犯行の背後に
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──犯行の背後に
「私は脅されていたんだ」
オーウェル機関のブラックサイトでフィルビー大佐が弁明するように語る。
「国家保衛局から情報を盗んで犯罪組織に売れって?」
「違う。それは、その、副次的なものだ。私的な目的だった。私は情報を盗み出し、とある人物に渡すようにと脅されていたのだ」
私が尋ねるのにフィルビー大佐は咳払いしてそう言った。
「脅迫のネタはなんだ、大佐?」
「とある売春婦に入れ込んでいたことだ。今思えばあの売春婦もグルだったに違いない。ハニートラップというやつだな」
「初歩的な諜報工作だな。よく引っかかったものだ」
フィルビー大佐の発言にリーヴァイ先生が呆れたように返した。
「その脅迫によってまず国家保衛局から情報を盗んだんだね。その脅迫を行っていた人は誰なの? 知っている人? それとも共和国の情報機関?」
「知らない人間だし、恐らく共和国の人間でもなかったと思う。そもそも、それが分かっていれば、私はまんまと脅迫されて言いなりになる必要もなかったことを理解してもらいたい」
「ふむ。それはそうだね。けど、私たちはその誰かに興味がある。思い当たる節や手掛かりはない?」
「恐らくは国家保衛局または内務省内部の人間だ。脅迫で求められた情報から考えるに私がいる部署について妙に詳しかった。外部の人間ではないだろう」
私が問いを重ねるのにフィルビー大佐がひとつずつ答えていく。
「内部の人間か。しかし、何の目的で……」
内務省や国家保衛局内部にいる人間が自分の組織にスパイをする理由が分からない。
「脅迫文の類は取っているか? こちらで筆跡などを鑑定する」
「もちろんだ。取ってある。私の自宅を探してくれ」
リーヴァイ先生は物的証拠から押さえていくことにしたらしい。オーウェル機関の科学捜査能力はそれなりだから、頼りにはなる。
だが、犯人が国家保衛局に詳しいぐらいのスパイならば、当然筆跡から突き止められることも知っているだろう。
「じゃあ、正確にあなたが脅迫者から求められた情報を教えて」
「ああ。犯罪組織、極右・極左政治団体、既存のテロリストに関する情報だ。私がいた部署では海外の犯罪組織や情報機関は捜査していないと知っていたのだろう。その手の情報は求められなかった」
「なら、そのことを知りたがる人間は内務省と国家保衛局の人間に限らず、どういう人間がいると思う?」
「それは当然その手の組織の人間だろう。事実、取引した東方系マフィアは私の情報を高額で購入した。もっとも連中にやったのは大したことのない情報だがな」
「あなたに愛国心がまだ残っていたようで何より」
フィルビー大佐が自慢げに述べるのに私は呆れてそう返した。
「特定の団体について特に情報を求められたことは?」
「ない。恐らくは自分たちの所属が分からないようにするためだろうが、情報を求めて出した名前は30以上の組織に及ぶ」
やはり犯人は特定されないように行動しているらしい。
「これだけでは特定は難しそうだね……」
「今日の尋問はここまでにしよう」
私がため息を吐くのに、リーヴァイ先生がそう言って尋問を切り上げた。
「アレックスが報告を求めているころだろう。あいつにとっても気になる事件だ」
「じゃあ、これから報告に?」
「俺が行っておく。お前は帰って休め。今回はロッティと一緒によくやってくれた。アレックスも認めるだろう」
「了解!」
アレックス機関長と話すのは正直気が滅入るのでリーヴァイ先生が引き受けてくれてよかったー!
