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転生したらシンデレラの実母(死ぬ予定)だったので、運命に抗おうと思います

作者: 矢口愛留

9/1

不足していた描写がございましたので、少しだけ加筆しました。


 ――たとえば、すごく不幸な生い立ちの少女がいたとする。

 少女は逆境にあってもめげずに夢を持ち続け、やがて最高で特別な幸せを手にする。


 不幸がなければ、彼女にはそれに立ち向かう(したた)かさが身につかず、幸せを得られなかっただろう。


 そして、もしも。

 彼女の不幸のきっかけを作ることになるのが、自分自身だったとしたら。

 その不幸な状況を作るか作らぬか、自分自身が選べるとしたら。


 その時、一体、自分はどうするべきなのだろうか――。



~*~



 シンデレラの実母に転生した。

 そのことに気づいたのは、私が突然熱で倒れて、三日三晩悪夢にうなされた後だった。


「おかあさま! おきて! おかあさま!」


 悲しそうに何度も私を呼ぶ、娘の声で目を覚ます。


「……エ、ラ……」

「あっ! おかあさま、おきた! おかあさま、だいじょうぶ?」


 目に大粒の涙を溜めて私の顔をのぞき込んでいるのは、娘のエラだった。

 三歳になったばかりの彼女は、輝く金髪と宝石のような青い瞳をもつ、器量の良い娘だ。


「ええ、大丈夫よ。ありがとう、エラ」

「よかったぁ。おかあさま、しんじゃうのかとおもった……」

「ふふ、この通り。お母様は死んだりなんか――」


 死んだりなんかしない、と言おうとしたところで、私は熱に浮かされている間に夢で見た、もう一人の人生を思い出した。


 黒髪黒目、文明の発達した世界に住む、会社員の女性、有紗(ありさ)

