人を殺さない暗殺者
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──人を殺さない暗殺者
生まれ変わった私は使い魔に囲まれた聖女でもないし、婚約破棄されるご令嬢でもないし、ましてどこかのお姫様でもなく──人を殺す仕事を課せられた女の子だった。
私は背中まで伸びた長い金髪を後ろでくくって、ポニーテイルにする。お気に入りの髪型で、仕事の時間の髪型だ。
今、目の前には洋風建築で、レンガ造りの立派な屋敷がある。
帝都には地方に領地を持ちながらも、帝都にて宮廷貴族や官僚、将軍、大臣として勤務する貴族たちのための屋敷がある。それはタウンハウスと呼ばれるもので、帝都の高級住宅街にそれらは位置していた。
私が前にしている屋敷もそのタウンハウスであり、とあり貴族の邸宅だ。
『ルーシィ。そちらを支援する準備が整った。始めていいぞ』
「了解、リーヴァイ先生」
耳に着けた通信魔術機に上司からの連絡が来たのを確認して、私は動き出した。
専門の人間が上品に仕立てた黒いダブルスーツと同じく黒い外套は帝都の夜に溶け込んでいる。まるで闇夜のカラスと言ったところだ。
そのぴったりと体にフィットしたスーツのジャケットとパンツ、それから黒い革の手袋。それらは無駄にない動きを約束してくれて信頼感を感じさせ、また同時に仕事に臨む緊張感を与えてくれた。
「止まれ!」
私が屋敷に近づくと、その玄関を守る屈強な傭兵が私を呼び止めた。用心棒として雇われているだろう、その傭兵は首から頬にかけて入れ墨をし、その筋肉質な体を安物のスーツに身を包んでいた。
「ここはラッセル伯爵閣下の邸宅だ。何の用事で来た?」
傭兵はそう尋ねてくる。
「ええ。この度は伯爵閣下に事実を認めていただきたく参上しました」
「ふん。その物言いはブン屋の類か? 失せろ。閣下はお忙しい」
「そういうわけにはいかない。通らせてもらうよ──!」
「何だと」
傭兵が身構えた瞬間、私の右手の甲に紋章が浮かび上がった。赤く光るそれは五芒星を中心に描かれた複雑な幾何学模様だ。
「武装」
そして、私の手にずっしりとした鉄の重みがある異界の武器──大口径拳銃が現れ、私はそれをしっかりと右手で握り締める。その右手全体に手袋越しに鉄の冷たさが感じられた。
「刻印持ちだと……!? こいつ、襲撃者──」
傭兵が応援を呼ぶ前に、私は素早く銃口を傭兵に向けて、引き金を引いた。
放たれた45口径の非殺傷ゴム弾は傭兵をワンツーパンチでノックアウトする。
「お邪魔します!」
私は気絶した傭兵を飛び越え、屋敷の玄関を蹴り破ると屋敷の中に押し入った。
「わっ! な、なんだ!?」
「民間人は伏せて! 下手に動くと怪我するよ!」
私は屋敷の中にいた使用人たちに警告を発して屋敷の中を一斉に駆け抜ける。
「襲撃者だ! 賊が押し入ってきたぞ!」
「阻止しろ!」
そこにこの世界の基本的な歩兵装備である、マスケット銃やサーベルを構えた傭兵たちが立ちふさがってくる。それらは数にして7、8名。1個歩兵分隊規模だ。
マスケット銃は帝国陸軍標準のエンフォーサー小銃。それは口径16ミリのフリントロック式マスケット銃だ。
「止まらないよ。押し通る──!」
再び私は銃口を傭兵たちに向け、ゴム弾を叩き込む。ゴム弾は傭兵を殺害することなく無力化し、傭兵たちは次々に床に倒れていく。
「クソが! くたばりやがれ、あばずれ!」
そこでエンフォーサー小銃による一斉射撃が来た。
「ほいっと!」
私は脇にあった部屋に飛び込み銃弾を回避する。この程度の銃撃を躱すのは訓練された私にはどこまで容易なことだ。そして、傭兵たちの所持するマスケットから銃弾が放たれたのちに、すぐさま元の廊下に戻る。
マスケット銃はその構造上、連射はできないため一度銃撃を回避した後はボーナスタイムだ。まして私のコルト・ガバメントは精度と射程、そして速射性能の全てにおいてマスケット銃に勝っている。
「通らせてもらうよ!」
「ち、畜生──っ!」
廊下を駆け抜けながら、次々にゴム弾を叩き込んで、傭兵たちをノックアウトだ。
『ルーシィ。そっちの騒動が通報された。警察軍が出動しようしている。急げ』
