愚者の毒物
――良かった。黒ずんでない。
手元の食器を見て、私は安堵の息を吐いた。
銀食器は毒に反応して黒ずむと言われている。私はこの事実を知ってからというもの、毎食毎食、食器の状態を確かめていた。
「どうかしたかい?エヴァ」
穏やかな声音が私を現実に引き戻す。顔を上げるとアドリアンが優しく微笑んでいた。
「いいえ。何でもありません」
彼に心配を掛けたくなくて、私は微笑みながら答える。
「それなら良かった。どんな心配事でも、僕には話して欲しいんだ」
「ありがとう、アドリアン。貴方の側にいれば、私は何も怖くありません」
アドリアンの手が私の手に触れ、その温かさが安心感をもたらしてくれた。
彼の優しい眼差しを感じながら、私は目の前の料理を見つめる。美しく輝く銀食器に盛られた色とりどりの食材を使った前菜。私は心を躍らせながら銀のカトラリーを手に取り、口に運んだ。すると、口の中に広がる美味しさに目を見開いた。調理法や食材の組み合わせが絶妙で、それぞれの味わいが調和している。
「美味しいわ。こんな素晴らしい食事を共に出来るなんて、幸せだと思うわ」
「エヴァ。君のその笑顔が見れるだけで私は幸せだよ」
アドリアンの言葉に、私は照れくさいが笑顔を返した。
その夜、私達は食事と共に愛と幸せを分かち合った。アドリアンとの穏やかな時間は、私にとって宝物のようなものだった。
+++++
私の名はエヴァ。そしてアドリアンは侯爵家の令息であり、私の恋人だ。
少しだけ裕福な平民の家に生まれ、平凡な生活を送る中で、私は侯爵家の屋敷に奉公に上がる機会を得た。
ある日、私は屋敷の中に飾る花を庭師のところに受け取りに行くように言われて庭に出た。たくさんの花を抱えて歩く私の前に、一人の男性が近づいて来た。私には、その瞬間、彼が侯爵家の嫡男であるアドリアンだとは分からなかった。でも、彼の美しい笑顔と上品な立ち振る舞いに、私は心を奪われた。
初めて会った瞬間から、彼の存在が私の心に深く刻まれた。彼もまた、私に好意を抱いてくれたらしい。その後、何度か彼との出会いが重なり、私達はお互いのことを知り、惹かれ合っていった。
「エヴァ、君に会えて本当に嬉しい。君は私の人生に光を与えてくれる存在だ」
彼の優しさや思いやりに触れるたび、私の心は幸福と温かさで満たされた。
けれど、運命は私達の味方ではなかった。アドリアンには幼い頃からの婚約者がいたのだ。
彼の婚約者は、ルクレーシャというアドリアンと同じ侯爵家の娘だった。
ルクレーシャは美しい容姿と礼儀正しい振る舞いを兼ね備え、侯爵夫妻に気に入られていた。彼女が輿入れしてくる日を待ち望んでいた。だけど、アドリアンは違った。アドリアンがこの結婚に反発していた。彼とルクレーシャの間には何かがずっと渦巻いていると、彼との何気ない会話からも感じることが出来た。
私達の間にある身分差は、私達を引き裂いた。
私は実家に戻され、アドリアンは予定通りルクレーシャと結婚することになった。愛する人を失った日々は憂鬱なものとなり、屋敷の庭で過ごすことが唯一の楽しみとなった。けれど、心は常に彼のことばかり。
アドリアンが結婚したという報せを聞いて半年が過ぎた頃、訪問者が現れた。それはアドリアンであった。
「エヴァ。会いたかった」
どうして彼がここにいるのか、私は分からなかった。
「アドリアン……何故、ここに?」
「君を想って」
私は驚きと喜びで言葉を失い、彼の姿に胸が高鳴った。零れそうになる涙を抑えることは出来ず、けれどアドリアンは優しく私の涙を拭い、慰めてくれた。
「エヴァ。君への気持ちは変わっていない。ルクレーシャとの結婚は侯爵家の為だ。私は誰よりも君といたいというのに、私の気持ちなど誰も慮ってはくれない」
アドリアンが本当に私を愛してくれていたことを知り、私の涙は喜びのものと変わった。
