帝都へようこそ
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──帝都へようこそ
朝一番に迷い犬を探すのを手伝った少年のパン屋に行って、パンをおまけしてもらった。パン屋には甘く味付けされた菓子パンの類もあるが、やはりあんパンはなかった。どうしてだろ?
「今日は仕事をしよう。模擬戦はなしで」
「模擬戦の方を優先すべきでは?」
「もうやだ。危ないし」
私はゴム弾だからいいけど、ロッティは真剣だし。危ないったらないよ。
「先生! 何か仕事が来てない?」
「あるぞ。面白い依頼が来ていたな」
「面白い依頼?」
ほうほう? 興味があるよ!
「どんな依頼?」
「観光案内と護衛だそうだ。護衛はそう珍しくないが、この店で観光案内を依頼されたのは初めてだな」
「へえ。観光案内かー。やってみたいな」
「おう。じゃあ、受けるか?」
「ぜひ!」
この帝都には見どころある場所がいっぱいある。それらを初めて帝都にやってきた人に紹介するのは楽しいだろうな。
「けど、護衛ってことはそれなりに身分のある人なの?」
「ああ。共和国貴族か何かだと聞いている。これが資料だ」
「へえ。アルブレヒトさん、ね。共和国公爵? 凄い身分の人じゃん!」
公爵って一番偉い貴族の階級だよね? 凄い偉い貴族だ!
「いいえ。よく見てください。この人は公爵ではなく、公爵位請求者です。そもそも共和国に公爵は現在存在しないはずです。革命で国王一家とその親族である公爵位の貴族は追放されましたから」
「あれ? そうなの?」
「養成機関で習ったはずですよ。寝てたんですか?」
「座学は退屈だから」
呆れたようにロッティが言うのに私は視線を泳がせた。
「だが、そのアルブレヒトって人間は共和国への帰国が許され、今や大きなビジネスをやっているらしい。資料の続きを読んでみろ」
「ホテルやリゾート会社の運営から経営コンサルタント業などなど。貴族の人がこういうことしてるって意外だな。貴族って政治家か農家が多いから。ほら、どの貴族も田舎に大きな屋敷を持って、農業をやるでしょ?」
「貴族としての領地は共和国に没収されたが、一族の城は残っているのだろう。それから貴族として養われた美的センスや貴族という肩書そのものを活かして、一種のブランドを作るというのは共和国では珍しくない」
リーヴァイ先生はそう語った見せた。
「じゃあ、今回の観光もビジネスかな? 帝国にホテルが進出とか?」
「さあな。それは分からないし、向こうとしてもビジネスの上での秘密になるだろう。だが、金払いはいいようだったぞ。儲かっているんだろう」
「ほうほう。なら、これで一発儲けよう!」
というわけで、私はアルブレヒトさんの観光案内と護衛の依頼を受けることに。
「ちょっと待ってください。護衛ということは依頼主はそれなりの敵がいるということです。調査を行ってから引き受けることを提案します」
「ん。確かにこういうのは事前に調査しておいた方がいいけど、何でも屋『黒猫』の仕事でそういうことをするのは初めてだね」
「これまでは事前調査などはしなかったのですか?」
「まあ、そうだね」
「はあ。油断しきっていますね」
ロッティに呆れられてしまった。
「でもね。そういうことを担当している人は知っているよ。今回の仕事はロッティの助言に従って、その人から情報を得て、それから引き受けるとしよう!」
「それでは私も参加します。オーウェル機関の任務ではないとしても、何もしていないのは落ち着きませんから」
「オーケー! 一緒に頑張ろう、ロッティ!」
私はロッティを連れて早速何でも屋『黒猫』を出る。
「情報源というのはどこに? オーウェル機関の関係者ですか?」
「そ。オーウェル機関の工作員のひとりで、普段はリーヴァイ先生みたいにフリーの人だよ。もっとも普段から頼っているわけじゃないけどね。ほとんどはオーウェル機関の任務の際に協力してもらってる」
「今回は協力してもらえるのでしょうか?」
「お金さえ払えば大丈夫」
私はロッティにそういって私たちの暮らすウェスト・ビギンから移動し、夜の街とも言える歓楽街ノーザンドックスへと入った。
かつて、このノーザンドックスはその名の通り船の建造や修理を行う乾ドックがいくつも存在した場所だった。
それがこの地区を買い取ったノーヴェンバー・エンターテイメントという会社の再開発によって歓楽街に姿を変えたのだ。
「ここでは私たちは目立ちますね」
「気にしない、気にしない。別にいちゃいけないわけじゃないし」
歓楽街では日が高いうちからお酒を飲んでいる人たちや、酔いつぶれて通りで寝ている人などがいる。それから露出の多いドレスの女性なんかもちらほら。そんな場所なので当然ながら子供などいるはずもないのだ。