「了解!」
私は上官からの言葉を聞きながら次々に傭兵たちを無力化して進む。
「目標はこの先──」
私が扉の前に立とうとしたとき、嫌な予感がして私は素早く扉の脇に飛びのいた。その直後、大砲のような銃声が響き渡った。
散弾だ。散弾が扉の向こうから発射され、扉に大きな穴が穿たれた。
「やったかっ!?」
「残念。やってないし、それはフラグ!」
扉の向こうから男の声がするのに、私は拳銃を構えたまま大穴が開けられた扉を蹴り破って、部屋の中に滑り込んだ。
「クソ! 貴様、私が皇帝陛下より帝国伯爵の地位を与えられたアーネスト・ラッセルであると知っての振る舞いか!」
先込め式の散弾銃を握った中年の男がそう叫んでくる。
「あなたがアーネスト・ラッセル伯だね。あなたに話があってきた」
「な、何だ?」
「あなたには帝国陸軍の新型小銃導入の件で、入札に参加していたハイランダー・アームズから賄賂を受け取り、その帝国議会議員としての政治的権力を使って便宜を図った。間違いないかい?」
「そ、そんなことはしていない! 私は潔白だ!」
「嘘だ。ちゃんとここに証拠がある。見るものが見れば、これが何を意味しているかを理解できるはずだよ。これでも否定するかい?」
私は事前に準備しておいた帝国銀行における、このラッセル伯の口座に出入金を記した記録を突きつける。ここにははっきりと、偽装された口座からラッセル伯の口座に5000万ゴールド近い金額が入金されていた。
「これをどこで!? て、帝国銀行が流したのか!? 貴様は一体……!?」
「一応は暗殺者。本当は正義の味方とは言いたいけど、それとはちょっと違うかな。あなたの犯した汚職はお見通し。けど、警察軍に任せていてはあなたは警察軍に圧力をかけて捜査を止めさせる。でしょ? だから、ここで約束してほしい」
「何をだ……?」
「私が去った後に警察軍が来る。彼らに自首をして。その罪を認めるなら、あなたのことは見逃す。殺したりしない」
「ふ、ふん! 何をはったりを! 私がどうしてそんな馬鹿げた約束をしなければいけないというのだ! 私は帝国伯爵にして帝国議会議員だぞ! ふざけたことを抜かすな、この小娘風情が!」
ラッセル伯が強がるのに私はため息を吐いて彼を見つめる。
「いいかい。罪を認めなかった場合、次に来るのは私じゃない。あなたを帝国にとっての悪性腫瘍としてしか認識しない、本当の暗殺者だ。聞いたことはあるだろう。帝国にはそのような暗殺者集団がいることを」
「まさか……。噂で耳にしたことはあるが、そんなもの都市伝説のはず……」
「都市伝説かどうかを確かめることはできるよ。あなたの命と引き換えにね」
どうするというように私は彼を見つめる。
『ルーシィ。警察軍がもうそこまで来ている。まだか?』
「もう少し待って。彼のためにも」
『全く、お前というやつは……。分かった。時間を稼いでおく』
「ありがとう、先生」
さて、警察軍が来ると貴族の屋敷に押し入った私も拘束される。それはいやだね。
「約束して。あなたのために言っている。あなたが罪を認めなければ、今度はこんな選択肢もなしに殺されるだけだよ。あなたも死にたくはないでしょ?」
「くっ……。分かった……。警察軍に自首する……」
「オーケー。それでいいよ。じゃあね!」
私はラッセル伯が同意したのを確認してから部屋を飛び出した。
「と、止まれ!」
「もう帰りまーす!」
ゴム弾の衝撃から立ち直った傭兵を蹴り飛ばし、そのまま一気に廊下を走って、裏口に面した窓から飛び降り、裏庭に着地。
既にラッセル伯の屋敷には警察軍の騎兵が立てる蹄の音が響いていた。彼らはすぐそばまで来ており、到着を知らせるサイレン代わりの警笛を鳴らす音も聞こえる。
「先生。無事に脱出した。これから合流地点に向かうよ」
『了解だ。なるべく急げ』
私は夜の帝都を駆け抜けて、合流地点を目指す。合流地点は帝都に広がる広大な公園であるキングス&クイーンズ・パークだ。
そこにユニバーサル貿易という会社のロゴが入った馬車が止まっている。私はその馬車を目指して最後の直線を走り抜け、大急ぎで馬車の扉をノックした。
