16(104).幸せな家庭の一日
朝の領主館は慌ただしい。
使用人たちは素早く、そして静かに働いている。
そんな中、ローヒールが音を立てて走っていった。
それを追う様に、侍女の声も続く。
「奥様、そんなに急がなくても大丈夫ですよ。」
「ダメよ。こういうのは早い方がイイの。」
ライザが奥の廊下を横切っていく。
騒ぎの元凶は、昨夜の夕餉での話だ。
チーズがテーブルに並び、三人はソレを肴に葡萄酒を呑んでいた。
その表情に小さな少年はソレをねだる。
しかし、酔いのまわった大人には言葉など伝わらない。
3人の大人は、酒はダメだと止めるのみ。
伝わらない小さな少年の願い。
思い込みとはそれだけ危うみモノ。
彼はただチーズを願う。
繰り返されるかみ合わない会話に、少年は頬を膨らめ、僕たちに背を向ける。
ようやく気が付いたライザは、彼の機嫌を直す為、明日の朝食を提案。
それは新鮮な牛乳とチーズだ。
僕は、葡萄水を飲みながらその光景を眺めている。
ライザを見ていると、若いころの母を見ている様だ。
ここ数日、ライザは昔の様な振舞は身を顰め、母親のソレだった。
悪いことをすれば、その理由を聞き諭す。
良いことをすれば、しっかりと褒める。
そして、イオリアが見せる様々な表情を1人の人間として対話した。
その結果が、朝の行動なのだ。
僕の後ろでは、ベットで爆睡中の師匠。
そして、身だしなみを整えたラスティが僕の肩へ乗る。
「ルシア、ライザについて行こうよ。」
「ウチも、新鮮な牛乳飲みたい。」
僕は、彼女の頭を撫で、その意志に従う。
ライザ達は、玄関で御者の引く荷馬車を待つ。
僕は2人の女性に声をかけた。
「ライザ、僕たちも一緒に行っても良いかな?」
彼女は喜ぶも、その表情は昔の彼女。
それは、母親のそれではなく姉のそれだ。
ラスティは、ライザの膝に乗り、荷馬車の作る優しい風を感じていた。
馬車は、町を抜け、小高い丘を越え、牧草地帯に入る。
視界には、牧場主の家と牛舎が見えた。
まだ早いというのに、農場主たちは作業を終え一息ついている。
「おはようございます、ライザ様。」
「こんな早くにどうなさいましたか?」
農場主の奥さんは、ライザに立ち話もなんだと家に誘った。
従者は農場主に話を通し、搾りたての牛乳とチーズを買い受けている。
その量は、想定外だった。
世間話を終えたライザは、僕の顔を見て一言。
「ルシア、牛乳運ぶのてつだって欲しいな~。」
"な~"ではない。この場合は"運んで"もしくは"運べ"に変る。
僕は少し眉を顰め、従者と共に牛乳の樽を荷馬車へ運ぶ。
ライザは仰々しくも嘘くさい誉め言葉を飛ばす。
しかしそれは逆効果でしかない。
御者も駆り出され、3人で数日分の樽を荷馬車に乗せた。
流石に3人もいれば、時間は掛からない。
僕達は、余裕をもって朝餉に間に合うことができた。
ラスティとイオリアは、満面の笑みを浮かべ、搾りたての牛乳を飲む。
飲み終わったイオリアは可愛い老紳士になっていた。
ライザは、その老紳士の口を布で拭き小さなライザに戻す。
温かい雰囲気に包まれた食卓。
一服するとルーファスは、長居する事なく執務室へ仕事に戻っていく。
僕は、庭に出て朝できなかった剣の鍛錬をする。
日が大分昇った頃、ルーファス達も鍛錬を始めた。
ルーファスは、眼鏡をかけている。
僕は、初めて見るその姿を呆けた様に見ていた。
今まで見たことのない姿は新鮮だ。
そんな視線を照れるように彼は言う。
「ハハハッ、合わねえよな。」
ルーファスは、眼鏡をはずし、眉間をもむ。
そして首をもみ、首を鳴らす。
彼は町を眺め僕に話す。
「領主ってのは面倒臭いもんだが、民の命が懸かってっかんなぁ。」
「こんな姿でも、できることはしねぇとな。」
ルーファスは、数十回大剣を振ると息子を預けて、また部屋に戻った。
剣を振る少年は真剣に数をこなす。
基本は教わっているのだろうし、筋もいい。
綺麗な剣閃は、少年の体にしてはブレが少なかった。
僕は鍛錬を終え、イオリアの素振りを眺める。
暫く経つと、使用人が頃合いを見計らい現れる。
流石と言うべきか、ちょうどイオリアの鍛錬は終わった。
「イオリア様、昼餉のお時間でございます。」
「ありがとう、エーリア。 今行く。」
「ルシアもいこ。」
僕達がここに来て数日経ち、イオリアは僕たちに懐き始めている。
僕はイオリアに手を引かれ、昼餉に向かった。
午後になり、ライザの手が空くと、彼女たちは書斎で本を読み始めた。
親子二人は並んで本を読んでいる。
安いモノではない本は、くたびれていたが大切にされている。
自分からモノを学びに行く光景は、父か母の教育のたまものだろう。
僕は、脚を遊ばせながら本を読む少年に声をかける。
「イオリア、本は好きかい?」
イオリアは笑顔で頷く。
そして、僕に想いを話す。
「剣も本も難しいけど、みんなが褒めてくれるんだよ。」
「だから好き!」
それは、擦れた心を癒す光景だ。
僕は、イオリアの頭を撫で、書斎を後にした。
窓の外では、遠くの牧草が風に遊ばれ表面を紅く染めている。




