高い。それでも、湖畔の庵に着く頃には西の空は紅い。
僕は道すがら、彼女に墓を作った話をする。
その内容に彼女は頭を抱え、どうするか悩んだ。
ただ撤去することは、できないという。
いくら彼女を襲った相手でも、仏には変わらない。
僕たちは、誰のものかわからない墓へ向かう。
まずは墓に祈りを捧げる。そして森の奥へ改葬した。
庵には、ラスティが椅子の上にチョコンと丸くなっている。
その椅子には、まだミーシャの毛が残っている。
ラスティは、そこにチョコンと座り、彼女を感じているかの様だ。
それを眺める師匠は、その椅子をラスティへ与えた。
僕は、昔を思い出しながら料理を作る。
静かな湖は、その日少し賑やかになった。
翌日、師匠は庵を後にする際に、庵を囲う森の一部に結界を張る。
「これで悪意のある者は入れなくなったな。」
どんな原理かは僕にはわからない。
彼女は、教える気はない様だが、あのイタズラな笑顔を返す。
僕達にとって大切な場所は、後に"迷いの森"と呼ばれることになった。
僕達はアナスタシアに戻り、王都を目指した。
乗り合い馬車は、道に弄ばれ、乗る者に苦行を与える。
それでも、師匠は寝続けた。
僕に寄りかかる姿は、乗り合うモノの視線を集る。
その姿で微笑む者は絶えない。
僕は羞恥を感じながら馬車は進む。
戦争から大分経ち、馬車を襲う様な輩は今は少ない。
10日ほどで無事王都に着く。
王都の周りは、黄金色の絨毯が敷き詰められていた。