「ルーシィ。無事か? 目標はどうなった?」
馬車の扉が開き、そこから老齢ながら髭が似あうイケメンの男性が姿を見せる。黒いスーツに身を包んで、ハンチング帽をかぶった、この大柄な男性こそ私の上官だ。
「自首するって約束してくれたよ。少し脅かしはしたけどね」
「オーケー。なら、後は警察軍の連中に任せて撤退だ」
「了解」
馬車に飛び乗ると馬が嘶き、馬車は急速にキングス&クイーンズ・パークを離れた。
私はルーシィ・カニンガム。
元日本人の転生者であり──人を殺さない暗殺者だ。
私の話は多くの人にとって驚く話かもしれない。
私は日本人で女子大学生だった。名は天竜凛。
勉学は可が取れればいいという具合で、あまり熱心でなく、大学では勉学そっちのけで遊び回っていた。
それがある日目覚めたら異世界である。知らない鏡の前で知らない少女が私を見返していて、それが自分の顔だと気づくのに酷くかかった。
最近うわさの異世界転生? と思ったもののだ。転生先は聖女とか、あるいは聖女のおまけとかの定番のポジションなどではなく、孤児から育てられた暗殺者なのだから、本当にびっくりするしかなかった。
暗殺者? 私が? と酷く困惑した。
だが、私は間違いなく、名無しの孤児という身にルーシィ・カニンガムという名を与えられた、組織の暗殺者であり、あらゆる人を殺す手段を叩き込まれていた。それこそ鉛筆で人を殺す方法すら教えられていたぐらい。
だが、いくら殺しの手管を仕込まれようと、私には譲れないものがある。
それは『人は殺したくない』ということ。
倫理的に考えて、殺人とは嫌悪されるべきものであり、同族殺しはあらゆる罪の中で忌避されるべきものだ。たとえ相手がどんな人間であっても、そう簡単に殺していい理由にはならない。
まして、それが法によって公正に下された死刑判決などではなく、単なるひとつの政府組織が勝手に下した命令であるならばなおのこと。
だから、私は殺さない暗殺者をしている。
さて、私の信条表明はこのあたりにして話を進めよう。
私たちの暮らす帝国にはオーウェル機関という極秘の情報機関が存在する。
その情報機関の目的は『あらゆる敵から帝国を守ること』だ。
文字通り、売国奴からテロリスト、帝国に敵対する諸外国に至るまで、全て。
そんな超法規的な秘密組織が私の所属しているものであった。
そんなことを思い返しながら私は目の前の御仁を見る。
そのアッシュブロンドの髪をオールバックにした壮年の神経質そうな紳士は、広げられた新聞と私の顔を交互に見て、何か言いたげにしていた。
そして、紳士の黒縁のメガネの向こうにある灰色の瞳が私の方を見据えた。
そのメガネのレンズにポニーテイルを解き、髪を真っすぐに伸ばした私の姿が映る。
「カニンガム君。私の命令は何だったかな?」
「えーっと。ラッセル伯の汚職疑惑を暴き、法の裁きを受けさせろ、でしたよね?」
「違う。私ははっきりとこう言った。『帝国の敵であるラッセル伯を殺せ』と。それがどうしてこういうことになっているのか。言い分があるならば、是非とも聞かせてもらいたいものだ」
その紳士の視線が新聞に向けられる。
新聞の一面にはこうあった。『帝国議会議員ラッセル伯、贈賄の容疑で逮捕。ハイランダー・アームズ社にも疑惑が広がる』って。
「解決したからいいじゃないですか。罪人はその罪を認め、しかるべき場所でその罪を贖う。ハッピーエンドですよ。ね?」
「命令の拡大解釈や曲解は軍隊において、抗命罪に当たることを覚えておくことだ、カニンガム君。私が海軍にいたときは抗命罪を冒した兵士は銃殺にするか、鞭打ちの刑に処したものだ」
紳士の名はアレックス・ハーバート。帝国侯爵にして、元海軍大佐。
そして、オーウェル機関機関長である。
「君が本当に無能な落伍者であれば養成機関に叩き返すだけなのだが。全く忌々しいことに君は優秀だ」
ため息交じりにアレックス機関長がそう言う。
「その刻印に至るまで、本当に優秀だ。オーウェル機関における最大戦力に等しい。この私ですらもそのことについて議論する気はないほどに。それほど有能な人材で、結果も出し、さらには君は私を苛立たせる天才だ」
「お褒めいただき光栄です。そろそろ……」