だが、私たちは大して声をかけられることもなく、ノーザンドックスの通りを進む。
「そもそもこんな場所にオーウェル機関が人員を配置しているのですか?」
「もちろんだよ。こういうところにこそ、情報は集まるものだからね」
「そうなのですか」
だって、このノーザンドックスにはオーウェル機関が殺したり、利用したりする犯罪組織の類も根を下ろしているからね。帝都における監視すべき地域のひとつになっているわけである。
「こっちだよ。酔いつぶれてないといいけど」
「酔いつぶれ……? 大丈夫なんですか……?」
「大丈夫、大丈夫。酔って寝てたら、叩き起こすから」
私は心配するロッティにそう請け負って、とある酒場の扉を潜った。
「ども! エルシー姉さん、います?」
「ああ。ルーシィちゃんか。エルシーの姉さんなら、そこで飲んでるよ」
私が酒場のお洒落なバーテンダーに挨拶するとバーテンダーはにやりと笑って、テーブル席で飲んでいる女性を指さした。
その女性はブルネットの髪をセミロングにしたかなり長身の女性だ。年齢は30代前半ほどで、その女性は結構な赤ら顔のままに、さらなる色鮮やかなカクテルの入ったグラスを空にしようとしていた。
「やあ、エルシー姉さん。日の高いうちから飲んでるね!」
「ああ? ルーシィ? あんた、アレックス機関長から停職食らったって聞いたけど、何の用事で来たの? あたしの酒に付き合ってくれるわけ?」
「お酒は二十歳になってからでーす」
この酔っ払いもオーウェル機関の人間なのだ。
「つまらないやつ。で、そっちのちびっ子は?」
「ロッティです。ちびっ子ではありません」
「はん。どうみてもあんたはちびっ子だよ、ロッティとやら」
エルシー姉さんはロッティをそう言って鼻で笑う。
「態度悪いなー。ロッティだって仲間なんだから、そんなこと言わないでよ」
「悪かったよ。で、そこのちびっ子と一緒にこんなところまできて、何の用事だい? あんたは今は仕事はないだろう。こっちまでしっかり聞こえてるんだ。政治家を怒らせて、不味い立場にあるってね」
「そっちの方、どうなってるか詳しい情報ある? リーヴァイ先生からはまだ詳しく聞いてなくてさ」
「ああ。まずあんたがラッセル伯を突き出したことに反発しているのは、政治家の中でも貴族院の連中だ。もっと詳しく言うならば貴族院でも多数派の与党である保守党が文句を言っている」
「保守党って私たちに協力的じゃありませんでした?」
「政治家ってのは自分にとって都合のいいときだけニコニコしてるんだよ。都合が悪くなれば罵詈雑言さ」
「やーな感じ」
政治家ってのは必要だろうし、必ずしも悪い人でもないだろうが、あまりいい印象を受けることがない職業だと思う。
「ラッセル伯も保守党の所属だって聞いてたろ? 保守党の一部は自分たちの盟友であるラッセル伯が自首した背景に、オーウェル機関が存在することに気づいた連中がいる。オーウェル機関の存在を知っている人間は限られるが、いないわけじゃない」
「由々しきことです。我々の存在は秘匿されなければならないのに」
「オーウェル機関もこの国の金で養われている以上、政治家に完全に知られないってのは無理な話だよ。政治家も自分たちが金を出している組織を知らずにいるってのは納得しないことだろう」
ロッティが不満げに言うのにエルシー姉さんがそういった。
「その中でもジョセフ・マクスウェル候は首相に圧力をかけている。マクスウェル候は首相経験者でオーウェル機関について把握しているからね。表にこそ出さないものの、首相経由でオーウェル機関の行動を制限しようとしている」
「その人も自分が首相のときはオーウェル機関があれこれと帝国の敵を抹殺するのを見ていただろうにさあ。本当に自分に都合がよくないと態度が180度変わるんだね。やれやれだ」
「お子様が政治を語るんじゃないよ。お子様の脳みそで分かるほど単純な話なら、人類は政治を巡って社会が誕生してからずっと争っているわけじゃないんだ」
まあ、前世では選挙に行ったり、行かなかったりした私は政治について語る資格はないのかもしれないね。
「エルシーさん。ルーシィさんへの圧力はまだ続きそうなのですか?」
「個人的な嫌がらせは続くかもしれないけど、圧力というやつはそこまで続かないと思うね。アレックス機関長はそういう外部からの圧力に対してタフだから、相手の方が根負けするってところかねえ」
「そうですか……」
エルシー姉さんの言葉にロッティは残念そうだったけれど、私はまだまだ休暇は楽しめそうだと思ってしまった。ごめんね。
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