「ルクレーシャとの結婚は変えられない。でも、君との愛も変わらない。だから君への愛の為に、ルクレーシャとは白い結婚を貫くつもりだ」
「アドリアン……」
「一緒に暮らそう。どうか僕の手を取ってくれないか」
彼の想いは本物だ。私は一も二も無く、彼の手を取ったのだった。
彼は仕事で遅くなるという口実で、平日は毎晩、私のいる別邸に通い、夜を共にする。まるで夢のように幸福で、私の心は満たされていた。本邸に住む両親とお飾りの妻・ルクレーシャの顔を立てる為に休日の一日だけを本邸に戻るのだが、私に早く会いたいらしく、すぐに戻ってきてしまう困った人だった。
この関係は人々から非難されるかもしれないが、私にとってはかけがいの無い時間だ。
私達の穏やかな日々が続いた。アドリアンの優しさと愛情が私を包み込んでくれる。幸せだった。
けれど、日々が過ぎていく中で、不安が私の心を襲い始めた。
ある夜、眠れぬままでいる私の頭の中に、いくつかの断片的な映像が浮かび上がってきた。
それは私が前世で生きた記憶であった。私は日本という国に住んでいた社会人で、そして、今の現実は、私がかつてプレイした乙女ゲームの舞台であることに気づいたのだ。
ゲームのタイトルは『運命の道、君と共に歩む』。
『運命の道、君と共に歩む』は庶子であった主人公が、母親の死後に引き取られた後、様々な貴公子に出会い、その一人と恋に落ちるという物語。引き取られた主人公は本妻や本妻の娘に虐げられるが、それでも前向きで健気な彼女のシンデレラストーリーが受けたのだった。
状況から考えて、私はゲームの主人公ではなく、主人公の母親だろう。
そして主人公の母親が毒殺によって死んでしまう運命を思い出し、私は言葉を失った。ゲーム本編で、その真相がハッキリと描かれることはなかったが、本妻である侯爵夫人が毒殺したのではないかという噂が広がっていたのは覚えている。
この世界のルクレーシャに私は会ったことがない。だけどゲームの中で主人公を虐げる侯爵夫人の姿を鮮明に覚えていた。
彼女は夫であるアドリアンに対する愛情が極限に達し、彼を奪った私への憎悪は相当なものだったようだ。侯爵夫人は私の娘を妬み、嫉み、非難し、虐げた。悪役令嬢の立場にある彼女の娘の嫌がらせなんて可愛いものだったと記憶している。
彼女ならば毒殺なんて当たり前に計画するだろう。それで目障りな私がこの世から消えるというのなら。
死にたくなかった。シナリオを変えてしまうことに躊躇いはあったけど、まだ存在していないとはいえ、娘の成長を見ずに死ぬことも嫌だったし、その子供が自分の死後に虐げられることが分かっているのに、死んでなどいられない。
私はゲームと同じ運命を辿らないよう、未来を変える方法を探した。
ある日、屋敷の食事の席で、白く美しい陶器の皿を見て、ふと思いついた。前世の私は毒物が銀食器に触れて黒ずむことを知っていた。もしかしたら、それを利用して毒殺を回避できるのではないだろうか。
「私、あの美しい銀の食器やカトラリーで食事をしたいわ」
そう思って私は早速アドリアンに銀食器を用意してくれるように頼んだ。私の願いを快く受け入れてくれたアドリアンは、すぐに素晴らしい彫刻が施された銀食器一式を用意してくれた。
その美しい銀食器を手に取りながら、私は自分の選択が正しいものだと確信した。
愛するアドリアンが用意してくれたこの食器は、私達家族の未来への一歩だと。毒殺されるという恐怖から解放されたのだ。
アドリアンと、いつか私達の下にやって来る子供と幸せに暮らす日に思いを馳せ、私は自然に口許を緩めていた。
けれど、運命というか人生というものは私に優しくはなかった。
ある日、私は別邸で働く使用人達の会話を偶然耳にした。庭に出ようと廊下を歩いている途中、一室から聞こえてくる声に足を止めた。
「本邸のルクレーシャ様に御子様が産まれたそうよ。女の御子様ですって」
意味が分からなかった。アドリアンはルクレーシャとは白い結婚を貫くと言っていたのに。
