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第46話 祈り

 ふと目を覚ますと、まだ焦点の定まらない視界にぼんやりと映るのは、また全然見覚えがない部屋だった。だけどなんかもう、それにも慣れてしまった。

 体がだるくて頭が動き出さない。思考を放棄して寝返りを打つと……視界を占めたのは黒だった。


「……え、えええええ!?!?」



 眠気が一気に吹き飛んで、叫びながら飛び起きる。

 隣で眠っているミハイルさんを呆然と見下ろしながら、一体何がどうなってこうなっているのか冷静に考えようとしたが、まったく冷静になれなかった。そうこうしているうちに、闇色の瞳が開いて私を映す。

 

 何を言えばいいのかわからず、ただそれを見ていると、少しの間、彼は寝ぼけたようにぼんやりしていたけれど。急に慌てたようにガバリと起き上がった。


「すまん。違う。お前をここまで運んできて、そのまま眠ってしまった。断じて何もしてない」


 焦ったように、ミハイルさんにしては珍しく、矢継ぎ早に言葉を連ねる。

 言われてみれば、傷の手当すらしてなかった。顔も手も血だらけだし、黒い軍服はともかく、中のシャツなど元の色が見当たらない。


「私……気を失っていたんですか?」

「ああ。指輪を使ったせいだろう……、覚えているか?」

「あ、はい」

「どこまで覚えている」


 言われて、ぼんやりしていた頭で記憶を手繰り寄せてみる。レナートやフェオドラさんが死霊に取り憑かれてしまって、ミハイルさんがそれを引き剥がしたはいいけど、おかしくなってしまって。そうだ、レイラは。


「ミハイルさん、レイラは」

「大丈夫だ。ちゃんといる……、屋敷に帰るまでは外に出せないが、心配することはない」


 胸に手を当てて、ミハイルさんが表情を緩める。


「良かった。早く会いたい」

「全く、お前はレイラのことばかりだな。妬ける」

「なっ、何言って……」


 変なこと言うから。

 その後のことも思い出してしまった。

 思わずのけぞった私を見て、ミハイルさんが一瞬怪訝な顔をする。が、すぐにそれは気まずそうな表情へと変わった。駄目だ、私絶対今顔赤い。めちゃくちゃ熱い。


「……すまん」

「……謝らないって言ったくせに……」

「そうだが……、そこまで睨まれるとな……」


 睨んだ、つもりはないけど。

 もしかして、私が屋敷で目覚めたばかりのころ、ミハイルさんがいつも私を邪険にしていたように感じたのは、こういう気持ちだったのだろうか……。


「……すみません。い、嫌なわけじゃ……ないんです」


 ただ、どんな顔をしていいかわからないだけで。

 思えば、エドアルトたちにも怒っていると心配されていた。レナートが来る前からぎくしゃくしていたことを思い出して謝ると、ミハイルさんは幾分かほっとしたような顔をした。


「そうか」

「はい」


 そんな短い言葉のやり取りだけだったけど。何かわだかまっていたものが解けたような気がする。

 大抵のことはハッタリや強がりが通用するけど、経験のないことにはてんで弱いのだ。だから……、そのうち慣れれば、いちいち動じないで済むのかな……。

 とか思ったけど。


「なら遠慮しない」

「はい!?」


 いきなり距離を詰められて、声が裏返った。

 無理、慣れない。無理。頬に手が触れて、思わず固く閉じた目を――、

 扉が開く音がして、開ける。


「……邪魔をした」


 救急箱を手にしたフェオドラさんが真顔で呟いて。


 ……何かもう、猛烈に、この場から消え去りたくなった。



 * * *



 とりあえず、ひたすら無心でミハイルさんの傷を手当する。治りが早いとは言っていたし、血はほとんど止まっていたけど、深いものもいくつかあってかなり痛々しい。というか、こんな体でよくあんなことが……、いや、よく平気でいられるものだ。


