誰がその部屋にいるのか
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──誰がその部屋にいるのか
ヴィリアーズ伯が馬車で帰宅してからも私たちは見張りを続ける。
「おっと。また出て来たぞ」
暫くして帰宅したヴィリアーズ伯が出来て馬車に乗り込んだ。
「追うぞ」
デイヴィットさんが馬車を出し、ヴィリアーズ伯を追う。
馬車はサウスヒル地区に向けて進んでいるのが分かった。しかし、サウスヒル地区に何があるんだろうか?
「おやおや。どうやらホテルに入るようだな」
「オーガスト・タワーホテル、か。サウスヒル地区の有名ホテルだね」
問題のホテルはオーガスト・タワーホテル。帝都における高級ホテルのひとつだ。ボックス百貨店と同じ資本家によって運営されているとか。
「踏み込みましょう」
「待った、待った。今踏み込んでどうするんだ? ヴィリアーズ伯が娼婦とお楽しみのところだったとしたら、相当気まずい空気が流れるだけだぞ」
「しかし、このまま何もしないなら、どうして追跡したのですか?」
「俺に任せておけってことさ」
デイヴィットさんはにやりと笑ってロッティにそう言うと馬車を降りて、ホテルにひとりで向かって行った。
「何をするつもりでしょうか?」
「分からない。けど、エルシー姉さんがつけてくれた人だし、役には立つはずだよ」
「だといいのですが……」
私はデイヴィットさんに不安を抱かなかったが、ロッティは信頼してなさそう。
それから待つこと数時間、夜も更けていく中でデイヴィットさんが戻ってきた。
「オーケー。情報が手に入った。ヴィリアーズ伯が会っていたのは娼婦じゃなかったよ。やつが会っていたのはポール・テイラーって男だ。で、こいつの職業が何か分かるかい、お嬢さん方?」
「さあ? まさか傭兵とか?」
「いいや。こいつは銃の撃ち方も知らんだろう」
「もー! 早く教えてよ!」
私がデイヴィットさんが意地悪げに答えを渡さないのに憤慨。
「議員秘書だ。貴族院議員のマクスウェル侯。知ってるか?」
「マクスウェル侯? 本当に?」
マクスウェル侯って私が扱ったラッセル伯の事件で、オーウェル機関に圧力をかけている人じゃん! ここでこういう風に繋がってくるとは!
「ああ。間違いない。しかし、まだスパイのために会っていたと決まったわけじゃない。マクスウェル侯が政策の話を内務省事務次官であるヴィリアーズ伯に尋ねるために秘書を送った可能性もある」
「しかし、疑惑の渦中にある人物と深夜にわざわざ密会とは疑わざるを得ません」
「それはそうだが、慎重にやらないとお友達と同じように政治家から突っつかれるぞ。相手は保守党の重鎮だからな」
デイヴィットさんがそう指摘するのにロッティが黙り込んだ。
「オーケー。私はともかくロッティまで政治がどうのこうのに巻き込まれるわけにはいかない。ここは慎重にやろう。まずはオーウェル機関本部に報告だ」
「了解だ。エルシー姉さんに俺は報告しておく。エルシー姉さんからオーウェル機関本部に連絡が行くだろう。あんたらはあんたらの上官に報告しておくといい」
「なら、行動開始だよ」
こうして私たちはヴィリアーズ伯から繋がる糸を確かめるために、まずはそれぞれの上官に対して調査結果を報告することに。
私とロッティもウェスト・ビギンに戻り、何でも屋『黒猫』の社屋に飛び込んだ。
「リーヴァイ先生! スパイ事件で進展があったよ!」
「聞こう」
私が帰って一番にそう報告し、リーヴァイ先生が私たちの方を向いた。
「まず傭兵に繋がっていたのは内務省事務次官のヴィリアーズ伯。彼を追うように指示があった。そして、彼を追跡したところ、出てきた人物がいる」
「ジョセフ・マクスウェル侯です」
私とロッティが報告。
「マクスウェル侯? 保守党の重鎮にして首相経験者が容疑者か。しかし、それは面倒なことになったな……」
「下手をすると政治的な問題になるってのは分かってるよ。だから、慎重にやるつもり。証拠を確実に掴んでから行動する。それで問題はないよね?」