「だから、ここ数日、旦那様はこちらにいらっしゃらなかったのね」
確かにここ数日、アドリアンはこの屋敷に帰って来なかった。重要な用事があるからと本邸に戻ると伝言を受け取っている。その用事は本妻の出産だったのかと腑に落ちるけれど、納得はしたくなかった。
だけど、ゲーム本編には侯爵家の本妻の娘が悪役令嬢として登場するのだ。本当に白い結婚だったなら、あのキャラは生まれないわけで、アドリアンとルクレーシャの間に体の関係があったことは明らかであった。
ルクレーシャと私。身分の差。立場の違い。それでもアドリアンは私を選んでくれた。その思いは私に少なからぬ自信を与えていた。
彼の側にいることで、私は多くのことを学んだ。愛や幸福の真価を知り、自分自身を見つめ直す機会を得た。アドリアンの優しさと共に、私は内なる強さを見つけたのだ。
だけど、真実は私の心をいとも容易く粉々に打ち砕いた。
その日の夜にはアドリアンは帰って来た。
一緒に夕食を摂ろうと誘われたが、席に座る私の心は不安と緊張で一杯だった。
最初に運ばれて来たのは、薫り高い茸のクリームソース添えの前菜。サワークリームの絶妙なコクと、茸の優しい風味が私の舌を柔らかく包み込む。次に滑らかで深い味わいの根菜のクリームスープ。温かなスープは季節の根菜達の甘みと旨味が凝縮されている。
そして魚のメインディッシュ。パリッと焼き目のついた白身魚の身は、噛むとほくほくした食感で初めて食べた味だった。魚の上のソースが絶妙なアクセントになっていて、付け合わせの野菜との相性も抜群だった。
肉料理は、アドリアンの大好物であるローズマリーの香るランプ肉のロースト。その香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、私達の食欲を刺激する。私はワインのグラスを手に取り、ワインの芳醇な香りと共に、彼が幸せそうに口に運ぶ姿を眺めた。いつもなら私も喜びが胸を満たすというのに、今日はそんな気分にはなれなかった。
そしてデザートまで平らげる。胸がつかえるような気持ちなのに食欲だけはちゃんとあって、己の健啖さに少し呆れてしまう。
全ての銀の皿は黒ずむことなく美しく輝いていた。今日も無事に食事を終えることができたのだと安堵した私は、アドリアンに向き直る。
「アドリアン、私、聞きたいことがあるの。昨日、あの……」
「何でも聞いてくれて構わない。君の疑問には全て答えるよ」
泰然としているアドリアンの様子が、今日はいやに鼻につく。私は深い溜息を吐いて誤魔化しながら、言葉を続けた。
「ルクレーシャ様の下に、御子様が生まれたと聞いたわ。白い結婚を貫くのだと言っていたのに……」
アドリアンの瞳が私の目を見つめ、しばらくの間、沈黙が広がった。そして、彼はゆっくりと頷いた。
「エヴァ。僕は君を世界で最も愛している。今までも、これからも。ルクレーシャのことは……」
彼は言葉を切ったが、私は黙って聞いていた。
「彼女は僕達のことを知って、身を引こうとしていた」
「ルクレーシャが?」
「彼女もこの結婚の犠牲者だ」
ゲームでルクレーシャの本性を知っていた私は、思わず疑わし気な顔をしてしまう。だけど、アドリアンは厳しく反論して来た。いつもの彼なら、私が失敗しても優しくたしなめてくれるだけなのに、何だかやっぱり様子が違う。煩わしそうにルクレーシャの相手をしていたというのに。いや、私がこの屋敷に迎えられてから、アドリアンがルクレーシャの話を私に聞かせることはなかったことを思い出す。
「彼女は僕のエヴァへの愛を認めてくれたよ。だからこそ、君が別邸で暮らせるように両親を説得してくれたのはルクレーシャだったんだ。家の都合で平民との結婚は許されないが、僕が癒されるのであれば」
ますます意味が分からない。あの女は、そんな殊勝な女ではないはずだ。
「……では、白い結婚は?」