 今の私は、緑色の瞳と、エラと同じ金色の髪を持つ、男爵夫人――奇しくも同じアリサという名だが、その女性とは、容姿も境遇も、似ても似つかなかった。


「おとうさまーっ、おかあさまが、おきたよーっ」


 エラは、私が微笑んだのを見て安心したのか、とてとてと走って、父親を呼びに行く。


「……エラって……有紗の故郷で有名な、あの童話の主人公よね」


 ――灰かぶり姫。シンダー・エラ……すなわち、シンデレラ。


「私は……シンデレラの実母?」


 有紗の記憶を思い返す。


 シンデレラの継母たちがくつろいでいたリビング。

 王子の使いの大臣が、シンデレラと義姉たちにガラスの靴を履かせようとした玄関ホール。

 シンデレラの暮らしていた屋根裏部屋。

 実の母親が遺した、形見のドレス。


「全部……完全にうちの屋敷だわ。それに、あの城……間違いない」


 私は、窓から見える美しい王城を眺める。

 尖塔の配置、青みがかった屋根の色、輝かんばかりに真っ白な城壁。


 それに、何度か招かれたことのある、城内のボールルームを頭に思い浮かべる。

 赤いカーペット、黄金色のシャンデリア、入り口からボールルームへと伸びる大きな階段。


 ――間違いなく、シンデレラの世界で王族が居住している、あの城だ。


「つまり。私は……もうすぐ、死ぬ?」


 シンデレラの実母は、作中に登場しない人物だ。

 なぜなら、シンデレラが幼い頃に他界してしまうから。


「そして、私が死んだら……あの人は新しい妻を迎えて……」

「――アリサ! そんなことを言うな!」

「ダニエル? ……聞いていたの? どこから?」


 悲しみを目一杯顔に貼り付けて、私の枕元に駆け寄ったのは、夫のダニエル。

 ダニエルは焦茶色の髪と、エラとそっくりの青い瞳を持つ愛妻家だ。


「……私はもうすぐ死ぬ、というところから」

「まあ……」

「アリサ。どこか……悪いのかい? 普通の風邪ではなかったのか? すぐに医者を……」


 ダニエルは、エラとそっくりな目元を悲しそうに歪めて、ベッドの上に投げ出されていた私の手を、自身の両手でぎゅっと握る。


「いいえ、その必要はないわ。この通り、もうすっかり元気よ」

「じゃあどうして、そんな縁起でもないことを口にしたんだ。僕は、僕はアリサ一筋なのに……こんなにも君を愛しているのに。君がいない世界なんて、考えられないよ」


 ダニエルは、私の額に優しく口づけを落とした。

 今にも涙が浮かんできそうな彼の瞳には、私に対する確かな愛が込められている。


「アリサ……僕は、君以外の女性を愛することはない。絶対にね」

「ダニエル、でも……」

「……もし。考えたくもないのだけれど、もし万が一、君がいなくなってしまったとして。エラのため、家のために後妻を娶ることになったとしても、僕がその女性を愛することはないだろう。僕には、君だけなんだ」


 ダニエルは、本気のようだ。

 そういえば、有紗の記憶を思い返しても、彼と後妻の間には実子は生まれていない。

 ――そして、ダニエルも、エラを置いてこの世を去ってしまうのだ。


「……ダニエル。私も貴方を愛しているわ。けれど、何より私が望んでいるのは、エラの幸せなの」


 記憶によると、ダニエルが再婚を決めたのは、エラに母親が必要だと思ったからだ。

 愛がなくても、彼は必ず新しい妻を迎える。そう、運命で決められているから。


「それはつまり……」

「おとうさま、おかあさま」


 ダニエルが口を開こうとしたところで、部屋の入り口からこちらを覗いていた小さい影が、瞳に涙をためて駆け寄ってきた。

 エラは、父親に思いっきり抱きつく。


「エラはねえ、おとうさまとおかあさまが、だいすきなの。ふたりがいれば、エラはなんにもいらないの。だから、おかあさま、おとうさま、おねがい。しなないで」

「エラ……」

「エラはね、おとうさまがいれば、たからものもおもちゃもいらない。おかあさまがいれば、きれいなドレスもピカピカのいしも、くまさんのぬいぐるみも、なーんにもいらないの」


 エラはダニエルから離れると、私の胸元に顔を押しつけて、わんわんと泣きはじめる。

 ダニエルはエラの後ろからかかえ込むようにして、私とエラをいっぺんに抱きしめた。


 この物語は、シンデレラの世界なのかもしれない。

 エラが王子様と結ばれて幸せになるためには、私とダニエルは退場しなくてはいけないのかもしれない。


 ――けれど、私はこの世界で、エラの母親として、ダニエルの妻として暮らしてきた記憶がある。

 簡単にこの命を手放せるほど、愛する夫の命を諦められるほど――そして、いくら最後に幸せを掴むとはいえ、娘が虐められ辛い思いをする未来をそのまま受け入れられるほどの、心の器を持ってはいない。


 ――それに何より、可愛い我が子の成長を、ずっと間近で見守っていたい。


「ダニエル……お願い。お医者様を呼んで、身体の検査をしてもらいたいの。私も、あなたも」

「ああ、わかった。すぐに手配しよう」


 私はやはり、生きることを諦めたくない。

 夫と娘の幸せも、諦めたくない。

 ならば、全力で、運命に抗ってみようではないか。


 まずは、目先の課題――病による私自身の死を、回避するために動く。

 話は全て、それからだ。



 医師による健康診断を受けた結果、ダニエルの身体には特に問題がないということだった。

 ただし、これから病気に罹るのかもしれないし、まだ油断はできない。

 病気以外にも、誰かに恨まれてとか、移動中の事故とか、ダニエルの死には他の理由があるのかもしれない。


 少なくとも、私がいなくなってもダニエルさえ生きていれば、エラに対する継母や義姉たちによる虐めは、そこまで過激化しない可能性もある。

 だから、打てる手は打っておくべきだ。

 後で、ダニエルの周囲をしっかり調べてみよう。



 それよりも、今問題なのは――。


「奥様は、心臓に爆弾を抱えておられます。年齢を重ねるごとに発病の可能性が高くなっていく病です。今はまだ発症していませんが、発作が起きてしまうのも時間の問題でしょう」

