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第31話 幸せの在処

 アラムさんが薬品を調べている間に、もう一度魔法陣をよく観察する。

 直系は三メートル弱くらい。ここにある薬品だけでどれだけの量が作れるだろう。そもそも、ちゃんと消せるのだろうか。……消せたところで上手くいくのだろうか。


 人を生き返らせる魔法と、魔法を解除する逆魔法……、

 ミハイルさんがお屋敷のことを話してくれたのは初めてだ。


「何してる、ミオ」

「あ……、魔法陣を見ていました」

「何故?」

「効率的な掃除の方法を考えていただけです」

「……そうか」


 どこかほっとしたような響きを感じるのは、気のせいなのだろうか。

 この魔法陣や逆魔法、そしてお屋敷の過去、それらは私の失った記憶に関係のあることなのかもしれない。だとしたら――


「ミハイルさんは、私の記憶が戻らない方がいいと思っているんですか?」


 彼は何も答えない。でも聞かなくてもわかってる。そうじゃないなら、とっくに教えてくれたっていいはずだ。


「……すまん」

「いえ、私の方こそこんなときにすみません。そうだ、今のうちに傷の手当を」

「今は霊除けを掛けているが、もうそんなに保たん。じきにやつらが来る。今はいい」


 ボロボロの服を見て、苦しくなる。

 私、一体何をしてるんだろう。これじゃ迷惑かけてるだけだ。


「ごめんなさい。役に立ちたいなんて言っておいて、傷つけてばかり……」

「お前は傷つく覚悟でここにいるんだろう。なら俺が傷つく覚悟もしろ。そういう契約のはずだ」


 でも、と言いかけた私の口に手を当てて、ミハイルさんが言葉を継ぐ。


「そうでなきゃフェアじゃない」 


 そう言って、笑う。いつもの少年のような笑みと少し違う、それよりもう少し優しい笑みで。

 けどそれは、悲鳴に掻き消された。


「きゃあああ!!?」


 少し離れた場所にいたニーナさんの悲鳴に振り返る。その視線を追って階段の方を見れば、そこから一斉に死霊が押し寄せていた。中には転がり落ちてくるものもいる。


「ニーナさんにも見えるんですか!?」

「ちっ……、アラム! 消すぞ!」

「あと十秒! ミオ嬢!」


 呼ばれてアラムさんに駆け寄る。彼が手にしたビーカーから液体を床に落とすと、ジュッと煙が発生し、液体がかかった箇所の文字が消える。


「素手では触らない方がいいし、煙も吸わない方がいいだろうね」

「わかりました、ありがとうございます!」

「ただ、作れたのはこれだけだ。幸運を祈るよ!」


 直後、アラムさんの姿がかき消える。それと同時に、ニーナさんが私の隣にしりもちをつく。


「ちょっと! もっと丁寧に扱ってよ!」


 彼女にも手伝ってもらいたいところだけど、薬品の量がギリギリだ。一滴も無駄にできない状況で、彼女に頼んでいいものか判別がつきかねる。

 ちらりとミハイルさんに視線を当てる。

 死霊がニーナさんにも見えているということは、それだけ力を増してきているということだろう。この魔法陣を消し終わるまで、ミハイルさんは死霊を退け続けなければならない――


「ニーナさん、手伝って下さい!」


 作業自体はそう難しいものではないし、特別な技術が要るものじゃない。ニーナさんは天真爛漫な面はあるけれど、馬も乗りこなすし、掃除が嫌いでも家はちゃんと片付けている。きっと、努力家で繊細な人。