「その体……、それは何だ」


 少し離れて見ていたフェオドラさんが、ミハイルさんを見て気味悪げに問いかける。恐らく呪印のことだろう。察してミハイルさんが顔も上げずに答える。


「見ての通り呪われている」

「……なるほど。君は気にならないのか」


 私のことだろうか。フェオドラさんの方を見ると目が合った。


「私ですか? あんまり気にしたことないです」


 呪印に関しては、タトゥーみたいなものくらいにしか思ったことない。だからそう答えると、フェオドラさんは顎に手を当て、感心したような声を上げた。


「果報者だな貴公は。私も軍人なぞ辞めて恋人の一人や二人でも作ってみるか。私のような者でもいいという男が探せばいそうな気がしてきたぞ」

「……で、何だ。俺の首でも取って手柄を上げようという腹か」


 突っ込みどころが多々あった気がするけど。ほんとに動じないな、この人は。

 与太話に付き合わないミハイルさんを、だがフェオドラさんも気にした風ではなく、あっさりと本題に入る。


「生かしたままの方が手柄はでかいだろうがな。まぁ、逆だ」


 そう言って、彼女はソファに座ると、足を組んだ。


「逆だと?」

「明日後、帝国から視察が来る。故に、怪我をしているところご苦労だがとっとと帰れ」


 目を伏せ、肩を竦めて言うフェオドラさんに、ミハイルさんが怪訝な顔をする。


「何を企んでいる」

「随分捻くれた御仁だ、恩を感じるところだぞ」

「なら問うが、逆の立場ならどう思う」

「何かの罠かと思うな」


 フェオドラさんが全く表情を動かさず即答する。なんか、あれだな、この人……ミハイルさんの女版みたいな人だな。


「ふむ……確かに味方だと思われても困るが。率直に言おう。帝国……、皇帝陛下は恐らく貴公の力を魅力的なものだと思うだろう。だが私は思わない。それだけの話だ」

「お前は軍人だろう。皇帝の犬が主人の意向に逆らうなどおかしな話だ」

「逆らってはいない。だが犬であっても傀儡ではない。ついでだから忠告しよう、プリヴィデーニ卿。固執や依存は極めて易い。それでいて簡単に人を強くする。だが極めて脆い」

「…………」


 ミハイルさんが黙り込む。しばし二人は睨み合っていたが、そのうちフェオドラさんが相好を崩す。


「あぁ、そういえばイスカの王子様から伝言を預かっているぞ。君宛てだ、ミオ」

「レナート? そういえばレナートは……」

「国に帰った」


 あっさりとフェオドラさんが告げる。……なんだかんだあったけど、助けてくれたことにはお礼を言おうと思っていたのにな。

 それに……


「聞きたいことが色々あったのに」

「言えないから帰ったんだろう。彼も味方ではないぞ。イスカは敬虔なる神聖王国だ。貴公らのような存在は一等認めない。知れば帝国以上に国をあげて排除に掛かるだろうな」


 ……それは、覚悟はしていたことだけど。そのことについても、レナートと話したかったのに。

 手当の手を止めて項垂れていると、フェオドラさんが補足するように続ける。


「しかし当面のところはその心配もないだろう。……伝言を言うぞ。『悪かったな』」

「……! レナート……」


 私が、ことあるごとに責めてしまったから。きっと気にしてくれていたんだろう。フェオドラさんの口ぶりでは、レナートも表立ってこちらと敵対する意志はなさそうに思える……、決して、楽観視はできないんだろうけど。それでも……、

 ……やっぱり、お礼を言いたかったな。


「あくまで当面に過ぎん。それは努々忘れんようにな。さて……、その体でプリヴィデーニまで馬を走らせるのは酷だろうから、迎えを呼んでおいた」


 フェオドラさんが立ち上がったタイミングで、扉がノックされる。入れ、とフェオドラさんが応えると扉が開き、彼女の部下らしき人と、よく見知った人物が姿を現す。


「リエーフさん!!」


 思わず立ち上がって駆け寄ると、リエーフさんが私を見てにっこりと微笑む。


「ミオ様、ご無事で何よりです。わたくしもお会いできて嬉しいですが、そんなに嬉しそうにされると、ご主人様が不機嫌になりますよ」


 ニコニコと満面の笑みを浮かべて、リエーフさんが屈んで、私の耳元で囁く。


「……聞こえているぞ」

「おや、これは失礼。……フェオドラ様、主がお世話になりました。ご厚情、感謝致します」


 リエーフさんがフェオドラさんへと視線を移して頭を垂れる。それを受けて、彼女は腕を組むと視線を床に投げた。


「いや、助けられたのは私の方だ……、これで貸し借り無しにしたい。次に会うときは敵かもしれんからな」


 それは肝に銘じてはいるけれど。フェオドラさんと戦うようなことにはなってほしくない。

 彼女だけでなく……帝国ともイスカとも、争わずに済む道はないのかな。いや、それを探さなければならないのだろう。二人がくれた時間で。

 或いは、探せという二人からのメッセージなのかもしれない。


 どうしたらいいのかなんて考えもつかないけど……それでも考えなければいけない。



 帝国にも、イスカにも、誰にも……、渡したりしない。



「……ありがとうございました、フェオドラさん」

「しっかり手綱を握っておけよ」

「? 私、馬には乗れませんが……」


 リエーフさんを呼んでくれたのはフェオドラさんだろうに、と首を傾げていると、リエーフさんがクスクスと笑う。

 行くぞ、とミハイルさんに不機嫌な声で言われて、よくわからないまま部屋を出る。


「さ、帰りましょう。みんな待っていますよ」


 でも、リエーフさんにそう言われると、意識が一気にお屋敷に傾いた。


 フェオドラさんや、レナートがくれた猶予が、どれだけのものかわからない。この先何があるのかもわからない。死霊、帝国、イスカ、そこに属する人たちの様々な思惑に、翻弄されることになるのかもしれない。


 でも、どうか、少しだけでも長く。


 少しだけでも……、レイラに叱られて、エドアルトと花を育てて、アラムさんとお掃除をして、リエーフさんにからかわれながら、ミハイルさんの不機嫌な顔を眺めていられるような。




 そんな、安息の時間を過ごせますように。

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