「そんな……!」


 ダニエルは、医師の報告を聞くと、テーブルに肘をついて、頭を抱えてしまった。

 ――やはり、私は死神に魅入られているらしい。


「……なんとかする方法はないのか?」

「魔女の調合する特別な薬を飲めば、あるいは」

「魔女……? それは一体?」


 ダニエルの質問を受けて、医師は魔女のことを説明する。

 魔女は王都の近くにある『妖精の山』に住んでおり、魔法薬を調合したり、人の依頼に応えたりして生計を立てているらしい。


「その魔女なら、アリサの病を治す魔法薬を調合することができるのか?」

「ええ、おそらくは。ですが、魔女に会うには、何か特別な条件があるそうですよ」

「アリサが元気になるのなら、どのような条件でもクリアしてみせる! 詳細を教えてくれ」


 ダニエルは、医師から聞いた魔女の情報を取り急ぎ書類にまとめ、自身でも調べを進めていく。

 家のこと、仕事のことを家令に任せると、彼はすぐに出かける支度を始めたのだった。



「ピクニック、ピクニック、たぁのしみぃ」

「ふふ、エラ。あんまりはしゃいでいると、すぐ疲れちゃうわよ」

「でも、たのしみなんだもーん」


 私たちは、家族三人で、魔女の住む『妖精の山』に向かって、馬車を走らせていた。

 エラは私の膝上に乗って、窓の外、変わりゆく景色を一生懸命眺めている。

 夫のダニエルは逆に、心配そうな視線を幾度となく私に送ってきていた。


「それにしてもアリサ、寝ていなくてよかったのかい? 僕一人で行っても良かったんだよ?」


 ダニエルの言うように、最初は、彼一人で魔女の元を訪れる予定だった。

 しかし、私が、『妖精の山』には三人で向かおうと提案したのだ。

 私は夫を安心させるように、明るく微笑む。


「いいえ、平気よ。今は体調が悪いわけではないのだもの。それより――」


 私はご機嫌で鼻歌を歌っているエラの髪を、手ぐしで優しく梳いていく。


「――この子と、貴方との時間を大切にしたいの。この子の心に、楽しくて愛に満ちた思い出を、たくさん作ってあげたいのよ」

「アリサ……僕たちは、これからも……」

「もちろん、私だって、貴方たちを残して逝きたくないわ。けれど、もし私が運命に負けてしまったら、その時は――この子の心に残るあたたかな愛が、エラを導いてくれるはずなの」


 愛されていたという思い出が、幸せだった思い出が、きっとエラを強くしてくれる。

 逆境にも負けずに、自分の力で幸せを掴もうとする原動力になってくれる。


 私が目を細めて微笑むと、ダニエルは、膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、何かを堪えているような表情をしたのだった。