 ――それに。


「何をよ!」

「お掃除をです!」


 叫び返す彼女に端的に答えながら、机の上にあった空のビーカーを取り、中身を半分に分ける。


「これで魔法陣を消します。でも量がギリギリなんです。なるべく節約して使って下さい。液体が手に触れないように、出て来た煙は吸わないように気を付けて」

「魔法陣って……これを全部消すの!?」

「そうです。お願いです……、なるべく時間を掛けたくないんです……」


 言うだけ言って、返事は待たずに作業を始める。

 時間がかかればそれだけミハイルさんが危なくなる。必然的に、私たちも。

 急いで、でも薬品をできるだけ無駄にしないように、慎重に。


 汗が目に入って邪魔だ。発生する煙も、手にかからないよう注意を払うのも煩わしい。でも、落ち着かないと。多少なら大丈夫かもしれないけど、アラムさんがどういう配合をしたかわからない。気分が悪くなったり、手を負傷したりすれば、それだけ作業効率が落ちる。


 焦るな――、冷静にならないと。


 一度顔を上げて深呼吸し、額をぬぐう。その瞬間視界の端に、ミハイルさんが倒れるのがひっかかった。そして、彼に向かって死霊が一斉に群がっていくのを。


「ミ――」

「来るな!」


 立ち上がり掛けた私を、ミハイルさんの鋭い声が止める。


「でもッ、もう無理です! 間に合いません!! 消しても上手く行く保証だってないんです……!」

「それならそれでいい。思う存分失敗すればいい……」


 死霊に食いつかれ、血飛沫を上げながら、その血を全て刃に変えて、群がる死霊を吹き飛ばす。


「そうすれば俺は二度とお前を危険に晒さなくて済む。だがどうせお前は上手くやる。今までもずっとそうだった」

「そんなの根拠に……」

「なるさ。保証がないというなら俺がする!」


 滅茶苦茶だ。言ってること支離滅裂なのに、なんの筋も通ってないのに、不安が全部吹き飛ぶ私も滅茶苦茶だ。


 ……全て跡形もなく消さなくても、ある程度消すことができれば力を失うかもしれない。

 ここまで来たらためらっても仕方ない。やるしかない。

 ニーナさんも頑張ってくれている。でも、もう薬品がない。

 最後の一滴を落としてしまう。まだ、ニーナさんは残っているだろうかと、顔を上げようとした瞬間に額に衝撃が走る。


「痛ったー……」


 私と同じようにおでこを押さえるニーナさんを見て、きょとんとする。同じ場所から、逆回りに作業していたはずなのに、もうこんなに近づいていたのに気が付かなかった。彼女も私に気が付かなかったのだろう。顔を見合わせて――それから同時に床を見る。


「できた……!」


 そしてこれも同時に、ミハイルさんの方を見る。そして、言葉を失う。


 死霊たちが光の粒になって、みんな消えて行く。それは、顔を覆いたくなるような死霊たちの惨状とは対象的に、酷く美しく幻想的な光景だった。でも、それに魅入るより前に。

 ミハイルさんに駆けより、抱え起こす。気を失っていた彼は目を開けると、はっとしたように呻いた。


「……か、解放する」


 ミハイルさんから立ち上った黒い霧が、そのまま光に姿を変える。捕らえていた死霊だろう。


「なんとかなっただろう?」


 起き上がって呟く彼を見上げて、素朴な疑問を口にする。


「ならなかったら、どうするつもりだったんですか」

「その時は気絶させてでもお前を連れて帰るだけだ。そして今後は大人しくしていてもらうところだった」

「それは……残念ですね。今後も大人しくならなくて」

「全くだ」


 疲れたようにミハイルさんが溜め息をつく。


「溜め息ばかりついていると幸せが逃げますよ」

「なんだそれは」

「私が元いたところではそう言われていたんです」

「……ならば精々逃げないように捕まえておくことにする」


 小声で言って、ミハイルさんが立ち上がる。私も立ち上がり、どうやって、と問いかけている途中で抱き上げられた。


「ちょっ……、満身創痍のくせに何してるんですか!? 自分で歩きます!」

「これ以上余計なことをされたら困る」

「お、降ろして下さい!」

「断る。おい、行くぞニーナ」

「え、ええ……」


 ぽかんとしているニーナさんに声をかけ、抵抗する私を歯牙にも掛けず、ミハイルさんはスタスタ歩きだした。

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