「お前のやり方は適さないとアレックスは判断するかもしれない。オーウェル機関のいつも通りのやり方の方が、問題が起きないと考えて」
「それはこのままヴィリアーズ伯も、マクスウェル侯も殺してしまう、ってこと?」
「その通りだ。お前の望むような結果にはならないかもしれない」
殺してしまうのは簡単だ。殺してしまえば異議を唱えられることも、私たちとは別の事実を伝えることもできなくなる。
だけど、殺してしまえば、殺す前には決して戻れない。
「それは嫌だな。アレックス機関長もヴィリアーズ伯にやり直しの機会を与えてくれるのを約束してくれているんだし」
「しかし、そうしなければいよいよマクスウェル侯がオーウェル機関に干渉してくるリスクがある。オーウェル機関の存在を暴露するだけでも、マクスウェル侯による干渉は致命的になりかねない」
「けど……」
「お前の気持ちは分かる。できる限りのことはしよう。アレックスにも頼んでおく。面倒な人間を暗殺する、殺してしまうというのは確かに短絡的な解決手段だ。他の方法を模索してから、決定すべき選択肢だろう」
「ありがとう、先生!」
誰も死なないのが一番いいに決まっている。いくら正義を掲げても、人が死に、血が流れれば、その正義は地に落ちる。私はそう思っている。
「まずやるべきことはヴィリアーズ伯が間違いなく、マクスウェル侯に内務省の情報を渡していたと確認することです。そのためにはヴィリアーズ伯を拘束する必要があるかと思いますが」
「もちろんだ。ヴィリアーズ伯から事情を聴く必要がある。しかし、これまでのように強襲して拉致するわけにはいかない。そんなことを政府高官に対して行えば、間違いなくマクスウェル侯の耳に入る」
ロッティが提案するのにリーヴァイ先生がそう返す。
「そうだね。ヴィリアーズ伯はマクスウェル侯と直接つながっている可能性があるから、マクスウェル侯もヴィリアーズ伯の動向は監視しているはず。だから、ことを荒立てることなく、ヴィリアーズ伯から話を聞かないと」
「俺も支援するので、ヴィリアーズ伯と適切なタイミングで接触するぞ。まずは監視だ。オーウェル機関の戦力を動員しておく」
「私たちは何をしておけばいい?」
「お前とロッティにはヴィリアーズ伯に接触してもらう。最悪、接触に事前に気づいたマクスウェル侯かその協力者が、ヴィリアーズ伯の殺害を試みるかもしれない。よって彼には護衛が必要だ」
「了解。誰も死なせないよ」
この事件で今のところ死んだ人はいない。だから誰も死ぬ必要はないんだ。
「俺はオーウェル機関本部に行ってくる。部隊を動員する要請をしなければならない。それまではお前たちも待機しておけ。そう簡単に終わる事件じゃないし、いつ事態が急変するかもわからない。休めるうちに休んでおくんだ」
「了解」
というわけで、私とロッティは待機することに。
「私、シャワー浴びてくるね」
「ええ。見張っておきます」
「任せた」
私は休む前にシャワーを浴びることに。
この世界でがっかりなのはお風呂文化だ。前世日本人としてゆっくりと湯船に浸かりたいが、あいにくこの世界には温泉でもない限り、お湯につかるという文化が存在しないのである。
この何でも屋『黒猫』の社屋にあるシャワーも浅いバスタブしかない。
ゆっくり温泉に浸かれたら、疲れも癒えるはずなのになと思うのであった。
「ロッティ。シャワー空いたよ」
「分かりました。何かあったらすぐに呼んでください」
「まだゆっくりしてていいんだよ?」
「そういうわけには」
「裸で出動はできないでしょ?」
「そ、それはそうですが……」
ロッティはそう言ってシャワーに入っていった。
「ヴィリアーズ伯からどうやって情報を引き出すか……」
彼が自分の意志でマクスウェル侯に協力している場合、情報を引き出すのはかなり難しいことになるだろう。
しかし、金銭に釣られていたり、フィルビー大佐のように脅迫されているのならば、まだ見込みはあるはずだ。
「きっと上手く行く。どうあっても行かせるさ」
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