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生贄の期限

 四日目




 紺の空に、満月が真ん中でふたつに割れた月がある。


 城の頂上、外へ続く小さな円形のテラスは、モザイクタイルの囲いが一部分なくなっている。朽ちたのか、意図的にか。風が、リコの長い薄桃の髪と、編みこんだ鎖飾りをさらって音をたてる。


 生贄の期限はすぎた。四日目の、夜明けまであと数時間。


 リコは振り返る。キトエが沈痛な面持ちで見つめている。カーテンを使った急ごしらえの濃紺のマントが風にはためいていた。リコの魔法イグニトで服がぼろぼろになってしまったので、城のカーテンを拝借したのだ。


 キトエの表情に、小さく笑ってしまった。


「そんな顔しないで。ちゃんと見てて。わたしを信じて」


 自分自身にも言い聞かせる。


「絶対に負けない」


 魔力、心臓、純潔。生贄に必要な三つのもの。


 想定していなかった。けれど純潔を失ったとき、つながっていた鎖が断ち切られたように魔力を吸い取られなくなったのが分かった。神か呪いか分からないものにもことわりが通じるのかと、ただ驚いた。


 リコに本来の魔力が戻った。どうするのかと問うたキトエに、リコは答えた。ここから出られればいい。城を囲んでいる結界を、内側からリコの結界で壊す。より強力な結界で、中から押し壊すのだ。


 城についてすぐ、結界を攻撃して壊せず、絶望した。魔力が戻り、同じように結界の一部を壊そうと攻撃したが、壊せなかった。ならば全体を壊す方法に賭けてみるしかない。


 リコの力が城の結界に勝るのかは分からない。けれど魔女と忌まれた力なら、超えてみせる。


 時間だ。リコはひらいた囲いの前へ立つ。本来なら生贄が飛び降りる場所。けれど今は、神か呪いか分からない連鎖を断ち切るための場所だ。


 息を吸うように、魔力を巡らせる。リコの右手から赤い枝葉の紋様が腕へ、肩へ、頬へ、左手へ、脚へ伝わって淡く光を放つ。


 力を解放する。薄紫色の光の帯がたなびいて、リコを中心に円状に膨らんでいく。囲いを越えて、群青に沈んだ花畑へ、割れた月のある空へ。


 落雷に似た音とともに、薄紫の光に赤い光が走る。薄紫が触れた部分、城を覆うように赤い光が浮かび上がって大地が震える。


 同時にリコは叫んで自分の腕をつかんでいた。激痛があって、全身が、痛い。


(痛い、痛い、痛い!)


 赤い光は可視化された城の結界だ。リコの結界と拮抗して、まるで雷をこすり合わせたような音をたてている。


(痛い! 何で)


 魔力を緩めて、城の結界から離す。激しく触れ合っていた赤い光が消えて、元の紺色だけの静寂が戻る。痛みが引いていく。


(何で)


 結界を押し壊そうとすると、体の中からちぎられているように痛い。


 つながりが切れていないのか? けれど吸い取られて尽きていた魔力が戻っているから、つながりは切れているはずだ。今まで吸い取られていた自分の魔力が城の結界に使われていて、元は自分の魔力だから痛みを感じるのだろうか? そんな話は聞いたことがない。そもそも神か呪いかも分からないものに、ちゃんとした理を求めることが間違っているのかもしれない。


 ここから出られなければ死ぬ。どんなに痛みがあろうとも、結界を壊せなければ、死ぬ。


 力を強める。腕を握りしめる。たなびいた薄紫の光に、赤い光がぶつかって鳴動する。


 声がもれる。城を覆う赤い壁が姿を現す。雷がかみ合う音と、弾ける光、全身あらゆるところをちぎって投げられているような痛み。痛みから逃げたい。少しでも楽にならないかと体を折り曲げる。


(痛い痛い痛い!)


 終わらない。壊れろとさらに力をこめる。


 叫んでいた。息が吸えず、呼吸が浅く速い。頭のほうから冷たくなって、冷や汗が吹き出てくる。


(結界を壊したら、死ぬの?)


 結界を壊した瞬間、この痛みで死ぬのだろうか。どうやっても、城に入った瞬間から死は決まっていたのだろうか。


(うそでしょ?)


 散々魔女と忌まれてきたのに、理不尽な力に抗えない。肝心なときに何の役にも立たない、不幸なだけの力。


 こんなところで死にたくない。痛い、痛い、痛い。


(痛い、死にたくない、怖い、嫌だ!)


 腕を握りしめていた手を引きはがされた。

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