私は動物病院に連れた来られた犬やネコのようにそわそわしていた。このまま話が続くとどれだけお説教を受けるか分からない。
今の私の頭にはこの紳士の小言から逃れることしかなかった。
「しかし、だ、カニンガム君。君のその個人的な信条に由来する身勝手さは、組織に所属する人間として受け入れるわけにはいかないものである。優秀さを差し引いても。よって君の仕事に条件を付けさせてもらおう」
「といいますと?」
「君が任務に失敗したり、仲間の身を危険にさらしたならば、その君の不殺の信条は捨ててもらう。そう、それからはオーウェル機関の駒である暗殺者として目標を暗殺するという仕事をしてもらおう」
おや? アレックス機関長にしては随分と譲歩しているような……。
「これが嫌ならば君をここから叩き出す。君の名前や戸籍、資産は剥奪され、その状態で外の世界を生きることになる」
「分かりました。それでいいですよ」
そもそも私は仲間とは行動していない。オーウェル機関に所属している暗殺者は、その暗殺者としての役割を果たすことに疑問を抱いていないから。彼らは平気で人殺せるというわけで。
どうあっても私と意見が合うはずもない故に一緒に行動できない。
「結構。それからだが──」
アレックス機関長が何事かを告げようとしたとき、扉がノックされた。
「入れ」
「失礼します!」
そこで扉から若い男が入ってきて、何事かをアレックス機関長に小声で耳打ちし、書類を渡すと立ち去っていった。
「早速面倒なことになったぞ。政治家たちの中でも我々の存在を知るものたちが、今回の件を越権行為だと批判している。担当した人間を出せ、とのことだ」
「私、ですよね。どうすれば?」
「それを尋ねるようならば最初から命令違反はしないことだ。だが、安心するといい。私は君を突き出すような真似はしない。それができるならば、もっと早く、躊躇も遅滞もなくやっている」
「あははは……」
政治家絡みの事件が面倒なことは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。まさかオーウェル機関に対して圧力をかけてくるなんて。
「とは言えど、問題の政治家の中には無視できない立場の人間がいる。それらについては私がもう既に処分を下したと説明する。よって──」
アレックス機関長が深々とため息。
「休暇を与える。停職扱いだと思うように」
アレックス機関長がそう苦々しく言うのに、私は思わず喜びの笑みを浮かべようとしてしまい、慌てて真顔を繕った。
「了解しました。では、そろそろ失礼しても?」
「まだだ。さっきの話には続きがある」
さっきの話というのは私が任務に失敗したらならば、不殺の信条は捨てろというものだろう。私は姿勢を正して話を聞く。
「君は正直楽な話だと思っただろう。君が任務に失敗することなどほありえないし、君はほとんど単独行動するから、迷惑をかけるような味方はいないのだから、と」
「い、いや。別にそんなことは思ってないですよー?」
「図星か。私がそう簡単な条件を出すはずもないだろう」
思わず視線を泳がせてしまい、ウソがばれた。
「君には守るべき相棒を与えよう。正直なところ、君のような問題児に将来がある人間をあてがうのは甚だ不満だ。しかし、君がふざけたことを繰り返すのを止めさせることができるならば、そうしようではないか」
「え。ということは、私にもついに相棒が?」
「そういうことだ。後で彼女が君の拠点で合流する。その時に自己紹介などを受け、休暇の間にお互いを知っておくといいだろう。以上だ」
退室してよいというようにアレックスが手を振り、私は一礼して退室。
「やれやれ。任務はちゃんとこなしてるから問題ないと思うんだけどな」
私は人を殺さない。
私はこれからもオーウェル機関が一方的に下した死刑執行命令に従うつもりはない。組織から丸裸にして放り出すと脅されようが、私は私のやり方で帝国を守って、正義の味方を気取るとも。
「さて、帰ろう。相棒がどんな子か、楽しみだな」
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