 そうして馬車で旅をすること半日。

 私たちは王都からほんの少しだけ離れた、静かな場所にそびえる小高い山――『妖精の山』に到着した。


 魔女の家は、『妖精の山』の麓から、うねうねと曲がる一本道を進んだ先にあった。

 ちょっと傾いたとんがり屋根には、煙の吐き出し口が六つもある煙突。それぞれの口から、違う色の煙がもくもくと出ている。

 窓は長方形でドアノブがついており、玄関扉は丸くてカーテンがかかっている。


 玄関扉をくぐると、魔女が自ら出迎えてくれた。

 私たちが来ることが事前にわかっていたかのように、テーブルの上には、紅茶が三つと果実水が一つ、用意されている。


「ようこそいらっしゃい、とびきり綺麗な心をもつお嬢さんに、愛情深くて聡明な旦那さん。それから――ちょっと変わった魂を持つ、ご婦人さん」


 魔女は、青いローブを身につけた、年配の女性だった。

 背中には蝶に似た透明な羽が生えていて、手には星の飾りが付いたステッキを持っている。


「まほうつかいのおばあさんは、ようせいさんなの? きれいなはね、とってもすてきね!」

「あらあらまあまあ、ありがとう。お嬢さんの未来も、とっても素敵よ。そうだわ、おばあさんのお友達を紹介してあげる」


 魔女がステッキを振ると、部屋の中に吊してあった鳥籠の扉が開き、青い小鳥が二羽、外に出てきた。


「かわいいことりさん!」

「おばあさんは、お嬢さんのお父様とお母様とお話があるの。小鳥さんたちと一緒に、お外で遊んでおいで」

「はーい!」


 青い小鳥たちが羽ばたいて出て行き、エラも小鳥を追って外へ行ってしまった。


「あの……」

「あの子なら心配いらないよ。今、外であの子の大切な未来が待っているからね」

「……? 未来?」


 魔女は、答えてくれなかった。かわりに、楽しげに、幸せを集めたような表情で笑う。


「あたしはね、夢を見る人の力になってあげるのが、何よりも楽しいんだ。そうして、心の綺麗な人が報われて、幸せそうに笑うところを見るのが、大好きなのよ」


 魔女は、人好きのする笑顔で、優しく笑っている。


「あたしは、本来辿るはずだった未来を知っているんだ。あの子の未来も、あなたたち二人の未来もね」

「――それって、もしかして」

「そう。あなたの知っている結末で間違いないわ、有紗さん」

「……!」


 私は、魔女の言葉に息を呑んだ。

 ダニエルは隣で疑問符を浮かべつつ、私と魔女を交互に見ている。


「でもね、有紗がアリサと一つになったことで、この物語の未来は、少しだけ変わったの。安心していいよ、あたしが何とかしてあげる」


 魔女は、棚から魔法薬を取り出し、私たちの前に差し出す。

 が、一向に、その手を薬瓶から離そうとはしない。


 私が首を傾げると、魔女は、絶えず浮かべていた笑顔を、すっと消した。


「――と、言いたいところなんだけれどね。あなた、迷ってるわね?」

「――!」


 心の内を言い当てられて、私は目を見開く。


「あたしには、あなたの悩みもよくわかるよ。ひとりじゃあ、答えに自信が持てないこともね。けれど、ひとりじゃ無理なら、どうすればいいのか――あなたなら、わかるわね?」