「君を別邸に迎えてすぐ……思い出が欲しいと言われて……」
その言葉を聞きながら、私の中で何かが破裂したような感覚が広がった。
裏切られた――怒りが、失望が、苦しみが、全て同時に私を襲った。
「アドリアン、貴方は本当に……あの女に簡単に絆されて、私を裏切ったのね。信じていたのに、どうして……」
アドリアンの目が私の怒りに応えず、深い溜息を吐いた。それがますます私の怒りを煽るようだった。
「エヴァ。君の気持はよく分かるよ。でも、ルクレーシャも悲しい選択をしなければならなかったんだ。彼女は僕に最愛の存在がいると知りながらも、それでも尽くそうとしてくれた。君がいるからこそ、僕は彼女とも向き合わなければならない」
私は彼の言葉に耳を傾けつつも、まだ怒りが収まる気配はなかった。アドリアンは私を最愛だと言った口で、ルクレーシャの健気さを評価した。
「私だけを愛してるって言ったじゃない!それなのに、私を裏切ったの!?」
私の声には怒りと同時に、深い失望が滲んでいた。アドリアンは沈黙し、彼自身も答えに詰まっているように見えた。
「二人して私を馬鹿にしてるのね!!」
怒り狂う私をアドリアンや使用人達は宥めようとするのだけれど、もはや感情のコントロールも出来ないほどに気持ちが高ぶっていた。
凶行に及ぶことを恐れた者達によって取り押さえられようとした直前、私は突如として手に胸を当てて息を呑む。激しい苦痛が胸を貫き、私は呼吸をしながら床にへたり込んだ。
「う、うぅ……」
声にならない呻きが私の口からこぼれ出る。必死に息を吸い込もうとするのに、全然楽にならない。
どうして?銀食器は黒ずんでなかった。私は毒を飲んでいなかったはずなのに。
「エヴァ……?」
アドリアンは顔に驚きと恐れを浮かべて私に近づき、私の名前を呼びかける。しかし、私は苦しみに耐えるだけで精いっぱいで、彼に返答する余裕はなかった。彼の姿が最後に私の目に映ったが、その瞬間に闇が私を包み込んだのだった。
+++++
エヴァの葬儀の報告が届いた。エヴァは夕食後にアドリアンと話している最中、苦しみ始めて倒れ、そのまま亡くなった。死因は心臓発作によるものだろうと診断されている。
一応、エヴァの家族にも亡くなったと連絡を入れたのだが、親の反対を押し切り、駆け落ち同然に家を出て、あまつさえ貴族の愛人に成り下がった娘に会いに来れるわけもない。心情とすれば遺体を引き取り、生家の墓に入れてやりたいだろうが、世間体がそれを許さない。
「ルクレーシャ様。そろそろ……」
乳母に声を掛けられ、腕の中に抱いた娘を預ける。
愛らしい赤ん坊の名はルイーズ。成長すれば『運命の道、君と共に歩む』の敵役・ルイーズになるはずだった赤ん坊。けれど、主人公を産むはずだったエヴァが主人公を産まないままに亡くなった為、その未来は消滅した。
そう、私――ルクレーシャもまた、日本人として暮らしていた記憶を持っていた。ハッキリと思い出したのは、間もなく婚約者であったアドリアンと結婚の日取りが決まる頃合いだった。
この時点で、私は既にアドリアンに嫌われていて、彼はメイドであったエヴァと深い仲になっていた。
ルクレーシャとアドリアンの関係は、最初は甘く愛らしいものだった。だけど、家族仲があまり良くなかったルクレーシャはアドリアンに依存し、彼を束縛しようとした。アドリアンはその状況に疲れ、彼女の束縛から逃げる為に手近な女に手を付けた。
手近な女――エヴァは、天真爛漫で可愛らしい美貌を持っていたが、それだけだ。未来など無い。愚かではないアドリアンの恋を燃え上がらせたのは、愛や恋よりも、ルクレーシャへの反発心だ。ゲーム本編に登場する侯爵夫人のように、エヴァを憎めば憎むほどアドリアンはエヴァを愛し、主人公を虐げれば虐げるほど主人公を庇った。
ちなみに、侯爵夫人が主人公を虐待しても離縁されないのは、結婚時の契約で侯爵家の跡取りはアドリアンとルクレーシャの子供という文言が入っていたからだ。もしルイーズが死亡した場合、爵位は返上の上、ルクレーシャの実家に領地の半分を割譲することが国からも認められている。