私はブラックサイトになっている工場を出て、周囲にいるオーウェル機関の人間によるいくつかの手続きを経て、外界に脱出。
「ルーシィ。待ってましたよ」
「ロッティ! その馬車は?」
私が通りに出ると、ロッティがそこで待っていた。
「リーヴァイ先生とアレックス機関長が準備してくれました。共和国を相手に派手にやりあった後ですので報復も考えられます。よって、安全に帰宅できるように、ということだそうです」
「オーケー。送ってもらおう」
私とロッティは馬車に乗り込んだ。
帝都は夜の闇に沈みつつある。
「アレックス。フィルビー大佐はこの事件の主犯じゃない。ただの使い走りに過ぎない。もっと大物が潜んでいるようだ。フィルビー大佐周辺の人間を当たっていけば、次の糸は掴めるだろう」
リーヴァイがアレックスにそう報告する。
「ああ。既に関連する人間を洗い始めている。だが、相手もフィルビー大佐が拘束されたことには気づくだろう。だから、別の手段を考えている」
「というと?」
「フィルビー大佐を役者にする。やつを拘束しなかったことにして、再び脅迫者とやらに接触させる。それが確実に相手の尻尾を掴む方法だろう」
「なるほど。確かに悪くはない作戦だ。担当は誰が?」
「君たちに決まっているだろう、ベアリング卿。最後までちゃんと仕事をしてもらうぞ。君のところにはオーウェル機関で最強と言える戦力が存在するのだ」
リーヴァイがわざとらしく尋ね、アレックスは鼻を鳴らしてそう言った。
「そのことだが、今回はルーシィの願いも考慮してくれたのだろう? お前は誰かを殺せとは今回命じなかった。ルーシィが人殺しをせずとも、オーウェル機関に貢献できる任務を割り当ててくれた。感謝しておく」
「私だって適材適所という言葉くらいは知っている。カニンガム君は確かに優秀だ。腹が立つほどに優秀だ。そして、いざというときには最後に彼女を頼ることになるのも理解している」
「気に入らないように聞こえるが?」
「気に入らないとも。いくら優秀でも仕事のために自分を殺すことのできない、我がままな兵隊を気に入る要素は欠片もない」
リーヴァイの苦笑いにアレックスがぐちぐちとそう告げる。
「気持ちは分かる。俺たちは軍隊みたいなものであって、上官の命令は常に絶対だ。命令不服従は一種の反逆であり、重い罪になる」
「君はそれが分かっていながら、カニンガム君の独断専行と身勝手な信条を許容している。その理由は養成機関で君が間違った育て方した結果だとでも思っているのか?」
「養成機関で俺は殺しの術を叩き込んだ。殺さない暗殺者に育てるつもりはなかった。ルーシィはそれでも不殺を貫く決意をしていたんだ。彼女が俺の影響で問題児に育ったのではなく、俺の方が彼女に影響された」
「随分と大げさにいうものだ」
「それだけ彼女は大物なんだよ」
アレックスはため息を吐き、リーヴァイは肩をすくめた。
「ここからは私の愚痴になる。ウィスキーはどうだね?」
「いただこう」
アレックスはグラスをふたつ出すと、そこに琥珀色のウィスキーを注ぐ。
「確かに私はカニンガム君の信条に迎合して今回の任務を割り振った。いや、迎合というべきではないな。今回は生け捕りの必要性があり、それを達成できるのはカニンガム君しかいなかったのだ」
「そこまでして国家保衛局に恩を売りたい理由はなんだ?」
「それもまた他でもないカニンガム君のことだ、リーヴァイ。マクスウェル候が私に圧力をかけてきている。下手人たるカニンガム君を処分しなければ、オーウェル機関の公開と内務省への移管を行うとちらつかせて、こっちを脅迫している」
「それは不味いな」
「不味い? 我々は皇帝陛下直属の組織だ。マクスウェル候ごときがあれこれと口出ししていい組織などではない。私はマクスウェル候の圧力を断固拒否するつもりだし、彼が不用意なことをしようとすれば容赦なく始末する」
アレックスはそう言ってウィスキーのグラスを傾ける。
「お前もルーシィを守ってやってくれているのだな。俺にはこういうときに役立つ政治的なパイプはない。そちらを頼りにさせてもらう」
「私はただ私の貴重な駒が、何も分かっていない愚かな政治家によって失われるのが気に入らないだけだ」
リーヴァイが笑みを浮かべて礼を述べるのにアレックスはそう言って返した。
「ルーシィはよくやっている。たまには褒めてやれ。決してオーウェル機関のモットーに同意せず、任務を遂行する気がないわけじゃないんだ。ちゃんと帝国の敵は排除し、帝国を防衛している。だろう?」
「私だって好き好んで死刑執行命令を出しているわけではない。そちらの方がこちらにとって安全であり、不要な犠牲が出ないから、そうしているだけだ」
それを聞いてやはりアレックスはルーシィも含めた自分の部下たちのことを何よりに思っているのだなと、リーヴァイは感じていた。
「それに褒めるのは君が過剰なほどに行っているだろう、ベアリング卿。何をやっても褒めていると聞いている。ならば、私は嫌われものでいいとも。思いっきり嫌われてやろう。その分彼女は君を頼りにするのは間違いないからね」
「難儀な男だ。素直になればいいものを」」
リーヴァイはアレックスがウィスキーで顔を僅かに赤らめて言うのに、全く顔を色を変えずに苦笑いしながらウィスキーを味わった。
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