 私は、反射的に、隣に立つ夫の顔を見る。

 ダニエルは、話をほとんど理解していないはずだが、私の大好きな微笑みを浮かべ、力強く頷いてくれた。

 再び魔女に視線を向けると、魔女は満足したようにあたたかく笑う。


「すぐには答えが出ないでしょう? せっかくだから、ピクニックじゃなくてキャンプでもしてお行きなさい」


 そうして魔女がステッキを一振りすると、折りたたみのテントとランタンがダニエルの足下に。羽みたいに軽い寝袋が三つ、私の腕の中に現れた。



 テントを張り終えても、エラはまだ戻ってこない。

 私は、エラが戻るのを待つ間、ダニエルに『有紗』の記憶のことを話した。


「……正直、信じられない気持ちでいっぱいだけれど……でも、信じるよ。君のその目は、嘘をついていない目だ」

「信じてくれるの?」

「ああ。僕が何年、君に焦がれてきたと思っているんだい? 君の気持ちぐらい、手に取るようにわかるさ」


 ダニエルは、甘く優しく微笑むと、私の頬に口づけを落とす。

 彼の真っ直ぐな瞳を見ていると、私の不安もすぐに溶けていくようだった。


「それで、君が不安に思っているのは……君と僕の選択が、エラの幸せな未来を奪ってしまうかもしれない、ということで合っているかな?」

「……ええ、その通りよ」


 もしも私たちの命が助かったとして。

 私たちがエラの近くに居続けたら、彼女は辛い境遇に身を置くことがなくなる。

 そうなれば、逆境に負けずに夢を持ち続ける力を、得られなくなってしまうのではないか。

 王子様に見初められることも、なくなってしまうかもしれない。


「――結論から言うよ。君のその考えは、正しいとは言えないな」

「……え……?」

「アリサ。君は僕と結婚する時、こんなちっぽけな男爵なんかじゃなく、本当は王族と結婚したかったと思っていたかい?」

「思うわけがないわ。私は、ダニエルを愛しているもの。貴方が男爵だろうと、王子様だろうと、平民だろうと、私にとっては身分なんて関係なかったわ」

「だろう? そういうことさ」


 ダニエルは、嬉しそうに微笑み、先程とは反対側の頬にもキスをした。


「つまり、エラの幸せは、エラ自身が決めるってことだ」

「王子様に見初められなくても、本当に好きな人ができたら、それがエラの夢になる。それが、逆境に立ち向かう力を与えてくれる……そういうこと?」

「うん。そうさ。幸せは、自分の力で掴みに行かなくちゃ……君が首を縦に振るまで、僕が君に百回も告白したようにね」

「まあ……ふふっ。そうね、貴方がそう言うと、重みが違うわね」


 ダニエルは、とびきり甘く笑って、私の唇に自身の唇を重ね合わせる。


「……それに、僕は、君に生きていてほしい。僕と、ずっと――エラが幸せを掴むのを、見届けるまで」

「ダニエル……」


 ダニエルは、私の髪を優しく梳いている。

 私が、馬車でエラにしてあげていたのと同じように――甘く優しく微笑んで。


「エラだって、同じ気持ちに違いないよ。今のエラにとって一番大切なものを与えてあげられるのは、きっと、僕とアリサなんだから。君自身だって、もう、わかっているんだろう?」