ゲームでも悪役令嬢のルイーズは死んでしまうエンディングもあったはずなのだけれど、その時は主人公ももれなく平民落ち。貴公子の誰とも結ばれることはないのだけど、よくそれでハッピーエンドなんて嘯くものね。
さて、話は戻るが、私は過去の自分の行いを反省した。アドリアンのような単純な男を懐柔する手段などいくらでもあったというのに、その中でも最も悪手を選んだ己に、ほとほと呆れながらも計画の修正を始めた。
私はこれまでと打って変わってアドリアンとエヴァの恋を応援する風を装って、彼の信頼を取り戻すことにしたのだ。健気な女のフリをして、彼に寄り添い、彼の心を掴んだ。
本当に単純な男だと思う。けれど、その裏表の無さが愛おしかった。純粋で朗らかで、その笑顔、その存在が私にとって、世界で最も尊いものであった。たとえ別の女の下へ行こうとも、最後に私の下に戻って来るというのなら許せるのだ。
『アドリアン様。私は貴方とエヴァさんとの関係を邪魔しようとは思いません。彼女の心を満たしていることを喜ばしく思いますわ』
だからエヴァと共に別邸で暮らすことも許した。アドリアンもその提案に乗り、二人は別邸での生活を暮らし始めた。そして私は彼の負い目をくすぐり、アドリアンと体を重ね、子供を身籠ったのだ。
まさか避妊薬を飲まされているとは知らずに、誘い込まれた別邸で優雅に暮らすエヴァ。私の管理下にある内は、エヴァがゲームの主人公を産むことはない。私の産む娘の未来は守れられるのだ。そしてアドリアンは、いつか私の下に戻る未来への道筋が見えたのだった。
「だけど、まさかエヴァも転生者だったとはね」
ある時、彼女が銀食器を要求したことに、私は違和感を覚えた。
銀食器が毒物に反応することは、多くの平民が知らない事実だ。だって、基本的に高価な銀を手に入れることは出来ない。彼女の生家は裕福な商人の家だが、跡継ぎでもない娘に「毒殺を回避する為に銀食器を使う」なんて話をするだろうか。きっとしないだろう。血生臭い話からは出来るだけ遠ざけたいだろう。
もしも彼女が前世の知識を利用して、自分の死を回避しようとする日本人なのではないかという考えに至った。
だから私は彼女を殺した。エヴァがどんな知識を持っているかは知らないが、彼女が生きている限り、どうにか死を回避して私達を不幸に追いやるかもしれない。ゲーム本編とは逆に私を殺し、ルイーズを虐げるかもしれない。
私から最愛の夫を奪い、何の権利も無く我が家の財産を貪り、賢しらに知識をひけらかす女には、相応の制裁をしようと私は決めたのだ。
「銀食器に反応する毒ってヒ素しか無いのだけど、彼女知らなかったのかしらね」
恐らく彼女は全ての銀食器は全ての毒が反応すると思っていたのだろう。
中世ヨーロッパの主流の毒殺がヒ素であった為に、貴族達や富裕層は銀食器で毒の有無を判別しようとした。そうした史実が勘違いさせる要因となっているのは確かだ。
けれど、この地上にはヒ素以外にも山のように毒があるのを知らなかったのだろうか。毒草、毒茸、毒蛇、毒虫、毒性の強い鉱物――数えきれないほどの毒が存在する。そしてまだ知られていない毒だって、きっと存在している。
「お望み通り、銀の食器に毒の料理を盛り付けて差し上げたのだから、彼女もきっと気に入ってくれたわよね」
そして私は椅子から立ち上がり、さきほど用意していたワインのボトルを持って、続きの間に入る。夫婦の寝室だ。エヴァの死後、別邸は処分され、アドリアンは本邸に帰って来た。今夜もまたエヴァの死に打ちひしがれているに違いない。
ちなみに、用意したワインは既に毒見済み。毒殺を恐れるなら、これくらいやらなくちゃね。
さぁ、今度こそ私は間違えない。私の運命の道を共に歩むのは貴方だけよ――アドリアン。
END