「……あたたかな愛と、幸せな思い出?」

「そう」


 ダニエルは、満足そうに頷くと、再び私に口づけをした。


「運命が愛を運んでくるのではなくて、愛の強さが、運命を引き寄せてくれる。僕はそう思う」


 愛しい夫は、そう囁くと、何度も何度も、角度を変えて私の唇をついばむ。


「……そう、かもしれないわね」

「ああ、そうだよ」


 私は、少しずつ深くなっていく口づけを、目を閉じて受け入れたのだった。



 しばらくして、エラは戻ってきた。

 瞳をキラキラ輝かせ、頬を薔薇色に染めている。


「あのね、おともだちができたの! とってもやさしい、おとこのこ」


 エラは、転んで泣いていたところを、その少年に助けられたようだ。

 年は少し上で、とてもしっかりした、優しい少年だったという。


「ハンカチ、もらっちゃった。ここにくれば、またあえるかなあ? これ、かえさなくちゃ」


 エラの視線を追うと、彼女のすりむいた膝に、パリッと糊のついた高価そうなハンカチが巻かれている。

 ハンカチには、すっかり血が滲んでしまっていた。


「まあ、痛かったね! ちょっと見せてもらえる? 消毒しましょうね」


 エラが頷いたのを見て、私はエラの膝からゆっくりとハンカチを外す。

 ダニエルは、馬車から持ってきた薬箱を開け、傷口を消毒しようとして、エラに「しみる!」と泣かれていた。


 私は目を凝らして、刺繍の部分をよく見る。

 そこには――王家の紋章が、刺繍されていたのだった。



 『妖精の山』での一晩のキャンプを終えて、私たちは魔女から魔法薬を受け取った。

 魔法薬は苦くて酸っぱくて甘くて辛くて変な味だったけれど、身体にすうっと染みこんでいって、幼い頃からずっとあった、嫌な感じの脈がすっかり治まった。


「これで彼女は、生きられるのですか……?」

「ええ、病魔は去ったわ。それに、旦那さん、あなたもね」

「僕も?」


 魔女は優しく微笑むと、部屋を飛び回る二羽の青い鳥を指さした。


「つがいの鳥は、片方が死ぬと、もう片方もすぐ後を追うというでしょう? でも、もうその心配はないからね」

「まあ……! そういうことだったのね。良かったわ、ダニエル!」


 童話でシンデレラの父親が死んでしまったのは、愛する人に先立たれてしまった心労からだったのかもしれない。


「おとうさま、おかあさま、もうげんきになった? これからも、エラといっしょにいてくれる?」

「ええ、もちろんよ!」

「エラが大人になるまで、ずっと、ずっと一緒だ」


 私たちは深く抱き合い、これからも人生が続くことを、愛しい家族と過ごせることを、喜び合った。


「ねえ、おばあさん。また、キャンプしにきてもいい? あのね、おともだちがね、なつにもまた、ここにくるっていってたの」

「ああ、もちろんだよ。おばあさんは留守にしていると思うけれど、ここに来ればお友達にはきっと会えるよ。これから毎年ね」

「うん! ありがとう!」



〜*〜



 そうして私は、ダニエルと二人で、エラが大人になるまで、その成長をすぐそばで見守ることができたのだった。


 エラは、心の綺麗な、愛に満ちた優しい少女に育っている。

 年に何回か『妖精の山』へキャンプに訪れては、エラは『秘密のお友達』と仲を深めていった。

 魔女の家までは一本道だったはずなのだが、不思議なことに、あれ以来あの変わった家を見つけることはできず、魔女にも会うことができなかった。


 エラは男爵令嬢として、社交の場にも出るようになった。

 男爵令嬢という身分では、社交の場に出たところで王族と会うことはない。

 エラの『秘密のお友達』が第一王子殿下だったと彼女が知ることになったのは、デビュタントの舞踏会の日だった。


 この国では、デビュタントの衣装は白と限定されていない。

 エラが身につけたのは、その日のために特別に仕立てた青いドレスと、舞踏会の日の朝に届いた、差出人不明の小包に入っていたガラスの靴だ。

 デビュタントのダンスで、エラは王子様から声をかけられ、誰よりも美しく、幸せそうな笑顔を浮かべながら踊っていた。


 十二時ちょうど。

 屋敷に帰ろうとしていたところに、突然大きな鐘の音が鳴った。

 驚いたエラは、その場でつまずき、手の届かない場所にガラスの靴を落としてしまう。

 王子様は後日、自ら男爵家に足を運んでエラにそれを届け、そのまま求婚した。


 男爵令嬢という身分ではあったが、エラは賢く美しく、しかも夢を諦めない努力家だ。

 王子妃教育が始まると、教師の教えをぐんぐん吸収し成長していき、次期王妃としても申し分のない素養を発揮した。

 なにより、幼い頃から相思相愛だった二人を止めることなど、誰にもできなかったのである。



 こうして、私とダニエルは、エラの幸せを最後まで見届けることができた。

 本来の物語とは少し変わってしまったけれど、愛する人との時間を諦めなかったこと――それが私たちを、魔法のような幸せに導いてくれた。


「おめでとう、エラ。お幸せにね」


 盛大な歓声と、舞い散る紙吹雪の中。

 国民全員から祝福を受けるエラの笑顔は、誰よりも幸せに輝いている。

 私は、白髪が交じり始めたダニエルと寄り添い合い、いつまでも、いつまでも、結婚のパレードを眺めていたのだった。


最後までお読みくださり、ありがとうございました!

大変恐縮なのですが、最後に御一手間、★のマークを押して応援していただけますと、とても嬉しいです♪

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